ウソツキヒツジたちの沈黙
ミツ
ウソツキヒツジたちの沈黙
「嘘つきばかりで嫌になるぜ」とヨシちゃんは言った。彼女は、心がめちゃめちゃに壊れるくらいひどい嘘をつかれたのだとひどく怒っていた。ヨシちゃんからの
たしか海が見たいとヨシちゃんが言ったから、
ごうごうと風がうるさくて、話の半分も耳に入ってこなかった。
波が寄せては返すように、荒い鼻息が聞こえていたことを覚えている。「まったくあいつらときたらよー」とうそぶきながら、あのときヨシちゃんは泣いていた。
***
朝、
――恒星間巡航船ユースフがターツェンの軌道エレベーターに着艦しました――
ユースフにはお父さんが最後に世話したヒツジたちが乗っている。宇宙を巡るヒツジたちのことはお父さんが死んでしまった後でも――死んでしまった後だからこそ――私の記憶に強く残っている。
モニタ越しに小さくなっていくユースフを見送りながら研究者であるお父さんは言った。
「長い旅を終えて戻って来た時、私の宇宙ヒツジたちは私のことを覚えていてくれるだろうか?」
「宇宙ヒツジ?」
「宇宙に出たヒツジを呼び表す言葉を私は他に知らない」
「じゃあ、宇宙船に乗り込んだ人は、宇宙人になって帰ってくるの?」
お父さんは、私の肩に手を置いて大口を開けて笑った。
「お母さん、ユースフが着いたみたいだよ」
お母さんはリビングの入口に寝転がり、うんともすんとも答えなかった。気だるそうに足だけが動いて、はだけたスカートの奥に重力にたるんだ太ももが覗く。ゆらゆらと光の模様が踊って、リビングのカーテンが開いているのがわかった。ターツェンの乾いた秋風が少し寒かろうと思ったけれど、しゅうしゅうと湯の沸いた音に呼ばれてキッチンに戻った。
「お母さん?今から宇宙港に行ってくからね?」ともう一度声をかけたのは、出かけの準備がすっかり整った後だった。かかとを踏み潰した靴に足を突っ込むと、指先でかかと部分を引き上げる。背中越しに見えるキッチンは明かりを落としたせいで混ざりの悪い味噌汁みたいに濁っていた。シンクに並んだ食器からぽつりぽつりと水が垂れて、何だか急かされている気持ちになる。私は答えが返ってくるのを靴ひもを結び直す振りをしながらじっくりと待った。
「お母さん?」
十五秒。
それから、私をお母さんと呼ぶのはよしてよと彼女は答えた。それは寝言のようにも聞こえなくはなかった。
左の靴紐を力強く結んで、ばっとドアを開けた。いってきますは言わなかった。代わりに開け放ったドアをそのままにして、風を引き込む強さに任せた。閉まるドアから吐き出された空気は、まるで私の言葉を代弁するように勢いよく唸る。わざと音を立てて階段を駆け下りる。
私はヨシちゃんの言葉を思い浮かべる。
ノーウェイ、とヨシちゃんはよく口にしていた。彼女曰く、なんてことないさを意味する言葉。私はたぶん違うと思いながらも、彼女に合わせて同じ言葉を同じ意味合いで使う。
「ノーウェイ」と私は空を見上げてつぶやいた。
きゅおん――とヴィークルはいつだって間抜けな犬みたいに起動する。アパートの敷地を抜け出すと、どんよりとした気持ちに少しだけ晴れ間が覗いた。ぎゅんぎゅんと雲が流れていく。びゅんびゅんと鳴るヴィークルの駆動音は風の音よりもリズミカルだ。ターツェンの宇宙港から空へと上る軌道エレベータは天界から垂らされた蜘蛛の糸のように宇宙へとまっすぐに昇って、あっぱれの秋晴れによく映えている。エレベータのケーブルを見て、蜘蛛の糸を連想するのはジャパニーズくらいだと言われたことがあるけれど、私はチャイニーズだって同じように感じるんじゃないかと思っている。
晴れ渡る空、白い雲。この寒空の下、海岸では宇宙工科の学生たちが楽しそうにはしゃいでいる。本当なら私はあの中の一人になっていたかもしれないと思うと、心の中は複雑だ。あばら骨が浮かぶほそっちょろい体が枯れ木のように海に浮かんで、お姉ちゃんの連れてきた婚約者を思い出させる。シキロウさんはお父さんにそっくりだった。ひょろっとした体と、くしゃくしゃのくせっ毛。似ていないのは、瞳の色と、だぼっとした目尻。お姉ちゃんは、優しそうな人でしょうと言った。私は曖昧に微笑んで、そうだねと答えた。シキロウさんは私を見て、お姉ちゃんにとても良く似ていると言った。その答えが何だか気持ち悪くて、私はだんまりを決め込んだ。数日後、二人が新しい家に帰るまで私は彼とまともに話をしなかった。
道は大きく弧を描いて海を離れていく。最後の曲線を気持ちよく走り抜けると、目の前にはトンネルが大きな口を開けて待っている。オーブンレンジを思わせるオレンジの光がチカチカ瞬く。
びぃーん――とヴィークルのエンジン音がこだまして、オーブンの中で本当に焼かれている気分になる。胸が詰まって、息が苦しい。オーブンにはあまり良い思い出がない。お姉ちゃんとお母さんが大げんかをした日、その日はお姉ちゃんの誕生日で、お母さんは朝から料理の準備に大忙しだった。私はお姉ちゃんの部屋と台所を往復しながら、お姉ちゃんのベッドに潜り込んだり、ダイニングテーブルの下に隠れたり、誰からも見えなくなるごっこをして一人暇をつぶしていた。私は誰からも見えないオバケで、風もないのにカーテンが揺れたり、じゃがいもが野菜カゴから転がったり、靴が左右あべこべになったりするのは全部オバケのせいだった。だからいたずらが見つかっても、お母さんは気を悪くしたりしない。ましてや怒鳴ったり、手を上げたりしない。だってそれはオバケのせいなんだから。あの日、私は何も見ていないし、何も聞いていない。私はオバケで、自分の姿が見えないのだから他人の姿だって同じように曖昧なんだ。お姉ちゃんが私にぶつかって、そのせいで柱におでこをぶつけたのもしょうがないし、お母さんが私を慰めてくれないのもしょうがない。二人が繰り広げた銃撃戦のような口論は、家の仲のいろいろな物を破壊した。お姉ちゃんは、母さんは何にもわかってないと言って家を飛び出した。お母さんは電池の切れたロボットみたいに呆然と玄関を眺めて、やがてキッチンに戻っていった。私は痛むおでこを押さえなからお母さんの後を追った。キッチンには甘く香ばしい匂いが立ちこめていた。お母さんは、唇を引き結びじっとオーブンレンジを眺めていた。オーブンの中でぐるぐる回るケーキの生地を眺めながら、オレンジの光に焼かれているように見えた。お母さん、と私はたまりかねて呼びかけた。それはオバケのルールから外れることだった。お母さんは私をまっすぐ見つめ、それからあんたなんて知らないと言った。
ビッビッ――とオレンジの明滅が途切れてトンネルを抜ける。ぶわっと背の高い木々が視界に飛び込んで、合間に覗く空のすっと抜ける感じが、私を息苦しさから解放する。ヘルメット越しに森の匂いがして、ヘルメットを思いっきり投げ捨ててしまいたい衝動に駆られる。
ある日、ヨシちゃんは言った。
「あたしは
ヨシちゃんは確かによくしゃべった。
「キョーカ聞いてる?」とヨシちゃんはたまに草木の合間から手を掲げる。聞いてるよ、と私が答えるとヨシちゃんはまたしゃべりはじめる。私は無理に追いつこうとしない。草木にその姿が隠れてしまっても、ヨシちゃんの声がする方に歩いて行けば彼女を見失うことはあり得ない。
でも、ヨシちゃんのトークが軽快なのはオーディエンスが私一人だけの時だ。教室では彼女の声はとてもちっちゃくなる。どんなに面白いネタを仕込んできても、小声でぼそぼそ話すから、誰も彼女の話を聞こうとしない。
「ノーウェイ」とヨシちゃんは言う。
私も彼女に合わせてノーウェイと答える。
――検疫の進行は牧羊区画にて大幅な遅延が発生しています。遅延は12%以内に留まる見込みです――
お父さんの宇宙ヒツジを実際にこの目で見たことはない。それは話に聞くかぎり、大きくて、柔らかくて、のんびり屋で、ちょっと臭い。私はお父さんの語るヒツジしか知らないけれど、ヒツジが大好きだ。ヒツジを見ると、いつもあったかい気持ちになる。それはきっと一緒にお父さんを思い出すからだと思う。でも、どんな物事でもそうであるように、良い思い出ばかりに彩られているわけじゃない。その日、誰に悪意があったわけでもない。それは分かっている。でも、バカな男子がメェメェとヒツジの鳴き真似をして、教室のみんながゲラゲラと笑ったから、そういう雰囲気になったんだと思っている。その流れで、誰かが私の事をヒツジ女と呼んだ。教室で巻き起こる笑いに応えるために、ヒツジ女は薄ら笑いを浮かべながら、メェと鳴いた。
教室がどっと沸いた。
私は産まれて始めて死にたい気持ちになった。
あの時、ヨシちゃんだけが私を笑わなかった。
森の切れ目でハイウェイと合流する。片側六車線をまたぐアーチを滑走する。道は空いているけれど油断はできない。左側の二車線を大型のコンテナトラックが怪獣のような喉声を上げて走り抜けていく。私のヴィークルなんてほんの豆粒のようだ。次々と視界を横切っては消えていくコンテナトラックの車体には赤の背景に白抜きでWAX-TRAFFICのつまらない文字。昔お母さんと映画館で食べたポップコーンのパッケージを思い出す。
ポーン――と軽快な音が頭に響く。速度超過の警告を無視してアクセルを思いきり回す。風を避けるために体を車体に押しつける。『ようこそ』と世界各地の言語で代わる代わる瞬くターツェン宇宙港の巨大な電光掲示板まであと僅かだというのに、軌道エレベータの糸は代わり映えなく青空を二分して、ちっとも近づいた感じがしない。
宇宙港の敷地をまたぐ前に道をそれる。
ヴィークルを停めると、
「もしもし」と私はスピーカーから流れる艦内放送に向かって話しかける。
「もしもし、誰か聞こえてますか?」
ざぱん――と波が答えて、潮の飛沫をかぶる。堤防は途切れることなく海をなぞって、ごつごつとしたコンクリートの岩肌には、砂浜は遠く離れているのに、風に合わせてさらさらと細かな白い砂が揺れている。波がテトラポットに阻まれてブロックの隙間から水の柱を送り込む。海がちりぢりになって、磯の匂いが鼻に届いた。海を眺めるのは好きだけど、磯の匂いは好きになれない。昔は、思わず鼻をつまんだ。でも、鼻をつまんでいては、うまく呼吸ができなかった。
「ごめんね忙しくってさ」と私はつぶやく。言葉がモクモクとヒツジのように漂い出て、私の肩口に留まる。
「出ようと思った瞬間に切れちゃってさ」とつぶやくと、またヒツジが一匹増える。
「時間ができたらこっちから
「
「ちょうど声が聞きたいと思ってたとこ」
私の周りはみるみるヒツジたちでいっぱいになる。ヒツジたちは雲のようにほわほわと物憂げに漂っている。息をふぅと吹きかけてみても、ヒツジたちは一向に消えてくれない。
――南C5の搬入出区画で補給艦接舷のための気圧調整が…――ヘルメットを抱き寄せて
引っ越しの前日、空はどこまでも続いているんだぜって訳知り顔でヨシちゃんは言った。海もそうだよ、と私が言うと、ヨシちゃんは「いや、たしかに、でもあたし海、ほら見たことないからさ」と顔を赤らめた。
ターツェンの海は磯の匂いが薄い。宇宙港開発で海の生き物が半分近く死んだせいだ。ハイウェイは埋め立てられた土地の上にあって、堤防の上から覗き見ることのできる海の底は真っ平らなコンクリでできている。まるでテーマパークに造られた見せかけの海のよう。海が空と同じように繋がっているなんてどうして私は言ったのだろう。たとえ、すべての海が繋がっていたところで、ヨシちゃんには届かない。
ブーッン――と
テンッ――と短い音がして
>> あれ、もしかして移動中?連絡くれー!
私は強ばった身体の力を解いて、ヨシちゃんと繋がる空の一点を見上げた。
「誰とも話したくない」と言うと、ようやく私の周りからヒツジたちが消える。
「まだユースフの人たち降りられないんだって」と私は家に帰るなりお母さんに言った。お母さんは、うんとかそうとか短い返事をした。本当は返事なんてしなかったのかもしれない。鍋のぐつぐつ言う音がうるさくて、声が聞き取りづらかった。
部屋から着替えて出てくると鍋の火は落とされていた。お母さんはキッチンに置いてある小さなモニタでつまらなそうな番組をつまらなそうな顔で眺めている。今日の夜ご飯どうしようかと声を掛けると、今度ははっきりと反応が返ってきた。机を指先でばらばらと叩くのは私に構うなの合図だ。調理を引き継ごうと鍋の蓋を開けると、もわっと広がった湯気の下には、ぬるくなりかけたお湯が揺れていた。シンクには乱切りにされた野菜が水を張ったボールに溜まっている。鍋の火を付け直してしばらくすると、お母さんはこっちを見ないで「放っておいて」と言った。
>> ユースフ?
部屋に戻るとヨシちゃんから
>> 見えた?
まだ降りてこないと一言返す。
>> 見える?
ヨシちゃんの
部屋の中心に立って、薄っぺらい照明の光を浴びる。スリガラスに映る夜は何度もスプーンで削られたコーヒーゼリーみたいだ。ポスターを飾った痕跡が、ぶつぶつの穴になって壁にあいている。私が何かしたわけじゃなくて、前の住人が残した跡だ。部屋はほとんど空っぽなのに空っぽな感じがぜんぜんしない。お気に入りのぬいぐるみも、好きだった絵本も、前の学校の制服も、昔の物は全部、机の引き出しにしまってしまった。私はこの部屋のベットを借りるばつの悪い寄宿人のように、部屋の隅で膝を抱えてまるくなる。目をつむると隣りの家の生活音が聞こえる。窓の外で猫が鳴いた。波の音が聞こえたら良いのに、と思う。
ちょっとだけ眠る。
目を開くと部屋の中はヒツジたちでいっぱいで足の踏み場もなくなっていた。前の学校から着いてきてしまったヒツジたちの群れがこうして今日も姿を現す。カナちんはナカザト君のコトが好きだと言った。興味ないって言ったサオちゃんもナカザト君のコトが好きだった。ヤマガタショウジがワタライさんのコトをブスって言って笑ってた。ケンゴもあいつは根暗だからなって、でもケンゴとワタライさんとは仲が良かったはずだ。アオイ、だるいなんて言わないでもっと素直になれば良いのに。アヤカはもう怒ってない。ササハラ君が語った夢を誰も本気で笑ったりしてない。リョウとカトケンのいつまでも続くおしゃべり。サトショーのイヤホンからもれる音楽。マリとアーヤのコスメトーク。オバラの悪態。トーミの自慢。タニ先の怒声。私はそれを黙って聞いているだけなのに、誰かが口を開くたびに言葉がヒツジとなって取り憑いた。
ヨシコなんて死ねばいい、と誰かが言って、それを否定する人間はその場にいなかった。
キッチンに戻るとお母さんはいなくなっていた。シンクは片付けられていたけれど、蛇口から水がポタポタと垂れている。遊園地のアトラクションみたいな動きをしながらシンクの底に残った泡がゆっくりと排水溝に吸いこまれていく。カクカクに切られた野菜の屑が、ゴミ箱代わりのビニル袋に詰め込まれて、ちょっとずつ変色している。辺りにはピンク色の洗剤の甘ったるい匂いが漂って、一年経ってもなくならない洗剤のボトルがまだ二本も残っていることを私は知っている。お母さんがシンク下の引き戸に押し込んだそのボトルはユースフを
蛇口を捻ってコップに水を注ぐ。一口だけ飲んで残りを捨てる。水はちょっと塩っぽく感じられたけど、多分気のせいだと思う。
「お母さん?」と照明の落とされたリビングに向けて声を掛けてみても返事はやっぱり帰ってこない。
波の音が聞きたくなって家を飛び出した。靴のかかとを踏みつけるのもおかまいなしに階段を駆け下りるとヴィークル置き場にはたむろする人影。私は何も見ないように地面をじっと見つめて、ほとんど手探りでヴィークルのハンドルを握る。誰かたちの話し声は、天井灯に照らし出された長い長い影みたいに私を取り囲んでいる。どくんどくんと心臓が跳ねる音が聞こえる。手とか足が震えて、ぎこちないのが自分でわかる。ヘルメットをかぶるとすぐに
アパートを振り返るとたくさんの窓が明るく輝く中、私の家の明かりだけ消えている。
暗い廊下にひとつだけ明かりのついた窓があるんだってさ、とヨシちゃんが言ったから、私たちはその夜わざわざ学校に行った。
「知らないのキョーカ?遅れてんじゃん」ヨシちゃんの説明では、ひとつだけ明かりのついた窓のことは何日も前から噂になっていた。
学校に行きたいと思ったことなんてなかったのに、その時は不思議と楽しかった。きっとヨシちゃんも同じで、学校に向かって歩いているのに、やたらと話して、笑って、いつもより早く歩いた。
「たぶんオバケじゃね」とヨシちゃんは言った。
「オバケなのに電気をつけるの?」
「オバケだって電気くらい点けるっしょ」
ビシッ――と拳を前に突き出したヨシちゃんは、普段は隠している八重歯を覗かせてにかっと笑った。
私たちはワクワクしながら学校を囲むフェンスを辿って裏門を目指した。そこからなら中に入るのもチョロいってヨシちゃんは両手をクロスさせて三本指で変なピースをした。私たちはフェンス越しにチラチラと校舎を気にしながら歩いていたから、裏門の近くに人が集まっていることに気がつかなかった。
「あれぇ、キョーカじゃん」制服姿のアーヤが
「なにしてんのー」とアーヤは人懐っこい声を私に向けた。
「べつに、散歩」と私は答える。
「へぇーあそう」アーヤはちらっとヨシちゃんを見て、すぐに
「あれだべ、噂のヤツ見に来たんだろ」とケンゴ。
「昨日ワタトンとデブジマが夜中に学校入って、ヤマキタにめっさ怒られたらしいぞ」とヤマガタショウジ。
「なにそれウケるね」と私は言った。
「絶対あれだぞ、ヤマキタとマリがヤッてるだけだって」ヤマガタショウジはゲラゲラ笑ってバカみたいに腰を振ってみせる。
「なんで明かり点けんねん。アホか」とケンゴも笑う。
「ヤッてる私を見てってアピールに決まってるだろ。マリならそんくらいするっしょ」
「あいつカンヤ先輩ともヤッてるってほんとかなー」
「何だケンゴ、気になるのか?」ヤマガタショウジはまた腰を振る。
「ちげーし、アホか」とケンゴはヤマガタショウジの肩を殴る。
アーヤはクスクスと二人のやりとりを見て笑う。しょうがない連中だねと私に目配せを送る。
「じゃ、行くから」と私は言う。オウとかマタネとかアッソとか、そんなようなことが口々につぶやかれる。
行こうと言わなくてもヨシちゃんが後ろから着いてくるのがわかる。ピタッと影のように私にくっついている。街灯に照らされた街路樹の葉っぱだけをひたすらに見上げて、アーヤたちの声が届かなくなる場所へ足早に歩いた。
「ヨシコの格好ダサくね」とヤマガタショウジが言った。続く笑い声が消えるまで、私たちは口をきけなかった。
ザァン――と海が鳴っている。ときおり
「私は宇宙に上がったことがないからな」
「お父さんの代わりに、私が宇宙に行くよ」と幼い私は胸を張って答えた。
宇宙は着日に近づいている。必要なカリキュラムをこなせば、一年も経たない内にLEO《地球低域軌道》には上がることができるらしい。希望すれば数年後には宇宙の遠くに行けるのかもしれない。一度だけヨシちゃんにそのことを話してみたことがある。
それってさーめちゃくちゃすごいことじゃねと
なんだーぜんぜん今と変わらないじゃんと
ごめんと私が送ると、ノーウェイと彼女はすかさず
ジャヤーン――と波が砕けて、夜の冷たい風が波の飛沫を運んだ。髪が額に張り付いて邪魔だった。こっちに越してきてから髪を伸ばしている。ヨシちゃんは、そんな事も知らない。手首から髪ゴムを外すとくるくると頭の後ろで髪をまとめた。夜は、私が望むよりも静かすぎた。静寂は私のヒツジたちを呼び寄せる。メェメェとうるさいヒツジたち。頭の中がウソでいっぱいになる感覚。意味のない言葉が溢れて私を飲み込む。
どうして彼女は私に向けて呼びかけを続けるのだろう?
最後にヨシちゃんに会ったのは、最後に学校に行った日だ。
「あんた頭良かったからね」とアヤカが言うと「さすがじゃん」とアーヤが続けた。
「やっぱあたしらとはちげーんだし」とマリがすねたように言うと「お前と比べんなし」とヤマガタショウジがツッコミを入れる。するとみんながゲラゲラと笑って、マリはうるせえと言いながらヤマガタショウジを蹴りつけるフリをする。
「向こう着いたらさー、なんか送ってよ」とカトケンが気楽に言う。
「俺、あれ見てぇ宇宙エレベーター」とリョウが言うと「軌道エレベーターのことっしょ」とトーミが返す。
「どっちでも一緒じゃねえの?」と言ったリョウをフォローしたのは、片方のイヤホンを外したサトショーだった。「正確には軌道エレベーターだけど、宇宙エレベーターも同じ物を指すよ」
「てかグループにキョーカ入ってた?」アーヤの問いかけに、何人かが
「あれ、入ってねえじゃん」とヤマガタショウジが大きな声を出す。お前やっとけよと言われたマリがオッケ任せてと
「これ、このクラスのグループだから」
私はその日もヨシちゃんと帰るつもりだったから、ヨシちゃんが私の机にキョーカ帰ろって来たとき何の返事もせずに立ち上がった。
寄り道を提案したのが誰だったのか覚えていない。声の大きな誰かが発した一言に引きずられて、今まで遊んだことのないクラスメイトと即席のお別れ会をすることになった。陽気な連中に誘われて、仲良しグループの垣根を越えたクラスメイトが次々と教室を後にした。私は、私の机に手を置いたまま立ちすくむヨシちゃんに声を掛けることすらしなかった。彼女の指先には先人たちが机に掘り残していった落書きがあって、いつものようにその跡を指先でなぞっていたんだと思う。
ヨシちゃんは翌日、
>> ターツェンで頑張るキョーカは私の誇りだかんね。
私はその日、大量のヒツジを吐き出した。言い訳は醜く、かしましかった。
ターツェンに来たのは私が望んだからだ。私はターツェン
「あたし頭悪いんだよねーとくめい的にさ」としおらしく言うヨシちゃんに夢があることを私は知っている。彼女は頬を真っ赤に染めながら自分の夢を私に打ち明けてくれた。
「私もさー、宇宙に行って冒険とかしてみたくてさー。そしたらさー、またキョーカと一緒に遊べるよね」
軌道エレベーターが照らし出す夜の稲妻を辿っていくと、空のずっと高い位置に、歪な形の光が見えた。それはきっとユースフが放つ光で、ヨシちゃんが憧れている船の光だ。
ターツェンに来てから一度も学校に行っていないことをお母さんが知ると、どうして?と聞かれる前に、あんたじゃやっぱりお姉ちゃんの代わりにはならないってそれだけを言われた。私がごめんなさいと言う前にお母さんは部屋から出て行った。
ヨシちゃんは私が学校に通っていないことを知らない。ヨシちゃんは今の私を見て何と言うだろう。私はヨシちゃんを裏切っているのだろうか。私の周りにはウソツキヒツジたちがいっぱいで、向こうの学校を辞めたときよりも状況は悪くなっている気がする。
ぼぉぉぉぉぉぉ――っと船の汽笛が鳴った。見ると水平線の向こうにタンカーが一隻流れていく。
宇宙の外ではさ、とヨシちゃんが興奮気味に語っていたことを思い出す。「宇宙の外ではさ、すべての音が消えるんだって」
私のヒツジたちは宇宙でなら沈黙してくれるのだろうか?
家に帰り着く頃にはもう夜が明けかけていた。アパートのドアを開けるとお母さんの部屋から物音が聞こえた気がしたけど、たぶん気のせいだと思う。潮の匂いの香るジャンパーを頭に掛けてベッドに横になる。目をつむると波の音が聞こえる。
メエメエメエ――とヒツジたちが鳴く。
その鳴き声は、今だけは私を苛むことなく眠りに導く。
ウソツキヒツジたちの沈黙 ミツ @benimakura
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