山下家のタケノコ料理

 僕は、年に最低一回、できれば二回は実家の富山に帰ることにしている。

 僕が社会人一年目のとき、母の歳が五十を迎えたのを機に、元気な母に残り何回会えるだろうと計算してみた。

母は、よくタバコを吸っていたうえ、僕の家系は短命が多い。仮に七十まで生きるとしたら会えて二十回程度。毎年一週間富山に滞在するとしたら、百四十日……、少ない。実際に数に出してみると現実はシビアだと実感する。

 だから僕は、どれだけ忙しくて、どれだけお金がなくても、母と一緒に、ご飯を食べる時間を大切にしたいのである。


 先日のゴールデンウィーク、富山に帰省した際、僕と母で高岡市西田のタケノコ料理を食べに行った。

 高岡市と氷見市を繋ぐ、国道百六十号線から脇道の林道に入り、高低差激しい舗装路を、田畑を傍目に進んでいくと、やがて左右を覆う竹林が姿を表す。更に進んで開けた場所に出ると、そこは、さとという言葉がぴったりなタケノコ料理屋が軒を連ねる集落が目の前に広がる。


 この西田地方は四月の中頃から五月の初旬までの期間、とれたて新鮮なタケノコ料理が食べられることもあり、県内だけではなく県外からも季節を感じるために多くの人が訪れる観光地である。

 時刻は昼時の十二時ということもあってか、数多くある料理屋のすべての駐車場が埋まっており、田んぼに囲まれたコンクリート道の上で右往左往している県外ナンバーも見受けられるほどだ。

 車で集落の奥へと進み、国泰寺へ向かう長い坂下にある山下家に入った。


 この山下家という店は、僕が高校に入る前、僕のおばあちゃんとおじいちゃんが生きていたときに、毎年連れて来てもらった場所だ。

 山下家の外見は、一般家屋を旅館に改装したような佇まいをしている。中に入ると、玄関に来客の靴がところ狭しと並び、何人かの客が順番を待っていた。建材のナラの香りと、家の奥から蒸したタケノコの匂いが鼻腔をかすめる。匂いの元をたどっていくと、ガラス越しの奥のスペースに、給食の調理室のような巨大な調理設備がある。そこでは数人のお母ちゃんたちが、忙しそうにお客に振る舞う料理を作っていた。


 お母ちゃんたちは、いくら待っても案内してくれそうもなかったので、こちらから声をかけると、ちょうど空いていたらしく、すんなり席に通してもらえた。


 通された席は、二階の、大広間だった。

 畳敷きで、二十四畳を四組に分け、それぞれの区画に六人は座れそうな大きなテーブルと、温かいお茶が入ったポットがセットされている。

 入って左手の床の間には、一メートルはありそうな大きな壺と、だるまさんが描かれた掛け軸が飾ってあり、戦国時代の一室を想起させた。

 ちなみに、家の中が広いのは富山の特徴で、八十歳以上のおじいちゃんおばあちゃんの家には、大概立派な床の間に掛け軸や骨董品が飾られている。


 料理を待つ間、僕と母は、亡くなったおばあちゃんの昔話に花を咲かせていた。他の席では観光客らしき六人家族がビールで乾杯しており、部屋に一台しかない三十インチのブラウン管テレビは、教育テレビの昼放送の朝ドラが流れている。


 十分程経って、まず最初に来たのは、タケノコの酢の物、タケノコの煮物、タケノコのピーナッツバター和えである。

 まず僕は、手始めに酢の物に箸を伸ばした。細く千切りにされたタケノコのシャキシャキとした食感に、甘酢の酸味としょうがの辛味が口の中に広がり、朝から何も食べていない空きっ腹を通り抜けた。

また、小さく短冊切りされたきゅうり、きくらげが食感のアクセントとして加えられており、お母ちゃんたちの心意気に涙せずにはいられなかった。


 続いて、王道中の王道、タケノコの煮物である。醤油とみりん、酒でホクホクになるまで煮込まれた肉厚のタケノコを口に運ぶと、優しいおふくろの味が体に染み渡った。タケノコは大判で、手のひらくらいあり、お得だ。添えられたゼンマイのしそ漬けと食べると、味変して少し高貴な味がする。

 しかし、先程から感じられるこの旨味の正体はなんだろうか。最後のタケノコの裏をめくって初めて、正体がわかった。富山県民が大好きな昆布締めが敷かれており、昆布から出る凝縮された旨味が、このタケノコを締めていたのだ。


 三品目、僕はピーナッツバター和えに手を伸ばす。

 このピーナッツバター和え、一見するとタケノコに合うのかと心配になる方もいるだろうが、これまた合うのである。

 ピーナツバターのねちっこい甘さがさいの目切りされたタケノコの食感と合い、奇妙なまでのコンビネーションを見せている。僕はこの料理を考え出したお母ちゃんたちにノーベルタケノコ賞をあげたいと思った。


 先の三品を食べ終わると、続いて、タケノコご飯とタケノコが入ったお味噌汁が来た。

 これは王道である。もはや何も語らずとも勝ちである。タケノコご飯は、細かく刻まれたタケノコと、富山の水で炊かれた県産コシヒカリの暴力が僕たちを襲う。思わず、僕と母さんの口から漏れる「美味しいね」。ご飯の上に添えられた紅生姜で多様な楽しみ方ができるのもポイントが高い。

 そして、ご飯で乾いた喉に、わかめとタケノコが入った味噌汁を流すと、温かで落ち着く家庭の味が体を満たす。幸せだなあ。


 正直、これだけでも相当な多幸感に包まれてはいるが、止めに、タケノコの天ぷら、茶碗蒸し、タケノコの刺身と、デザートの梅ゼリーが来た。


 まずはタケノコの天ぷら。油がうまい。繊細なまでの衣がめちゃくちゃうまい油を吸って、新鮮なタケノコが揚げられている、それを、おろし出汁で食べるのである。もう、何も言えないくらいうまい。タケノコの楽章がサビに入ったようだ。


 続いて茶碗蒸し。タケノコが入っているのは予想できていたが、茶碗蒸しの奥底には、かの有名な氷見うどんが隠されていたのである。この氷見うどん、一般的なうどんよりも細いため、茹でだときののどごしが半端なく心地よいのである。甘い茶碗蒸しの生地と相まって、上品なのどごしが口の中に広がる。


 そして、珍味であるタケノコの刺し身である。これは、新鮮なタケノコじゃないと食えたものではない。薄くスライスされたタケノコをわさび醤油につけて食すと、タケノコとは思えないほどジューシーな味が楽しめる。ぜひ一度、皆さんにも足を運んで味わって欲しい。


 満腹になった腹を擦りながら、デザートの梅ゼリーを口に運ぶ。

ほっと、息が漏れる。幸せだ。

 何が幸せかって、自分の稼いだお金で、母を思い出の店に連れてこれるようになったことが一番幸せだった。

 そして、今まで、小さい頃から毎年こんな美味しい店に連れて行って貰っていた自分はすごく幸せだったのだなと思った。


 また来よう。母が元気でいてくれるうちは、毎年美味しいところに連れて行ってあげよう。女手一つで僕をここまで育ててくれた彼女のためにも、息子としてできることはそれくらいだろうから。


 僕たちは、会計を済ませ、店を出た。そして帰りに、学生時代よく連れて行ってもらった氷見の温泉に寄ってから、家路についたのだった。

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