第二章 おもむろな接近④

 朝日を浴びながら、学校の校門をくぐる。

 自分の下駄箱に靴を入れ、上履きに履き替えると教室へと赴く。

 まだ千梨は来ていないように思われた。彼女の机にもバッグなど見当たらない。

 チャンスだ、と思いつつ晴太は教室の後ろにあるロッカーにバッグを入れる。他のロッカーにも千梨のバッグと思われるものはなく、ロッカーの脇にあった掃除用具入れを開けた。

 そこに箒片手の千梨が立っていた。脚の裏側にはバッグがあった。

 お、おう、と驚きつつ、晴太は状況からいって当然の質問を投げ掛けた。

「おはよう。こんなところで何やってんだ?」

「何でもないわ……」

「何でもないってことはないんじゃないか?」

 追求するも、千梨は眉ひとつ動かさない。

「玉本くんこそ早いのね。どういった用事かしら?」

「えっと、その……」

 口元を引っ掻きながら、晴太は思い切ってこう述べた。

「朝、教室の掃除したくてさ」

「玉本くんが?」

「ああ。浦和も早く来て毎日やってるんだろ?」

「あまり知られたくなかったんだけどね」

「そうか。……それは、なんでだ?」

「小学生の時に、他の人に目撃されて、ぶりっ子だって笑われたから……。気を付けようとしてたんだけど」

「俺は立派だと思うぞ?」

「そ、そう?」

 照れているのか、千梨は頬を赤くし視線を反らした。

「そんなことより、そこどいてくれる?」

 すまん、と謝りつつ、確かに掃除用具入れの前で立ち塞がっているなと思い、晴太は横にずれた。

 千梨は掃除用具入れから出ながら、

「あなたこそどういう風の吹きまわしかしら? 突然、掃除をしようだなんて、もっと周りのことに無関心かと思っていたけど」

「ちょっとな。父のことを思い出して……」

「玉本くんのお父さん?」

 尋ねた千梨は、その言葉ののち、はっと何かに気づいた。

 晴太はそうした千梨の仕草を察し、

「亡くなる前のこと色々思い出していたんだ。それでそういえば父さんは、誰に対しても、優しさと気遣いを振る舞う人だったなと思って」

 千梨の顔がしゅんとなった。それを見て堂々とこの世を去った父親の話なんてするものではないな、と思った晴太は、

「ごめんな。俺自身もう整理はついたことだと思ってたんだ。でも、最近になって色々とあったろ? 清川さんと知り合ったり、浦和と一緒に幸美のところへ行ったりってのもあってさ」

 明のナイスなアシストのことも忘れてはならない。だが、この場で語るには蛇足が過ぎるかもしれなかった。

「中学の時は、周りともまあまあ付き合いもあったけど、高校に入ってから、母の様子も看たりしなきゃならなくなって……」

「心の病だったかしら?」

「ああ……父を失ったショックで……。もう二年は経つけど、早く帰って家で飯作ったり掃除とかしているうちに、友達のことも薄れていって、恋人作るのもなんか違うなって思ってさ……。それでも清川さんや、こうして浦和たちと関わり持てて、俺ができることってなんだろうなって思ってたら、父が生前、誰に対しても優しかったことを思い出して」

 なるほど……、と千梨は納得したように言うと、

「こうして朝早くから掃除のために来ていたって訳ね?」

「そういうこと。だから今度からは、朝の掃除は俺がやるよ。浦和はゆっくり……」

 言いかけたところで、千梨は制止するように、手を前に掲げた。

「あら、わたしだって掃除したくてしょうがないのよ」

「したくてしょうがないのか……」

 清掃をしたい衝動に駆られてしまうという意味だろうか?

「だから、玉本くんだけにやってもらうわけにはいかないわ」

「そもそも浦和が掃除したくてしょうがないのはなぜなんだ?」

「わたしの場合、お婆ちゃんだったわ。昔から家の前の道を掃除したり、ご近所に畑でとれたものを配ったり……。加え、わたし自身、皆やこの学校が好きってのもあるの」

「博愛主義者か何かか?」

「さあ? あまり言葉で一くくりにしてほしくはないのだけど……。皆に気持ちよく学校で勉強してもらうなら、これくらいの面倒事、面倒じゃないわよ」

「どうしようかな……」

「何が?」

「俺もようやくやる気出せたんだけど先客がいるとなるとなあ……」

 ふふっと千梨は微笑んだ。微笑み方になんの淀みのない、純粋な笑みに、晴太の胸は一瞬高鳴った。

「一緒にやりましょうよ。手分けしてやった方が、わたしも助かるわ」

 千梨の言葉に、異論はないと思った晴太は、よっしゃ、と袖を捲る仕草をした。

「そういうことなら、俺も頑張るぞ!」

 まだ始業の鐘が鳴るまで一時間以上はある。静寂に包まれた教室に、晴太の逞しい意気込みを含んだ声は響いた。


「玉本くんだっけ?」

 昼休みに持参の弁当を平らげた晴太は、不意に後ろから声をかけられた。

 昨日、代わりに清掃をすると言って断った男子たちが、晴太に声をかけてきたのだ。

「そうだけど、何か?」

「いや、その、昨日は断って悪かったなと思って」

「俺たち今日ちょっと大事な用で、放課後すぐに帰りたいんだ」

 清掃を任される班は、一週間ずつの交代となる。昨日もカラオケに行きたいと話していたからか、今日もその理由とは違うのかもしれないが、相手の方から声をかけてくれたことに、晴太は嬉しく思った。

「おう、俺がやっておく。俺がやりたいからやらせてもらってるって言い訳でいいだろ?」

 話し始めてから無口だった男子が、嬉々として晴太の肩口を軽く叩き、

「すまねえな! こちらとしても助かるよ!」

 笑い合いながら三人の男子たちは教室から出ていった。

 午後の一番目の授業を眠たげな顔で受けていた晴太は、背中をつつかれた。

 振り向くと、うしろの席の女子から丸めた紙を貰った。

「あんた、二股でもしてんの?」

 ぼそっとその女子は言いながらきつい目付きだった。

 言っている意味がわからず紙を受けとると、前に向き直り紙を開く。

〈お前、ちょっとお人好しすぎるぞ。そんなんじゃ、この教室でも悪さをする連中に目をつけられるだけだぜ?  明〉

 ――あいつからか……。

 明の席を一瞥すると、授業に意識を戻した。

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