青森県
惣菜さとうのギャンブル定食
弘前大学の学部生時代、僕は大学近くの惣菜さとうによく通っていた。
大学から五分ほど歩くと、西弘という大学生の飲み屋街があり、そこの一角に惣菜さとうはある。
この店は、お客さんから、“さとそう”の名前で親しまれている。
さとそう店主の佐藤さんは、東京から弘前に来て三十年間、水曜日と不定休以外は毎日、店に来る腹ぺこたちに、“一人で”料理を作り続けている。
僕は週一~三のペースで通っていた。しかし、これは珍しいことではない。僕のような常連が、さとそうには沢山いる。
さとそうの暖簾をくぐると、まず最初に目に飛び込んでくるのは、壁を埋め尽くさんばかりの大量の色紙だ。
色紙と聞くと、有名人のサインが書かれたものを想像する人が多いのではないだろうか。しかし、さとそうの色紙は、弘前の学生から北は北海道、南は沖縄まで、ほぼ一般客のサインで埋め尽くされている。
ちなみに店主に話を伺ったところによると、色紙を貼りだしたきっかけは、壁が汚くなったので、惣菜さとうを愛する人たちのサイン色紙で隠したのが始まりだとか。何とも機能的な理由であった。
続いて、さとそうでの食事を紹介する。さとそうの目玉は何といってもそのボリュームだ。
さとそうには持ち帰りの弁当と店の中で食べる定食がある。弁当はボリュームがあり、三百円からリーズナブルでコスパのいい弁当が食べられる。五分待てば、揚げたてのコロッケやカツなんかも持ち帰れるので、土方の兄ちゃんや学生、主婦なんかがよく惣菜さとうに買いに来ている。
目の前に生協があるにも関わらず、だ。それほどさとそうの揚げたての惣菜は魅力的だ。
しかし惣菜さとうの一番の目玉は持ち帰りの惣菜ではなく、日本中の腹ぺこが愛した驚愕の定食たちだ。
何が驚愕か。運動部がギブアップするボリューム、そして壁に掛けられたメニューのほとんどは、さとそうの客が考えたオリジナルメニューということだ。
さとそうの店内に入ると、十畳ほどの広さに年季の入った七席のカウンターがある。
カウンター以外には四人掛けのテーブル席が二つと二人掛けのテーブル席が二つ。僕の特等席は、一番手前のカウンターだ。
一限目の授業が終わった後、開店直後で客がいない十時を狙ってよく来ていた。
さとそうで食べる際に二つほど注意点がある。
一つは、佐藤さんが挨拶も無く、無愛想に見えるかもしれない。しかし、ご容赦いただきたい。一人で店を回しているためとてつもなく忙しいということと、客と店主お互いの心遣いで成り立つ店、それがさとそうの魅力だからだ。
彼は一見、不愛想に見えて、普段はとても明るい方だ。佐藤さんは優しいし、話好きでもある。大盛りの定食を食べる客を笑顔で見守る佐藤さんはこの店の看板である。最初の壁さえ越えてしまえば、誰でもさとそうの常連になること間違いない。僕は、お客様は神様という考えではなく、客と寄り添う佐藤さんの姿勢が大好きだ。
二つ目は、ご飯の量だ。初見の客に対して、佐藤さんは「あんた(沢山)食べる人?」と質問する。佐藤さんはその質問でご飯の量を決め、常連になると人に合わせた適切なサイズの量を盛ってくれるようになる。
ここでいう沢山食べるとは、“食べ盛りの運動部が筋肉量増大のために山盛りの丼数杯で食べる”。という意味であって、間違っても“一般的な成人男性が定食は比較的大盛りで食べる”という意味合いではない。多少の自信は身を滅ぼします。
僕がよく食べていたのはギャンブル定食だ。
この定食、日によって定食の中身が変わるからギャンブルなのかな? と思った読者もいるだろうが、命名理由は少し違う。
実は、弘前大学のギャンブル同好会がメニューを考案したからギャンブル定食なのである。他にも、水泳部が考えた狂泳定食や、剣道部が考えたメン定食など、オリジナルメニューの名前は、名付け親に拠るところが大きい。
佐藤さんは注文を受けると、店の奥にあるフライヤーでおかずを揚げに行く。油は国産のサラダ油。小麦も国産小麦を使用。店の奥からカラカラと小麦が音を立てて揚がる音を聞くと、何とも幸せな気持ちになる。
おかずが揚がると、店の奥に備えられたいやに巨大な炊飯器に佐藤さんが向かっていく。そして炊飯器を開けると、中から大量のご飯を力士の盃大の皿に盛りに盛る。
そうこうしているうちに、ギャンブル定食がやってきた。
突然、目の前に米の山脈が立ちはだかる。
改めて言うが、さとそうの定食はご飯の量が半端ではないのだ。
多いのはご飯だけではない。
ギャンブル定食の中身は、ワンプレートに三合のご飯、手のひらサイズのメンチカツ、ササミカツ、コロッケ、唐揚げ二個、山盛りのキャベツにポテトサラダ。小鉢にひじきを煮たもの(切り干し大根の日もある)と、豆腐と油揚げの味噌汁である。水は二リットルのガラスの水筒から好きなだけコップに注いで飲んでもいいシステム。しめて七百五十円である。
僕はあまり食べられないので、ご飯は半分の一・五合にしてもらったが、それでもコスパを考えると最強だと思う。
僕はカウンターに置いてある中濃ソースを揚げ物にぶっかけ、まずは特大メンチカツにかぶりつく。タマネギとよく練られた合い挽き肉が噛む度にジューシーな肉汁を滴らせ、食べ進める度にお腹が減っていくようだ。揚げるタイミングも抜群で、しっとりした肉とサクサクのパン粉が最高にマッチしている。何より揚げる油が美味しい。
続いてササミカツ。繊維質のササミがサックリと口の中で噛み切れ、アスリートにはうれしいおかずだろうなと思う。
さらにコロッケ。これはド定番といえる味だ。ホックリとした芋の優しい味と、油で揚がったジャンクさが脳を揺さぶる旨さを生み出している。
最後に唐揚げ。惣菜さとうの唐揚げは、しっかりとショウガと醤油で下味をつけてあるため、何もつけなくても旨い。これはさしずめおかず界のハードパンチャーだなとにやにやしながら口の中にほうりこむ。
付け合わせのポテトサラダや小鉢も主役に負けず名演技お見事。
惣菜さとうでは濃いめに味付けされたおかずを、柔らかめに炊かれたドカ盛りご飯で流し込むのが定番スタイルだ。
ご飯やおかずでのどが詰まりそうなときは、味噌汁で一時休息をとるといい。ただ、ここで注意してほしいことがある。水は出来る限り食べ終わった後に飲むこと。そうでないと、お腹の中でご飯が膨らみ、完食が遠のいてしまう。これは、私が惣菜さとうで学んだことだ。
他にも、私が惣菜さとうで学んだことは山ほどある。私は佐藤さんが引くほど通う常連だったので、よく佐藤さんの昔話や店のことを教えてもらった。
佐藤さんが東京から弘前にきたのは二十年前だ。当時、惣菜さとうのある場所は商売がしにくい立地として有名だった。
実際、惣菜さとうが出来る前は何件ものお店が短期間で潰れていた。しかし、佐藤さんの手腕は見事で惣菜さとうは今でも営業している。私が佐藤さんから教わった長期経営するコツは一つ。“身の丈に合った経営をする”、だ。
佐藤さんは、身の丈にあった経営を長期間続けることで立地の悪さを乗り越え、繁盛する店を作り上げたのだ。
店を始めるとき、初心者がよくやってしまいがちなのは“自分の理想の店”を作ろうとすることだ。具体的には、店の中のものを、何でもかんでも新しいもので揃え、リフォームしようとする。しかしそれでは、資金が大分かかり、予備の資金を確保することが難しくなってしまう。
もし、その店が前任者から譲り受けた店ならば、前任者が使っていた道具で、使えるものがあれば使う。“あるもの活かし”の精神が重要だという。
あるもの活かしは惣菜さとうの宣伝にも現れている。
まず、惣菜さとうに来てくれた腹ぺこたちの胃を掴み、リピーターにする。
常連客には色紙を書いてもらい、客独自のオリジナルメニューを作らせてあげる。これでより一層、惣菜さとうに愛着を持つさとうマニアが増えていく。
さらに飾られた色紙の枚数を利用して、多くの人から愛されている店というブランディングを行い、マスコミに取材に来てもらう。そうすることで、広告費無料で店の周知を行っている。
まさに、あるものを総動員して惣菜さとうは回っているのだ。
また、佐藤さんはワンオペ体制を敷いているが、これは増えすぎたメニューをバイトの子が覚えるのは無理だろうという配慮からだった。実際、惣菜さとうのメニューはファンたちの要望に応えて増え続け、今では百以上ある。
つまり、ワンオペ体制を敷かざるをえないと言った方が正しいのだ。
一人で回さなければいけないということは、出来ることが限られてくる。佐藤さんはチェーン店のような丁寧な接客はしないし、料理も洗い物を減らすためにワンプレートだ。しかし、日本中にファンがいるほど長く経営が出来ている。
私は佐藤さんに、“自分にできないことは思いきって捨ててしまう”というのも大事な戦略だと教わった。
私は将来経営者を目指しており、同時に学生ベンチャーも立ち上げていたので、佐藤さんから教えてもらったことはまさに金言だった。経営者の生の声は、教科書には載っていない。
しかし、経営者の声を集めたとして、一流の企業を生み出すことができないのも事実。私には、まだ分からないことが多すぎる。
人生はギャンブル。私が立ち上げた学生ベンチャーも、惣菜さとうで色々なものを頂きながら、先の見えない暗闇の中を、ちょっとずつ前へと進んでいる。
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