第四章 人の迸発⑤

 わああああ! きゃああああ!

 悲鳴と絶叫が入り交じり、生徒たちは一目散に教室を出ていく。

 その中に、里音、千梨、明の姿はなく、教室に残ったままだった。

 隣の教室からも、大きな動揺の声が聞こえた。逃げる途中で誰かが告げていったのだろう。

 ばたばたと廊下を走る音を耳にしつつ、

「お、お前らも早く逃げろ……」

 立っているのが辛くなってきていた。空いた席に座るも、爆弾の大きさが邪魔して、心は忙しなくまた立ち上がる。

 里音と千梨、明たちは顔を見合わせ、

「ほんとに爆弾なの?」

 千梨の問いかけに、晴太はああ、と首肯した。

「でも、あたしたちだけ助かるだなんて……」

 里音の戸惑いを否定するべく、晴太は強く言った。

「いいから!」

 きつく、三人を睨み付ける。

「早く、逃げろ!」

「悪かった、晴太……」

 明が謝った。

「お前には悪口ばかり言って……」

「いいから早く逃げるんだ!」

「すまん……」

 そう囁く明の心境が、彼女の瞳に浮かぶ涙によって気づかされた。

 最期だと悟っている。だから言いたくても言えなかったことを今のうちに言っておきたかったのかもしれない。

「ごめんなさい……」

 千梨も謝罪しつつ、教室から出ようとしていた。それに続く、里音、明。

 里音も最後にこう言った。

「玉ちゃんが助かるよう、祈ってる……!」

 そうして教室には誰もいなくなった。

 窓からグラウンドを眺めると、多くの生徒が雨の中避難していた。

 残された時間どうするか少し考えようとするも、爆発したら痛いだろうな、といった思考に及ぶ。

 どれくらいの痛さかわからないまま、死んでしまうのだろうか。

 そして粉微塵に吹き飛んだ自分の意識はどこへ行くのか……。

 せっかくだから、教室の真ん中で大の字になって寝ようと思い、机を動かした。

 両腕と両足を広げ、大の字になって床に寝転ぶ。

 平日の教室。本来なら授業があるはずなのに、その時間にこうして一人、教室の真ん中で寝そべるだなんて、面白い話ではないか……。

 そんな子供じみた考えはすぐに変容した。

 死ぬまであとどれくらいか……。

 やけに落ち着かず、立ち上がっては室内をうろうろし、最終的に教室の隅に腰かけた。

 膝を曲げ、虚を見つめる。

 人生を振り替える。と言っても十五年と少しだが、今までの自分と回顧した。

 中学の時に父を亡くし、精神的な病に苦しむこととなった母。両親がいても不幸な家庭はあり、片親でも幸せな家庭もある。これから自分の送ろうとしている道のりは、後者と言えたかもしれない。

 母と過ごしたここ二年と、父のいた二年以上前の時間も、貧しい暮らしとは言えず、それなりに贅沢もしてきた。 

 だが、なんだ、今の状況は?

 宗教というのは人を救うためにあるのではなかったか?

 五味の偏った見方が人の人生を狂わせた。平成に起こった諸々の宗教絡みの事件も、多くの人が不幸になり、もはや救済と宗教とは縁遠いものになってしまった気がする。

 このままでいいのか……。運命に身を委ねたまま、炎に焼かれ、体が弾け飛んでしまってもいいのか……。

 不意に母の顔が浮かぶ。

 ――そうだ、俺はこのまま死んでいいはずはないんだ……。

 自分が消えてしまい、母を一人にしてしまえば、母の心情が保たれるかわからない。下手をすれば、母が自らを死に追いやる危険性もあるだろう……。

 そうだとしても、この状況に何もできない自分が惨めだった。

 母と会えなくなる。そして里音や千梨、明とも会えなくなる……。

 目の縁から涙が頬を伝った。

 教室の隅で膝を抱きながら、悲嘆に暮れ、ただ、涙を流す……。

 ――嫌だ……、そんなの、嫌だ……。

 悲哀に満ちたような灰色の空からは、雨が降りしきる。この涙と同じように。

 制服の袖で涙粒を拭いても、ひたすらに滴は頬の上を流れていく。

 寸陰、涙声は無人の教室にこだました。

 ふと我に返る。

 ――最後の足掻きだ……。

 腰に手を添え、

 ――爆薬を外せないだろうか。どうせ死ぬならこの際、爆弾そのものを見て、外せるものなら外してみよう。

 ブレザーを脱ぎ、コルセットに付随した時計を見やった。

 秒針は止まっていた。

 驚きつつ、へその横辺りの時計に手を持ってきて動かすと難なくコルセットは外れた。

 ――どういうことだ?

 爆弾と思っていた箱のような物もやけに軽く感じる。

 ――俺は助かったのか?

 外の様子を確認しようと、腰を持ち上げた。

 窓際からは、グラウンドを囲むフェンスのそばに教団の車が停車してあった。遠くからはサイレンの音が聞こえてくる。


「サツが来やがった……!」

 段々と距離を縮めてくるかのようなサイレンの音。

 運転手の男は、慌てるように言うと、車を移動させようとした。

 アイドリングしていた状態だったため、サイドブレーキを下ろし、アクセルを踏もうとした運転手だったが、目前をパトカーが遮り、逃げ道を妨がれた。

 妨がれたのは前方だけでなく、周囲を数台の車輌が囲んだ。

「畜生!」

 ハンドルを叩く運転手。

 引き戸を開け、外に出る女幹部。入れ替りで車内に侵入したのは機動隊だった。女幹部を過って、車中に乗り込む。

 手錠をかけられる幹部二人。

 ――何とかあの子は助けられたわ……。

 女幹部――沢尻恵は、晴太という少年が学校へ入っていくのを見届けると、外に出たまま、五味へスマートフォンで連絡しようと装い、警官隊の応援要請をした。

 夜中に密会し、教団の情報などを報告していた男性の刑事が、恵に近づき、

「爆弾は大丈夫だったんですか?」

「ちょっと細工しました。コズミックリリーフの施設内で作成したものでしたから、設計図を元に外すことができました……」

 男は相好を崩し、小さく息を吐くと、

「ようやく終わりましたね、沢尻さん……」

「いえ……まだです。五味をまだ逮捕していない」

「教団の施設を強制捜査するようです。ですが、……まあ、沢尻さんの役目はもう終わったも同然でしょう……」

 その通りかもしれない。準備や行動に移す気概は、すでに恵には残っていなかった。

 今はただ、亡き人の面影を思いつつ、ぼそりとその名を呟いた。

「啓ちゃん……」

 疲れが出たようで、沢尻はゆっくりと尻から地に座り込み、天を仰ぎ見た。

 深いため息をつき、そのままの状態でいると、雨は止み、曇り空から所々日が射してきていた。

 舞台の演者にスポットライトが浴びるかのように、沢尻のかんばせにも光が煌めいた。

 この三時間後、五味は信者や警官隊を巻き込み自爆した。

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