第一章 かしましい③
土曜日の十一時に、駅で里音と待ち合わせした晴太は、今日の天気がやけに強い日差しを放っているのを感じ、パーカーでは暑いかもしれないと思うのだった。
改札から里音が出てきたのを見ると、その出で立ちから普段とは異なる彼女に、内心舌を巻いた。
「どうしたの? 驚いたような顔して……」
「ああ、いや。普段は制服だから、一瞬誰かと思って」
「ああ、これ?」
青いジージャンに黒いシャツと白のロングスカート。少し化粧も施しているようで、赤いルージュが気合いの入れ具合を物語っている。
「似合う?」里音が微笑む。
「似合ってるよ」と晴太も少し笑みを浮かべた。
学年で随一の美少女、そう評価する男子もいるくらいだ。デートという感覚でいいというのなら、里音の美貌を一人占めしているのと違いはないだろう。ところが晴太はそれとは裏腹な気持ちを秘めていた。同じ学校の同学年の生徒に見つかれば、噂になりそうで嫌だったからだ。
映画館へ向かいながら、里音が軽快な足取りであることに、それほど楽しみにしていたのだろうかと思った。
「玉ちゃんて」里音の声音も、どこか楽しげだ。
「映画とかあまり観ない?」
「子供の頃、ハリー・ポッターにはまってた」
「あー、洋画が好きなんだ」
「フロムサトは?」
「あたしはどちらかと言うと、インド?」
い、インド? と歌や踊りのシーンが多数あり、本編も長大と聞くあの特殊な映画を思い浮かべる。
「戦って歌って歌って戦うみたいな……。ああいうのってインドでは普通らしいし、日本ではあらかたカットされてるみたいだね。ロボットっていう映画しか観てないんだけど、あのはっちゃけぷりが、あたしは好きなんだよね」
その一作品しか観てないということからすると、どうやら映画に詳しいわけではなさそうだ。率直にそれを伝えようとしたが、晴太はあえて聞き流した。
「でも今から行く映画は邦画だぞ?」
「そう。邦画も洋画も好きなのでした」
めでたし、めでたしと付け加えても違和感のないような言い方だった。
「今ヒットしてるみたいだから、気になってね。洋画がよかった?」
「いや、そんなことないよ」
「マイフェイバリットムービーはある?」
「そうだな……。黒澤明の『生きる』かな……」
「古いし、奇をてらってるし、映画通自慢してるみたい」
笑みを見せる里音。奇をてらっているのは図星と言えば図星だが、このタイトルを口にしたり観たくらいで映画通を名乗るのは浅慮だろう。晴太はふと我に返った。
――こんなに楽しんでちゃいけないんだよな……。断じてお付き合いは拒否しておかないと……。
微笑みの仮面を被りながら、心では偽るというのも罪深い。そんな罪悪感があっても晴太の気持ちは変わらなかった。
映画を観終え、バーガーショップでポテトをつまみながら、ジュースを飲んだ。
「まさか、主人公にあんな過去がねー」
感心する里音。Lサイズのポテトを二人で分けて食べていた。
「良くあるパターンだけどね。でもあそこでテロリストが出てきて、銃撃戦をするのも、タイトルからして意外だったな」
「タイトル詐欺だよー」里音は頬張ったポテトをコーラで飲み込みながら、
「純愛ものかと思ったのに……」
「俺もそれは思った」
「ちょっと手貸して」
急なスキンシップを所望してくるのは、やはり恋心を抱いているからだろうか。
晴太は、掴まれた右手に里音の手の感触を感じながら、彼女は晴太の手を握り拳にした。
そして突然それを自分の頬にめり込ませた。
「ぶうわああああ……」顔を歪ませのけ反る里音。
「何してんの⁉」
その挙動は意味不明だった。里音はそっと晴太の手を机の上に置き、
「年の離れた弟がいるんだ。六歳くらいの」
たしかに離れてるね、と晴太が述べると、
「特撮とか好きだから、たまにあたしが怪物の真似するんだけどね」
美少女が怪人の真似をする……、見てみたいものだが、幻滅もするかもしれない。
「必殺技は『ぱんちきっく』っていうんだけど」
「両手と両足を同時に出すのか?」
「そうすると立ってられないから片足は立ったままなんだ」
「普通にパンチとキック分けて出した方が強くない?」
「欲張りなんだよねー。よく食べるし。わがまま言う子だから。でもあたしは負けたふりするよ」
「台車か何かに乗せて両手両足を前に出せば、真のぱんちきっくになるんじゃないか?」
「真のぱんちきっく……今度試してみよう」
そんな他愛もない会話をしながら、三時まで時間が差し迫っていた。
「そろそろいいかな?」
「あ、バイトだっけ?」
うん、と頷きトレイを持って立ち上がる。
「よかったらまた行かない?」
との里音からの質問には答えず、空の容器などをゴミ箱に捨てると、バーガーショップから出た。
駅まで見送る形になり、晴太は駅を背に振り返った。そのとき、里音はもう一度問いかけた。
「ね、よかったらまた行かない?」
ごめん、と晴太は低頭した。
「これっきりにしてほしい」
「どうして?」
「今、どうしてもやらなきゃいけないことがあるから……」
「バイト?」
「いや」
「他に好きな人がいる?」
「……違う」
「あたし、何か色々ダメだった?」
「そうじゃない」
「幸美さんのこと?」
里音のその言葉のあと、晴太は唇を引き結び、小さく頭を振った。
「それ誰から聞いた?」
「いや……。たまたま廊下で浦和さんと話してるのを聞いただけ……」
「それも違うよ。理由はごめん。言えないんだ。かといって体のいい嘘もつけないっていうか、下手なもんで……」
だからごめんね! 謝罪すると里音に背を向けて歩き始めた。
晴太の頭の中ではすでにスーパーでレジを打つ想像をしていた。
背から離れた場所で一人、駅の雑踏に紛れた里音がいる。
こちらをじっと見つめているのか、俯いて泣いているのか、身勝手な自分の行いに憤慨を募らせているのか。
そんな想像を、レジを打つイメージをする傍ら浮かべていた。
スーパーでの労働を終え、帰路につく。
紅い夕陽がすでに夜を招き入れようとしている。自転車で滑走していると、大きな影を伸ばす都営団地が見えてきた。いくつもの部屋が明かりを点し、夜の景色に変わりつつあった。
エレベーターに乗り三階でおりると、点けられた通路の電灯の中に、蛍光灯が切れかかっているのを見つけた。チカチカと音を立て点滅するのを尻目に、角の部屋の自宅に到着する。
鍵を開け扉のノブを引き、ただいま、と帰宅を告げ、玄関に入る。
晴太の自宅は3LDK。風呂とトイレも完備されている。三部屋とも床は畳で、玄関を入って、前の部屋は客間、その奥が母の寝室で壁を隔てた隣が晴太の部屋だった。
自室に行き、制服を脱ぐと部屋着に着替え、夕食の支度をする。
リビングにはテレビとちゃぶ台があり、そこに母の姿があった。
ソファに横になり、眠っているようだが、テレビはつけっぱなしだった。
画面を見ると、宇宙の映像だった。母はイヤホンをしたまま眠ってしまったようだ。教育テレビか何かの、子供が興味を抱きそうな宇宙にまつわる番組だろうか。
「母さん、ただいま」
うーん? と薄く目を開ける母、友美は晴太の声に目覚めたようだが、まだ眠いようだ。
ショートボブの髪は白髪染めもせず、黒髪に白線が混ざっている。口もとのほうれい線が目立ち、それを友美は気にしていないようだった。出掛けることもたまにあるが、遠方へ行ったりなどはせず、自宅近辺のコンビニに立ち寄ることが多かった。友美はそのときも素っぴんのままだった。
友美はふらふらと立ち上がると自室へと戻っていった。
「今から飯作るからね。少し休んでてくれ」
はいよー。と小さな返事がふすまの向こうから聞こえた。
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