ライターの猫

s286

第0話

「別に道を云々うんぬん言うつもりはないんですがね……」

 ここで煙草を一服ふかして彼は間を置いた。ICレコーダーをチラとみやる。2秒、3秒、バッテリーが心配だったけれど、ちゃんと動いとくれている。

「あぁゆうのはね5分、できたら3分で椀を戻すのが理想ですかな」

「さ、3分ですか?」

 驚いてオウム返しに聞き返す。彼はニマッと笑って言葉を続けた

「そらそーですよ。駅のホームで店の中で……どちらにしても長ッながっちりはよくない。立ち食いってのはそんな場所じゃないですかね」

「先生、全国津々浦々ぜんこくつつうらうらの立ち食い蕎麦屋を巡っているとお伺いしましたが一日に何軒くらいまわるのですか……」

 彼はニヤリと笑って答えた

「何度も本に書いてはいますが……」

「す、すみません!」

「いやいや、これは『フリ』というやつでしょう。最近は少なくなりましたよ。朝に2杯、昼に3杯、ですかね」

「……あの、夜は?」

「夜はさすがにね。もう歳ですから」

 一呼吸おいて彼は言葉を続けた

「夜は、腰を落ち着けて、焼き海苔や玉子と日本酒でね……」

 この人はどこまでも蕎麦漬けなのか。

「あの、先生……」

「先生なんておよしなさいな。あたしはただの蕎麦っ喰いですよう」

「先生、あの……蕎麦を食べるのにコツなどありましたら……」

 もみ消したタバコの代わりに新しいのをつけるまでの沈黙

「蕎麦を手繰る《たぐる》こつ? 話が見えませんな」

「あの、僕も蕎麦は好きなんですが早く食べられないのです。3分なんてとてもとても無理です。想像すると颯爽と店に入ってきて3分で平らげられたら粋なんじゃないかと思いまして」

 カカと笑って彼が返す

「粋なんてもんでもないですがね、一気呵成に手繰ればそんなものじゃないですかね」

「……僕、猫舌なんです」

 プカリと煙草の煙が空にあがる。この人は四半世紀をかけてローカル路線の立ち食いから未だに工業地帯に残る店まで文字通り全国行脚を果たした人だ。刊行された本は数知れず、漫画の原作もいくつか手がけている。

 暑い日のかけ蕎麦、寒いホームで両手を温めてくれる椀の温もり……すべてを食べつくし、メニューの変更が無いかもチェックを欠かさずにいる。

「アンタねぇ……猫舌なんてもんはないんですよ」

「え、でも……」

「ありゃあ熱の逃がし方、口の中が不器用なだけですよ」

「は、はぁ」

 少し納得がいかない。それが伝わったのか彼は言った

「あたしを誰だと思ってるんです?猫ですぜ」

 新聞記者を経てライターになった彼は確かにプロだった……

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