分析の記 6

*302項4段落目、同上日の日記 川端の告白


「清野、小泉・・・・?私はもっともっと愛に燃えた少年達とルウムをつくりたい」


 ここもボーイズ・ラブ的、センセーショナルな文章である。ただ、前述したように、性的、心身的に現在の若者達のそれを当てはめることは出来るだろうか?大正五年あたりの精通、自慰開始の傾向なる統計があればよいが、なさそうである(1990年代からの統計は目にしたことがある)。ルウムは実現はしていないので川端の妄想的発想の産物であろう。


*305項最後の文 日記 川端のコンプレックス


「湯屋で知る人も、若い人も、女もあたりにゐないのをみすました私は、初めてつくづくと私の肉體を鏡に寫すことが出来た。

 肉體の美、肉體の美、容貌の美、容貌の美、私はどれほど美にあこがれてゐることだらう。私のからだはやはり青白く力がない。私の顔は少しの若さも宿さず、黄色く曇った目が鋭く血走ると言っていいくらゐに光る」


 川端がどれほど肉体的容姿的なコンプレックスを持って少年、青年期を過ごしたのか。そして他の少年のそれらの美に異常なほど敏感であったことが推し量れる。見られて嫌というのは、誰でもというのではなく、特に「若い人」とある。その憧れの目は少女というよりは少女のやうな少年達に向けられたのだ。特筆すべきは彼は少しの美の瑕疵を許さなかったことだ。307項には「文芸雑誌」の懇親会に誘われた時に、集まる人と話す私(川端)を想像して次の自問がある。


「年齢は?殊に知識は?もっと重大なことに私の風采と容貌は?」


 と自分に問い、あまりに早熟でコンプレックスを背負った消極的な青年だったやうだ。




*307項空白行から 

「大正五年十二月二十三日。日曜。はれ。帰省。

 長い休みが近づくと、少しづつ家なき兒のかなしみがにじみ出て来る」


 前述した「11月のギムナジウム」的な情景である。


*316項5段落目 大正六年一月二十日の日記 川端の告白


「プラット・フオムに柔かい美しい少年をみとめて、同じ箱に乗り、降りるまで見つめて、病的な妄想に耽った」


 このように中学の日記、高校期の清野からの手紙、現在と複雑に手の内を見せながら川端の作家の自殺とも言える告白をオブラートで包み、平然と出版するのであるが、三島由紀夫との書簡を見ると三島はちゃんと分かっていたようである。しかも三島は川端の熱烈な信奉者となっている。


 続けて読むと、清野からの手紙から昔に戻りつつ、自己解体する作業はまだ三十ページほど続くのである。かういう叙述作法とレトリックは盗みたい。師事して学びたい。敬服だ。



 最後に「伊豆の踊り子」に関しての私を震撼せしめた事実があったことを報告しよう。



*320項2段落目 伊豆の踊り子について

「そして踊り子に會った。いはゆる旅藝人根性などとおは似もつかない、野の匂ひがある正直な好意を私は見せられた。いい人だと、踊り子が言って、兄嫁が肯つた一言が、私の心にぽたりと清々しく落ちかかった。いい人かと思った。さうだ、いい人だと自分に答へた。平俗な意味での、いい人という言葉が私には明かりであった。湯ヶ野から下田まで、自分でもいい日ちとして道連れになれたと思ふ、さうなれたことがうれしかった。(中略)今から思へば、夢のやうである。幼いことである」


 昔読んだ「伊豆の踊り子」は私はどちらの側から読んだのであったか?川端の側から読んでいたとしても、これほどの虚無感を抱いている男として読んだだろうか?再度点検する必要がある。

 また踊り子は手を振ったと記憶しているが、清野は川端を見送る時に手を振ってはゐない。川端も清野に手を振ってはいない。そうは書いてない。

 清野の表情の描写は「少年」には一切ない。川端の清野の描写の全くの逆そのものが川端の精神なのである。よって「少年」で清野には顔がないのに川端には顔と肉體(と精神)がある。


 思うに、「伊豆の踊り子」は川端にとっては完成した一編ではないのだ。「湯ケ島での思ひ出」引いては「少年」と読んで初めて完成する文学なのだ。


 川端はサイコパスだと師の名誉を損じることを言ってしまったが、「少年」の最後の段に近づいて川端自身がそう書いている。


*324項3段落目 川端の告白


「私は人にほんたうの悪意を持ったことがない。ほんたうの憎悪も怨恨も抱いたことがない。人と競争しようとしたことがない。人を嫉妬しようとしたことがない。人に反對しようとしたことさへないかもしれない。

 すべての人々が動くそれぞれの方向と角度を肯定しながら、しかし一方自分も否定しながら肯定してゐるやうである」


 この文を私の心の中で補ってみれば、「愛情も感じたことはない」ではないだろうか。前述した「自分を客観的にしか見ることが出来ない」精神構造だからではあるまいか。極言である。だが前述の「デクスター」の例のように「愛することを全力でやってみる」のと、「大切なものを守る」、とは同じ他人からは『愛すること』の範疇になるだろう。

 川端自身がこう書いていて自分では気づいてないのだが、大本教にはこの作品を読む人にとって、その信憑性が粉々になるほど攻撃を加えていることを、読者は記憶しているだろうか?客観的な観察から嫌悪する根拠が見つかれば、容赦ない爆撃を加えるのがサイコパスの一種である。


 私もそういうところがあるから感じるのだ。書簡、批評などを読んでも、三島由紀夫は他の崇拝者の中でもそれを最も感じていた一人だろうと思う。少し臭いは異なれども同類だからだ。



*325項空白行から。大正六年四月四日づけ、清野の手紙より。


「・・・東京は廣いと言っても、あなたはお友達が少ないので、さぞお寂しいことでございませうが、段々とお友達が出来て参りますゆゑ、精出して御勉強あらんことをお願ひ申します。心から底から真からお願ひ申し上げます」


 この手紙の文章は清野がほんたうに書いたのだろうかとおもふ読者は、私と握手をしやう。これは川端が川端自身に書いた手紙ではないのか?清野が、「あなたはお友達が少ないので」と言うだろうか?川端は確かに作品前段に伏線として、清野に自分の思ったことはすべて話してしまう、と言わせている。としたら、なんという周到な伏線か!あるひはこの手紙の前に清野に愚痴を書いているかも知れない。信じさせて裏切る川端独特の文章作法なのだらうか。

 三島由紀夫のこんな文章がある。


川端康成の小説の文章が効果をあげてゐる部分は、大抵かういふ特色をもつてゐる。何度かの躊躇や中断を抒述の間にはさみながら、稲妻のやうな不吉な一行を、さつさつと閃かせてゆく技巧である。-1955年2月「横光利一と川端康成」


 清野が書いている手紙の口調は何か甘く、心をくつろがせるような調子がある。川端が虚ろな川端自身に与えた隠れ場所なのだろうか。母子家庭で育った山口百恵のために阿木耀子と宇崎竜童が作った歌に「風たちの午後」という歌があるが、そんな感じを受けるのだ。

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