第二章 おもむろな接近⑤
放課後。冬に比べ大分日も伸び、淡いオレンジの光が教室を照らす。
黒いバッグを肩で背負って帰ろうとする明を、晴太は呼び止めた。
「さっきの何だったんだ?」
昼休み後の最初の授業で、明が幾人かの手を渡って届けた手紙のことだ。
「文面からわからんもんかな……」
明は顔をしかめつつ冷淡に述べた。
「アタシからの忠告だ。朝の清掃を知っているのは、浦和さんだけじゃないんだぜ?」
どうやら明も知っているらしい。
「忠告ありがとな。でも、珍しいな。お前からそんなこと知らせてくれるなんて……」
「前だったら面と向かって言っていたけどな」
「そ、そうか……」
言い淀む晴太。明の言う前とは、互いが恋人として意識していた頃の話だろう。あの関係が続いていたのなら、このような遠回しな伝えかたはしなかったかもしれない。
「他人との付き合い方を下手にしたのは誰のせいだっけ?」
「え……」と諭そうとしている言い方の明を思わず凝視した。
そうか、と晴太は胸中で得心がいった。
明は破れた恋心に多少執着を持っているのだろう。それはきっと自分のせいでもあるのだ。
晴太がそう考えていると、明はあっさりと別れの言葉を告げた。
「じゃあな……」
背を向けて明は教室から出ていった。
「女とはもう遊ばねーよ」
あれは小学校の高学年くらいのときだろうか。
「どうして?」
と晴太に問う明。
「つまんねーんだもん」
「どこがどうつまらないの?」
「知るか! とにかくもう女とは遊ばねー!」
背を向けて男子の一団に入っていく晴太。
……どうしてかな?
幼い頃からよく遊んだ間柄である晴太が、手の平を返したように関係を断ってきた。
……アタシのどこが悪かったんだろう……。
考えても全く思い当たる節がない。
次の日も昼休みに遊ぼうとか一緒に帰ろうとか、色々と試みたが、晴太は男子とつるんでばかりだ。
「アタシの何がいけないの?」
無理矢理問いただしたこともあったが、うるせーブス! と罵られたのを機に、晴太への気持ちは離れていった。
……そうか、アタシってもしかしたら、性格的に変なのかもしれない。
仲良くしたがる女子もおり、話しかけてくれたりなどしたが、中学に入ったのを境に、始めから自分に落ち度があり、それを無意識のうちに周囲へ向けていたとしたら、何とも恥知らずではないか、と思いを拗らせてしまった。
思春期が訪れたからというのもあっただろう。
不安定な時期に余計な思考が働き、明はクラスメイトと溶け込めなくなっていった。
そして現在。明は校舎を背に歩きながら、小さく舌打ちした。
――アタシがこんなんになったのは、お前が元凶みたいなもんなんだぜ、晴太。
うるせーブス!
その悪口を頭の片隅で思い起こしながら、晴太は箒で床を掃いていた。
――なんとなくそんなことをあいつに言った覚えがある……。
明の性格を改変させてしまったのは、もしや自分だったのか?
「あんた、あたしたちの班じゃないのに、何やってんの?」
突然近くにいた女子が言った。
男子三人、女子三人の班に、無関係な晴太が、三人の男子の留守中に一人、掃除をしていることを早くも指摘された。
「いや、俺がやりたいって言ったんだ。是非やらせてほしいと」
ふうん、と机を運び始める女子の一人。
もう一人の女子が言った。
「あんたさあ、一体何が目的なの?」
「いや、少しでも誰かが楽してくれれば、それでいいかなあと……」
「変わってる」と言って、晴太を睨み付ける女子。
「悪いけど先生には報告しておくから……」
「いや、ほんと、あんたらの班の男子は悪くないんだって。いじめでもなんでもなくてさ。俺から掃除やらせてくれって言ったんだ」
「だから、それが問題だっての」
強めに言われてしまうと、何も言い返せなくなってしまった。
そうこうしている内に誰が呼んだか、担任の黒沢が教室にやってきた。
整えられた黒い髪は中央でわけられており、恰幅のよい体つきをして、日中暑かったせいもあってか、額は汗でてかてかだった。
「掃除好きなのはいいけどさ、玉本?」
はい、と苦笑いし受け答える晴太。
「こういうのはよくないと思うんだ。大事なのは協調性だけど、皆で決めたこと、守らなきゃいけないことは、お前もやっていかなくちゃならない。それが社会においてお互いの立場を守る礼儀みたいなものなんだ。……お前まさか、脅されたりしてないよな?」
「脅されてません」はっきりと言い切った。
「まあ、あの三人にも今くらいの注意しとくからな? もし何かあったら遠慮なく言うんだぞ」
はい、と頷くと、
「今日はいいですよね、掃除……」
「まあ悪いことじゃないからなあ」
渋々折れたように、黒沢は承諾してくれた。
そうしてその日は、掃除を最後までやって帰った。
バイトを終え、食材を買って帰ると、以前来訪したことのある、コズミックリリーフの幹部らしき女三人が、居間で椅子に座り、母を囲んでいた。
「あら、お帰りなさい」
「学校、お疲れ様」
「今からご飯作るの?」
などと口々に言い出す女たち。
母も調子良さそうに顔色がよく、笑顔を見せながら、
「このあと来てくださるんだって。老師っていう人が」
「老師?」女性三人に会釈しつつ、買い物袋をキッチンに置き、そう問いかけた。
「五味秀哉様。教団内では老師って呼ばれているんだって」
あの父に似た男が、この家を訪れるということか。
掃除もなにもしてないな、と一瞬思い、
――別にしなくてもいいか? いくら父親に似てるからといって、そこまで気を使うのも変だろうか……。
その矢先、玄関のベルが鳴った。
ドアを開けると、そこに突っ立っていたのは、長い白髪混じりの髪を後ろで結い、眼鏡をかけた中年の男性だった。老師と呼ばれている人物と見受けられるが、スーツをしっかりと着こなし、表情はDVDを観たときよりも柔和で親近感がある。
中年男性のそれらパーツは、亡き父と瓜二つとまではいかないまでも、彷彿とさせる向きがあり、晴太には違和感なく父が笑んでいるように思われた。
「老師様……、これはこれは……」
室内にいた女性幹部たちは、次々と頭を下げた。老師こと五味は、彼女たちを視界に捉えたようで、
「ご苦労様。言っていたのはこのお二人で間違いないね?」
五味と一瞬目があった。
はい、玉本さんです、と女性幹部の一人が言うと、突然、母が玄関前にまで来て正座した。そのまま土下座し、
「ありがとうございます、老師様。こんな薄汚れた家にまで来てくださり、万感の思いです……」
言ったところで、傍にいた晴太の制服の袖を摘まみ、
「ほら、あんたも!」
咄嗟に晴太も頭を垂れ、
「あ、ありがとうございます……」
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