第三章 コズミックリリーフ③

 家に到着し、母に話しておきたいことがあると言う黒沢を玄関前で待たせ、部屋に入ると、母の姿はなく、風呂場やトイレにもいなかった。

 玉本家では鍵を二つ所持し、母も時おり外出することがあった。鍵が冷蔵庫につけたフックに何もかかっていないのを確認し、自分も今しがた持っていた鍵で部屋に入ったことを考えると、黒沢には母が不在で、戻りもいつになるかわからないことを話した。またの機会にと、黒沢は帰っていった。

 母の部屋を覗いて、気になるものがあった。

 ベッドの上に手紙のようなものがある。

 それを手で持ち開くと、

〈コズミックリリーフの施設に行ってきます〉

 とだけ書かれていた。

 手紙の下に、最寄り駅から施設までの順路が記載されたコズミックリリーフのパンフレットがあった。

 ――どうする気だ、母さん!

 嫌な予感がし、パンフレットを掴む。家から出、鍵を閉めるとパンフレットの地図をもとに、施設まで行こうとした。

 闇夜の中を疾走しつつ、母の行動に首をかしげたくなった。

 ――どうしてそんなことを……。父さんに似てるのと入会は別だって言っただろ! 怪しいのは母さんにもわかってるはずだろうに!

 息を切らしつつ、電車に乗ると、二つほど駅を過ぎた場所が施設への最寄り駅だった。

 電車から降り、再び走り出す。道を曲がり坂を登っていく。

 登りきったところで、明かりが割りと多く灯っている場所に出た。

 夜の闇の中、街灯がちらほらと見える中に駐車場があり、そこに数台の車が停まっていた。その付近に警備員がおり、晴太が怖じ気づくこともせず入っていくと、警備員が近寄ってきた。

「どうされましたか?」

 警備員の肩越しにエントランスを見つけた。上部にはコズミックリリーフ東京支部、と書かれた表記が見えた。

「信者の方ですか?」

 警備員の質問に、晴太は息を喘ぎながら、

「母がここにいると聞いて来ました」

「ご家族の方ですね? どうぞこちらへ……」

 招かれてエントランスを潜ると、ようやく教団の施設内に入れたことに、気持ちは少し落ち着いた。

 ――母さんはどこだ?

 施設内の雰囲気は静かで、エントランスを入って左に下駄箱があり、奥には階段が見えた。

 警備員を無視して、靴を脱ぎっぱなしで入ると、ひとまず階段を目指した。

 母の安否が気がかりなのと、そのことで必死な自分が、このとき大それたことをしているという自覚はなかった。

 ただでさえ怪しいと見ている宗教団体の施設に一人で乗り込んだのだ。

 教団側から何らかのアクションがあってもおかしくはないだろう。

 階段を登ろうとすると、上から大きな声が響いてきた。

「おおおおーー!」

 仰ぎ見ると、白い衣服を纏った五味の姿があった。目を丸くし驚いている様子だ。

「ようこそ、晴太くん!」

 明朗な接し方は相変わらずだが、晴太の様子に、五味も違和感を覚えたのだろう。まじまじと見つめると、

「どうしたんだね?」

「母が……」

「お母さんだね! そこまで案内しよう!」

 手を添えられ、五味に導かれるよう階段を登り終えると、視界が開けた。

 数十名の信者が、群がって正座している。

 五味が晴太を連れだって入場すると拍手が起こった。五味は晴太に母の位置を知らせると、そこに母の姿があった。

 集まる人の間を縫って、母の元に行くと、腕を掴んだ。

「母さん帰るよ!」

「嫌よ!」

 母は明確な態度で拒否してきた。

「ここにはあの人がいる!」

 腕を強く引っ張っても母はそう叫んで抵抗するばかりだ。

「嫌ったら嫌よ! 助けて、お父さーん!」

 狂乱する母を見て、衆人環視の中でこのような行為に及ぶことに妙な汗が吹き出した。

 不意に背後から声がかかった。

「お父さんだよ。晴太くん!」

「お前はお父さんなんかじゃ……」

 父と瓜二つともいえる五味の顔がそこにあった。抗おうとしたが、五味は父の顔で笑みを見せた。

 びりっと首に痛みが走った。電流でも流されたのだろうか。気づけば、晴太の周りにいた他の信者たちは、一悶着から避難するように、円を描いて離れていた。

 自分に過度な刺激を与えたらしき人物が、真横に立っていたことに今になって気づく。

 激しい痛み、痺れとも言おうか。膝に力が入らなくなり、そのまま晴太は床に倒れこんだ。


 晴太の不遇を知らないまま、次の日の教室では、朝のホームルームが開かれていた。

 黒沢が登壇し、クラスメイト全員を見回すと、小さく息を吐き、

「玉本は今日休みか? 誰か知っている者はいないだろうか。昨日の夕方先生は一度会ってるんだがな……」

 挙手する者は見当たらない。

「昨日、ある生徒がコンビニの品を万引きしようとして見つかった。未遂に終わったが、先生がその後引き取った。話しは変わるが何か最近、玉本の行動が前とは違うように思えるんだが、そう思う者はいないだろうか?」

 多くの生徒が挙手する。感じていたことを正直に示したことは誉めておきたい。

「大分いるようだな……。上野!」

 体を強ばらせる上野。はい、と素直に返事をすると、

「お前から見て何か感じなかったか?」

「いや、ちょっと変だなというか……」

「どういうところがだ?」

「掃除を代わりにやるとか、いきなり変なこと言い出したんですよ」

「先生はそれを注意した。そして代わって遊んでた生徒にも注意した。それでも玉本は止めなかったんだな?」

「あいつ馬鹿ですよ。そんなこと言ってあいつが一番損してるし、俺たちはあいつの言うことを尊重して代わってあげたんです。悪いのはあいつっていうか、自業自得じゃないですか!」

 うんうん、と何度も頷く生徒が何人かいた。

「玉本のあれは善意だと先生は思う。玉本の言うことに従った自分たちは何でもなくて、言い出したあいつが悪い? それは違うな」

 教室の空気が変わる。数えるほどしか黒沢に賛同する者はいないようで、反対派の多くがこうした息苦しい空気を作っているように感じた。

「あいつの善意を歪んで捉え悪用したことは、果たしていいことだろうか?」

「でも」と髪を茶色に染めた女子が反論する。

「元々玉本くんが言い出さなければよかったんだと思います」

 クラスの中でも、上野たちとよく行動を共にする女子生徒だ。黒沢は、その女子生徒の腹積もりをすでに見抜いていた。

「さっきも言ったが、あいつのは善意だ。もちろん、すでに皆で決めたことを無意味なものにしたのは、あいつの悪い部分だ。だが、お前たちにも断ることができたんじゃないか? 代わってもらって自分たちは何をしていた? 勉強か? 違うよな? 一緒に掃除をしてもよかったと思うが、それを歪んで捉え悪用することと玉本の善意を一緒にしてはいけないだろう。違うか、上野?」

 は、はい? と妙な返事の仕方をする上野。話を聞いていなかったようだ。

「玉本に昼飯買いに行かせたりしたんだったな? それがあいつの掃除したいっていう優しさとどう関係がある? それが悪用しているというんだ。昨日の夕方のコンビニの件もそうだ」

 上野はばつが悪そうに視線をそらす。

「人を助けたいっていう人に、じゃあ人殺してこいって言ってるのと同じなんだぞ? あいつがどうしてもっていう気持ちと、断りきれないから自分たちは好きなことしようって話しは違うと先生は思う……。皆はどう思うか、アンケートでもやるか……」

 黒沢が話す傍ら、上野は小さく呟いた。

「……お母さんに言いつけてやる……」

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