第三章 コズミックリリーフ①

 一時限目の授業が終わると、晴太は席に座りながら三人の男子たちに囲まれていた。

「どういうことだよ、玉本!」

 苛立たしげに机を叩く男子の一人。

「先生に怒られたぞ!」

「お前が大丈夫だって言うから、掃除任せたんじゃねえか!」

 他二人も語気を荒らげている。

「ごめん……。俺からも言ったんだ。掃除は俺からやらせてくださいって頼んだって……。でもそれじゃダメみたいで……」

 視界の上から無言で鋭い眼光を撃ちつけてくる三人。

「どうしたあ?」

 教室の後ろの方から声がした。

 振り返ると、教室の後方のちょっとしたスペースに、四、五人の男子の集まりがあった。

 その中に声をかけた人物がいた。

 時間をかけてセットしたと思えるほどの膨らんだ茶髪。縮れている髪の質感は、バランスよく頭部に盛られ、こだわりようが見てとれる。鋭くつり上がった目は、それが本人にとっては平常なのだろう。その人物の荒んだ一面を垣間見せるそれは、その人物の性格をありありと見せつけているようだった。

 上野という男子だ。

 上野は素行の危うい連中を束ね、晴太としてもあまり関わりを持ちたくなかった人物だった。四月の段階では大人しかったが、徐々に化けの皮が剥がれ、遅刻や早退が目立ち、授業態度もいいとは言えなかった。

 どうやら上野は前方の席で怒りをあらわにする様子を見て介入してきたようだ。

 関係のない人物だが、声をかけられ、無視してもいい人物でもなかった。

 先日の明からの手紙に記述されていた懸念は、彼らに目をつけられるかどうかというのもあったのだろう。

「いやあ、こいつが掃除代わりにやっておくとか言いながら、先生に怒られてさ。俺たちまで怒られたんだよ。それって話ちがくね、ってことを話してたんだ」

 心なしか、そう述べる男子の声はトーンを抑え気味だ。憤激を制して話しているからか、それとも上野に怯えているからか、そこまではわからない。

 上野は驚嘆するように眉を押し上げ、

「マジ? 掃除やってくれるのか?」

「あ、ああ」と晴太は返す。

「じゃあ今週は俺たちの班だから、玉本くんにお願いしとくわ!」

「わ、わかった……」玉本が了承すると、上野は目を厳めしくさせ、男子三人を睨んだ。

「黒沢が怒ったってたいしたことねえじゃん? そんくらいで怒るなよ、お前らも」


 昼休みになると、晴太は上野たちに呼び出された。

 教室の隅で、上野たちは何のためらいもなく言った。

「昼飯買ってきて!」

「購買じゃなくて、外のコンビニな!」

「俺、ペペロンチーノでいいよ」

「俺は、何にしよっかな……」

 オーダーを聞き、晴太は嫌がる素振りも見せず、走れ! と背中をつつくように命令する上野に従い、廊下を駆け階段を飛び飛びで下り、靴に履き替えると、校庭を走った。

 昼食時のコンビニなど、混雑しているに決まっている。わざわざ遠い場所に買いに行かせたのも、自分たちの都合を優先させているだけで、友情や仲間としての意識など無いだろう。

 金銭は渡してくれたが、次に指示が下されたとして、まさかこちらが全額負担することになってしまうのだろうか。

 しかし、晴太は心の片隅でそう思おうとも、上野たちに対して、しっかりとこれが自分なりの優しさであることを見せつけようと思っていた。

 ようやく買い終え、再度走って校庭を抜ける。

 教室に入ると、途端に一喝が飛んできた。

「おせーよ!」

 上野の大声に吊られるように、周りの下っ端たちも口々に罵った。歩いて近づきながら、早くしろ! 腹へってんだからさ! などと雑言を叩きつける。

「冷めてるんだけど?」

 下っ端の一人がパスタを頬張ると言った。

「コンビニが混んでたもんで。早くしないといけないと思って温めは断ったんだ」

「バカかこいつ……」

 パスタを咀嚼しながら、悪態をつく。

「まあいいや。またお願いするね!」

 上野がそう言うと、汗ばむ額を制服の裾で拭いながら、席に戻った。

 バッグから弁当を取り出そうとすると、一緒に丸められた紙が入っていた。

 広げると、こう記入されていた。

〈だから止めとけって言っただろ! アタシはアタシで目光らせておくからな。明〉

 そっと振り向くと、何ともない風を装っているのか、明は黙々とパンにかじりついているだけだった。


 放課後になって、改めて上野から掃除を促された。

 同じ班の女子たちは、上野のような粗野な言動をする連中と気が合いそうな出で立ちで、制服を着崩し、化粧も濃いめだ。

「玉本がやってくれるっていうから、やらせておこうぜ!」

 上野が言うと、女子たちはキャッキャとはしゃぎ、お任せー! ありがとねー! などと言って教室から出ていった。

「玉本くん」千梨から声をかけられた。

「今どういう状況か理解してるわよね?」

 わかってる……。ぼそりと晴太は言った。

「あの人たちに利用されているのよ?」

 千梨の言うあの人たちという呼び方は、自分が彼らに目をつけられないための配慮だろう。迂闊に名前を出して、今も教室に残る生徒から告げ口される可能性もあり得るからだ。とはいえ、誰しもがこのとき上野のことを言っていると思っていたに違いない。

「バーカ。やっぱりお前はバカだな、晴太!」

 厳しめの口調で言われた。言い放ったのは明だった。

「だから気をつけろって言ったろ!」

「待って郷田さん。それ何の話?」

 明は以前、晴太の人の善さが、いずれ上野たちに悪用されるから止めておけ、とメモで助言したことを話した。

「あなたからも警鐘を鳴らしていたのね?」

「でも!」と横から割り込んできたのは、里音だった。

「玉ちゃんは悪くないよ! むしろ誰かのためにならないかって、色々試したり考えたりしてるんだから!」

「あんたが入ってくると、話がめんどくさくなるんだよ……」

 明は困惑しているようだった。そこで閑散とした教室にちらほらと残っていた生徒の中の女子二人が、

「三股かよ……」「ほんとややこしい」などと言っていた。

 それでも晴太は、教室を一巡して静かな語調で言うのだった。

「掃除、始めなきゃな……」

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