心霊スポットと吊り橋理論

七戸寧子 / 栗饅頭

本編

 吊り橋理論、または吊り橋効果という言葉をご存知だろうか。


 カナダの心理学者が発表した学説で、本来は感情が認知より先に生じるとかなんとかという小難しい話だ。しかし、現代日本での一般的な使われ方としては、「素敵な異性とドキドキするシチュエーションに置かれるとその異性に恋してると錯覚する」とか、そういう意味である。この「ドキドキするシチュエーション」というのは、その異性に関係なくていい。高い吊り橋を渡るドキドキでも全然いいのだ。


 つまり、吊り橋が怖くてドキドキしてる時に横にイケメンがいたら恋のドキドキに勘違いする的な、アレである。


 もちろん、吊り橋でなくてもいい。お化け屋敷でもジェットコースターでもいい。



 もちろん、本物のお化けでも。



 その青年は、退屈な夏休みに飽き飽きしていたのだ。

 高校では文化部で予定が空きがちな彼は、友達を誘おうにも運動部の友達は部活で忙しく、文化部の友達は家から出たがらず、一人部屋で退屈を謳歌していたのだ。

 ちなみに課題に手をつけてはいない。山ほど残った課題から目を背け、暇だなと呟いていた。


 面白い番組でもやっていないだろうかとテレビをつける。画面に映ったのは心霊番組だった。ありきたりな感じがする廃校で、幽霊が出るとか出ないとか、そんな内容だった。


 正直なところ、ちっとも怖くない。青年は幽霊とかにも人並みに興味がある方だったが、画面越しにその存在を確認したところで恐怖もクソもないと思っていたのだ。心霊系のスリルは退屈すら震え上がらせてくれるだろうと思ったが、テレビではダメだった。


 やっぱり、リアル。現実。肉眼で確認せねばスリルなんて得られない。


 ふとそう思いついた青年はスマートフォンでブラウザを開く。検索枠に打ち込んだのは、「○○県 心霊スポット」のワード。近場で、今日にでも行けそうな場所。できるだけヤバそうな場所。


 電車で三十分ほどの田園地帯の真ん中に、ポツンと求めている場所はあった。


 いいね。そう思った。



 ◇



 退屈の底にいた青年の行動力は凄まじいものだった。

 終電で田舎まで足を運び、二十四時間営業のファミリーレストランで丑三つ時近くまで時間を潰した。その後暗闇の中で無風の田んぼの道を散歩し、ひとつの廃屋にたどり着く。


 ネットでの評判はなかなかのものだった。


「ヤバい!」「本当に出た!」「入口から寒気がすごくて入れなかった」「霊感のない私でもポルターガイストを確認」「ワイなんか女の霊に会った」「小生なんか声も聞こえたぞ?」


 青年は霊感が強いわけではないので、よりスリルを高めるためにこの時間帯を選んだ。幽霊たちが元気になる時間なら、顔くらい見せてくれるだろうと思ったのだ。


 廃屋の入口に立つ。特別、寒気などはなかった。それどころか夏の熱気で汗が滲むほどだ。

 よくある一昔前の平屋建てという感じで、廃屋自体もそんなに恐怖をそそるようなものではなかった。


 若干がっかりしつつも、懐中電灯を付けて中に入る。ドアに鍵のようなものはかかっておらず、それどころかドアノブを回さなくても引っ張るだけで開くことが出来た。ドアは開いたら閉じるものだが、閉じてしまったら真っ暗な中で出口を探すのが困難になるため開け放しておくことにした。


 中はほとんど月明かりが入らず、懐中電灯だけが頼りだった。グズグズになった紙や布が散乱し、家具などは全く置かれていなかった。どうやら紙や布には雨水などが染みているらしく、床を踏む度にぐぢゃっと嫌な感触と音がしたが、青年はそれに怯むでもなく「長靴で来ればよかった」などと考えながら家の様々な場所を懐中電灯で照らした。


 その時、急にバタンと大きな音が響いた。


 静かだっただけに、青年は飛び上がって驚いた。気がつくと開け放していたドアが閉まっていた。外は無風だったのに勝手に閉まることがあるのだろうか。


 青年の肌に浮いた汗は、いつの間にか暑さからくるものではなく恐怖による冷や汗にすり変わっていた。


 何かマズい。このままここにいてはいけない。


 直感で嫌な予感を察した青年は、ドアに飛びつく。


 しかし、開かない。

 このドアは馬鹿になっていて、鍵どころかまともにツメも働いていないはずだった。それが、今は押しても引いてもビクともしない。


 心臓がうるさかった。ありえないほどの速度で広がったり縮んだりを繰り返している。


 しかし、その音も一瞬で凍りついたように耳に入ってこなくなった。

 もちろんまだ脈打っている。そんなものに気を取られている場合ではなくなったのだ。


 後ろで、ぐちゃっという音。ぐちゃ、ぐちゃ。

 さっきまで、青年が一歩踏み出すときに鳴っていた音。


 恐る恐る後ろを振り向く。真っ暗で何も見えないが、さっきよりも近い場所で、ぐちゃ。


 あまりの恐ろしさに、青年は暗闇に向かって懐中電灯を投げつけた。それがなんの攻撃にも威嚇にもなることはなく、懐中電灯もぐちゃぐちゃ鳴らしながら転がっていった。そして、その光が青年の方に降り注ぐ。


 懐中電灯の逆光のせいで真っ黒に見えたが、その時青年が目にしたのは女のシルエットだった。


 すらりとしたモデル体型。ロングの黒髪。あと、どことは言わないが結構サイズがある。


 青年は、自分の心臓がうるさかったことを思い出す。ドキドキといななく心臓と共に、目の前のシルエットが一歩踏み出して、ぐちゃっという音を聴く。




 さて、吊り橋理論の復習をしよう。

『素敵な異性とドキドキするシチュエーションに置かれると、そのドキドキを恋と錯覚してしまう』


 モデル体型の、ミステリーな『素敵な異性』


 心霊スポットでの恐怖体験という『ドキドキするシチュエーション』




 青年は胸にずっきゅん来ていた。

 怖い、今までにこんな感情を抱いたことはない。

 ドキドキする。目の前の女の人に、とてもドキドキする。

 噂に聞いたことがある。高校生だから、周りでそういう人を見たこともある。


 まさか、これが……恋!?



 ◇



 こんばんは。

 乙女です。身体年齢23歳くらいだと思います。

 もう体が老いを忘れてしばらく経つので、正確なことは忘れてしまいました。


 要は、死んでるんですよ。


 なんで死んだかは知らないんですけどね。覚えてないですよ。でも、私が住んでたこのお家から出られないあたり、ここで死んだんでしょうね。


 死んでから幽霊になるまでに時間がかかったのか、可愛らしく揃えた家具たちは目が覚めた時に消えていました。代わりに、この紙くず布くずが散らかってるだけで、当時は悲しかったですね。今は慣れましたけど。


 しかもそのお家から出られませんし。地縛霊とか、そういうやつですかね?

 というか成仏したいんですけどやり方よくわかんないんですよね。両手合わせて「なむなむー!」って言ってもダメでしたね。


 あと、ここ心霊スポットになってるんですね。結構生きてる人が来るんで、幽霊サービスってことでうろうろ歩き回ってみたり、DJみたいに蛇口のハンドル(?)をキュッキュしてあげたら、みんなきゃあーって逃げてくので意外と楽しいですね。


 あと、時々私のこと見える人も来るんですよ。あ、この人私のこと見えてるなーって思ったら、自慢の長い髪を前にバサッってして、貞子ごっこして遊んでます。


 なんか、もしかして動物園のライオンさんとかもこうやってお客のためにライオンらしさをアピールしてたりしてたのかなあって感じです。



 あ、それで。



 今日も、男の子……高校生くらい?の男の子。

 お家に来たんですよ。私のテンションが一番上がっちゃう時間帯だったもので、バストアップ体操してたら急にドア開いたのでびっくりしました。


 で、ただの直感なんですけど、「あ!この子私の事見えそう!」って思ったんで、こそこそ懐中電灯の光から逃げたあとにイタズラしてあげることにしたんですが……


 えっと、この子変な子ですね。


 ドアをバターンってして、なんか幽霊パワー的なので開かないようにして、ドアがちゃがちゃしてる後ろから近づいたんです。

 さて、今日はテンション高いからちょっと張り切って脅かしちゃうぞ〜って。どんな風に驚くかな?ドキドキするなあ。


 懐中電灯投げてきて、それが転がった光で男の子が照らされて……その顔が見えたんですけど。


 なんか、顔赤いんですよ。

 ふつう、みんな青ざめるんだけど……逆に不気味で、ちょっと怖い……


 でもこの男の子、勇気ありますね?一人で来たのかぁ、もう少しお手柔らかな脅かし方でもよかったかな?

 あっ、怖がってる顔かわいい……




 さて!吊り橋理論の復習をしよう!!

『素敵な異性とドキドキするシチュエーションに置かれると、そのドキドキを恋と錯覚してしまう』


 かわいくて勇気ある年下の『素敵な異性』!


 これからどう驚くかな、楽しみだなという『ドキドキするシチュエーション』!!




 乙女な幽霊は!!胸にずっきゅん来ていた!!!!












「え、えっと……ボク、いらっしゃい……?」


「へ?あ、お邪魔してます……」


「あー……私、幽霊だけど」


「は、はい……素敵だと思いますよ」


「……」


「……」


「「……」」


「……お茶でも淹れようかしら?茶葉、まだ大丈夫かな」


「あ、お構いなく……」



ㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤ ㅤ~終わり~

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