第四章 人の迸発①

 朝の町は騒々しい。

 駅や街中を行き交う、サラリーマンやOL、学生たち。その様子は、楽しさの抜け落ちたパレードのようだが、人だかりが道を踏みしだく音や話し声などが、静かな朝の町を喧騒へと変える。

 眠気を帯びた者がほとんどだろう。中にはイヤホンをして音楽を聴いたり、スマートフォンで映像などを閲覧する者もいる。思考は単純なもので、人だかりの波に乗れば、体は勝手に会社や学校へと移動していくかのようだ。

 邪魔だ……。

 邪魔……。

 いわば会社や学校への道のりは、単純作業とも言える。弛緩したような意識は毎日通る道にわずかでも違和感があれば、途端に気付き、大なり小なりストレスが生まれる。

 その日の朝。高田馬場駅前広場にその違和感を多くの人が感じる瞬間があった。

「ドーン、ドーン、あなたもドーン、私もドーン、ドーン、ドーン、世界がドーン、地球がドーン、宇宙がドーン……」

 奇妙な文言が、広場の横に停められたネイビー色のワゴン車内のスピーカーから漏れてくる。それは少し離れた位置からでも明確に聞き取れるものだった。

 思わず爆笑する女子学生たち。すれ違う人の群れ、スーツ姿の大人たち。早稲田通りと呼ばれる道の上に高架線があり、電車がその上を通過したそのときだった。

 不審車輌として車中の人物に声をかけようと、運転席側に警察官が回った。

 無線にて報せるもう一人の警察官。

 この日、新宿警察署に捜査本部を置き、目星をつけていた宗教団体、コズミックリリーフへの潜入捜査によって、その企てが露見したため、一部交通規制を敷いたりなど、都内各所で警戒していた。

「マークしたのは白いワゴン車だったろう? 紺ではなかったと聞いていたが……」

「処理班呼びますか?」

 などと話す警官たち。

 高田馬場駅周辺も同じく警戒していた。

 運転席の窓を警察官がノックした瞬間――。


 警視庁捜査一課刑事部所属、警部補の米沢は、朝早くからひと気の多い渋谷駅の近くで車に乗りつつ張り込んでいた。

 先日、公安部のある人物から受け取ったという、コズミックリリーフの計画内容を録音した機器から、米沢たちのいる渋谷駅で、爆発物を乗せた車輌を停車させるというやり取りを耳にした。米沢たちはその場に張り込み、信者とおぼしき人間が来ないか見張っていたが、どうやら回収した会話内容には現状との齟齬があるようだった。

 東京を中心として、埼玉、神奈川などに信者が拡散しており、複数の信者が潜伏していると思われる施設も、各地に一つか二つほどあることから、東京都他、関東のいくつかの県で、合同捜査に踏み切った。

 教団の施設前で張り込む刑事もいた。しかし数分前の無線では、動いたとの情報はなかった。

 あくびをしながらルームミラーを覗いてみる。朝早くからの張り込みに睡魔が襲う。眠たげな細い目と短く借り上げた髪。前髪を触ると、米沢は助手席に座る年配の刑事に話しかけた。

「一体、奴らはどこから車を発進させてるんですかね? さっきの無線でも、教団の施設からは動きがないみたいじゃないですか」

「考えられるとしたら、爆弾を信者の自宅に持って帰って、その信者かあるいは別の信者の家のガレージに、事前に教団の車を隠しておくとか……。持って帰った爆弾を車に乗せるのも、その役目を負った信者も、警察の監視から外れていりゃあ難なく爆弾を積んだ車を動かせるって訳だ。恐らくそんなとこだろう」

 助手席に座る壮年の刑事、館山が神妙な顔つきで言った。キャリアとして警視庁の捜査課に警部補からスタートした米沢を、配属したてのときから面倒を見てきた間柄だ。

 睡眠の欲求がひどいからか、米沢は半眼になりつつある目で館山の顔に視線をくれる。頬にできた皺は垂れ、二重顎ができ、頭のすそにしか毛髪はなく、頭頂部は寂しい。

「潜入捜査した者も、信者のリストが最後まで見つからず、悔しがったらしい。今も潜入中との話を聞くが、中には爆発させることを嫌がる信者もいたらしいぞ」

 館山の述べる情報は確かなものだ。米沢に比べ職務経験も長いベテランの刑事で、彼独自のネットワークがあり、捜査に一役買っている。

 そんな館山からの情報や推理を耳にしても、米沢は理解に及ばない事柄があった。

「しかし……爆弾を持ち帰るだなんて……。そんな危ないことしますかね?」

「信仰心というものを甘く見ない方がいい。これは海外の事件だが、俺の若かった頃、集団自殺した宗教団体があった。ピープルテンプルっていう名前の宗教でな。集団自殺した事件だ。そのスマホだかってので調べられるんだろ?」

「まあ、そうですけど……」ポケットからスマートフォンを取り出した米沢は、片手を動かしながら館山の話を聞く。

「個人的に、信仰心なんてのは、ある種の自己犠牲みたいなものもある気がするんだがな……」

「それだと、ことに及んでからでしか捕まえられないってことじゃないっすか?」

「まあ、それが俺たち警察ってもんでもあるだろ。住民からの訴えでも証拠がなきゃ動けねえのと同じだ。ほら、民事不介入ってのがあるじゃねえか?」

 館山が述べた直後に無線が入る。

「高田馬場駅にて爆発事件が発生。マークしている宗派の犯行と思われる。警備中の警察官は警戒を厳重にせよ。尚、死傷者十名以上に及ぶと見られる。警察官三名の死亡も確認」

「聞いたか? 結局後手に回っちまった」館山が肩をすくめた。

「くそっ! 潜入捜査の意味あったのかよ!」

 声を張り上げ車を走らせる米沢。所轄の刑事にこの場を任せ、現場へと向かう。


 駅に近づくにつれ、人だかりが多くなってきている。

 駅前の広場周辺には救急車や、すでに到着済みのパトカーがあった。それだけではなく、シートを敷き即席の救護室を設けようと準備する隊員たちや、頭上を行き交うマスコミのヘリコプターなど、事件後にはよく見かける光景だが、米沢のハンドルを握る手に思わず力がこもった。

 爆心地と思われる場所にはひしゃげた車体と思われる物体があり、そこから広範囲に渡り、黒く焦げたような跡と、様々な破片が飛び散っている。血痕も道の至るところで見かけ、救急隊がストレッチャーで運ぶ怪我人も、頭から血を流したりなど、重傷者が多いように見えた。

 米沢が警察という職務に就いてから一年弱。本庁の刑事でキャリア組であることから、警部補からの始まりとなった。しかし、館山と比較するべくもない。ベテランの域とは言い難く、その惨状には思わず体が震えた。

 車を停め、別行動を取っていた刑事らと合流。駅前のディスカウントストアに、事件の一部始終と思われる映像が撮られていたとの報告を受け、店内に入り、早速閲覧した。

「少し画像は粗いですが……」

 店の入り口から外側を映した映像である。

 行き交う人の多い駅のそばの様子が映写されていた。

「時刻は今から約一時間前……」すでに確認していた刑事がそう説明しながら、米沢は画面に見入った。

 ビッグボックスという商業施設のビルがありその横の道は傾斜になって、早稲田通りとぶつかる。

 ディスカウントショップの店舗はビッグボックスの横の道沿いにあり、上の階には書店やレストランがある。

 ネイビー色のワゴンは、画像からしてビッグボックスの横の道と早稲田通りと合流する直前に停車していたようだ。

「紺色の車が駅前広場に停まりますが、そのまま動かず……」

 操作キーを動かし早送りしていくが、車から信者が降りてくる気配はない。

 そして……。

 爆発が起きたつい十数分前にまで及ぶと、人の往来も多くなってきており、その渦中、突如画面が白く光った。画面の上部にあった車が吹き飛んで消えた。

「信者が犠牲に?」館山が問う。

「爆発で十名以上の死傷者が出てます。信者が犠牲にさせられたというのは、教団のそういう教えらしいです。人間の中の宇宙を顕現するとかなんとか……」

 刑事の一人が首を傾げながら言った。

「理解できん……」館山は顔を俯かせた。

 そこへ別の刑事が、米沢に報告しに来た。

「新宿駅の前で、不審物が発見されたそうです」

 不審物? 顔を見合わせる米沢や他の刑事たち。

「爆薬と思われる物体が放置されていた、と……」

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