五節 魔力暴走
「マスター!」
––––消える寸前だった意識の中で、飛んできた言葉を掴む。チャックの声だ。彼の言葉を理解しようと努力し、すんでの所で意識を保った。
「マスター、大丈夫ですか?」
「あ、あぁ……。大、丈夫だ。全身無茶苦茶痛いけど、ぐっ……大事には至らないよ」
「それは良かった。一先ず、御無事な様で何よりです」
「恐らく〝精霊の加護〟とやらのお陰だ。あれが無かったら……即死だったよ」
此方へ飛び寄るチャックを横目に、僕は痛みを堪えつつゆっくりと立ち上がる。全身の苦痛は相変わらずだが、身体を動かす分には支障が無かった。加護の優秀さを改めて実感する。
「しかし……」
チャックは日野子の方を見遣る。
「……予想外の事態となりましたね」
「……あぁ」
彼の言葉に僕は頷く。本当に予想だにしない、最悪の事態だった。この胸の苦しみは、恐らく先程の衝撃で生じた痛みだけでは無いのだろう。
日野子の身体から溢れるあの尋常で無い濃密なオーラ、あれは紛れも無い、魔力だ。チャックから感じるそれと極似してるし、何より先程の彼の反応から嫌でも察せる。日野子は、運悪くも魔力に目覚めてしまったのだ。
しかし、何かが引っ掛かる。
僕はチャックに問うた。
「……けど何かおかしくないか? 僕が魔力に目覚めた時とは、魔力の濃度も規模も桁違いだ。それに何より、日野子が苦しそうだ。僕の時はそんなに苦しくなかったのに……」
「……魔力は感情の昂りによって活性化する、そう説明したのを覚えていますか?」
彼の言葉に僕は頷く。
「例えば、感情が昂った状態で、訳も解らず強大な力に目覚めてしまう、そうなれば大抵の人は、今の状況を疑い、混乱に陥りますよね?」
「まぁ、そうだな」
当然の反応だ。僕だって酷く混乱した。誰であろうと、突然訳も解らずに超能力に目覚めれば、落ち着ける筈も無いだろう。
「このように、感情が暴走すると、それに呼応するかの様に魔力が爆発的に増幅し、魔力の制御が不安定になる、等と言った暴走を引き起こすのです。これを〝魔力暴走〟と称します。この現象は、特に魔力に目覚めたばかりの者ほど引き起こすケースが増加します」
「魔力暴走……か」
成る程、納得がいった。僕は言葉の意味を反芻する。
「つまり日野子の魔力は、火事の混乱によって暴走を起こしてる、って訳か。そりゃあ規模も大きくなるし、苦しくもなる」
「そうです。魔力暴走を阻止する方法は大きく二つ。対象の気分を落ち着かせるか、魔力が枯渇するのを待つかのみです。しかし、後者はこの際お勧め出来ません。現在、時間が限られている状況下である上に、下手に魔力を枯渇させてしまえば、対象の命の危険性が伴います」
「となると、方法は一つって訳か」
息を呑み、日野子の様子を確認する。
彼女の身体は赤い光を仄かに放ち、手には火の渦が纏わり付いていた。空間を充満するこの熱気と魔力は、恐らく彼女から発されるものだろう、瓦礫の間から感じ取った時よりもその濃度は増していた。また、魔力の制御に必死なのか、彼女は苦しげな顔をしている。とても辛そうで……胸が締め付けられる。
目を逸らすように周囲を見渡し、ふと異変に気付く。先程まで山のように重なっていた瓦礫が一掃されている。残っているのは、僅かに火種を残した炭と化した真黒の小さな木片のみが幾つか。もしかして、さっきの衝撃で文字通り消し炭となったのか?
その異変に同じく気付いたのか、隣のチャックの顔に戸惑いの色が微かに浮かんだ。
「流石は〝火炎〟……恐るべき力です。自然現象を操る能力はいずれも強力なものですが、魔力暴走によりその威力は増し、底知れぬものとなっています」
「……って事は、瓦礫が消えたのってやっぱり日野子の魔力が原因って事か?」
「えぇ……そうとしか言い様が無いでしょう。急ぎ彼女の暴走を抑え––––––っ! 伏せて下さい! マスター!」
本能で危険を察知し、チャックの警告と同時に体勢を下げる。直後、すぐ頭上を炎が通過し、横に移動する。見ると、中心が紅に染まる日野子の掌から炎が放射されていた。
「––––––––––––!」
彼女の表情と炎の軌道から察するに、意図的なものでは無いのは解る。絶望感が見て取れるし、炎が上の方且つ横薙ぎに進んだ事から狙いが定まってない。何かの弾みで誤って放ったのだろう。
だとしても凄い火力だ。ふと後ろを振り向くと、壁に紅い爪痕が残り、パキパキと音を立てていた。まともに受けていたら、と考えると背筋が凍る。早く何とかしなくては……!
「落ち着け、日野子! 混乱する気持ちも解るが、冷静になるんだ!」
口を開いたのと同時に放射されていた炎が消える。
僕はゆっくりと体勢を戻す。
「そんな事……言われたって……」
日野子の瞳に涙が浮かぶ。
その直後、彼女の魔力が膨張するのを察知する。
「うぐ……。また……だ、早く逃げ––––キャッ!」
途端、此方に向かって火球が放たれる。押さえられた彼女の右掌が此方に向いた直後だった。野球ボール程の大きさの炎の弾が高速で此方へと飛んでくる。
危ない……!
反射的に身を護ろうと体勢を取る。
––––が、目の前に影が割り込んだのと同時に、熱気と共に視界が紅く染まり、しかし痛みを感じずにその紅は瞬時に消える。チャックだった。その右手には片手剣が握られており、火球の到達と同時に剣を振るい相殺したのを察する。
「ありがとうチャック––––」
「いえ、まだです! すぐ横へ回避を!」
チャックの注意喚起を受けて我に帰り、すぐさま右へ飛び込む。直後、床を伝って炎が迫り、そのまま弧を描く軌道で天井へ進む様が目に映る。
「ぐ…………っ」
炎との距離は僅か数センチ。とてつもない熱気を全身に浴びたのと同時に床に身体ごと着地する。次々と放たれる猛火。このままでは拉致が開かない。悔しさのあまり歯軋りをし、僕は立ち上がる。
日野子の様子を見る。偶発的に放射される炎を止めようと、涙ながらに腕を押さえていた。しかし、押さえた掌の高熱化によってか、反射的に腕を離したかと思うと、そこから更に炎が噴き出される。
「止まれ……止まって……! お願いっ、がはッ……!」
大粒の涙を溢しながら彼女は己自身に語り掛けている。が、その猛火は止む事を知らず、上へ横へと、次々と噴出されていく。その度に彼女は苦痛を噛み締め、また絶望の色をした涙が溢れる。
「…………っ」
何とかしないと。でもどうすれば良い?
彼女の苦しむ姿を見る度に思考を巡らす。けれども良い案は何も出てこない。考えろ、思い付けと脳味噌が蒸発する勢いで頭を回しても、声を掛ける事以外何も思い付かない。それも無意味だと解っているのに。
やっぱり……来た所で何の助けにすらならないのか?
「……くそ」
何が、何が日野子を助けたいだよ。自分で助けたいと突っ込んだ割には、結局何も出来ずに立ち止まるじゃないか。やっぱり僕は、ただの足手纏いにしかならないのか? 何も救えずに終わるのか?
父さんの時みたいに、何も出来ずに失って……。
「マスター!」
否定的な言葉で埋め尽くされた頭の中にチャックの言葉が響く。そして、横に強く押された。呆然としていた視界の先に、僕の方へ真っ直ぐ放たれていた炎が、鮮明に映っていた。地面に叩き付けられると同時に初めて、チャックが助けてくれた事を理解する。
「何を呆けているのですか、マスター!」
顔を上げた先でチャックが叱責する。その背後で、赤く染まった瓦礫が音を立てて崩れ落ちた。
「危うく直撃する所だったじゃないですか! 幾ら加護が付与されていようと、魔力暴走者を前に油断等、問題外です!」
「ご、ごめん……つい気が抜けてしまって……」
チャックの言う通りだ。こんな状況で呆然としているなど、自殺行為でしかない。何をやっているんだ、僕は……。
「……方法はきっとありますよ」
「……え?」
……どうして僕の考えていた事が解るんだ。
耳を疑い、チャックの目を見る。彼は言葉を続ける。
「来ても意味無かった等と、思わないで下さい。相手は魔力者。それをどうにか出来るのは、貴方様と私の他おりません。彼女を止めるには、貴方様の存在が不可欠だ。その方法を……共に探りましょう」
彼は僕の肩に手を置いて、そう言った。その言葉は一言一言が優しく、けど何処か力強さも感じた。肩に置かれたその手は、ひんやりと冷えて心地良かった。
僕に掛ける言葉としては勿体なさ過ぎて、彼女を救う意志を取り戻すには有り余る程のものだった。やっぱり僕は、情けない男だ。だからこそ、チャックのその言葉に応えないと。そして決意したからには実行しないと。日野子の……救出を。
「……っ!」
何かを察知しチャックが前に出る。気付けば日野子の放った火球が、此方に向かっていた。先程より一回り大きなそれを、チャックは剣で防ぐ。
「私がマスターを炎から守護します。貴方様はその間に案を考えて下さい。焦らせるつもりは無いですが残された時間は僅かの様です。出来るだけ早急にお願いします」
「解った。そっちは任せたぞ」
そう言い残し、僕は再び思考を巡らす。
日野子の落ち着かせる、それしか方法は無いのはどう足掻いても変わらない。問題はどう落ち着かせるかだ。声を掛けるだけでは意味が無い。それに、己の魔力が暴走する様を見ているのだ。簡単に混乱が収束するとは思えない。となれば、もっと大胆な行動を起こすべきだ。
もっと接近して説得を試みるか。けど、あの暴走振りを見る限り、長時間近付く事は難しい。いっそ接触するか。けどどう接触する? 肩を摩るか。それとも背中か? それとも頭を撫でるか? いや、そんなんで収まるとは思えない。寧ろ拒絶されて、悪化する危険性も……。
何か他に方法は無いのか? 考えろ、考えろ! もっと頭を使うんだ!
……そう考え続けた、その時。
一つの〝光景〟が、脳裏に浮かんだ。
立っていたのはかつての自分。弱虫で、臆病で、いつも泣いてばかりな、幼き自分の姿。
そこに現れたのは、同じ歳の少女。彼とは対照的に、強くて、勇敢で、いつも笑顔を絶やさない、幼い頃の日野子だった。
幼き自分は何故か泣いていた。昔の事で理由は思い出せない。そんな彼の姿を見て、少女は優しく微笑んだ。
––––泣かなくて大丈夫だよ。私が付いてるから。
そう言って彼女は––––。
「––––––––––––––っ!」
その時だった。
僕のすぐ上で、木のミシミシと折れる不吉な音が響いた事に気付く。はっと我に返り、すぐさま頭上を見ると、燃焼した瓦礫が僕目掛けて落下していた。気付いた頃にはもう、回避出来ない位置まで迫って来ていた。
「マスター!」
遅れて気付いたチャックが叫ぶ。しかし彼は、次々と飛来する火球に対応している最中で動けそうにない。遠目に見た日野子の顔も、この事態に気付いたのか恐怖で歪んでいた。
くそ、ここで万事休す、なのか……?
僕は反射的に手を上に翳し、目を瞑る。
……しかし、無意識に力が入ったのだろう。両腕全体に痺れが走り、掌が妙に熱を帯びる。そして、閉じた視界でも認識出来る程の強い白光が広がったかと思うと––––。
––––すぐ目の前で、轟音が響き渡った。
マジック・オブ・ブレイヴ 早河遼 @Hayakawa_majic
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