滝乃荘の和食コースと温泉

 みなさん、すみません。少し自慢させてください。

 僕が社会人になって一年目、やっと念願の親孝行が出来たんです。

 今日は、僕が初めて母さんに親孝行ができたときの話を聞いていただきたいです。


 職場のある東京から夏季休暇を一週間もらって富山に帰省したとき、母さんの車に乗って、富山県の小矢部市にある宮島温泉滝乃荘へ行きました。

 この旅館は、僕がまだ小学生だった頃、祖父母と母親、叔母の家族全員で来た思い出の場所なんです。中学に入ってからは家族が病気になったりして行けなくなったりしましたが、それまではほぼ毎年来ていたように記憶しています。

 

 あれから僕が社会人になって、家族は、僕と母さん、叔母の三人だけになってしまいました。今は、僕が東京で働いて、母さんと叔母は富山の実家で二人暮らしをしています。

 ちなみに親父はいません。僕が三歳の頃に出ていったきり、母さんは女手一つで育ててくれました。


 滝乃荘はその名の通り、真横に川が流れており、その川を登っていくと一の滝から三の滝まである緑豊かな場所に建てられた旅館です。

 コンクリート舗装された山道から錆びた鉄の階段を下って岩場に出て、そこから川に入るのですが、川の深さは大体五十センチくらい。小学生のときの僕は、半袖短パンサンダル履きで岩場からそのまま川にドボン。流れの緩やかな清水(この川は山深くにあるので生活排水の心配もなく、人もいないので綺麗!)を上流まで悠々と泳いでいました。上流に行くと滝があるので、滝行! とか言って滝に打たれたりとかもしました。


 ――思い出といえば、一つ、トラウマになっていることがあります。小学五年生くらいでしたでしょうか。その日もいつものように滝乃荘の近くの川で泳いでいたのですが、少し川岸から離れたところまで泳いでいくと、川が少し深くなっていました。といっても、水深八十センチくらいなので、まだ足がつく程度の深さなのですが。

 その日は、山から流れてくる木の葉が妙に渦を巻いているという感覚がしました。子ども特有の勘ってやつですかね。まあ、ここは僕のホームグラウンドだったので、気にせず泳いでいましたけど。

 しばらく泳いでいると、僕の横をお不意に何かが横切りました。でかい木の枝でも流れたのかな。と思っていましたが、その影は、水流に逆らってこちらへ向かってきます! なんと、それはでかい魚でした。でかい魚が僕のすぐ側をまとわりつくように泳いでいたのです。僕は怖くなって、水底の石につまずきながらも何とか水から上がって、家族の元へと戻りました。それ以降、その川ではもう泳ぎたくはなくなってしまいました。

 ちなみに、戻ってきた僕をみて、家族は大爆笑でした――。


 ようやく母さんの車が滝乃荘につきました。

 ここに来るまでの道中、どう行けばいいのか分からず、僕が助手席でスマホ片手にナビゲーションしたのですが、僕が方向音痴なせいで、何度も道に迷いました。それでも、早めに出ていたので、昔のことを思い出しながら二人で楽しく来ました。

 時計は十一時。予約の時間にぴったりです。檜造りの自動扉が開き、中に入ると、旅館内は閑散としており、しばらくして女将さんが奥から出てきました。お客は僕たちだけでしたので、「貸切でよかったがいね」と母さんが笑いました。

 檜造りの玄関で靴を脱ぎ、スリッパに履き替えると、内装は、まるで昭和からずっと時間が止まっているよう。入り口から奥に向かってずっと、年季の入った赤いカーペットがお出迎え。窓際に置かれた深掛けの一人用ソファと丸テーブル。照明代わりか階段下の薄暗い空きスペースに設置されたクレーンゲームとコインゲーム。


 エレベーターのボタンを三階に押し、「大浴場は二階の渡り廊下を渡った先にあります」と案内してくれる女将さん。

 部屋に付き、障子を開けると、綺麗に掃除された畳張りの部屋と、大きめのテーブル。部屋の奥には狭いスペースに休憩用の椅子とテーブル。窓からは滝乃荘ご自慢の清流が眼下に見え、自然のない都会で働く僕にとっては絶景でした。


 女将さんが帰り際、食事は十二時に用意するとのこと。

 食事までまだ時間があるということで、僕と母さんは女将さんに説明されたとおり、渡り廊下を渡って離れにある大浴場(ちゃんと温泉!)に行くことに。

 ちなみに、男風呂と女風呂は週毎に入れ替わるそうです。思い返してみると、どちらの風呂場も行ったことがあったので、相当家族で滝乃荘に行っていたんだなと苦笑しました。


 大浴場は古くても綺麗に掃除された大きな室内湯と露天風呂の二種類といった簡素なもの。記憶の中の光景が、そのまま変わらずあってくれたのにホッとして泣きそうになりました。露天風呂は檜で作られており、日頃の疲れが温泉と香りのダブルで溶けていくようです。


 風呂から上がって、昼食が運ばれてきました。日常では食べられない、旅館のコース料理。

 食前酒は甘い杏のお酒。「昔来たときは瓶のオレンジジュースだったのに、お酒を飲めるようになったがヤネ」と母さんに言われ、照れ隠しに鼻で笑ってお酒を一気飲みしました。お酒自体はあまりアルコール分はなく、甘いジュースといった感じでした。それでも僕はお酒に弱いので、すぐにホワっとなりましたが。

 前菜は小さく切った甘い卵焼きと、県産の里芋に甘い和醤油ダレをかけたもの、もずく、おから、豆腐の田楽、海老しんじょうが陶器のカクテル容器に入って出てきました。東京では営業ランチで大食いしてる僕も、量は少ないけれど季節のものや細やかな処理がされた料理を口に運ぶ度に、顔がほころんできました。

 脂っこいものを食べてると、本当に野菜を中心とした料理が美味しく感じられます。滋味というのでしょうか。体が求めている味というか、心の底から美味しいと思える味でした。特に里芋が美味しくて、片栗粉で弾力をました甘いあんの塩気が里芋の奥にある素材の甘味をギュッと閉じ込めて、口から離したくない旨味を醸し出していました。


 続いて主菜。富山の魚ブリと甘海老、サシの入ったマグロのお刺身。富山は一級河川が七本流れており、川からの雪解け水と大陸棚が狭く、深海からくるミネラルたっぷりの海洋深層水のあわせ技で育った富山の魚はめちゃめちゃ美味しいのでぜひ皆さん食べに来てください。ブリは脂が乗ってて醤油を少しだけ付けて口に運ぶだけで、濃厚な甘みがぐんと口の中に広がり至福の時でした。

 小学生のときは魚はあまり好きじゃなくて、デミグラスハンバーグが乗ったお子様ランチを用意してもらっていたな。と思いながら、好みの味が変わった自分の舌に少し寂しさを覚えながら料理を頬張っていました。


 主食として、富山のお米で作られたおにぎりが出てきたとき、僕は心踊りました。富山のおにぎりは蝦夷地から北前船で昆布を運んできた経緯もあり、昆布の消費が盛んでとろろ昆布で包んだ昆布のおにぎりが有名です。水が美味い富山の米を、旨味が出た酸っぱい昆布で巻くという所業はおそらく神が生み出したんだと錯覚してしまいそうです。


 お口直しに冷たい氷見うどんが出てきました。氷見うどんは細くて平べったいのが特徴で、富山のとろろ昆布を入れた昆布だしと一緒にすすると、濃い出汁の旨味が頭にガツンと来て美味しいです。ぜひご賞味あれ。


 その他にも、天ぷらや氷見牛のステーキが出たり、締めは木苺が乗ったフロマージュだったりと、思う存分堪能しました。


 お腹いっぱいになり、眠くなってきました。こんな状態で運転するのもなんだかなと思い、帰りまで時間があったので、親子で雑魚寝して、また母さんの車で帰りました。

 後何回来れるかわからないけど、出来れば毎年、連れて行ってあげようと白髪の混じった母さんの頭を見ながらそう思うのでした。

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