第三章 コズミックリリーフ②
翌朝、小降りの雨の中を登校した晴太は、教室の掃除をしようと、自分よりも早く来ていた千梨に驚きつつ、清掃を開始した。
そこに明と里音がやって来て、掃除は速やかに完了したが、その数分後、珍しく朝の早い段階から上野たちの姿が、すでに教室にあった。
その日も上野から、昼飯の買い出しを頼まれた。直後に上野は強い言い方で、晴太を誘った。
「放課後、掃除無視して俺たちに付き合え! わかったな! バックレたらぶっ飛ばす!」
そう言われ、心が動じないというほど、晴太も胆が据わっていない。午後の授業中も、上野の言ったことがずっと頭の中を回っていた。
――これって、いじめってやつ?
ほんのりとそう思うと、急に体中が汗ばんだようだった。
冷たい汗が滲むのを感じつつ、晴太の頭の中で、どんどん被害妄想が大きくなっていく。
――明の言っていたのはこれか……。馬鹿だ俺……。こんなの父さんのやっていたことと違うし、思いだけが先行して、自分のことを省みていない……。こんなの……。
頬杖をつき嘆息をつきながら、暗鬱な窓の外へ目をやった。
――父さんと同じ優しさじゃない……。
あっという間に放課後がやって来た。
晴太は掃除の準備をしようとしている、里音や千梨、明たちを横目に、上野の一団に混じって、学校を出た。
夕刻間際の日当たりが、晴太と上野を加えた六、七人ほどの集団を薄くオレンジ色に染めていた。
「俺たちと仲良くなりたい?」
上野がやけに親しげに言った。
断ることも、受け入れることもできず、晴太はいやあ、と言葉を濁した。
「仲良くなりたいんだよな? だったら自分からパシり名乗らねえだろ」
事実を突きつけられたように感じた。優しさを施すために、多少は自己犠牲もやむを得ないと思っていたが、変に積極性を持って優しく接すると、こうも面倒なことになってしまうとは……。
だが、それは小学生でもわかることではないか? ではなぜ、気づいていながら断ろうとしなかったのか?
勇気だった。
拒絶する勇気がなかったのだ。
それは自業自得とも言える。
里音が言っていた。優しさはコミュニケーションを維持、発展させていくためのツールだと。
自らを他者に捧げようとする考え方は間違いではないかもしれないが、捧げる対象を間違えば、当然現状のようになる。
胸中で自分を嘲笑した。
――馬鹿だな、俺……。
などと考えていると、コンビニに着いた。
何となく上野たちが晴太にやらせようとしていることがわかった。
「何でもいいから何かパクってこい。……うーん、何でもって訳にはいかねえか……。ライターでもいいや。ほら行けよ」
強く背を押された。
拒否すれば、顔面殴打くらいは普通にあるだろう。こんなことを迫ってくる集団に善意などというものは塵一つないに決まっている。
しかし晴太には、関係を断つ気力がなかった。
臆病と言えば臆病だろう。だが、蹴りか拳を食らうのと逃亡とを秤にかけ、足蹴と拳固の方に重りを置くことは、この世のどれくらいの人ができるのだろう。
唾を飲み込みつつ進み、自動ドアが左右に動くと、入店の音色と店員の掛け声が、妙に鮮明に聞こえた。
ライターの売り場は、一つ目の棚の裏側だった。
そっと一つ、陳列から取り出し、躊躇せず制服のポケットに入れた。
雑誌コーナーの向こうのガラス窓を見ると、上野たちが笑いながら手を振っている。
見張っているようにも見える。もはや逃げ道はないのかもしれない。
店員の客を招く挨拶が聞こえたと同時に、入り口に向かって歩き出す。
自動ドアが開くと同時に、上野たちがいた方向を見ると、その影も形もなかった。
不意に後ろから肩を掴まれた。
額の秀でた男性店員が、厳めしく面をゆがめ、
「はい、捕まえた。ちょっとこっちに来てもらうよ」
「あんた自分で何したかわかってるよね?」
従業員の休憩所だろうか。晴太はそこに連れられてきた。
部屋の隅にあった棚の周囲には段ボールが箱の状態で数段おかれ、晴太は部屋の中央にあった机に座らされると、先程の額の秀でた男性店員と、髪の短い中年の女性が晴太の前に座った。髪の短い女性が怒気を含めたように述べると、額の秀でた店員はスマートフォンで誰かと話し始めた。
「万引きも立派な犯罪だよ? あんた外にいた連中とつるんでたみたいだね?」
はい、と枯れ葉が擦れたような声が出ていった。
「あいつら、いつも盗んでいくんだけど、逃げるのがうまくてね……。あいつらから脅されてやったの?」
「まあ、そうです……」
「だからといって何もお咎めなしってわけにはいかないからね。親御さんに来てもらうから」
そこで通話していた男性店員が、晴太の前にいた女性店員にこそこそっと話し、女性店員は晴太の方を見つめると、
「親御さん、いないみたいだね?」
「多分寝てるんだと思います」
「親父さんは?」
「他界しました」
無言になって、店員同士顔を見合わせる。
不憫に思ったのだろうか。自分の今の境遇は確かに不幸かもしれないが、正直に身の上を伝えると、同情させてしまわないか不安になる。さほど母の状態や、家の環境に過酷さを感じてはいないし、無論そのことをかざして温情をかけてもらうつもりなどなかった。
「担任の先生とは繋がったみたい。今から来てもらうから……」
はい、と俯き加減で言ったきり室内は静まり返った。
すると五分もしない内に、担任の黒沢がやって来た。
「大丈夫か?」
軽自動車の助手席に乗せられ、発進すると同時に黒沢から声をかけられた。
「ええ、まあ……」
脅迫されたとはいえ、過ちを犯したことに代わりはない。そんな罪悪感からか、コンビニにいたときから、晴太は意気消沈していた。
黒沢がコンビニのバックヤードにまで来訪し、しばらく店員と話すと、晴太は黒沢と共に頭を下げ謝罪した。
店長らしき、髪の短い女性店員は、腰に手をやり、
「脅迫されたんなら、今回は許しましょう。でも次やったら迷わず警察に突き出すからね?」
もしあのまま誰も来なければ、どうなっていただろう。
自分の生徒を激しく叱り飛ばすこともしなかった黒沢に、店員も顔をしかめていたようだが、今回だけは助けられた。晴太の中では奇跡に近い。
「どうしてあんなことをしたんだ?」
ハンドルを握りながら、黒沢が尋ねた。
「上野くんたちに無理矢理……」
「犯罪行為を遊びと捉えてるからな。あいつらは……。でも玉本が普段から浦和たちと早朝、教室を掃除してるのは知ってるからな。そこは偉いと思うんだが、そんな玉本が、上野たちと遊んでるのはちょっとわからないぞ」
「優しさを他人に対して示したかったんです。父が昔そうだったように。僕にも父のような優しさが持てるはずだと……。善意のつもりでした。掃除を代わりにやるのも、彼らの力になりたいと思ったからで……」
「お父さん、早くに亡くしてるから、それを模範としたいという気持ちはわかる。でもな、それで悪用されたら、やってることは上野たちと変わらないんだぞ?」
黒沢の声を聞きながら、前方をただ見据えていた。
結局、優しいかどうかよりも、悪を悪と認めなかった自分に非があるのだろうか……。
自らが言い出したことだ。そこに漬け込まれると危ういという想像は持たなければならなかった。責任は自分にもある。
闇に染まった道を、黒沢の運転する車は走っていった。
「でもな、先生は玉本に悪意はなかったと思う。もちろんそうなんだろうけど、玉本は騙されてしまった。玉本は悪くない。ただ、善い行いをするには、それなりにリスクも伴う。相手を快く思わせながら、自分の身は削ってる。それに何も感じず、そういう人に対して、逆に怒りに身を任せて罵る奴もいる。そういうリスクを想定して行動できるようになれればいいな……」
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