分析の記 5

*285項3段落目 清野の描写

「私が帰る時、清野少年は小さい丘とも思へるほど大きい岩の角まで見送って来て、その岩に坐りながら、谷を下ってゆく私を遠く眺めてゐた」


 川端にしては拙い文章である。川端は振り返り、手を振ったのであらうか。しかし叙述的には私の頭に映画的な情景が現れ成功している。この情景は3度ほど「少年」に現れる。「眠れる美女」でも川端は二度ほど同じ文を繰り返す癖を持っていた。ところが、「少年」では「焼き捨てた」、「見送った」という文章は三度出てくる。これは何か意味があると私は勘ぐるのである。つまり嘘、虚構であるから、つい繰り返し書くのではないだろうか。


 三島が繰り返し川端について書いていることの一例をあげよう。

”細部の魅力は、必ずしも細部の真実といふことと同一ではない。むしろ荘厳な虚偽といふものに対して、細部の精密な虚偽とでも云つたらよからう。川端康成氏の小説はこれの集大成と云つていい。-1958年4月21日「裸体と衣装-日記」”


 私は、この文章を西鶴の「男色大鑑」の一話である「嬲りころする袖の雪」を小説化するときに、この一節と247項に出てくる「お前の指を、腕を、胸を、頬を、瞼を、舌を、歯を、脚を愛着した。」という文章を殆どそのまま使ってみた。全く問題なく西鶴の若衆の描写と溶け込んだ。これは全くのお遊びに過ぎないが、川端ほどの巨人がなぜこのような時勢に合わない登場人物を創造したのであらうか。

 西鶴の武家若衆のように純粋な、一緒にいると魂が浄化されるやうな、男女の分化がない、少年を描きたかったのだらうか。



*289項第十二章1段落目 清野との別れ

「嵯峨の奥の大きい岩に坐りながら、谷を下ってゆく私を遠く眺めてゐた、その時以来、私は清野に會ってゐない。私の二十二歳の夏であったから、大正十一年で、ざっと三十年前である」


 ”二十二歳の夏に会ってから清野とは三十年会っていない”という文で十分である所、別れた日の情景の繰り返しがまた入っている。詩的であるし、川端は感傷に浸りながら、原稿用紙に、升目を気にせず、ゼロ戦が大空を滑空するやうに、書き付けているからであらうか?


 何故か、川端は嵯峨に行くのを止めた。そしてあとの記述は言い訳のように清野の手紙を寫している。手紙と自分の日記ととが交錯し、独白し、崇拝する。日記では旧制中学の寄宿舎室長としての矜持、自信喪失、室員への疑心暗鬼など、また読者の記憶を揺り動かす。前に読んだ状況が少し異なった状況に変容する。矛盾というよりは、やはり『変容』だらうか。


 清野の描写はこのぐらいにして、また川端の重要な独白を見てみやう。



*293項最後の段落から 川端の告白

「一年生のNが店に来てゐた。しみじみこの少年に見入る。私自身をかきむしりたいほで、泣きたいほど、Nは美しく見える。

 もうNにも近く思春期が来て、今の美は消える。私もN等から去って行く。(中略)Nはいつも私の頭の中にゐる。しかしNに私はなんであらう。(中略)今私を死に誘ふものがありとすれば、それは醜い悲しみである」


 これは作家の、自分自身への哀れみからの筆の上での『自殺』である。川端はここで死んでまた同じ『虚無』(注)によって死ぬために生き還るのである。川端は、少年期、それも多分声変わりあるひは精通の寸前、男が出来上がる準備が出来たしかし男になる前の中性的な生き物への憧れと飢えを持っていた。貧弱な肉体を持った男のビアズリーの絵のやうな性器だけが発達したが、その使い方を知らないで途方に暮れる、そんな男だったのだらう。


注:『虚無』とは三島由紀夫がその川端への批評で使った言葉である。私はそれを無批判で使う。でも定義は違うかも知れない。嗅ぐ臭いが違うのであろう。



*296項7段落目 川端の告白

「白川は全校第一の美少年である。こんなウエル・フェイバアドな少年は他に見ない。(中略)もとは私の空想にも絶えず通ったけれど、」


 旧制中学では学生は皆くりくり坊主であった。長い髪が好きな私にはその時代に戻らなければ分からないような湿っぽく性腺をくすぐるような臭いの時代だったのだろう。



*297項空白行から 清野との交歓とその容姿について

 大正五年十一月二十六日の日記から、その「少年」での二つ目のハイライトとも言うべき清野の言動がある。川端が空想で作り上げたのであろう清野のまったきの服従・帰依を宣言する言葉である。


「私のからだはあなたにあげたはるから、どうなとしなはれ。殺すなと生かすなと勝手だっせ。食ひなはるか、飼うときなはるか、ほんまに勝手だつせ」

 そして私が清野は美形ではなかったと予言したとおり、次の文章が来る。


「夜中に目覚めると清野のおろかしい顔が浮いてゐる。どうしたって肉體の美のないところに私のあこがれはもとめられない」


 この文章が「少年」のようやく中段以降に掛かったときに現れるのだから、読み疲れた読者は多分、読み飛ばすか無意識に目を滑らせてしまうのではないか。

 よく読み込んだ読者はここで徹底的な裏切られ感を感ずるだらう。清野は決して川端を性的に満足させる存在ではなかったというのが、川端の仕掛けた『悪巧み』だったのである。

 西鶴もびっくりだらう。



*295項8段落目

 私は川端を文章、小説の師にしようと「少年」を読みながら思った。よって師の暗い性向をあまり暴きたくはないが、川端という人間を『鬼』と定義した根拠は証拠としてあげておきたい。


「夜、小剣さんの「二代目」を讀んでゐると、春日が指を切るあたりがたまらない。ぎりぎり痛む頭をどうしようと思って、むやみに振った。

「なぜか私は手術や怪我の描寫を読む時、気が狂ふほど脅かされる。頭に強くこびりつくのは、かうした描寫である。小山内さんの「手紙風呂」の指を切るところ、鏡花さんのものなど、はっきり頭に残っている。」


 これは病的に肉を切ることへの恐怖の描写なのか、それともその反対なのか?”血を見ること”を嫌っているとは書いてない。病的な潔癖さとも取れる。



 私が付箋を付けて当初に述べた3つの動機に付いての論考をながながと述べてきた。「少年」はそれでもまだ四分の一を残している。だが、あとは前半に比べると、私の観点からはあまり重要そうではないが、それでもところどころに紹介したい文がある。


*301項空白行から5段落目 大正五年十二月一日の日記 『ヘングイン』


「清野がほんとうに好きになった。

「私のヘングインになってくれ。」と言ふと、「なってあげまっせ。」と言った」


 このヘングインという名詞はペンギンのことだろうというのが通説のようだ。だが意味不明で謎の言葉のようだ。しかし、芥川の「続文芸的な、あまりに文芸的な」を読んでいて、アナトール・フランスの作品に「ペングインの島」という風刺小説があることを知った。「少年」で川端が書いている正宗白鳥の「死者生者」という小説の好意的批評を芥川がこの散文でしていることが分かり、それを読んでいて言及されているのを発見した。「ペングインの島」とは、ある学者が海で遭難をし、漂流して行き着いた島がペンギンの島で、目の悪い学者はペンギンを「小さい人」と間違えて知識を与える。知識を得たペンギンたちは人間の愚かしい歴史を再現する、というものだ。

 川端が「ヘングイン」をこの小説のペンギンの意味で清野に言ったとすれば、自分が神となり清野に自分に絶対服従と『帰依』させることを意味していると思う。

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