終章

終章

「警視、早く踏ん切りをつけてくださいよ。文には、横山清太っていう恋人がいたこともわかったじゃないですか。それでは、動機だって明確になりました。後は、文を逮捕するのみじゃないですか!」

「ウーン。そうなんだが、、、。」

華岡は、腕組をして、また首を傾げ、何か考えている。

「警視の悪い癖は、本当に困りますなあ。いつまでも、俺たちは、決断の遅い上司のせいで、やる気もないのに、捜査を繰り返しさせられる。俺たちは、一体何をしているんですかね。」

「警視だけですよ。いつまでたっても、文には殺意はなくて、これは殺人ではなく、餓死寸前で保護された事件だと主張しているのは。」

部下たちは口々に華岡に言い寄るのだが、華岡はまだ決断が出来ないようだ。

「おい、もう一回、この事件をおさらいしてみてくれ。」

と、華岡は言った。

「またですか。事件のおさらい何て、何回もお話をしたじゃありませんか!またそういうことを言うんだから。」

と、部下は言うが、例のノンキャリアの老刑事が、

「それでは、僕が代わりにおさらいしましょう。事件の概要は、警視が、パトロールをしていた時に、あのアパートの隣の部屋の住人から、部屋から異臭がしたと言われて、警視が中にはいったところ、吉村文と息子の慎吾が倒れているのを発見した。急いで警視が救急搬送を頼み、母親の文が助かったが、慎吾は死亡していた。で、僕たちが、文の周りを捜査して、文が、近所づきあいが何もなく、生活に困窮していたこともわかりました。そして、慎吾さんが、脳機能に障害があって、一般社会で暮らしていくのはむずかしいということもわかりました。生活に困窮した文は、慎吾さんを厄介者扱いし、食事を絶たせ、熱中症にかかって死なせる事を思いついた。そのあと自分も熱中症で死ぬつもりだったが、警視がそのさまを発見してしまったので、失敗した。という事ですね。」

と、朗々と言った。

「だから、死なせることを思いついたのは、俺の勘では思いつかなかったと思うんだ。だって俺が文と慎吾を発見した時、部屋には夫の吉村和彦の写真が残っていた。だから、俺たちは、彼女に殺意はないと思う。もし、殺意があって本当に慎吾を始末するつもりだったのなら、夫の写真まで残して置く筈はない。」

と華岡は、自分の持論をもう一回言った。確かに、凶器があったわけでも無いし、慎吾の遺体に殺傷痕があったわけでも無い。なので殺人とは断定出来ないのは確かなのだが、、、。

「警視、いい加減に変な良心に縛られないで、文を逮捕に踏み切りましょう。そのほうがマスコミだって、落ち着くんじゃありませんか。」

「そうですよ。思い切って何かすることも必要なんじゃないですか。」

「しかし、しかしだよ。文が、殺したと自供しなかったらどうする?そうなれば、俺たちが冤罪を作り出したとして、富士警察署の評判を落とすかもしれない。」

部下たちがいくら言っても華岡はそれに固執していた。どうしてもそこだけが、捨てる事が出来なかった。

「警視、もういい加減に変なこだわりはやめた方がいいんじゃありませんか?俺たちは、もう疲れちゃいましたよ。俺たちも早く決着つけたいんです!」

部下がそういう事を言ったが、華岡はまだ諦めきれなかったようだ。

「警視は、一寸時代遅れなんじゃありませんか。日本も段々アメリカ並みになってきたんですよ。だから、性善説何て信じてはならないのは、警察の常識みたいなモノでしょう。」

「そうなんだけどねえ。日本はアメリカとはまた違うからねエ。日本人は日本人であって、アメリカ人とは違うのでは?」

華岡はまた考えこんでしまった。部下たちは、決断力のない上司に、なんでうちの上司はこんなにダメな人なんだろう、と大きなため息をついた。


その翌日の事である。

「先生、玄関先に刑事さんが!若しかしたら、清太さんに会いに来たのかもしれない。」

女性の利用者が応接室に飛び込んできた。懍は原稿を書く手をとめて、

「いや、大丈夫ですよ。そうなるのは予測していましたから。」

と、にこやかに笑って、そう返したのである。

「でも、このままだと、清太さんまで捕まってしまうことになりませんか?そうならないように、何とかしなければ。」

「いや、その必要はありません。横山さんは本当に何もしてないのですから、そのまま貫き通せばいいのです。」

「でも先生!あたしたちが、一度疑いをかけられると、なかなかそれを解除するのは難しいって、みんな知ってるじゃないですか。だから、清太さん一人だけではダメなんじゃありませんか?」

「そうですけど、疑いをかけられるのは誰でも同じ。だから気にしないで応対すればいいのです。」

「厳しいなあ。」

何食わぬ顔をしてそういう懍に、女性利用者は変な顔をした。確かに、この製鉄所の利用者の中では、警察に疑いをかけられた者も少なくなかった。中には、大麻とか、覚醒剤のような者をやっていた、という者もいる。だから、警察が、あの建物は悪い奴らの温床だと偏見を持ってもしかたないのである。これに対しては、懍が言う通り、気にしないで応答するしか方法はなさそうだった。

「すみません、横山さんは、いらっしゃいますでしょうか?」

玄関先で、刑事たちがそんなことを言っている。

「はい。ただいま呼んできます。」

利用者は、とりあえずそういったが、其れより先に、清太が、廊下を歩き始めていた。

「清太さん、あんまりきついこと言われても気にしないでよ。」

別の利用者がそう言っているのが聞こえる。清太は、はいとだけ返事をしていた。

「大丈夫かなあ。」

二人の利用者たちに見守られて、清太は、玄関に向かって行ったのだった。

「横山さんですね。横山清太さん。少々お話を伺いたくてこちらに来させてもらいました。これからする質問に、隠さずにこたえて下さい。」

刑事たちは、清太が障害を持っていると知ったら、さらに厳しい口調でこう言い始めた。

「では、こちらも時間がありませんので、じかに申し上げます。あなた、あの吉村文さんとは、交際しているのでしょうか?」

「いえ、僕は、確かに文さんの事がすきです。でも、交際を申し込もうという事はしていません。」

清太は、刑事の問いかけにしずかにこたえた。

「では、文さんの恋人として、付き合っていたという訳では無いのですか?」

「はい。ありません。」

と、きっぱりとこたえる清太。

「でも、すでに裏付けは取っているのですが、あなたは文さんに着物をプレゼントしたそうですね。それはなぜですか?文さんに恋愛感情を持っているから、そういう高級なものをプレゼントしたのではありませんか?」

「ええ、確かに先ほども言いましたが、僕は文さんがすきです。でも、着物をプレゼントしたのは、文さんに罪を償ってほしかったからです。僕はこのままで十分です。文さんと交際したいとか、お付き合いしたいなんて、そんな贅沢な事は出来ません。だって、文さんと僕とでは、余りにも違うから。それでは、絶対に分かり合えることもないと思います。」

清太はそういったが、どこか無理をしているような感じがあった。意思ではそう思っていなくても、口が無理やりそう言っている。どこかそんな印象を与えた。

「はあ、そうですか。でも、あなたは、こういう話に耐えられるタイプではありませんな。どうですか、正直に話してみませんか。横山文とは、何時頃からお付き合いをしていたのでしょう?」

刑事がもう一回言うと、

「いえ、僕がいくら思いがあっても、文さんには通じないでしょう。ですから僕はこのままで十分です。」

と、清太は、まだ迷いがあるようだが、でもきっぱりと言った。

「では、お付き合いはしていないのですか?」

「ええ、だって僕は、文さんがこの製鉄所に車で文さんのことを知りませんでした。それは本当です。僕はインターネットにも詳しくないので、さほど出会いの機会があるわけでもないですし。」

「はああ、そうですか。」

警察も、たまが外れたのか、ちょっとがっかりした感じの顔でそういった。そして、二人の刑事は顔を見合わせて、

「また来ます。」

とだけ言った。


そのころ、文本人は、いつも通りに廊下を磨いていたのだが、

「文さん!」

女性の利用者たちが彼女に詰め寄った。

「今、横山さんのもとに、刑事さんが来たわ。このままだと、清太さんまで捕まってしまう。警察って、あたしたちみたいな人には、すごく冷たいからね。もう、一度確信すると、容赦なく決めつけてくるから。あたし分かるの。清太さんが疑われているって。」

文は、まさかとおどろいた顔をしている。

「文さんも嫌でしょう。清太さんが、自分のせいで捕まってしまうの。」

別の利用者がそういったが、

「でも、横山さんは。」

文は口ごもってしまうのだった。若しかしたら、自分のために自らを犠牲にしようと思った人物に遭遇したのは、これが初めてなのかもしれない。夫の、和彦にもそれは得られなかったのかもしれない。

「きっと文さんに清太さんがプレゼントしたのは、自首してほしいからだと思うのよ。」

最初の利用者がそういうことを言った。

「実はあたしもそうだったのよ。始めのころはね、何で警察に行かなきゃいけないんだろうって、いつも思ってた。だってあたしは、薬を打たなきゃ生きていけなかったから。それがいけない薬だって知らなかったから。」

とその利用者は、右腕をちらりと見せた。何回も注射を打ったのだろうか。右腕には、包帯が巻かれていた。

「でもね。親や家族が泣いているのを見て、あたしは、本当に悪いことをしたなと思って、ちゃんとしようと思って、警察にいったよ。注射器と、購入証書を持ってね。」

「そうなのね。あたしは薬物ではなかったんだけどね。確かに子どもをたたいた時は、もういい加減にして!と思ったけれど、やっぱり終った後は、すごく悲しかったなあ。」

二人の利用者がそういうほど、日本はこういう事がフランクに語れる場所は全くと言っていいほどない。でも、彼女たちは間違いなくそういう場所を求めていたのだろう。

「文さんも、早く言いなさいよ。本当は、慎吾さんを殺すつもりだったんでしょ?」

利用者は、文に聞いた。

「刑事さんたちは、それがあったかなかったかで、もめているみたいだけどね。」

「あたしは、、、。」

おもわず、泣きそうになってしまった文であったが、

「それはさ、あたしたちではなくて、清太さんに話してあげなよ。清太さんに。」

と、始めの利用者がいった。

「其れもそうだね。」

と、別の利用者もそう言っている。

「だって、それを一番知りたいのは、清太さんだろうからね。」

利用者たちは、しんみりとした感じでそう言い合い、文にがんばってだけ言って、にこやかにその場を去っていった。

文が、その場で呆然としていると、また足をひきずっている音が聞こえてくる。

「清太さん。」

まさしく、現れたのは、清太その人であった。

「先ほど僕の前に刑事が二人来ました。何だか、僕が犯罪に加担したような見かたをしていましたが、僕はそんなことしていないとはっきり言いました。警察も楽をしたいのでしょうか。そんな感じがすごくして。」

と、清太は、そういった。本当は警察としてはそうなって貰いたくないのだが、アメリカ並みに日本は犯罪が多いので、そうなってしまうらしい。

「でも、僕は、文さんのことを信じています。文さんが、いつか本当のことを言ってくれると、信じています。」

清太は、にこやかなままそういうのである。顔はにこにこしていても、口調から判断すると、信じられないけれど受け入れようとしているのがわかった。

「清太さん。」

文は、しずかに言った。

「わからなかったのよ。あたし、わからなかったの。主人がなくなって、慎吾と二人きりになってね、万引きしたり、畑の野菜を盗って、そういうものを全部あたしの所へ持ってくる慎吾に、どう接していいのか。あたしが、はたらけなくて、御金がどんどんなくなっていくのを、慎吾なりに考えていたんだと思うから。」

「そうですか。それで文さんは、慎吾さんを殺すしかないと思ったんですか?」

清太は、文に聞いた。

「ええ、そう思ったわ。勿論やってはいけないことだってことは知ってた。でも、そうするしか、私も慎吾もだめになってしまうのではないかと思った。」

つまり、華岡の意見は間違いだったのだと言える。慎吾は殺されたのだ。

「それで、文さんも一緒に逝こうと思ったんですか?」

「ええ、それが、母親として、一番の償いだと思って。」

文がわっと涙をこぼして泣き出す。

「誰かに、相談しようとか、そういう事は思わなかったんですか。例えば、生活保護とかそういうものを受けるとか。」

「思わなかったわ。主人が死んだとき、役所の人に酷いこと言われたから。」

「そうだったんですか。」

清太は、しずかに言った。

「僕も、国の援助を受けるのは随分まよったので、それはよくわかります。でも、其れで僕は人生を終わりにしたくなかった。死ぬしかないなんてそんな馬鹿なことはしたくないと思いました。そんなことしたら精一杯育ててくれた両親に、申し訳が立たないから。」

「そうですか。清太さんは、愛情一杯の環境で育ったんですね。」

「ええ、でも、文さんと違って、モノはありませんでしたが。」

そんなことを言い合って、文はモノがあるだけではしあわせは得られないのだということを初めて知った。

「あたしは、なんでもすぐ手に入ったけど、それに愛情があったかというと、それは疑わしかったから。だから慎吾を愛してやることも出来なかったのかしら。」

「それだけではないと思いますが、文さんにも、ここで人生をおしまいだとしないで、もう一回やり直してもらいたいという気持があります。そりゃ、確かに人としてやってはいけないことをしたんでしょうけど、それは、しかたない事だったのかもしれないので。そうするしか解決する方法が、文さんには思いつかなかったという事なんだと思います。」

「でもあたしは、もうこうなったら、ダメな人間になっちゃうと思うわ。」

「いいえ、誠意をもって償えば、きっと何かあると思うんです。僕は、そんな事偉そうに言える男ではありませんが、そういう事だと思って生きています。」

「そう、、、。」

涙をこぼしながら文は言った。

「だから、文さん。警察に自首してください。そして、罪を償ってください。その間、僕がずっと待っているということを覚えておいてください。」

「僕が待っている?」

清太のせりふに、文はおもわずおどろいてしまう。

「ええ、待っています。僕はいつまでも待っています。文さんがもどってきて、新しい人生をやり直すのを待っています。」

清太は、きっぱりと言った。

「僕は文さんがすきですから。だから、共犯と勘違いされても、構いませんから。」

「清太さん。」

もう涙が止まらなかった。文は、いつまでもいつまでも泣いた。清太は、それをずっと見守った。やがて、もう涙がでないくらいまで泣きはらしたあと、文は、

「わかりました。」

とだけ言った。清太は、顔中を涙で濡らした文の肩にそっと手をかけた。

その翌日。テレビのニュースでは、次のような話題で持ち切りになっていた。

「えー、静岡県富士市内で、知的障害のある息子を餓死させた疑いのある母親が、自首してきました。おかしなことにとても素直で明るく取り調べに応じています。彼女は、犯行の動機として、障害のある息子をどうやって扱ってよいのかわからず、殺すしか方法がなかった、と話しております。」

これに対して、もっと若い母親たちに障害のある子供の育て方をしっかり教えるべきだったなど、評論家たちが、論議を交わしている場面が沢山報道された。それに伴って、多くの子育て支援センターは、障害のある子どもの接し方という名目で、講演会をしたり、健康な子どもと障害のある子どもを触れ合わせるというイベントもたくさん行われた。その中で参加者たちは、自分も彼女と同様に、障害のある人たちへの接し方が全く分からなかったけど、このイベントで何だか少しわかってきたと感想を口にした。そういう意味では文のしたことはすごいことなのかもしれなかった。


「あーあ、結局、俺は最後まで彼女を信じてやりたかったが、それは無理だったか、、、。」

華岡は、そういって、お茶をガブッと飲み干した。

「まあなあ、華岡さんの性善説もわからないわけではないけれど、でも、やっぱりねエ。」

お代わりのお茶を注ぎながら杉三が言った。華岡は有難うと言って、またお茶をガブッと飲み干した。

「でもさ、良かったじゃない。自分がやったとしっかり認めてくれたんだから。最近では、自分の方が正しいのだという、犯罪者も多いし、テレビだって、そういうことを見ものにしたドラマばっかりやっているし。」

「杉ちゃん家にテレビがないのに、なんでそういうこと言うんだ?」

杉三の発言に華岡が聞いた。

「だから、誰でもそう思っているんだよ。本当は、人間は悪い奴ではないってな、だからああいうテレビがあるんでしょ。だけど、最近は、そういう自分の犯罪の方が、正しい何て言い張る人ばっかりで困るよねえ。」

杉三はカラカラと笑った。

「でもいいじゃないか。そうやってちゃんと反省してくれる犯罪者もいるんだから。それはもうしっかり誇りに思っていいんじゃない?そして後は、その彼女がしっかり罪を償ってくれることを願おうぜ。」

「そうだな杉ちゃん。出来るかなあ。」

華岡は、そんなことをいった。

「ああ、出来るさ。多分、彼女は、まっててくれる人がいるから、きっと何とかするよ。」

「まっててくれる人かあ。俺もそういう人がいるといいなあ。何だか羨ましい。」

華岡は頭をかじったが、結局、彼女を更生させるには、それを頼りにするしかないんだろうなと思った。

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怒りの日 増田朋美 @masubuchi4996

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