こんな機会は要らない?

白部令士

こんな機会は要らない?

 僕の名前は小園おぞの健太けんた。通学時間が自転車で十五分なのと、ちょっとした不純で高校を選んだ十七歳。

 県立竜ヶ山高等学校二年、生物部で理系クラス。

 リサーチ不足もあって、生物部に入っているという理由でなんとなく理系クラスに進んだ数学赤点常連者。もれなく補習授業が付いてきます、って感じ。

 ま、いいじゃない。それなりの学生生活だよ。

 はっはっはっ……。


 午後の高校、坂の下の自転車置き場。電動アシスト自転車に挟まれていた僕の白いママチャリを引っ張り出す。

「贅沢は敵だ。よいやさ」

 と、サドルに跨ってひと息。

 明日からは八月。新しい月。

 全く。夏休み前は赤点者補習で、夏休みに入ったと思ったら待っていたのは全体補習授業。本当に散々だった。でも、そんな苦行も今日で終わり。これでようやく夏休みらしくなる。

 ただ、そうなると。メダカとゴキブリの餌やりとその記録――その為だけに学校に出てくることになるわけで。

 ……面倒くさい。

 自転車で十五分といっても、そこは夏の陽射しのなかだから。

 面倒くさい。面倒くさいんだ。

 当番制にすればいいのに、生物部は毎日部員全員参加だから。男のみの部員十名が、白衣着て生物準備室に籠もって餌やりとお喋り等々。

 なんだか、ね?

 扇風機のひとつもないんだから、窓を全開にしても暑苦しい。

 なにかしら記録を付けているけれど。研究テーマを憶えているのは、部長と副部長の他は二人ぐらいしかいないんじゃないかな。

 ……。

 生物部平部員の僕は普通に思う。部活動、もっと見極めて入れば良かったかな? せめて、天文部だったら、男女半々だったのにね――なんて。

 意欲のない平部員の見本のような僕。

 思うところはあるけれど、別段なにをするわけでもない。

「じゃ、また明日」

 同じ自転車通学の部の仲間に挨拶してママチャリをこぎ出した。


 帰りがけ、近くの書店に立ち寄る。

 高校生客の九割方がうちの高校の生徒だろう、という書店――池上書店。それなりに広く、文庫本が充実しているという印象がある。

 小遣いは限られている。でも、新たな小説、新たな作家先生との出会いを期待して、ついつい書店に立ち寄ってしまう。うちの高校は基本的にアルバイトが禁止されているから、小遣いのみで遣り繰りするしかない。切り詰める生活を考えると憂鬱になるけど、それでも、ね。

「あらら。今日はいっぱいだ」

 駐輪場に空きが見当たらなくて、普段は使わない、奥のトイレ前にママチャリを留める。

 あまり人目のない位置だ。

 さて、困った。鞄はどうしよう。

 書店にちょっと立ち寄るぐらいなら、鞄を自転車に置いたままにする生徒が多い。だけど、ここだと、用心の為に鞄を持って入るべきだろう。ただ、そうすると書店スタッフを刺激する可能性がある。どうしたものかな。

 盗難にあうのは嫌だけど、万引きを疑われるのは超絶大心外だった。以前、別の書店でスタッフに、店内にいる間ずっとつけ回された経験がある。

 あれは、本当に納得出来ない。

 ふぅ、と態とらしく息を吐いた。腹立ちや悲しみは丸めてポイ、だ。

「やっぱり、鞄は置いていこうかな」

 と考えをまとめたところで、トイレの方から結構な音がした。多分、女性用トイレからだ。

 利用者が出てくるとか? それはなんだか気まずい、気を遣う。

 意味もなく、ママチャリのブレーキの具合を確かめたりして。

 右、左、右、左。

 ……。

 誰か、出てくる。

 おぶっ。

 トイレから出てきたのが誰なのか知れて、僕は息を詰まらせた。


「あ、安生あんじょうさん」

 声が掠れなかったのは上出来だった。つい名前を呼んでしまったのはどうなんだ、という気もしたけれど。

 安生あんじょう美紀みき。同じ中学出身。三年時、同じクラスだった。高校も同じになったけれど――同じにしたんだけれど、クラスは違っていた。彼女は文系クラスに進んでいたから、僕らが同じクラスになることはもうない……。

 高校を選んだ際の、ちょっとした不純。僕は、安生さんのことが気になっていたんだ。だから、近くにいられればと思った。

 そんな安生さんなのだけど。

「おおぅ」

 トイレから出てきた彼女は、奇怪な声を上げて立ち止まった。――そして。奇怪なのは声だけじゃなかった。

 彼女の格好だ。

 鎖帷子に、肩当てと胸当て。腰は紐で縛って革手袋を挟み込み、剣帯も着けている。剣を下げているが、大剣という感じではない。片手でも扱えそうな細身の剣だ。太ももはのぞくけれど、しっかりした革長靴を履いている。

 ファンタジーだ。ファンタジーの女戦士だ。ビキニアーマーとかハイレグアーマーじゃない、本物っぽい女戦士だ。

「な、なんと。コスプレ?」

「コスプレ?」

 安生さんが眉根を寄せた。

 嫌がられた――? 僕は慎重になる。

 部活動。安生さんは演劇部に所属している。……生物部に体験入部しておきながら、結局、演劇部に入ったんだ。僕は、安生さんが入部するものと思って、生物部に入部届を出したんだよね。

 ……なんというか。凄い歓迎されていたのに、生物部を袖にして演劇部に入るとか思いもしなかった。

『男の人しかいない部はちょっとね。それに、ゴキブリとか絶対無理。女子は無理だよぉ』

 と、女の子同士で話しているのを後になって聞いた。

 ……。

 いやいや、と僕は頭を振る。

 今は、そんなことを思い出している場合じゃない。

 安生さんは演劇部。

 安生さんの装束は、多分、演劇部のものだ。演劇の衣装だ。

 だとすると、これはアレだ。校外部活動。察してあげないと。

「びっくりしたよ。カッコいいね」

 と、取り敢えず褒めておく。

「カッコ、イイ? ふぅん。どうやら、君、スチャラペ語を使うようね」

「スチャラペ語?」

 なんじゃそれ。

「私、これでも学者志望だったから。失われた地方言語の知識があるのよ」

「はあ……」

 なんだろう。安生さんが設定を押し付けてきた。

「どうして、そんな格好をしているの?」

 解ってはいるけれど、一応、訊いてみた。

「今は戦士の身だから。動きが損なわれない範囲で、防御力の高い格好をしているの」

「はあ……」

 そんな返しデスか。つまり、すっかり、役にハマってるってことなんだね。

 心のうちで溜め息した。

 去年、この池上書店から、竜ヶ山高等学校に苦情が入った。

 それは、

『竜ヶ山の生徒がうちの駐輪場で冊子の読み合いをして困る』

 というものだった。

 人前での緊張に慣れる為、という理由で演劇部の部員達が池上書店前で台本を声に出して読んでいたんだ。

 営業妨害になるからと、これは厳重注意を受けた。

 それなのに、またやらかすの?

 今度は、台本を読むどころではなく、衣装まで着ている。

「さすがに、まずいと思うよ」

 ぼんやり笑みながら言って、辺りを窺う。どうやら、他の部員はまだ来ていないようだ。トイレで着替えているのかもしれないけれど。

「まずい? まずい、か……」

 安生さんもまた辺りを窺う。

「確かにね。色々と検討しないと。――それにしても、君、ちょっと馴れ馴れしいね。どこかで接点があったかな?」

「非道い。中学で同じクラスだったのに」

「う、ん?」

 安生さんは盛大に首を捻った。

「中学……。同じ、クラス?」

 とぼけているというよりも、考え込んだ安生さん。役や設定を意識して演じているんじゃなくて、本気で考え込んでいるようだった。

「もういいよ」

 傷付いた。僕って、安生さんの印象に残っていなかったんだ。

 ……うん、もういい。仕方ない。

「文化祭の練習かなにか? 部の方針もあるんだろうけどさ。ここで、そういうのはどうなんだろうね?」

「練習? ――訓練ではあるけど。……あれこれ言われても困る」

 と、安生さん。

 衣装を着ての校外部活動、演劇練習。文化祭のちょっと早めの宣伝を兼ねているのかもしれないけれど、これは、また問題になりそうだな。とばっちりは御免だ。あまり深く関わらない方がいいのかも。安生さんのことは気になるけれど、池上書店を出入り禁止になったりしたらキツイよ。

「ま、部長命令なら、逆らえないのかもしれないけど」

 安生さんが好きでやってるとは思いたくない。一方的な願望だけれど。

「部長?」

 と、安生さんが首を捻る。

「私は、大隊長の指示に従ったまでだから……」

「なに? 戦記物の設定なの?」

「設定、とはどういう意味だ?」

 安生さんが感情を抑えるよう訊いた。不快さを滲ませる感じだ。

「いや、別に。うん。別にいいんだ」

 言いながら、なんとも言えない気持ちになった。

 とっとと、店内に入った方がいいかもしれない。

 安生さんにこんなことさせるなんて、と腹が立ったけれど。他部が干渉することでもない。僕は、生物部の平部員。せめて僕が生物部の部長だったなら、文化部の立場を悪くするようなことはしてくれるなよ、と演劇部部長に言えたかもしれないけれど。

「邪魔しちゃ悪いから、それじゃ……」

 右手をちょっとだけ上げて、出入り口の自動ドアに向かった。


「きゃっ」

 歩き出した矢先、僕の背に安生さんの声が刺さる。

 安生さんの声と前後して、低い唸り声のような――金属を擦った音のようなものが聴こえた。

 関わらない方がいい、と思ったけれど。やっぱり気になって、振り返った。

 すると――。

 安生さんの前方、アスファルトに青白く光る輪が生じていた。一つ二つ……三つ。

 輪の周りに文字だか記号めいたものが浮かび、これも光りながらせわしなく動く。

 なにが起こってるの? 考えが追い付かない。

 バシュゥゥゥッ。

 音と同時、揺らぎ立つ煙。その後、青白く光る輪のうちになにかが現出してくる。

 それらは生き物だった。リアルでは見たことのない生き物だった。

 しかし、ファンタジー小説や派生アニメに触れていた僕には判る。

 奴等の姿。

 僕のへそまでぐらいの体長。赤茶けた皮膚。猿と比べれば、というレベルで人に近い顔。粗末な衣服や鎧を身に着け、短剣や手斧を帯びている。

 出た。こいつら、ゴブリンだ。

 ファンタジー定番の敵。

 緑系じゃないタイプ。

 青白く光る輪や、文字記号が消えていく。ゴブリン共は辺りを見回した後、互いに顔を見合わせる。

 ここで、ようやく僕は理解した。そうか、そういうことか。

 そういうパターンなのか。

 安生美紀だと思っていた彼女は、この世界の住人ではないのだ。彼女は別な世界の女戦士で、このゴブリン共は彼女を追ってきたのだ。

 そうかぁ。いくらなんでも、同じクラスだった僕を憶えてないとか有り得ないもんね。去年やらかした演劇部だけれど、流石にここまではやらないよね。

 おっと。

 これは、ひょっとしなくても、ファンタジーな戦闘が見られる機会ってこと?

 期待して、安生さんに似た女戦士を見る。

 彼女は――顔を強張らせていた。

「な、なんなの? えっ? ゴブリン?」

 女戦士がゴブリン共を指差して僕を見る。

「そうだね。ファンタジーの定番、ゴブリンだね。さ、ちゃちゃっとやっちゃってよ」

 と、僕は自分の腰を叩いた。

 女戦士は、ハッとして腰の得物に手を掛けた。けれど、それは一瞬のこと。

 彼女は、顔の前で手をパタパタ振った。

 女戦士が剣の柄に触れたのを見、ゴブリン共が興奮する。錆の浮いた短剣や手斧を構えた。

「僕のことを憶えてないとか、いくらなんでも非道いと思ったんだよね。でも、安生さんじゃなくて、別世界の人だというんなら納得だよ」

 と、しみじみ頷いて見せた。

 ――のだけれど。

 女戦士に思いきり睨まれた。

「ふざけないで。私は安生美紀。竜ヶ山高等学校二年三組、演劇部」

「えぇっ」

「中学でのことだけど。私、転校生だったから。言い訳に聞こえるかもしれないけど、男子の顔とか殆ど記憶にない。いちいち憶えてないよ」

「ええっ。そんなもの?」

 確かに、安生さんは中三で転入してきた。でも、一年もあったのに。

 女戦士――じゃない、安生さんは腰の剣を抜くと、僕の方に放った。

「うわっと」

 と、剣を受け止める。軽い。細身だとしても軽過ぎる。これは、おもちゃだ。本物じゃない……。

 ――あれ?

 気付けば、剣の行き先を追ってゴブリン共が僕に向き直っていた。

「えぇと?」

「貸してあげるから、それでどうにかして。どうにかしてくれたら、顔と名前を憶えてあげる」

「えぇっ」

 そんな無茶な、と言う間もなくゴブリン共が襲い掛かってきた。

 あぁ。

 僕よ、歯ぁ喰いしばれ。

               (おわり)




















 



 



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