第83話 ほんの目と鼻の先2


「私には死んでも悲しんでもらえるような家族や人なんていなかったし、後悔するどころか、私は清々すがすがしい気分だったわ。それなのに、私のために獅子堂ししどう君は、理不尽な状況にも関わらず、無理を押し通して勝ってくれた。……まるで、物語の主人公みたいだったわ」


 東雲しののめが俺の背中に触れた。


「だから、獅子堂君?」


 俺は緊張しながら、東雲の方へ寝返りを打つ。


 ほんの目と鼻の先に、東雲の整った顔があった。


「恥ずかしいから一度しか言わないけれど、私、獅子堂君のことが好きよ?」


「……東雲?」


「私はもう少しでこの世を去るわ。だから、その前に」


 東雲が俺のことを涙目で見つめている。


「私を抱いて」


 俺は東雲のことをまっすぐに見つめ返した。


「俺は――」


 東雲の両肩に手をかけ、ごくりと生唾なまつばを飲み込み、改めて口を開く。




「東雲を、抱かないっ!!」




「……はぁ!? な、なんでよ!?」


 東雲の両眼が大きく開かれ、白黒していた。


「う、嘘でしょ!? こ、この状況は想定していなかったわ。いえ、ちょっと待って? いえ、その……ちょっと考えたぐらいじゃ理解できないわ! どういうことなのっ!? 私はこれでも覚悟を決めてここに来たのよ!? 私ほどの美貌びぼうを断れる童貞野郎どうていやろうなんて存在しないハズだし、これは私の人生最後のお願いで、こんなロマンチックな状況も中々ないと思うし、失敗なんてあり得ないハズ!」


「実際にあり得てるし、東雲は自己評価が高すぎるだろ」


 俺の突っ込みも、東雲には聞こえていないらしい。


 東雲は眉を寄せて悩み続ける。


「……そうか、分かったわ! 獅子堂君はルイルイに引け目を感じているのね? ルイルイのことが好きだから私を抱けない! なるほど分かったわ。それなら仕方ないわね!?」


「それも違うぞ」


 俺の返答に、東雲は頭を抱えた。

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