第一章 かしましい⑤

 夕方近くまで、幸美と話した。

 医師も経過は順調だと言っていたらしい。大変なのはリハビリだそうだ。

 上手く歩けるようになるまで、苦痛を強いられ、非常に忍耐力も必要とのことだった。

 晴太としてもその支えになるよう尽力したいと申し出たが、帰り際、先に病室を出た千梨のあとを行こうとした晴太を、幸美は呼び止めた。

「ごめんなさい。勝手なことばかり言うかもしれないけど……」

 深刻な表情だった。晴太は幸美が何を言おうとしたか、心を読まずともわかった。

「私とはもうあまり関わらないでほしい」

 なぜ、と晴太が問うと、

「はれくんの人間性を否定するとかじゃないんだけど……。その……。私、こんな状態だからもう前みたいに付き合うの、難しいって思ってて」

 晴太は黙って聞いていた。幸美の言葉に否定もせず、肯定もしなかった。幸美は続ける。

「これ以上、はれくんに迷惑かけられないし、正直こうして来てもらっても、いい気分じゃなくて……」

 晴太は幸美の心積もりを読まずとも、彼女の本心は先刻言っていた看護師のことに及ぶのではないか、と思っていた。

「わかったよ」

 晴太は鷹揚に頷き、微笑んで見せた。

「幸美がそう望むなら、俺はそうする。でも最後に、さっき言ってた曲を調べるのはやらせてくれないか?」

 いいよ、と幸美も笑みを見せてくれた。

 千梨が付いてこない晴太を気にしたらしく、病室に顔を覗かせた。晴太はそれに気づき、

「今行くよ。じゃあな……」

 片手を掲げると、幸美も応えるように、手を小さく振った。


 帰途に就いた晴太は、電車の中で幸美の言っていたことを千梨に伝えた。

「前のあなたたちは、将来的にもいい方向に行くんじゃないかって思っていたけど……」

 残念そうな顔をして千梨は俯くと、視線を晴太の方へ動かした。

「玉本くんはそれでいいの?」

「あいつの意見を尊重する。ほんとはもっと世話してあげたかったんだけどな」

「玉本くんだって、好きだったんでしょう? あの子のこと……」

「事故の前とか直後のときはな……。俺にも罪悪感はあった。たい焼き買うの我慢させればよかった、とか。あいつだけが不幸にあって、俺だけ高校生を満喫してる……。なにも感情がないのは嘘になる……」

 せめてもの罪滅ぼしで、幸美に嫌悪されても色々と世話をしてやりたかった。そういう本音も懐にしまっていたが、こうして千梨に伝えると、改めて、自分の味わう自由と幸美の得ている不自由を何とかできないものか、と考えてしまう。

 千梨は小気味よく揺れる電車内でじっと晴太に見入っていた。

「好きだったのは間違いない……この二ヶ月でその感情も色褪せていったんだ。なぜかって言うと上手く言えないんだが」

 最終的にそんな結論に行きついた。それも晴太の心の内だった。だから、幸美の言い分も受け入れてやりたかった。それが二人の恋路をわかつことになろうとも……。

 千梨はふう、と小さく息を吐いた。

「あなたの中で整理がついたのなら、幸美へのこだわりはもう持たなくてもいいんじゃないかしら? こうして正直に打ち明けてくれて、わたしも安心したわ。いつまでも過去への贖罪からか、あなた、高校生になっても、友達を作ろうともしなかったし、楽しいことから避けてるようなあなたが、もし幸美への罪滅ぼしからそういった行動に出たのなら、わたし、あなたのこと馬鹿みたいだって思ったの。嫌いっていうかそんな感情さえ抱いていたわ……」

 そうか、と晴太は心で納得した。だからこそ自分を影で嫌っていたのか。……だとしてあの声はやはり自分には特殊な力でもあるからこそのものだろうか……。

「清川さん……」

 その名を呟いた千梨に、晴太は一瞬どきりとした。

「あの人の思い受け止めてあげて。もう知ってるんでしょう?」

「昨日デートしたんだ」

「もうそこまで進んでいたのね?」

「別れ際に、これっきりにしようって交際を断った……」

「どうしてそんなこと……」

「色々と俺にも都合がな……」

「あなたって同性愛者じゃないんでしょう?」

 そうだけどな、と晴太は肯定した。そして嘘をついた。

「好みのタイプじゃなかったんだ……」

 それを聞いた千梨は、もったいないわねえ、と嘆息をつくと、駅まで無言でいた。


 帰宅し、買ってきた食材をキッチンにあるテーブルの上に置くと、居間にいる母に目をやった。母は居間で横になりながら、イヤホンをしてアニメを観ている。

 爆発している場面だったので、日曜の夕方にヒーローもののアニメなんてやっているのか、と思いつつ、別室の仏壇の前で正座し合掌した。

 瞑目しながら、晴太は幾度となく自分に降りかかる火の粉を思い起こしていた。

 母の病。生活面での安定も、この先順風であるとは限らない。加え、自分の謎めく能力のようなものが、病である可能性もある。どこかの誰かがこれ以上の問題を抱えることがあろうとも、玉本家に訪れた不幸であることに変わりはなかった。

 ――どうしたら、この問題と真摯に向き合い、解決できるか……。

 思いつつ、母の寝息が聞こえる居間から、小さなノイズ音が仏壇の前にいる晴太にまで届いてきた。

 見ると母が寝転がり、眠っている。横になった反動でイヤホンが外れ、テレビの音が漏れていたのだ。

「母さん、そろそろ飯だから寝ないでね……」

 と仏壇の前にいながら、居間へと顔を覗き込ませるも母は寝たままだ。

 電気代が気になるので、立って居間まで歩く。

 テレビの下のDVDのデッキが光っているのを見、アニメがどこかのテレビ局のものではないことに気づく。

 リモコンの停止を押し、ディスクを取り出すと、白い盤面にシールが貼られ、そこには「コズミックリリーフ」と記されていた。

 先日はテレビを消したあと、デッキが点いていることに気づき消した。内容からいって、映画か教養を深める映像などと思ったが、どうやらそういったものではなく、レンタル店から借りたものではないようだ。

 そのときは、あまり追求をしようとは思わなかった。

 それは今も同じで、夕食を作らなければならず、学校から課題も出ていた。食後は食器を洗ったり、風呂を入れたりしている内に、すぐに就寝の時間になってしまい、謎のディスクのことは頭から離れていた。

 母も調子が悪いことが多く、あまり会話などしない。飯できたよ、風呂入りなよ、などといったやり取りがほとんどだった。

 ベッドで横になりながら、日中聴いた幸美の鼻歌を忘れないようにと心でフレーズを繰り返していた。

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