川端康成と「少年」、清野少年の虚像と川端の実像について

泊瀬光延(はつせ こうえん)

はじめに

 私は若衆文化研究会という井原西鶴の「男色大鏡(なんしょくおおかがみ)」を中心にした江戸の文学を研究する会に参加させて頂いている。ここで学んだことから、「男色(なんしょく)」に関連する同性愛、また近来のLGBTQA+と称される人々(第3者的分類をお許しあれ)の差別からの解放運動などについて沈思黙考することが増えた。


 「男色大鏡」は『男色』という題名がついているが、現代に言う男色(だんしょく)を描いたものではない。一般的な同性愛(殆ど男同士だが)の物語ならば、明治から始まる文学者の折々の独白、作品と伝記を読んだほうが早い。研究会に入ってからいろいろ調査すると、なんと日本の近代文学は男色、同性愛のにほいがする作品が多いことよ。三島由紀夫などは公けにその性的嗜好、体験を記して憚らず、だがその文学における天才性はそのようなことは読者には全く問題なくなるほど人類に知的な豊穣を与えているのである。

 文学の可能性は個々の人間の中にあり、それを鑑賞するものに見知らぬ人生の喜びと悲しみを与えてくれる。


 この研究会に入ってから少し経った平成三十年四月二十五日に主催者の一人、井原西鶴研究の第一人者である染谷教授がNHKの「歴史秘話ヒストリア」に出演された。このシリーズは歴史上の新たに発見された事実を中心に取材し、興味深いエピソードを役者がわかりやすく実演して人気を博している。この回では、大友家持から西鶴まで数点の歴史上の男同士の恋あるいは愛の痕跡を紹介したのであるが、勿論西鶴の「男色大鑑」も出てきたわけである。

 ところが番組の最後に川端康成の自伝的小説「少年」が紹介された。その存在を知らなかった私はこの作品を是非読んでみたくなった。


 かういふわけで、私は、同性愛、特に少年時の同性愛というキーワードで、川端康成の作品「少年」に邂逅したのである。


 恥ずかしながら、川端の小説は私はほとんど読んでいなかった。

遠い昔に「伊豆の踊子」、また最近は「眠れる美女」を読んだくらいだ。ただ、「眠れる美女」という小説は、三島が川端の陰陽があるとしたら”陰の川端の傑作”と呼んだ作品だ(とどこかで読んだ記憶がある)。「熟れすぎた果実の腐臭に似た芳香を放つデカダンス文学の逸品である」とは三島の言葉である。なんという饒舌なレトリックよ。白状すれば、「少年」が入った市販本を探すあいだに偶然買ったのが「眠れる美女」だったのだ。三島のさういふ言葉を知る前に読んだのだが、感じたのは確かに川端の精神の『闇』だったと思う。この散文をおこすにあたって、これまで川端を研究してきた先達諸氏からは笑われるようなものが出来るだろうと思ったが、勇気を出して書き始めた。川端康成をこの二冊のみで論じようというのはさぞや暴挙であらうやな。


 私は若い頃から近眼、乱視があり、さらに老眼になっており、裸眼で目の前3~4cmの近さで読んだ。『まぢか』で読んで却って読み耽ることが出来たようだ。1回、熟読した後、清野や川端の姿を論じるために文章漁りをしてもう2,3回読んだ。さらに将来も読み、他の人達の批評なども読んで発見を追加していこうと思っている。



 さて、ここで私は何を論じたいかと言うと、実は漠然散漫となってしまった。

 最初、清野少年の非実在を論考しようと始めたのだが、読み進めるうちにこの作品に全天の星のやうに散りばめられた川端の内面の秘密を垣間見たような気がしてきた。新星の発見を披露して見たくなり、論点が増えてしまったのだ。


 もとい、この散文を書こうと思った最初の動機は、前述の如く、川端が「少年」で同性愛の相手だったと語る『清野少年』そのものの実在性に関して疑問がたくさん頭に浮かんだからだ。

 モデルはいたとしても、どうも作品中の清野は虚像っぽい。令和元年現在のボーイズ・ラブ小説風コピーでいうと、”少年の巫女が偶然、同じ寮の相部屋になった”などと表現できるだろうか。


 私は自分の考えを表すために、ここから「少年」の清野や川端に関する記述をかなりの分量、転記してそれを解説する方法を採用しようと思う。


 私が清野少年の実在を疑う理由には、次の複数の点があげられる。


 一、清野少年の顔形姿の描写があまりにも少ないのに、愛の交歓の描写、言動が非常に多い。


 二、川端自身が清野少年を神性を持った者とし、精神的な救済としている。しかし川端が清野を見つめる目は冷徹で第三者的で違和感を感じる。


 三、冒頭で川端は「小説は源氏物語から西鶴に飛ぶ」と言っている。清野の描写は西鶴描くところの『若衆』とそっくりだ。


 ここで引用、転記するのは昭和31年6月25日発行の新潮社、川端康成選集全十巻のうちの第七巻「名人」の最後に収められたものを底本とした。現在では高価な古本であり私は図書館の所蔵を借りた。



 さきほど、漠然散漫と書いたが、この散文で言及する点が清野の虚像実像を追ううちに広範に渡ってしまったからだ。


 清野少年の虚像性への疑問に加え、「少年」から推定される川端の性的嗜好、精神構造、創作法、清野という人物像、川端一流の読者への『揺さぶり』、『けむまき』などについて論ぜざるを得なかった。

 私のボケた頭ではうまくまとめることはできない。よって「少年」の書き出しから気が付いた文章を転記して、私の解釋、批評を追加していく方法を採る。

 すなわち川端の書く所(ページ)を追う形になる。

 論考としては貧弱なやり方で読者には申し訳ないが、その代わり、著者の「少年」で感銘を受け付箋を貼った箇所を私と一緒に読み進める形で眺めることが出来る。だが、川端の文章は時系列的ではなく真実と虚構があちこちに、複雑にあるいは気ままに、散乱した形なのだ。これは一般的な小説とは言い難い。”自伝的散文”と呼ぶべきか、あるいは全く新しい小説形式なのかもしれない。


 この作品で川端は第一人称で語る人物を『宮本』と称する。そしてこの名前は自己紹介もなく作品中、数カ所にしか出てこないので、初見の読者は戸惑うはずだ。これは「小説」という名目で川端が川端自身のことを書いた時の心理的な逃避、あるいは逆に、小説の方法を極めてしまった天才の為せる技なのかも知れないが、あまりに内面の描写と心理の推移が詳細であり、これは川端自身のことを書いているのだ、と考えざるを得ない。もし川端が全く他人に成り代わっているならばこの散文の意味は殆どなくなるだろう。私は罠に嵌って、極めて危ない文学の刃の上を渡っていることになる。


 平易にまとめきれない自分の自己弁護をさせて貰うなら、かういふ『複雑あるいは気ままな構造』を、川端は意識しても、遊び心にしても、明確な意思をもって採ったのではないかと考えている。川端の作品の特徴でもあるが、さきほどあげた『けむまき』作戦である。


 思わせぶりで恐縮だが、かういふ文章を書けるようになったことを川端先生に感謝しつつ、一つ心にかかつている妄想とも言ふべき観点を述べておく。(いまさら師と呼ばせてくださいもおこがましいだらうが。)


 その観点といふのは上記の理由の三番目において、私は川端は西鶴の「男色大鏡」を読んで、西鶴が愛した『若衆』を積極的に清野に重ねたのではないかといふ仮説めいたことである。その信憑性はこれから私が転記する文章を良く眺めて判断して欲しい。また川端先生には申し訳ないが、私の別の作品においてちょっとしたいたずらもしようと思ふ。

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