第七章

第七章

再び富士警察署では、捜査会議が行われていた。

「警視。」

部下の刑事が、声をかける。

「警視ってば、何をボケっとしているんですか!」

そういわれて華岡はハッとした。

「警視、何回呼べば気が済むんですか。ほら、警視が結論出してくれないと、捜査会議は終了できませんよ。」

「あ、そうだったなあ。どこまで話したっけ。」

おもわず華岡は、頭をかじった。

「もう、ほら、あの吉村文の逮捕状を取ることですよ。彼女、もう下働きが出来るようにまでなったって、聞きましたよ。それを発言したら警視が、うーんと言って黙り込んじゃうから、会議が出来なくなっちゃったでしょう?」

部下に言われてそうだったっけなと華岡は思い出した。

「でも、もうちょっと、調べることが必要なんじゃないのか?文の学生時代の事、結婚してからの近所付き合い、まだ捜査してないだろう。」

「警視。そういう事はとっくに調べました。近所付き合いは、文が慎吾を隠すためにほとんどしていなかった。其れに、慎吾の存在すら知らないっていう人も多かったと、さっき、話をしたばかりでしょう。」

「そうだっけね。」

華岡は、またため息をついた。

「警視だけですよ。文に殺意がなかったって言い張るのは。警視、変なこだわりはやめた方がいいんじゃありませんか?殺意があったのは、これまでの事で明確じゃないですか。いいですか、警視、文は、長年お嬢様育ちで、日常生活は家政婦任せで、基本的なことを何も知らなかった。其れで、慎吾と二人暮らしになった時に、生活のすべを知らなかった文は、慎吾が邪魔になって、慎吾を餓死させたんですよ。其れでいいんじゃありませんか。なんで警視がいつまでたっても逮捕を渋るんですか?」

部下の刑事に言われて、華岡は、

「一寸違うと思うんだよな。俺は。」

と、また言った。

「例えば、文に新しい恋人でもできて、その恋人と暮らすために、慎吾が邪魔な存在になったというのなら理解できる。しかし、文には、そのような恋人がいたという証言は何処にもない。」

「まあ、其れは周りの人から見た彼女でしょ。例えばですよ、今の時代はSNSやメールなどもあり、周りのひとに知られないように、恋愛することだって可能じゃありませんか。女が子どもを殺すってのは、大体そのケースですよ。ですから、文だって、そういう事なんじゃありませんか?」

「しかし、そういうことが出来る年齢なのだろうか。すでに五十歳を超えている。」

「警視、最近は80歳のおばあさんでさえも恋愛をしてるんですよ。高齢者向きの出会い系サイトだってあるじゃありませんか。」

「うーん、でもなあ、俺は、どうしても文が殺意をもって、慎吾をという風にはみえないんだよなあ。」

部下がいくら言っても、華岡はそれにこだわっていた。文には明確な殺意はない。

「確かにね。文はあの顔ですからね、なかなか他人に悪意がみせにくいというのは確かにありますよ。ですが、警視も、其れに振り回されないようにして下さい。」

「警視は人が良すぎるんですよ。綺麗な顔の裏で、なにか悪意を示している女は一杯いますよ。捜査を沢山していれば其れでわかります。まあ確かに、警視みたいな人は、それがちょっと苦手だというのは確かですから、なかなか踏ん切りがつかないってのは、確かにあると思いますが、今回は、俺たちの方が勝ちだと思います。」

部下の刑事たちが、一生懸命華岡を説得しても、華岡はまだ決着が着かなかった。

「華岡さんは、決断するのが遅いタイプですからな。それはしかたないでしょう。其れなら、こうすればいいんじゃないですか。私たちで、彼女の周辺に張り込みをしますから、そこで彼女に男の影があるだろか、調べて見ましょうか?」

ノンキャリアの老刑事が、そういった。

「おお、それがいいですね、名案だ!」

「俺たちも、協力しますよ。」

部下の刑事たちが、そういうという事は、華岡の踏ん切りのつかない事は、すでに有名になっているらしい。そのまま部下たちは、月曜日にはだれだれ、火曜日にはだれだれという、張り込みの計画を立て始めてしまった。

そのころ。

「へえ、横山さんと着物を買ってきたんですか。」

「ええ、そうなのよ。とてもあたしみたいな中年のおばさんには着られない、ピンクの着物を買わされちゃった。」

文は、床を水拭きしながら、四畳半で寝ている水穂さんと話をしていた。

「もうね、あたしなんて、当の昔に50を超えているのよ。其れなのに、どうして、あんなピンクの着物を清太さんが買わせたのか。あたし、何だか見当も付かなくて。」

そういうと、水穂さんは、ちょっと変な顔をした。

「あたしは、銘仙の着物で十分だったの。でも、清太さんったら、お店の外人さんと一緒に、すごく反対して。」

「そりゃそうですよ。あんなもの、普通の人が着るもんじゃありません。最近可愛いからと言って、銘仙の着物が流行っているようですが、僕からしてみれば、折角高級品が楽に手に入る時代なんですから、其れにした方が良いのではないかと。」

「水穂さんこそ、銘仙の着物以外のものを着たらどうなのよ。此間の杉三さんたちが持ってきたのだって、一度も着ていないじゃない。体が動かないことを言い訳にしてはだめよ。」

文は、わざとおどけた顔をして言うが、

「また今度にします。」

と水穂さんはそういって、軽く咳き込むのであった。そういうところから、やっぱり清太さんの言ったことは、本当なんだなあと実感する文だった。

「水穂さん大丈夫?ちょっと薬飲んでおこうか?」

恵子さんを呼んでくるのは、ちょっと嫌な気持がして、文は雑巾がけを一度中断して、急いで、枕元にあった吸い飲みを取った。

「ほら、飲んで。」

「あ、ああ、すみません。」

水穂さんは、それを受け取って中身を飲み干した。

「文さん、多分きっと気持は僕のほうにあると思いますが、それは間違いで、もっと思いを寄せている人がいるってことに気が付いてくださいね。そうでないと彼のほうが、可哀そうですので。」

そういいながら、水穂さんは布団に横になる。

「何を言ってるの。そんな事誰も考えてないわよ。」

と言いながら、文は、水穂さんにかけ布団をかけてやった。

「そんな、あたしのことを思ってくれている人なんていないわ。それは一体誰なのよ。水穂さん知ってるの?」

答えはなかった。薬の中に強力な眠気を催す成分がはいっていたらしい。水穂さんはしずかに眠ってしまっている。

「全く、薬のせいとはいえ、どうしてちゃんと話してくれないのかしら。いつも遠回しばっかりで、困っちゃうわ。」

文はちょっとため息をついた。

でも確かに、着物を貰ってから、清太さんに声をかけられた事は一度もない。清太さんは、一体私に何をするつもりだったのだろうか。清太さんは単に、着物をプレゼントしただけなのだろうか。


「すみません。」

華岡の部下の刑事が、製鉄から出てきた女性利用者に声をかけた。ちょっとびっくりした女性たちだったが、警察手帳を見せたので、すぐに安心してくれた。

「はい刑事さんどうしたんですか?」

「ええ、ちょっと聞きたいことがありましてね。あのこの製鉄所に、吉村文さんという女性がいると思うのですが。」

と、刑事は話し始めた。

「その文さんがなにか?」

「はい。一寸聞きたいんですが、その文さんに恋人がいたかどうか、そういう話を聞いたことはありませんでしょうか。」

「そうね、、、。」

二人の女性利用者は顔を見合わせた。

「いや、彼女が付き合っているという事はないと思います。」

「付き合っているに当たるのかわかりませんが、二三日前に、文さんは、横山さんと一緒に呉服屋さんへ出かけていきました。すごく綺麗な着物をかっていかれたようです。」

刑事は、メモ帳に二人の言っていることをさらさらと書いた。

「その横山さんという人物は誰なんですか?」

刑事が聞くと、

「ああ、横山清太さんです。足が悪いけど、とても優しくて、明るい人です。」

「かといって、横山さんが、悪い恋人だったとは思わないけどねえ。」

二人は、そう相次いで答えをだした。

「なるほど。それでは、文さんと横山さんは、恋愛関係にあったのだろうか?」

「いやあ、わかりませんけど、とにかく、横山さんが、なにか気持があるようです。そこははっきりしています。」

「わかりました。有難う。」

と、刑事は、一礼して、足早に去っていく。

「なるほど。その横山という人が、文と、恋愛関係にあったとなれば、また別ですね。横山という人と一緒になりたくて、そうなると、一番邪魔なのは、慎吾だからなあ。其れで文に殺意があったということになるな。」

そう口にしながら刑事が製鉄所から帰ろうとすると、

「刑事さん、少なくとも、横山さんは、文さんをそそのかすような人じゃないと思います。そんな、慎吾さんを亡き者にして、厄介払いしよう何て、そんな事考える人じゃないと思います。」

先ほどの利用者が後ろからでかい声で言った。

「だって、横山さんは、文さんに着物を買って上げるほど、優しかったんですから。」

そういう利用者の言葉を、刑事は急いで、手帳にさらさらと書き込んだ、そして別の刑事たちと一緒に、富士市内の呉服店に向かった。

その数分後。カールさんの経営している、増田呉服店に、刑事が二人やってきた。

「こんにちは、」

売り台を整理していたカールさんは、そういかめしい顔をした刑事たちを見て、一寸おどろいた。

「あの、警察ですが、一寸お話を伺いたいんですけど。」

「は、はい。」

カールさんは、とりあえず、お茶を出す。

「いや、それは結構です。それでは、単刀直入に申し上げます。この店に、横山清太という人物が、来店しなかったでしょうか。」

「はい、来てくれましたよ。たしか、小紋を買って行かれたと思います。京友禅の。あそうだ、ついでに袋帯も買って行かれました。」

「店長さん、袋帯の話をしている訳ではないんですよ。その時、吉村文にプレゼントすると言っていませんでしたでしょうか。」

「はい、というか、二人そろって来られましたよ。」

カールさんがそうこたえると、刑事はなるほどという顔をした。

「しかし、それでは、二人の共犯と疑っているのでしょうか?少なくとも、僕はそうは思いませんね。見た感じでは、そういう事はありませんでした。ただ、横山さんは文さんに好意を持っているとは思いましたけど。」

「なるほど、やっぱりそうですか。二人は、以前から付き合っているようにみえましたかな?」

と、刑事が聞くと、

「いや、それはないと思います。古くから知り合っている恋人という感じではありませんでした。」

と、カールさんはこたえた。

「ただ、文さんが着物のルールをほとんど知らなかったようですから、それを簡単に説明した紙を同封して、文さんに着物をお渡ししました。」

「なるほど、しかし、友禅という超高級品を差し出すわけですから、やっぱり横山という人は、文に対して、思いが強いということになりますな。」

「いや、どうでしょうかね。今は、友禅であっても、さほど高い値段は付かないんですよ。そもそも着物というモノは需要がないということが当たり前ですから、どうしても着物を売りたいのであれば、安く販売しないと売れないんですよ。ですから、友禅が高級品というのを知っている人はほとんど今いないのではないでしょうか。彼の、態度から見て、高級品を差し出せるという事ではなくて、単に可愛らしいから、プレゼントするという感じでしたよ。」

刑事の話にカールさんはそう反論した。今までの着物屋としての立場から見て、高級品を欲しがるという人は、あまりいないのだ。

「しかし、こういうモノをプレゼントする訳ですから、やはり相当文に惚れていたということになりますねエ。」

「そうですね。第一アクセサリーをプレゼントするとか、そういうモノとは訳が違いますからね。着物なんて、そう矢鱈にプレゼント出来そうなモノじゃないですよね。」

刑事たちは、そういう話を始めた。

「ちょっと待ってくださいよ。それでは、横山さんが、文さんと共謀したとでも言いたげではないですか。そんな風に決めつけるのは、もうちょっと後にしてからではありませんか?」

カールさんは、そう刑事たちに言ったが、

「しかし、横山という人が、どんな人物なのか、これはあってみる必要がありますよ。若しかしたら、文について、何か知っているのかもしれない。文も、彼とあって、この人であれば、自分を女とし手見てくれると気が付いたかもしれませんね。それでは、横山という人物、任意で引っ張って見ましょうか。」

「それではご主人、横山という人の住所か連絡先はわかりませんでしょうか。呉服屋さんであれば、客の連絡先くらい、わかるのではないでしょうか?」

と、刑事たちは相次いでそういうことを言った。

「あなたたち、そういうもってきかたはないんじゃありませんか。それに、着物に対して、そのような考え方を持っていただいては困りますな。そういうなんでも簡単にしてしまおうとしていることは、まるでナチス時代の警察と変わりないでしょう。本当に、あなた方は一方的に決めつけて、それにしか従わないで、もうちょっと、ご自身で考えた方が良かったのではないのではないでしょうか。」

「すみません。」

カールさんにそういわれて、刑事たちは、すみませんと言って、すごすごと、店を出て行ったのであった。

カールさんは、すぐに急いで電話を回した。


「ええ、警察がそんな所まで?」

と、フランクフルトをたべながら、杉三は言った。

「そうなんだよ。若しかしたら、ここから出たほうがいいかもしれない。そのほうが、疑いがかかりにくくなるかもしれないよ。」

カールさんは、心配そうにそういうのだった。

「ほら、この施設は、もともと警察関係者からは、そんなにいい目で見られてないという事もあるので。」

それは余分な心配なのだが、日本では十分ありえる話だった。ヨーロッパでは、更生施設というモノは、余り変な目で見られることは少ないが、日本では世間体が悪いと解釈されることが多く、積極的に利用しようという事は、あまり見られない。

「そういう事はしなくてもいいんじゃないの?普通に堂々と暮らしていれば、横山さんが、悪いことをしていないという事を、示せるかもよ。」

「杉ちゃん、日本ではそういう解釈する人は少ないでしょう。堂々と暮らしていれば、かえって悪いことをしていると疑いを持つ方が多いじゃない。ましてやこの施設、もともと悪いことをしている人がここにきていると、偏見の目が強いんだから、横山さんをどこかの安全なアパートかどこかに避難させてあげたほうがいいんじゃないかな。」

カールさんと杉三が、そういうことを話していると、ただいまもどりましたと言って、清太が製鉄所にもどってきた。

「あ、帰ってきた。」

ずりずりと足をひきずって、清太が四畳半にやってきた。

「買ってきましたよ。タオルと洗い桶ですよね?」

「おう、有難う。悪いな。」

とりあえず杉三はお礼を言うが、カールさんは余計に心配そうな顔をしている。

「足が悪くて、ただでさえ苦労を強いられているのですから、余計に疑いをかけられちゃうよ。大体の人は、弱い奴を、被疑者に仕立て上げて、事件を無理やり解決させちゃうじゃないか。だから、四大冤罪のようなモノもあるわけで、、、。」

「何ですか?」

清太がそう聞くと、

「いやな、おまえさんのことを警察が調べてるんだよ。おまえさんが、文さんをそそのかして、あの慎吾くんを殺らせたんじゃないかって。」

と、杉三が、単刀直入に言った。そういう時は、こういう言い方をしたほうがいいのだった。変に遠回しに言うとかえって伝わりにくい。

「うちの店にも警察が来て、君と文さんの関係を調べて行ったよ。君が文さんに着物をプレゼントしたと話したら、きっととくべつな関係だろうと決めつけて帰っていった。全く日本の警察ってのは、なんですぐにそう決めつけちゃうんだろうって、不思議に思ってそれを聞いていたよ。」

カールさんも心配そうに言った。

「だからね、僕たちは思うんだが、こんな施設ではなくて、もっと安全なアパートなどに住んで、しずかに暮らしたらどうだろう?ここに住んでいるだけでも、白い目で見られるんだよ。それでは、嫌でしょう?」

「なるほど!」

杉三が急に手をたたいた。

「其れだよ。だから文さんたちは、施設にはいるということをしなかったんだね。もしだよ、どこかの施設にはいっていれば、慎吾さんだって、何かケアを受ける事だって出来たかもしれないよ。だけど悲しいかな、日本ではそういう所にはいるという事は、世間体が悪いと言って、しないんだよなあ。全くそういうところが遅れているという事だろうか。」

「確かにそうだね。文さんは、それをしたくなくて、そのままあのアパートに住み続けたという訳か。」

「そうだねえ。施設にはいっているというだけでも、小さくなっちゃう社会だもん。文さんは、そうなりたくなかったんでしょう。だから、誰からの支援も受けないで、そのままにしていたわけよ。だっけどねえ、果たして本当に文さんは、慎吾さんを殺すつもりだったかいなあ。たとへ、非常に手のかかる息子であってもだよ。こいつが生きていないほうが良いって考える親はいるのか。僕はそうは思わないが。」

「まあ、文さんの事はいいから、とにかく今は、横山さんまで巻き込まれないように何とかするほうが先だよ杉ちゃん。」

「お二方の心配はとても嬉しいのですが。」

杉三とカールさんがそう言い合っていると、清太が発言した。

「僕は、ほかに行くところもないので、ここにいます。それに、文さんの事が本当に好きなんです。だから、彼女が自首してくれるように、働きかけていきたいと思います。」

「それはやめときな。おまえさんまで、ひどい目にあうぞ。」

杉三がすぐに反対したが、

「いえ、僕は文さんの事がすきです。あの、友禅をプレゼントして終わりにするつもりだったのですが、それでは我慢できなくて、文さんが自首するまで支えていこうって決めたんです。」

と、清太はいった。

「はあ。其れじゃ飛んで火にいる夏の虫だ。いくらすきな人でも、ちょっと人を選んだ方がいいんじゃないの?」

杉三がそういっても、彼の決断は変わらないようだった。カールさんが、その通りにさせてやろう、と、杉三に言う。

「本当は、この場面を文さんに見せたかったなあ。」

杉三は、大きくため息をついた。

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