分析の記 1

 では目についた文章とその私の論考を述べていこう。まず読者が転記した部分への参照が可能でなくてはならない。


 xxx項(ページ)の何段落目という情報は、私自身見直す時の参考でもあるので、ご興味ある読者は、原本を参照して頂きたい。その暇がないと言われるならば、理解できるまでの範囲で文章を転記したので、それを読んで頂ければよい。時々、師の真似をしようとする意識が働いて古い文章表記(正仮名遣ひ)になることをお許し願いたい。

 また、この「少年」は『自伝的小説』と言われている通り、川端の真実が多く含まれているやうに感じる。それが清野の虚像と入り混じり、私が知る限り今まであり得なかった日記と書簡、回顧文学としての完成度を持っている。一見、老人のリラックスした回顧録のやうに見える。

 私は川端の身辺での出来事、経験談の記述は真実が多いと思っているので、文章によってはそのまま受け入れたことを断っておく。


 *    *     *


*川端康成選集第七巻の「少年」の本文は底本とした新潮社川端康成選集第七巻「名人」と題されたハードカバー本の228項(ページ)から始まる。


 五十歳になった記念として「選集」を出すことから回想が始まる。


*229頁4段落目(該当ページの最初の段落を1番目と数える。段落が前のページから続いてゐる場合は0段落目とする)


「中学の二三年のころから小説家になると祖父に言ひ、それもよからうとゆるされた」


 川端が十五、六歳のころ小説家を目指したということである。だが、それ以前にそう思っていたということでもある。最後で羅列するが、中学時代の読書量は自分の同世代のころと比べると尋常ではない。


*230項3段落目 西鶴との遭遇

「たとへば小説は源氏物語から西鶴に飛ぶのである」


 唐突に『西鶴』が出てくる気がする。これを西鶴の若衆を描こうとする伏線と見るのはどうだらうか?中学生時代の川端はすでに源氏物語を読みふけっていたようだ。


*235項3段落目 繰り返される言葉

「「十六歳の日記」の原文は、寫し取って作品として発表したときに、焼き棄ててしまった」


 ここに私の最初の疑問がはじまる。

 私は書きものをするようになってから、優れた作家の一文一文は決して無駄な意味を持つことはないことを確信している。そうでなくては熟読に耐えない。西鶴の文章などはその最たるものである。

 その時の作家の意識、無意識、歓喜、絶望、遊び心がその一文を醸造させるのである。作品の全体は、勿論その完成を見るのに重要であるが、その全体を作っているのは一文一文である。その部分だけを見て全体を判断するのは無論間違いである。しかし作者の思考はその一文と一文の間をもって、籠められている秘密をある程度示してくれる。

 私はこの「焼き捨ててしまった」という一文に引っかかった。

 「十六歳の日記」は確かに作品として成り立っているので、メモを焼き棄てたことはそうかも知れないと思ふ。だが、「少年」を五十歳になった記念に書きはじめ、かなりの部分を写し取ったという「湯ヶ島での思ひ出」も”焼き棄てた”と書いている。さらに清野からの二十数通の手紙も「五十歳に達し」「全集を刊行する」ことですべて”焼き棄てた”と言っている。

 川端はこのように「少年」の中で数度「焼き棄てた」とか「焼却した」と書いてゐる。しつこいようで何かおかしいと思う人がいるだろうか。その人は私と同類であらう。つまり架空の文章を焼き捨てたと繰り返すことによって、川端は読者を暗示にかけるように騙そうとしているのではないか?

 ただ、川端は重複した文を反芻するやうに書く癖があることは否めない。しかし、私が「眠れる美女」で確認した回数は2回までである。


*236項2段落目

「私はこのやうな反古をすべて焼却する機會を得たわけである」


 前ページで述べたことの2回目。しかし「焼き棄てる」と「焼却する」のニュアンスの違いに私は最初読んだ時に違和感を感じ、戸惑った。2回、3回と読むと、読み飛ばしてしまい、メモをしておかねばこうして言及できなかっただろう。さらに「反古」というのは「不要なもの」という意味と「書き損じ」という意味もある。「湯ケ島での思ひ出」は川端にとって「書き損じ」であったのだろうか。


*241項4段落目(四章の最後の文) 『同性愛』という言葉

 近しい友達の家に行って友とその兄に感じた感情をこう日記に書いてあったと川端は書いている。

「しかし同性愛といふやうなことはなかった」


 この文で川端はいきなり本題に切り込んだ。私には唐突に見える。なぜなら「少年」で最初に読者が読む文章は、五十歳での出版記念のことであり、「伊豆の踊り子」の原作であった「湯ケ島での思ひ出」の話であった。旧制中学での日記を引っ張り出してくるが、ここまでは種々の話題を交えても、同性愛の臭いは「少年」の冒頭の228項から一切させていない。

 「谷堂集」という藤村風の自作の詩集の一遍に「春夜友を訪う」というものがあったという日記の記録から、一ページを置いてこの一文は投下されている。これは話題の遅延である。一種の照れであらうか。近しい友達の家に行って友とその兄に感じた親密さについての回顧の文である。川端少年がその『孤独な境遇』のために同性あるいは年上の男(Father complexか)に対する自己の愛情に敏感であったことを吐露するまで、最初からおよそ13ページを消費している。

 恐らく、この言葉に辿り着くために川端の十五、六歳の頃の少なからぬ叙述が必要だったのだろう。とするとこの作品の狙いはかなり川端自身の奥深いところまで至るのではないかと期待されるのである。


*242項1行目

「大正五年の九月十七日から大正六年の一月二十二日までの日記には、同性愛の記事がある」


 前出の241項の記述はさらにこの文章を引き出すためであった。読み進めると分かるが、この『同性愛』という言葉は我々がそれから与えられる意味あいと異なると思へる。西鶴の「男色(なんしょく)」がそうであるやうに川端も文学と実際の間の曖昧さと乖離を意識して使っているのではないだらうか。

 よってこの作品をもって、川端の単純な青春の同性愛の遍歴、と飛びつくのは警戒が必要である。

 同じページにすぐさま次の、川端が思うところの同性愛たる行為の叙述がある。

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