小舟の思い出

@mutupon

小舟の思い出

 小さな舟がぽつんと、水に浮いていました。

 古い木でできた小さな舟にはだれも乗っておらず、風におされて、波にすくわれて、ときどき小さなお客をのせて、どこまでも続く水面をすべっていきます。

 ある日、むれからはぐれた白い鳥が、小舟のそばをとおりました。

「やぁ小舟くん。どこへ行くんだい?」

 白い鳥は羽休めに舟におりて、小舟にたずねます。しかし舟は、なにも言わずギシッと古びた木をきしませるばかり。いくら待ってもうんともすんとも言いません。とおくで仲間がよぶ声がして、「今いくよ」とへんじをして、

「なんだなんだ、だんまりか」

 鳥はざんねんそうにそう言って、白い大きな羽根を舟にのこしてとおくのお空へ飛び立ちました。


「おや、こんなとことに舟があるじゃないか」

 岸に流れついた舟に乗りこんだのは、物書きの男でした。物語を書くのにいいものはないかとさんぽに出て、たまたまこの舟をみつけたのです。男が舟にのると、ふしぎなことに、こいでもないのにかってに舟は水面をすべっていきます。

「これはなんとふしぎな舟だろう」

 男はおどろいて、このふしぎなことをわすれないよう書こうとして、ポケットにいれたメモをとり出しました。ペンをさがしてカバンをかき回しました。そしてたいへん、ペンがないことに気がついたのです。こまった男が舟の中を見まわすと、白くてきれいな羽根がおちていました。

「これはついてる」

 男は羽根をひろって、カバンからとり出したナイフで先をととのえて、ペンのかわりにしました。まっ白な羽根ペンのできあがりです。

 ゆっくり水面をすべる舟の上、やさしい水の音。ふわりとつつむ風、ちらりちらりと光る魚のうろこ。どれも美しくて、男はペンを止めることができません。

「…よし、書けたぞ!」

 男がまんぞくそうに顔を上げるとどうでしょう、ふしぎなことに、舟はさっき男が乗りこんだ場所に帰ってきているではありませんか。ふしぎな舟のふしぎな物語、男はごきげんでした。いい話が書けたと、うっかりやな男は舟に物語を残したまま、よろこんで帰っていきました。


「もうあんな家になんか帰らないんだ…」

 ひとりの少年が、泣きながら舟に乗りこみました。大きなカバンに服と食べ物と少しのお金をつめて、舟の古くかさかさした底をぬらして。

 お母さんに出ていけと言われて、お父さんはなにも言ってくれなくて、家を飛び出してしまったのです。一人で生きるんだと、少年は舟に乗ってとおくをめざしました。

 舟はしずかに、ひとりでに、水面をすべります。しおのかおりをわって、白いなみに体をあずけて、どこへかもわからぬ方へと進んでいきます。

「これ、なんだろう?」

 少年は舟に乗った紙のたばを見つけて、手にとってみました。少しにじんでしまっていましたが、ふしぎな舟のふしぎな物語が書かれた紙でした。まほうの舟に乗って旅をする。そんなわくわくするような物語です。

 少年は夢中になって読みました。つぎは、つぎはと読んで読んで、気がつけばあっというまに物語は終わってしまいました。

 いつのまにか、なみだはかわいていて、お家に帰りたい気もちがわいてきます。しかしすでに舟はどこかもわからない海の上。どっちへ行ったらいいのかもわからなければ、舟を動かすオールもありません。

「お家に帰りたいよ…」

 かわいたなみだが再びあふれ出しました。もうお父さんとお母さんに会えなくなったらどうしようと、少年は泣きました。少年のなみだが舟の底を黒くぬらした、そのときです。舟はひときわ大きくきしむと、もと来た方へと方向をかえて、ゆっくりと進みはじめたのです。そうして空が暗い青色になるころ、少年の家がある町のみなとが見えてきました。

「お母さんに怒られちゃうなぁ」

 なみだをぬぐって、少年は舟をおりました。かってに乗ってしまったからと、舟にいちまいのコインをのこして、少年の足音は家へと消えていきました。


 舟は大きな湖にういていました。乗っている人はだれもおらず、ただいちまいの金貨がかがやくだけでした。まるで自由な魚のように、この小舟はひとりでに水面をすべります。ぎしりと、古びた体をきしませて、そのたびに金貨がはねて、かつんこつんと音をたてます。

 小舟は知っています。自分に乗ったみんなのことを。

 舟にのこった羽根のやわらかさも、物書きのうれしそうな声も、少年のなみだのしょっぱさも、だれかの幸せも、悲しみも、ぜんぶ、ぜんぶ。

 小舟には何も乗っていない。いいえ、たくさんの思い出が乗っているのです。舟はみんなが大好きで、いっしょにいたかったのです。

 ぎしり。

 舟は大きくきしみました。

 小舟は知っています。もうだれかを乗せられないことを。

 きしんだ舟の底から、水が流れこんできます。小舟はゆっくり湖にしずんでいきます。むかしむかし、だれかの舟だった小舟は、乗っていただれかがいなくなってからずっと、ある時は人を、またある時は小鳥や動物たちを乗せて、思い出をたっぷり乗せてきたのです。

 もうさびしくはありません。水にしずんでも、小舟の思い出がすてきな夢を見せてくれるのですから。


小舟の思い出/終

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