第五章 残るしこり③

 前を行く上野が、自慢気に話す。

「いやー、誰もやらないんで、この僕がついに重い腰を上げました。今テレビで放送されているのはごく一部の真相でしかないんですよ。今から行く少年Tの家。その少年Tと僕は同じクラスで面識もあった奴なんですけどね……」

 画面を見つめながら、晴太は閉口していた。

 身元がばれる、と思いつつも、以前住んでいた東京の家からは引っ越していたので、すぐにほっとした。

 狭い画面に映る景色は、晴太のよく通る道だった。

 そして画像は晴太の住んでいた、都営団地の前を映していた。

「ここです。ここが学校に爆弾を持ち込もうとしたTの家です。早速乗り込んでみたいと思います」

 三階まで階段であがり扉の前に立つと、インターホンを押す上野。

「Tくん、いますかー!」

 声を張り上げる上野。何度もノックする様はどこか騒々しい。

「ネタは上がってるんですよー。素直に出てきて、カメラの前に出ましょう。皆知りたがってるんだからさあ!」

 誰も出てくる気配はない。上野は一度カメラに視線を向け、

「名前伏せてやってんだから、せいぜい顔くらいは見せろよ!」

 カチャリと扉が少し開けられた。出てきたのは、晴太ではなくアジア系外国人だった。

 体格のいい男二人が出てきて、上野に母国語のような言葉で怒鳴りつけ、カメラを手でねじ込み、上野を突き飛ばした。

 映像はそこで切れた。

 閲覧数は百を少し越えたくらいで、コメント欄には、

〈はいガセ〉〈ざまあw〉〈馬鹿がいる〉〈DQN使えねえ〉

 などと言った悪口が多く散見された。

 学校を早退、遅刻する常習犯である上野が、こういった行動に出たのも、晴太の動きを知る術をほとんど欠いていたからだと思われる。

 なぜ、このような未完成ともいえる動画を消さずに載せているのか。晴太は一瞬考え、こう結論付けた。

 ――こいつ馬鹿なんだな……。

 他のクラスメイトにも自分の現状は伝えていない。あの三人の女子たちにも……。

 ため息混じりに胸を撫でおろす晴太。

 椅子を回転させ、背後のカレンダーに目を向けると、改めて二ヶ月が経ったことに気づかされる。

 母は今ごろどうしているか、一瞬考えに及んだ。

 母は、依然として精神を病み、晴太の住む町の病院に入院している。

 ほぼ一日、眠っていることが多く、見舞いに行っても、寝顔しか見ることができない。

 それでもそれは、今の母には必要なことだと思った。

 ――ゆっくり休んで、母さん……。

 部屋の窓には白いカーテンがかかり、電灯のつけていない部屋に、外からの斜光が灰色に光っていた。

 仄かに暗い部屋で、寂しさを少し感じつつ、パソコンの電源を落とした。


 ある日。武の車に乗せられ、心療内科を受診した。

 メンタル的な休養が必要だと、事件後一時的に入院していた病院の医師に言われ、心のケアということで、この心療内科を紹介された。

 なので、この病院の医師は晴太の過去を知る人物の一人だった。

 病院は余裕のある広い造りだった。待合室も、木目の壁と床でどこか温みを感じる内装だった。

 順番が回って来たので、診察室に入り椅子に座って医師と話す。

 受診するようになってから、約二ヶ月。医師の顔も大分見慣れるまでになった。

 白髪混じりではあるが、頭頂部は頭皮が覗け、黒縁の眼鏡をかけた医師だ。診察室も手造り感のある木造の壁や床、机などがあり、病院というよりは、とある家庭の一場面を切り取ったような心暖まる空間に思えた。

 ここ二週間は、そこそこ気持ちも安定していたことなどを話すと、

「入学式の時に、声の渦のようなものを感じた……、と以前おっしゃってましたよね」

 唐突に医師が尋ねた。

「はい。一応そのあと、気になって診療内科に行ったんですが、一時的なものでは、と言われ、その一度きりの診察で終わりました」

「ですが、あなたの中ではまだ気になることがある、と……」

 この受診で、六月から数えると三回目だろうか。

 過度なストレスや疲れというのは今のところ感じてはいない。だが、妙に眠りにくいという一種の睡眠障害のようなものにより、早朝に目覚めてしまうことがあった。

 加え、晴太はある病状に悩まされていた。

「同じ人を道端で見かけたような気がして……。その人が夜、風呂に入っていたりすると、外で聞いてるんじゃないかと感じたりするんです。大抵イメージとしては、折り合いが悪かったクラスメイトだったり、変なマスコミだったりするので……」

 三度目のカウンセリングである今回、晴太はその状態を初めて医師に伝えた。今までも気になっていたが、まだ医師との疎通が上手くできていないような気がして、自然と慎重になっていた。

「他の患者さんからもよく似たような症状を聞きます。追いかけられているような心境とかになったことは?」

「いえ、ありません……」

「前回のは、受験やら新生活やらで、精神的に疲れていたんだと思います。だから心に負荷がかかっていた」

 それで幻聴を感じてしまっていた、と医師は言いたいようだ。

 この時交された会話の内容は、晴太がまだ高校に進学して間もない五月頃の話だ。里音や千梨、明の心の声が聞こえると、医師に話したことがあった。唐突に思えた質問だが、医師は晴太の病がそこから発生したのでは、と考えているのだろう。

「ですが、僕には聞こえたんです。誰かの心の声が……」

 そこで過去、まだ東京にいたとき、診察時に言っていた医師の言葉が脳裏を過った。

 ……エスパーや超能力などは存在しない……。

「誰かとは誰です?」医師の目が鋭くなった。

「クラスメイトの、主に女子から……」

「どんな声です?」視線をカルテに戻した医師は、何やら書き込んでいる。

「好きだとか嫌いだとか言う声です……」

 そう述べる自分に、訝しげなものを感じてしまった。

 嫌悪感を示す否定的な声ならまだしも、好意を抱いているように感じてしまうというのは、自意識過剰ではないだろうか?

 しかし医師はこう述べた。

「症状だったのかもしれませんね。確かに患者さんの中にも誉められるという幻聴を耳にするという話も聞きますから。あなたの場合、あの爆発事件の渦中の方でもありましたから、入浴中にそのような声が聞こえるというのは、神経が敏感にならざるを得なかったということでしょう」

「神経が敏感に? そんな感じはしないように僕は思うのですが……」

「無意識のうちにそう働いてしまっていると思われます。自分に何か罪悪感を抱えることなどがあれば、自分を追求するような誰かの声に敏感になり、結果疲弊している。それでも、そういう声を気にし続けてしまっているとなると、睡眠も覚束なくなるでしょう。寝不足が続けば、そういう拾わなくていい音も拾ってしまう、過覚醒という状態になります。そうした中で、音を音としてより、声として認識してしまう。主に悪口ですが……、それも自己関係付けというものでしてね。周囲から聞こえた声が、自分のことを言っていると関係付けてしまうのです。必要なのは睡眠です。なので、しっかり眠るようにしてもらいたいですね」

 医師は続けてこう話した。

「当事者であるなら、症状の度合いは大きいものに違いありません。誰だってあの状況に陥れば、心は病みます……」

 はい……、と小声で返しながら首肯する。

「また二週間後に来てください……」

 医師から静かに言われ、診察は終わった。

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