第二章 おもむろな接近⑦
五月雨の中、ビニール傘を差して登校してくると、晴太は今日も早朝の清掃に千梨と勤しんだ。
一言、二言挨拶を交わすと、お互い眠いようで、無言で教室の清掃をした。
終わってみると、清々しい気分になる。面倒と思うときもあるが、結局清掃を止めずにいられるのは、綺麗になった部屋を見て澄んだ青空のような気分になれるからだ。
「今日も綺麗になったわね。ありがとう、玉本くん」
「いや、俺からも礼を言うよ。ありがとう浦和」
照れ笑いのような笑みを浮かべ、千梨は顔をそらした。
そこへ、静寂な教室に溌剌とした笑顔で現れたのは、里音だった。
「おはよー!」
「おはよう。珍しいわね。こんな時間にあなたが来るなんて……」
目を丸くする千梨をよそに、里音は晴太に目を向けた。
里音は妙な行動に出た。
ブレザーを頭に被り、両手の爪を立てるような所作をしながら、
「がおー!」と怪獣か何かの真似をした。
「なに怪獣、それ?」晴太の質問に、里音は変わらずの姿勢で、
「愛され怪獣サトラだがお」
「わざわざそんなことしなくても……」
唐突な行動に、晴太はその一言だけしか言えなかった。
「ヒーローに倒されたいんだがお」
「ヒーローって誰だよ?」
「ハレタマン」と言って、里音は晴太を指差す。
「倒されたいってのも変な怪獣だな……」
呆れ顔の晴太に里音は変わらずの姿勢で、
「倒されるってのは、あたしに蹴りやパンチを食らわしたり、手から発射されるビームとか、色々とハレタマンの体の一部があたしをどんどん攻撃していくということであって……」
そんなことを里音は語りながら、徐々に赤面していく。
「つっつまり……!」
自分でも言っていて恥ずかしいのか、朱に染まる両頬を手で押さえ、
「そういうことなんだがお!」
「フロムサト……いや、サトラ」と晴太は冷静な心持ちで呼び掛ける。
「な、なんだがお?」
「ちょっと聞いてもらいたい話がある」
晴太の神妙な顔つきに、里音はふざけるのを止め、制服も元の位置に戻すと、嬉々として声を張り上げた。
「屋上行こう!」
晴太と里音は二人して教室を出ていった。
千梨はため息混じりに腰に手をやると、
「結局、何で早く来たのかは言わなかったわね……」
「そうだ、今日雨だった!」
屋上の扉を開け、曇天に小雨が降るのを見た里音はそう言うと、扉を閉めつつ、
「じゃあ、そこに座って話そっか」
階段の最上段に二人して腰掛けながら、晴太は里音と話した。
怪獣の演技をしないでいるのは、これから話すことが慎まなければならない内容だと思っているからだろう。おふざけと真面目の両立ができている里音を見て、クラスの男女に人気であることも納得がいく。
「この前、力になるって言ってたから、ちょっと難しい内容かもしれないが、聞いてもらってもいいか?」
いいよっ、と明るく言ってのける里音。
「里音にとって優しさってなんだと思う?」
「優しさかあ……」意外な質問をしてくるなと言った顔で、
「あたしは、他人とのコミュニケーションに必要なツールのような気がするね」
「ツール?」
「相手の気持ちを害さないよう、言葉遣いとか気をつけたり、表情を窺ったり、相手と仲良くなるためのツール……。周りにどれだけの気遣いを施せるかってのも一種の優しさというか……」
「仲良くなるための、か」
「でも相手の気持ちってわかりにくいものだよね。わからないからこそ自発的な優しさを自分から発信していかなくちゃ、他人とのコミュニケーションは成り立たない。それがなくなれば、喧嘩になっちゃう場合だってある。ま、最初から喧嘩するためにコミュニケーションを図ろうとする人もいるし、騙そうとする人もいるけど」
里音の考え方や、言っていることは、彼女の人間関係から説得力を感じる。人当たりがよく、女子間で繋がりを持つ人間も多い。彼女をアイドル顔負けと賛嘆するのは男子のみならず、女子にもいるくらいだ。そんな里音がこのような持論を展開させていくのも、その成り立ちからいって、自然に思える。
「やっぱりフロムサトは、色んな人と付き合うだけあって、言ってることもしっかりしてるよな」
晴太はそう感嘆した。ところが里音は眉根を寄せ、
「あんなの人間関係っていうか、あたしなりの防御態勢っていうか……」
「防御態勢?」
「傷つきたくないんだ。一人でいるのも寂しいし……。優しさとか、コミュニケーションを潤沢なものにするための、ある種の防御態勢でもある。相手の心を推し量って、先回りして、相手をいい気分にさせる……それも個人の才能っていうか……。でもクラスの人全員と仲良くなるのは難しいよ。ごみを捨てるために分別しようとすると、各々の性格から分別自体、めんどくさいって言って、分けない人も出てくる。みんなが皆、善人とは限らないし、優しさを施すことも、誰かにとっては迷惑なことなんだ……」
遠くを見つめるように話す里音だった。その表情から、里音も過去に誰かへ優しくしたことで、被害者に転じてしまったのかもしれない。
「何でそんなこと聞こうって思ったの?」
「父親が優しかったんだ。もう死んじゃったから、優しさのことを聞こうと思ってもわからない。だからフロムサトに聞いてみようって」
「あたしなんて自分のために他人に優しくする人間だよ。保身のために優しくしてる……」
里音は晴太の父親の死に対しては言及しなかった。それも彼女の優しさだろうか。
「俺なんかはそれもフロムサトのすごさだと思う。自分で気づいていても、人に優しくしているのは変わらないはずだろ?」
「でも、感づく人は感づくよ。あ、あたしこいつに利用されてるなって……。優しさと言っても、それに何を込めるかなんだろうね」
「何を込めるか、か……」
「玉ちゃんは何で朝掃除しようって思ったの?」
「俺は少人数でもいいから、気持ちよく誰かに勉強してもらいたくて始めたんだ。それも昔、父が見せてくれた優しさを自分ができるかってことになるんだけど……」
「偉いね。あたし、誰か掃除してくれてるなって気づいて、今日早く来たんだ。そしたら、千梨ちゃんと玉ちゃんがいて、ビックリした……それで……」
述べたあと里音は一瞬口を閉じた。そして再び話し始めた。
「あたしも一緒に掃除したいなって」
「歓迎するよ」
と晴太は思い切って、握手を試みようと手を差し出した。
手刀のような手の形。里音はそれを掴み自分の胸へと突き刺した。
「グサーっ。いってー!」
笑い合う二人。晴太は自分の考えを伝えた。
「人が人に介入することそのものが、煩わしいってことなんだと思う。だから優しくしても、迷惑だって思われたりするのかも……。きっと……信念なんだよ」
「信念?」
「相手を信じ、自分がずっと相手に優しさを振る舞えるか。誰かに何を言われようとも、優しさを振る舞えるか……。相手を信じることも含めて、それを持続させていく根気とか、勇気とか……そういう信念……」
ぱちん、と晴太は自分の膝を叩き、自分の中である回答を得た。
「そうだ、きっとそれなんだ!」
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