第18話 強烈な数秒間


 俺は駐輪場に止めてあった通学用の自転車に跨り、颯爽さっそうと校門から飛び出した。


 さきほど腕時計に目をやった時には、すでに十八時を過ぎていた。夏になり日が長くなったとはいえ、太陽は沈みかけており、街は茜色に染まっている。


 東雲しののめとの会話は思ったよりも面白く、いつもより道草を食ってしまった。


 立ちぎして、少しでも時間を稼ぐ。


 俺は帰宅部だが、毎日の通学で足だけはきたえているつもりだ。


 部活動をやっている奴らからすれば笑われる程度だろうけれど、寝坊による遅刻を何度もカバーしてきたこの脚力には、少しだけ自信があった。


 学校から一五分ほど走り、この時間には人出の多いスーパー〝さわやか〟を曲がる。


 スーパーの駐車場を突っ切り、視界に入った十階建ての古いマンションが俺の目的地だ。


 その屋上に、黒髪の女子高生の姿があった。


 彼女は緩慢かんまんな動きで屋上の柵を乗り越え、俺の方を見下ろしている。


「早まるんじゃねぇっ!!」


 自転車をぎながら、大声を上げる。


 そんな俺に気づいた彼女は、気負いした様子もなく、ただ俺に挨拶するためだけに片手を上げ――そして、当たり前のように、屋上から身を投げた。


 彼女の体は、当然のことながら、俺の視界の先で自由落下を続ける。


 空気抵抗で制服のスカートがめくりあがっていて、それがどこか滑稽こっけいに見えた。


 時が止まったかのような強烈な数秒間の後に、彼女は歩道に叩きつけられる。


 激しい衝突音と、どこか粘着質を持った何かがめり込むような〝ぐちゃり〟という音が七対三ぐらいの比率で合わさる音が、今日ははっきりと聞こえた。


 俺が彼女のもとに辿り着いた頃には、すでに彼女の足はあらぬ方向にねじ曲がってしまっており、歩道は彼女の鮮血に塗りたくられ、強烈な血生臭さに包まれている。


 俺は自転車をそばに止め、頭をかきながら彼女に近づく。


「白いパンツ、見えてたぞ」


 これほど不釣り合いな台詞もないと思う。


 しかし、飛び降りた彼女は、少し凹んだ頭についた両目で俺を見つめ返してくる。


 彼女のつぶれた胸が、呼吸に合わせて上下した。


獅子堂ししどう君のエッチ」


「内臓が飛び出してる系女子のくせに、エッチもくそもあるかよ。性欲有り余る思春期の男子高校生でも、こんな状況で興奮するほど性癖はねじ曲がらねぇからな?」


 俺の言葉に、彼女は控えめに笑った。


 俺がしゃがんで手を差し出すと、彼女はよろよろとその手を掴んでくる。


 彼女は上半身を起こし、散らばった大腸をかき集めていた。


 そんな彼女を見つめる俺に、サラリーマンや買い物帰りの主婦など――歩道を通り過ぎていく人たちが無遠慮ぶえんりょな視線を送ってくる。


 まるで変人でも見るかのようなその眼差しにはもう慣れた。そもそも、俺が変人なのが正しいのだから仕方がない。普通は彼女の姿が視えないのだから、この反応こそが普通なんだ。


 しかし、俺は彼女が歩けるようになるまでここから動く気はなかった。


 俺がここにいれば、通行人たちが彼女の体を無遠慮に通り過ぎることはない。


 すでに今日の分を飛び終えてしまった彼女。


 そんな彼女にできることなんて、これぐらいしか残ってないのだから。

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