魔幻の紙縒り 7
――私は暴発への第一歩をこの瞬間に踏み出したのだ。
蠢くものは、消去した私というプログラムを分厚い殻の中に閉じ込めました。「本当の孤独」という名の分厚い殻にね……。
このとき私は、この一回きりの人生を、死ぬまで独りで生きるという選択を余儀なくされた。
冒頭は、そのように書かれてあった。
防波堤の上、リュックサックの横に置かれた30枚の便箋には文字が敷き詰められていた。
隣に置いてある紙縒りの付いた紙にも文字が刻まれている。
続きを読んでみる。
――あの日、みんなが私に向ける眼差しは、もはや、同じ人間を見る目ではなかった。
解離性健忘という診断の原点を探っていくと、どうしても、あの幼稚園での出来事が最初ではないか……と思えてならない。
幼稚園の記憶が、なぜ、これほどまでに鮮明なのか……。逆に、小学生の頃から現在までの記憶が、なぜ、これほどまでに断片的なのか……。
あれ以来、現実の世界と、空想の世界・夢の世界・精神世界を行ったり来たりしている。
もう、こうなってしまうと、何が真実で何が幻想なのかがわからない。
一つだけハッキリと言えることは、私にしかこの現象は起きていないということ
……。他の人たちは正常に生きている。これは個性の違いではなく、正常か異常かの違いだった。
私は正常な人間として存在できなかった。
分厚い殻の中から見えるあっちの世界こそが、本来、私が送るはずの人生だった気がする。
あっちの世界を眺めていると、そこでは、みんなが笑顔で生きていました。家族と団らんする姿、友人と語り合う姿、恋人と愛を分かち合う姿、どれも幸せそうでした。
あっちの世界に行きたいと願えば願うほど、それに反比例するように、殻はどんどん分厚くなっていきました。
みんながいた世界が、どんどん見えなくなっていきました。
学生時代なんて、振り返ってみれば、あっという間に終わってしまった……、そう思うのが普通なのに、私にはその時間がとても長く感じました。もっと早くそこから抜け出せていれば間に合ったのかもしれない……、そう思ったことは何度もあるけど、そんな手段はどこにも無かった。
社会に出たときには、もう、自殺願望と殺人願望以外、何も残っていなかった。
生きていくには仮面を被らなければならなかった。自殺と殺人が丸出しになっている人間になど、誰も近づいてきませんから……。社会はそんな人間を門前払いします。本性を隠し続けなければならないのは、本当に辛くて苦しいものでした。それに、全てを隠せたわけではありません。異様な雰囲気だけは消せなかった。
だから、外見と性格を整形しなければなりませんでした。他に方法はなかったのです。外見は外科手術で、性格は薬物で脳内物質をいじくりました。親しみやすく、明るく、そして、優しい外見と性格でなければ、生きていけない状態でした。完璧な人間像を求めて、それになるしかなかったのです。
誰かが生活の面倒を見てくれるのなら、身体や精神に変更を加えてまでも社会に適応する必要はありません。ただ私は違います。生きるためにはどんな手段を使っても社会に適応しなければならなかったのです。まぁ、それだけのことをしても適応はしませんでしたが……。あっちの世界は遠かったです。
あっちの世界の人には、こっちの世界の実情は一ミリもわかりません。
家族主義国家日本で家族を失うというのは、全てを失うと言っても過言ではありません。それほどまでに生きられない世界です。自分がそういう経験をしない限り、この話は通じません。どんなに居場所が無くて独り立ちしたくても、0歳から一人暮らしをすることはできません。10代後半までは何もできません。その間は、ただ誰かの奴隷としてそこにいるしかないのです。
問題は、たとえ求人年齢がクリアになったとしても、持って生まれた才能(外見・性格・身体的能力・知能指数)と、親や監護者にどういう環境でどう育てられるかという他者啓発の結果が、社会に適応できる水準に達していなければ生きてはいけないということです。
私が社会に出たとき、その水準には程遠く、とても適応できなかった。おまけに、社会での競争に勝ち抜ける武器も無かった。整形なんて焼け石に水で、ただ単に仮面を被ってその場しのぎをするというだけだった。とても適応というところまではいかなかった。本来、あったであろう武器も、虐待と育児放棄を食らったことで、蕾のまま削ぎ落されたと思っています。
まだ携帯電話が無い時代だった。
もちろん、ネットやメールもありません。
情報収集は、雑誌・本・新聞・テレビのみで、あとは何もなかった。
当時は、連帯保証人がいないと家を借りることができなかった。家代わりとなる24時間居住可能な店も、その時代にはありません。免許は無いですし、車を買うカネもないから、車中生活もできません。まだ外国人がいない時代なので、外での居住はすぐに警察官に声をかけられてしまいます。実際に何度も声をかけられました。身元保証人がいないので、働ける場所がほとんど無かった。行政機関は警察官同様、「家族は?家族は?家族は?家族は?」と聞いてくるだけなので全く使えなかった。答えてしまったら法定代理人である親に連絡がいくだけなので、かえって追い詰められてしまいます。虐待と育児放棄から命を繋ぐために飛び出した私には最も使えないコンテンツでした。それは生活保護も同じでした。
「東京に行けば何とかなるさ」の時代は何十年も前に終わっていたので、東京に行ったところでどうにもならなかったです。
生きるか死ぬかのピンチに陥ったとき、最後にモノを言うのは人間性だと知りました。まぁ、自殺願望と殺人願望しかない私にそんなものは無いので、知ったところで意味は無いですけど……。
やんちゃ系の遊べる人間と違って、私のような真面目系の遊べない人間は、こういう状況になったら真っ先に潰れるなぁと実感しました。
私には帰る場所が無かった。生きるためには、住み込みの仕事に飛び込むしかなかったのです。保証人がいないので、当然、警戒されますし、距離を取られるので、人間関係が上手くいくはずがありません。もともと苦手な人間関係なのに、いきなりそんな対応をされたら、こちらも自分を守るために「舐めたら殺すぞ!」というレベルの勝ち気な自分でいなければならなかった。だから、上下関係は全くできなかった。職を転々とする中で、社会とは何たるかを体で覚えていくしかなかったです。
気が付いたときには、裏社会に片足を突っ込んでいた。いや、両足かな?
残念ながら、私の居場所はそこにもありませんでした。
社会に適応できなかったから裏社会に流れたのに、今度はその裏社会にも適応できなかった。
当時、仕事と住む場所はセットになっていたので、その両方を失い、最後は路上に行き着きました。
いつもと違って仕事を探すための行動が取れなかったのは、もうこの時点で、生きる意味・気力・目的・希望を失って、無気力になっていました。
当初は、外をウロウロしていましたが、虫の襲撃と雨風がムリで、しばらくしてから地下道に移りました。そこには他にも路上生活者がいました。結局、人間は同じ状況になると、同じ場所に集まってくるんだなぁと実感しました。
あの路上生活は本当に苦しかった。自分で自分の体の臭さがわかるのが嫌でしたし、それ以上に、劣等感と自己嫌悪に潰されそうでした。それでも声をかけてくる人間はいました。もちろん、日本人ではありません。日本人は襲撃してくることはあっても、助けてくれる人は一人もいません。そういうことをしてくるのは、当時、まだほとんどいなかった外国人でした。宗教の布教活動で日本に来た、と言っていたのは覚えています。
この頃……、蠢くものは、私という人間に、何か新しいプログラムを書き込んでいるような気がしました。それが良いプログラムでないこともわかりました。
もう、どうにでもなれ!
何かに背中を押されるような形で、犯罪に手を染めていく私がいました。その「何か」というものを私たち犯罪者は、神と呼ぶことが多いです。もう、自分では止められなかった。逮捕されたとき、少しホッとした気持ちになったのはそのためでしょうか……。ただ犯罪の深さのせいで、いきなり実刑を食らいました。
刑務所では、なかなか物思いにふけるという時間がなかったけど、裁判が確定するまでの勾留中にはそういう時間がたくさんあったので、それまでの時間のことをよく振り返っていました。その中で湧いてくる疑問は、いつも同じでした。
私は、何のために生まれてきたのか?
何のために存在したのか?
一回きりの人生とは何だったのか?
人間とは何か?
日本人とは何か?
日本人はすぐに努力・我慢・行動・ポジティブ・ネガティブ・前向き・後向き・プラス思考・マイナス思考・諦める・諦めない・強い・弱い……などという薄っぺらい言葉を口にして、何でもかんでも自分の力で勝ち得たことにしたがります。そんな薄っぺらい言葉は、こっちの世界では絶対に使わないのに……。心に思うことすらありません。それくらい無駄な言葉なのです。
そんなのは私にとっては当たり前のように実践している既成事実でしかありません。
こっちの世界では、それを怠ること、イコール、死です。自分を励ますとか、自分を高めるとか、自分を超えるとか、違う自分になるとか……、そんなのは、あっちの世界の人が使う戯言でしかないのです。
こっちの世界に来ればわかります。そんな言葉は使わなくなりますから……。
もう一つ、世の中の人は「運」という言葉を頻繁に使うような気がします。運という言葉は単体で成立しますが、極めて主観的な言葉なので、何を持って運というのかは人それぞれかと思います。それにそういう成功事例は極めて稀かと思います。
あっちの世界の人たちとの決定的な違いは……。
孤独……。
そう、この言葉以外にはない。
あっちの世界の人たちも孤独という言葉を使います。主観的な言葉なので、人それぞれが好き勝手に使います。家族がいる人も、友人がいる人も、恋人がいる人も、結婚している人も、子供がいる人も、みんなが使います。そこに客観的指標はありません。その人が孤独だと感じたら使用できるので、この言葉自体、あまり意味のあるものではありませんね。私が使っている孤独は、明らかにあっちの世界の人たちとは違うので、「本当の孤独」という言葉を使って分けています。
これは家族崩壊から天涯孤独、そのあと、路上生活から刑務所に入った私にしかわかりません。この世で独り……、そんな毎日から、突然、誰かと一緒に生活をする毎日に変わると人間は大きく変わります。それが牢屋の中であったとしてもです。むしろ、牢屋の中だからこそ、そういう変化が体験できるのでしょう。勾留施設・拘置所・刑務所は、ルールが若干違いますが基本は同じです。必ず24時間、誰かと一緒にいます。それが、どのような変化をもたらすかなんて、実際にその状況からそこに入ったものにしかわかりません。そのときの年齢によっても、その変化には違いがあると思います。私はその場所で、初めて、家族という言葉に触れました。まぁ、疑似家族でしたけどね。
「人は独りでは生きられない」という言葉をよく耳にしますが、これは間違いで、「人は独りでは真っすぐ生きられない」が正解です。
この世で独りになると、人間は真っすぐに生きることができなくなります。生きる意味・気力・目的・希望を失うからです。もちろん、これには個人差があります。
あっちの世界で生きる人の一般的な視点で言うと、同居の両親が他界し、同居の配偶者が他界し、子供がいなかった場合、その時点で初めてこの世で独りになります。ただ、その頃には、自分自身が50代、60代、70代になっている人が多く、残りの時間はあとわずか……という状態です。人と過ごした時間が長ければ長いほど、思い出や充実感の方が勝り、人生への無念や絶望を最小に抑えることができます。家族関係のみならず、そこに友人関係・恋愛関係などが加わると、さらに思い出や充実感は増します。
私のように10代から天涯孤独になり、人間関係ゼロの状態で、それが死ぬまで続くと、人生に対しては無念と絶望しか残りません。
私から見たら羨む人生でも、そいつらは平気な顔をして「私には子供がいなかった」と、被害妄想を振りまいてきます。不幸の背比べを仕掛けて意地でも勝とうとしてきます。あっちの世界の人は、生きていれば誰もが経験する「人生の山あり・谷あり」と、この世に誰もいない「本当の孤独」を同列にして話をするので、私とは会話が成立せず、あっという間に喧嘩になってしまいます。
「本当の孤独」に陥ると、この家族主義国家日本では、必ず、私のように元受刑者、元路上生活者、元自死ダイブ実行者、元精神病棟患者……などの様々な肩書が付く人生になります。その過程で命を落とす人もいるでしょう。実際にそういう人間を何人も見てきました。それは不可抗力で、必ず、自分の人生を支配されてしまいます。人間の力ではどうすることもできません。あっちの世界の人々にはこの概念が一ミリもわかりません。奴らは持って生まれた才能(外見・性格・身体的能力・知能指数)と、親や監護者にどういう環境でどう育てられるかという他者啓発の結果が社会に適応できる水準に達していて、それを当たり前の概念として捉えるため、そのことを考えたり掘り下げたりすることなんか一切ありません。奴らは、あまりにも恵まれ過ぎていて、そのことを含めた全ての事象を「努力・我慢・行動・ポジティブ・ネガティブ・前向き・後向き・プラス思考・マイナス思考・諦める・諦めない・強い・弱い……」の結果と捉え、何でもかんでも自分の力で勝ち得たことにしたがります。それを人生の美学だと思っているのですから、たまったものではありません。そういう物差しを持って、私の人生を土足で計測して、「努力不足・我慢不足・行動不足……」と暴言を吐いてくるわけですから、喧嘩になって当然です。それが一人や二人ならいいのですが、日本人のほぼ全てがそんな状態では、その薄っぺらい価値観が社会のルールになってしまうので、私に居場所なんてあるはずがないのです。
私が服役してわかったことは、「本当の孤独」と「あっちの世界」はリンクしているように見えて、実際にはリンクしていなかったということです。それを、その二つの居場所(刑務所とシャバ)を行き来することで証明しました。まるで円を周っているかのように、その無限ループからは抜け出せません。出所したときは、「あっちの世界に来たんだ」と錯覚してしまいます。再び、服役したとき、「やっぱり私は、ここでしか人間でいられない」と納得してしまいます。そこには疑似家族の存在が大きく関わっています。
「もう一度、刑務所に戻りたかった……。」
そんな言葉を残して、罪を犯す元受刑者がいます。
あっちの世界で生きる人々には、この言葉の意味を理解できないでしょう。私には、この言葉の意味が痛いほどわかります。24時間、他人と共同生活を強いられる勾留施設・拘置所・刑務所では、それが疑似家族の役割を果たしました。そこに浸っていると、不思議なことに壊れた人間性が修復されていくのです。
これは天涯孤独の路上生活から刑務所に入った私の経験ですが、他の受刑者も似たような感覚になった人は多いと思います。看守は父親と母親に思えました。同じ受刑者たちは兄弟姉妹のように思えました。「同じ釜の飯を食う」とは、まさにこのことで、これが私にとっては家族でした。失ったはずの生きる意味・気力・目的・希望が漲ってきました。精神は充実し、集中力が高まり、身体も動くようになりました。早くシャバの世界に戻りたい、仕事をしたい、資格を取りたい、旅行がしたい、友人を作りたい、恋もしたい……、そんな欲求に駆られました。
私は見違えるくらい変わりました。
家族観が形成されるって、こういうことなんだなって思いました。それがあるか・無いかで、この家族主義国家日本では天と地ほど違うんだな……と、身を持って理解しました。同時に、これが生まれたときからずっと続いていて、それが死ぬまで続くであろうほぼ全ての国民(あっちの世界の住人)の精神性を知りました。私もあっちの世界に生まれていたら、良い人生を送れたんだろうな……と、確信を持った瞬間でもありました。奴らが「努力・我慢・行動……」なんて薄っぺらい言葉を口にする理由も、何となくわかりました。出所したとき、自由という解放感よりも、疑似家族で形成された家族観はシャバの世界でも維持できるのか?という焦燥感の方が際立っていた気がします。なんか、妙な感覚でした。
シャバの世界に戻ってから、しばらくはその精神性を維持できたのですが……。次第に、それが錯覚だということがわかるようになってきました。そう、ここには誰もいませんから……。表面上の会話やメールができる相手すらいませんから……。
心の拠り所、つまり、私が帰る場所は、結局、牢屋しかないと思えるようになりました。
私は、再び、出会いを探しました。この精神性が消えないうちに……。
精神に負担がかかることはわかっていましたが諦めきれなかった。命を懸けて、全てを使い果たしましたが、やはり、誰とも出会えない。時間が経つにつれて、徐々に、牢屋に入る前の状態に戻っていきました。「本当の孤独」と「あっちの世界」はリンクしているように見えて、実際にはリンクしていなかった。私が人の輪の中で生きていられると思えたのは「疑似家族」であって、彼らは牢屋の中にしかいない。形成されたはずの家族観もニセモノで、全てが嘘だった……。
私は生きる意味・気力・目的・希望を、再度、失いました。もちろん、就いたばかりの仕事も手につかなくなり、辞めざるを得なくなりました。路上と刑務所を経験済みだったので、もはや、生きるためだけに仕事にしがみつくなんて、とてもじゃないけど無理でした。気が付いたら、自殺願望と殺人願望以外、無くなっていました。
人は独りでは、真っすぐ生きられない……。
これは、あっちの世界の人が知らない概念です。
「もう一度、刑務所に戻りたかった……」と言って再犯をする人は、この無限ループに、はまっている人なのです。私はその無限ループから抜け出そうと出所の度に思うのですが、「本当の孤独」には勝てません。あの「疑似家族」を求めてしまいます。
家族はいない。疑似家族もいない。しかも、それは新たに手に入れることができない。家族や疑似家族の代わりとなるものは一つしかありません。
それは恋人の存在です。
残念ながらこの概念は、あっちの世界の人には全く通じません。一ミリも理解できません。なぜなら、あっちの世界の人にとっては、恋人というのは命を懸けて探すものではないからです。
私がこの世でやり残したこと……。
そう、それは、恋……。
私にとって恋は生きるための必然だった。同時に、この家族主義国家日本で私と同じ状況に陥ってしまったら、それは永遠に叶わない概念でもありました。
究極の矛盾だった。
同じ一回きりの人生……。
同じ一回きりの若い時間……。
何もできずに終わった無念と絶望は言葉では表現できない。
恋とは何だったのか?
なぜ私はそれができない運命だったのか?
語り出したら止まらない。山のように言いたいことがあるからね。
これに関しては、どこの誰にも打ち明けずに墓場まで持っていこう。
私にしかわからないから……。
仮に他人に話してしまうと、そいつの薄っぺらい人生観で処理されたあと、全く違う着地点に降りてしまう。そして、馬鹿にされる。そんなことなら最初から誰にも言わない方がいい。
ただ、想うことはある。
改めて、恋人のいる毎日とは、いったいどんな時間だったのだろう。
そこには、どんな毎日の一分一秒があったのだろう。
その経験を得たあとの人生は、どういうものになったのだろう。
私のように家族観の無い人間は、駆け落ちという逃避行ができる人間以外は無理……。そんな人間は、この家族主義国家日本では、どこをどう探したっていない。実際に、命を懸けて探したけど、どこにもいなかった。
私の人生の突破口は「恋」しかなかったのに……。
私の無念など知る由も無く、世の中の人間は、当たり前のように恋を手に入れている。
運命はひっくり返せない。
せめて、今度生まれてくるときは……と、願うしかない。
私は、神を恨みます。
さよなら、私の幸せ……。
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