第8話
まだ朝の8時だというのにも関わらず、太陽光が容赦なく肌を刺す。歩けば歩くほどに太陽から受けた熱が身体に溜まっていくようだ。
昨日の夜は、楽しみな気持ちと緊張でよく眠れなかった。そのせいもあり少しだけ眠い気がするけれど、彼女のことを考えると眠気なんてどこかへ飛んで行って自然と口角が上がってくる。
彼女を一目見るだけで頭のてっぺんから足の指先まで、全身が「幸せ」で満たされる。部室ではじめて彼女を見たとき、そのときは彼女の容姿に惹かれた。でも、今は違う。彼女の外から見えるだけの姿も、関わってみないと分からない彼女の心の姿も、全てに惹かれている。彼女と関われば関わるほどに、どんどん惹かれていく。
早く先輩に会いたい。
待ち合わせの時間は8時30分。駅までかかる時間はあと5分。計算上では25分間待つことになる。しかし彼女は性格上いつでも集合時間の10分前には到着して待っているため、実際はそんなに待つことはないだろうと思う。
今日は二人で出掛ける初めての日。俺から誘ったからにはしっかりと彼女をリードしたい。待ち合わせするのなら彼女よりも早く着いておいて、彼女を待たせる時間を作りたくない。どうでもいいことかもしれないけれど、そんな些細なことであっても彼女の前では格好つけておきたい。
今日、一緒に訪れる場所で彼女はどんな表情を見せてくれるんだろう。大好きな動物たちを見てワクワクしている表情かな?可愛い動物を見て癒やされている表情かな?
それとも、、、俺と一緒にいることで耳や頬を少しだけ赤らめて笑う表情かな、、、?
どんな表情でも彼女の幸せそうな様子を見ることができれば、そんなに幸せなことは他にはあまりないだろう。でも、欲を言うならば頬や耳を赤らめた彼女が見たい。意識している相手にしか見せないであろうこの表情をいつか彼女が見せてくれたらそれ以上に嬉しいことは他にない。
***
約束の10分前。
日差しの熱をも跳ね返すような爽やかな空色のワンピースに耳元で小さく揺れて光を反射して煌めくイヤリング、身につけているものたちに合わせて施されたヘアアレンジ。
肌を刺すような太陽光さえも跳ね返すような美しく、爽やかな彼女の姿。思わず彼女に見とれてしまった。
「おはよう、あきくん………どうしたの?もしかして私の服···もしかしておかしい?」
先輩がいつもに増して美しくて綺麗で、つい見とれすぎてしまった。落ち着け、自分。
「いえ!違うんです!ただ、、、」
「…ただ?」
「きょ、今日のすず先輩、とっても綺麗だな……と思って…」
「ふふふっ…照れるなあ……ありがとう」
か、可愛い…照れてる先輩可愛い……
まだ本来の目的地に到着していないのに既に幸せが溢れている。先輩と一緒にいると幸せの沼にはまって溺れてしまいそうだ。でも先輩のおかげで沼に溺れられるのならそれはそれで幸せなのかもしれないなあ。
「次の電車は……あ、ちょうど来たね。電車に乗るの久しぶりだな〜最近はあんまり電車で遊びに行くこともなかったし、すごく楽しみ」
電車に乗ると、ちょうどボックス席が空いていた。先輩と向かい合わせで座ることのできる席。大好きな彼女をいつでも見つめることのできる席。それにボックス席に座ると大きな窓から外の景色がよく見える。
「すず先輩、あそこ、座りましょう」
「うん」
「先輩はどうして電車に乗るのが好きなんですか?」
「うーん、あんまり理由はないからどうしてかって聞かれるとちょっと難しいんだけど、多分昔、家族旅行に行くときはいつも電車を使ってたっていうのが大きいかな。私の父親が鉄道オタクで家には車があるのに家族で外出するときだけはいつも電車で行ってたの。快速でも新幹線でもなくて各駅停車の電車でね。小さい頃はもっと早く到着する方に乗ればいいのにって思ってて電車の良さなんて分からなかったんだけど、高校生になって久しぶりに電車に乗ってみて、『ああ、なんかいいな〜』って思ったの。そのときからかな、電車に乗るのが好きになったの」
「そうなんですか、先輩の電車好きはお父さんの影響からなんですね」
「でも私は父親みたいに車両とかには興味なくて、『乗る』っていう行為自体が好きなだけなんだけどね」
***
「電車、混んできましたね」
2メートル向こうにお孫さんらしき子どもを一人連れた老夫婦がいる。ここの路線は揺れが多いし、もしこれから用事があるんだとしたらお年寄りにとっては大変だろう。
ボックス席は4人掛け、今、このボックス席には空席が1つ。もし、3人で座ってもらうとすれば俺と先輩が席から離れなければならない。
「先輩、あそこにいる老夫婦とお孫さんに席を譲ってもいいですか?そのためには先輩も立たないといけなくなってしまうんですけど…」
「もちろん、全然大丈夫だよ!」
「じゃあ、声、掛けてきますね」
「あの、よかったら、ここ、座ってください」
「ありがとう、助かるよ。じゃあ、ありがたく座らせてもらおう、母さん」
おばあさんは少しだけ足を引きずって歩いていた。
「ありがとう、お兄さん、お嬢さん。実は私、そんなに大きな病気ではなかったんだけど、退院したばかりで立ってるのは少ししんどかったの。おじいさんからは空いてる席に座った方がいいと言われたのだけど、おじいさんも孫もいるのに一人だけ座ってみんなと離れるのはなんだか気が引けて座れなかったの。だから譲ってもらえて助かったわ。ありがとう」
先輩の方を見ると彼女もにっこりと笑って嬉しそうな表情を浮かべていた。
「いえいえ、お気になさらないでください。ね、先輩」
「はい、お気になさらず」
「ほら、こうくんもお兄さんとお姉さんにお礼言ってね」
「お兄ちゃん、お姉ちゃん、ありがとう!」
こうくんと呼ばれたお孫さんと同じ目線に立って先輩は言う。
「おじいちゃんとおばあちゃんのこと助けてあげてね」
「うん!」
「はっはっは!頼もしいな、こうくんはおじいちゃんとおばあちゃんのこと、助けてくれるのか。ありがとう」
おじいさんが俺に「耳をかして」、と手招きする。
「君、お嬢さんのこと、ずっと大切にしてあげてね。人を大切にすることで自分も人から大切にされる。そうやって誰かを大切にすることで相手との間に『愛』っていう自分と相手を繋げる輪っかができていくんだよ。だから、もし、いま彼女のことが好きなら彼女にどんなことがあっても、これからもずっと大切にしていくんだよ」
「はい!ありがとうございます。ずっと大切にします!」
おじいさんは微笑んでうんうんと軽く頷いた。
「あきくん、おじいさんとどんな内緒話をしたの?」
先輩はニヤニヤしながら顔を近づけて俺にそう問うた。
「すず先輩にはいまは内緒です。いつか俺が言われたことを実行できるようになった時に話しますね!」
「いつかな〜?楽しみだな〜ふふふっ」
この笑顔を守りたい。
いつか、俺たちの間に輪っかができる日は来るのかな。遅くても早くても、いつかできたらいいな。
はじめて彼女を目にしたとき、風が吹いた やなぎ @yanagi77
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