第三章 コズミックリリーフ⑤
「まったく理解できませんよ……」
捜査員の一人が車中で呟いた。
「そんなことで、人が幸せになると思っているんですかね……。本当に心の底からそう信じているなら、地下鉄で毒ガス撒いた連中と変わらないでしょう」
後部座席に座る女性が、静かに言った。
「準備は着々と進められています。それを実行する期間は一週間以内と見られます……。これは、Sの会話を録音したデータが入っているものです」
暗号であるS……。それこそコズミックリリーフ会長、五味秀哉だった。
USB機器を運転席の捜査員に渡す。
「これで奴らの内情を知ることができる……いざというときの証拠にもなる……」
捜査員は呟きつつ後ろへ振り向き、
「マッチングモウルはまだ、そっくりなままですか、沢尻さん……」
「ええ、まだ少しそっくりなままでいようかと……。最終的にリストが見つからなかったのは、私のミスです」
「よくやっていると思いますよ。この証拠品だけでも奴らを法廷に立たせることは可能でしょう」
「いえ、しかし……」
沢尻としてはしこりが残った。運転席に座る男にも話したが、いくらSの肉声を録音できても、それを百パーセント信じることは安易なことに思える。
「大丈夫ですよ」
後部座席から見えるルームミラーには、運転席の男の穏やかな顔が映った。
「あなたの言う通り、五味の発言を鵜呑みにはできません。ですから、明日以降、都内や埼玉、神奈川などの各方面で合同捜査に打って出ることになりました。警備も慎重を重ねるとのことです」
それならば、と一瞬安心しかけた。だが、緊張のベルトはまだ弛めることはできない。
身も心もぎゅっと引き締めて最後の任務に備えなければ……。
沢尻は報告を終え、夜道を一人、教団の施設へ向かって歩き始めた。
――あともう少し。あともう少しで、あたしの復讐は成し遂げられる……。
明るく溌剌とした笑みを見せる、啓司の顔が、沢尻の胸の奥に蘇った。
五年前の学業施設爆破事件、その際、爆弾の捜索と排除にあたっていた啓司は、爆発に巻き込まれ帰らぬ人となった。
捜査線上から、宇宙的魂の教義という宗教団体にたどり着くも、彼らの根城はもぬけの殻だった。
そうした過去の凄惨な事件を元に、公安部は、秘密裏に宗教団体への潜入捜査を専門とした組織、マッチングモウルを結成。恋人だった啓司の復讐を隠しつつ、沢尻は自ら志願したのだ。
ここ五年間、教団の幹部になろうと、ひたすら任務に没頭してきた。
教団の妙なルールや、怪しげな施設内の空気に、最初は息苦しさを感じていたが、今やそれにも慣れた。
すべては啓司のため――。
――啓ちゃん、あともう少しだからね……。
街灯の下で沢尻は静かに意気込んだ。
「元恋人への復讐か……」
車内で捜査員の独り言が響いた。
「私情を挟むのはどうかと思いますが、気をつけてくださいよ、沢尻さん……」
ため息混じりにそう呟くと、車を発進させた。
夜半になって喉の乾きからか、晴太は目を覚ました。
どこかの部屋だろうか。記憶を遡ると、母を助けに施設へと乗り込み、そこからの記憶が曖昧だった。目覚めた部屋は漆黒の闇に覆われており、視界の大半を覆う暗黒の先に、幾人かの人影が見える。その中央の人物が声を発した。
「お目覚めのようだね、晴太くん……」
五味の声だった。嗄れてはいるが老いを感じさせない明朗さがはっきりと感じ取れる。
晴太は上体を起こそうとしたが、手首と足首を縛られているようでうまく身動きがとれない。
この時ようやく晴太は覚醒した。
自分の置かれている状況が、いいものではない。むしろ危機に陥っている、と。
もがこうとして動かした手首や足首には、革製のベルトらしきものに縛られ、その感触は汗でぬめっている。
「慌ててはいけない……。これから君はまさに神聖とも言える儀式に身を投じるのだから……」
「や、やめてくれ……。なんでこんなことを……」
声を絞り出すように、自分の気持ちを訴えた。
「宇宙の顕現だよ。優しき宇宙の膨らみを、少し早めるだけだ」
内なる宇宙という言葉にでさえ、晴太には理解に苦しむものがあった。にもかかわらず、父の顔に似た五味は淡々とそう述べるのだった。
「宇宙の顕現……それは案外簡単なものだ。自分の体に爆弾を仕掛ければいいのだからね……」
暗闇に段々目が慣れてきた。晴太は視界の真下にあった自分の腰の脇に妙な出っ張りがあることに気づいた。
「激しく動かしてはいけない。そして、無理に外そうとしてもいけない……そんなことをすれば、時を見計らえず、君の宇宙は暴発する……。君には君の役目がある。これからある場所に乗り込み、時が経つまで待つがいい」
「あ……ある場所って?」
晴太の気分は一向に暗鬱なものを伴うばかりだ。
腰に爆弾……。荒唐無稽な話だが、今はその問いかけをすることだけが精一杯だった。
晴太が切羽詰まった状況であるのをよそに、五味は静かに言った。
「君が通う学校だよ……」
翌早朝。静まり返った校舎のある教室では、三人の女子生徒が集まっていた。
そのうちの二人は、朝早くからの登校とは縁の遠そうな出で立ちで、一人は茶髪の長い髪と、目許をぱちりとさせたメイク、薄く化粧を施した頬と淡いピンクのルージュ。
もう一人は金髪のショートヘアに、ワイシャツを第二ボタンまで外し、着崩れた制服とリボンに、首にかけたヘッドホン、勤勉家というイメージとは程遠い。
そんな二人に挟まれる形で、浦和千梨は、まずどこから指摘しようか、まず化粧をしてきた長身の女子にこう述べた。
「張り切って化粧してきたのは別にいいと思うんだけど……。掃除をやるだけなんだから、不要な手間だったんじゃないかしら、清川さん?」
「ノンノン」と清川里音は指を小さく振り、
「想い人のいる前で、素っぴんだなんて……。あたしだって年頃の女ですからこれくらい厭わしくもなんとも……。ねえ? 郷ちゃん?」
千梨は聞いていて、少し刺のある言い方に聞こえた。横にいたヘッドホンを首にかけた郷ちゃんこと、郷田明は、里音のそれをやはり素直には受け取れなかったようだ。
「アタシゃ別に、年頃っちゃ年頃だけど、そこまで性欲を丸出しにゃしたかねえなと思ってるから……」
刺には刺で返したようだ。里音は負けず劣らず、
「ああ、だからそんなダサいんだ……」
早起きと言うのもあってか、わずかでも眠気から来る苛立ちがあったのだろう。里音のその一言で明の憤激は爆発した。
「ああ⁉ 年増が化粧でごまかしたような面した奴に、言われたかねえんだよ!」
「ま、まあまあ、二人とも……」
睨み合う里音と明の仲裁に入る千梨。
「もっと本質的な部分に目を向けなさいよ」
本質的? 里音と明の声が重なる。
「目的は掃除をすることよね? で、その掃除を誰とするんだったかしら?」
「玉ちゃん」と里音。
「ハーレー」と明。
「ハーレーって何? きもっ!」毒つく里音。
「昔はそう呼んでたんだよ」どこか勝ち誇ったような顔の明。
「使い古された女ってことでしょ?」負けじと里音が言う。
女三人の漫才であるかのように、中央に立つ千梨が、両脇にいる里音と明の腹部に両方の手の甲を食らわした。
「いいから!」
うっ、と軽く呻く二人。
「昨日と今日、来てないのよ? 玉本くんが!」
「どういうことかな?」里音が腕を組む。
「何かあったんだろうか?」スマートフォンの電話帳を見る明。
「あんた、まさか、玉ちゃんの連絡先知ってるの?」
「実家のな……」ふふん、と得々たる笑みを浮かべる明。
「じいいっっっかああああ……」
大袈裟に頭を掻き乱す里音だった。
「いいから!」と先ほどと同じく、手の甲を両側の二人にお見舞いする千梨。
「先生に言って、晴太くんのう家に確認をとってみましょ?」
里音と明は千梨の提案に素直に返事をした。
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