episode 03 ×サントリオ・アゲート

 サントリオ・アゲート。鉱物商人なら絶対に知っているメノウの一大産出地だ。もちろん、この僕、イスカンダリアン・ハリフが勤めているギザ最大の商社アル・キット・ワル・カマルでも、同島の商品をいろいろ取り扱っている。原石から加工品まで。メノウは多孔質──つまり小さな穴があいているから、人工的に着色することすら可能らしい。だから加工の幅がとても広いのだ。ジュエリーを筆頭に、化学実験用の乳鉢やお金持ち仕様の灰皿、彫刻、果ては皮革の艶出し用のローラー素材として。

 ──というウンチクを、僕の上司から長々ながながと聞かされた。

 上司の名前はハリール・イステラーハ。僕は敬愛と敬遠をこめて「女上司マーム」と呼んでいる。当初、マームはその呼び名を嫌がったが、僕が会社の人間は名前では呼ばないと譲らなかったため、それでいいと許可してくれた。

 マームは理解のおよびづらい女性だ。顔の筋肉は仕事を放棄しているし、必要以上にしゃべらない。かと思ったら、ひとたび質問をすると百の答えを返してくれる雑学魔王だ。こだわりがあるようで、こだわらない。真面目に仕事をしていると公言しておきながら、やっていることは食う・寝る・遊ぶのどれか。──まあ、まさにそれが仕事ではあるんだけど。

 さてそんな僕たちはくだんの島、サントリオ・アゲートにやって来た。

 ここには港が五か所あって、僕たちの島ギザを経由する幽霊船は第三港に停泊する。船を降りたら検問を受けなくちゃいけないんだけど、これがまた興味深い。港の職員はみんな背中に翼がはえていて、しかもケモミミなんだ。マームの情報によると、サントリオ・アゲートの住民はケモミミと尻尾が標準装備、そのうち約三割は生まれつき翼がはえているらしい。しかも飾りものなんかじゃなくって、ちゃんと飛べるやつ! この翼持ちの住人はテングと呼ばれているとか。

 一度本社に、テングのブロマイドを売り出したらそこそこ売れるんじゃないかと提案したことがある。だって翼にケモミミだろ? ああいうのは一部に熱烈なファンがいるもんだろう? するとうちの会社から付き合いのある芸能事務所に持ちかけられて、スカウトから始めようかなんて会議にかけられているらしい。どうなるか分からないけど、うまく話が進んだらちょっと嬉しいと思ってる。なにせ僕の、初めての仕事らしい仕事だったしね。

 検問はシンプルな赤い門──トリイというらしい──をくぐった先で行われていた。列に並んで順番を待つことしばらく。僕たちの前に、栗色の髪を肩で切りそろえた可愛い女の子が現れる。背中に立派な翼を背負ったテングだ。十代後半……十七歳か十八歳くらいかな。僕のストライクゾーンにはちょっと年齢が足りない。でも僕の隣のマームは……。

「こんにちは、エン」

「あ、ハリーさん! こんにちは!」

 マームの死滅しているはずの表情筋が少し動いた。普通の人なら気づかないだろうけど、僕の観察眼をめるなよ。

 検問をしてくれるエンって女の子は、それくらいマームのお気に入りだった。なんでも、仕事でここに通っているうちに仲良くなったらしい。はたから見てるとまったく似ていない姉妹って感じかなあ。……僕の推測によると親子くらい歳が離れていそうなんだけどな。まあ、女性に年齢を訊ねるのは僕の最大タブーだし、深く考えないようにしよう。

「今日もお仕事ですか?」

「ええ」

「どのくらい滞在されます?」

「五日くらいの予定だけど、ホテルの都合がつけば十日は考えているわ」

「あ、じゃあ!」聞き取った内容を書きつける書面から顔を上げて、お嬢ちゃんは目を輝かせた。いまにもはち切れそうな若さがみなぎっている。眩しすぎて目が開けられない。「四日後! 私もご一緒していいですか? その日、お休みなんです!」

「あら、いいわよ。地元の人に案内してくれると助かるもの。大歓迎」

「やったー!」

「こら、エン!」

 と、割り込んできたのは別のテングだった。僕よりちょっとだけ背が高くって、すらっとした体格の男だ。

「ロ、ロベルトさん……」

「仕事中だぞ。私語は慎め」

「すみません……」

 あっ、マーム、ちょっとムッとしちゃってる? だめだよ。この場合、正論言ってるのはこのロベルトっておっさんだから。マームだって仕事はきっちりやる派でしょ。口出ししちゃだめだよ。

 僕の願いが通じたのか、マームはくちばしを差しはさむような真似はしなかった。

 一方。ロベルトって野郎は律儀な性格をしているらしく、お嬢ちゃんの説教が終わったら僕たちに対して「すみません」なんて謝ってくる。勘弁してよ、空気を読んでよって思いながら、機嫌のよろしくないマームに代わって「気にしないで」と言っておいた。まったく、これだから融通のきかない男スクエアは。もうちょっと状況が把握できるようにならないと出世できないからな。


 こんな感じで始まったサントリオ・アゲートの滞在は、その後困ったこともなく順調に予定を消化した。予定、といっても、誰かと会って商談をしたり、特産品を買い付けたりなんてしない。

 僕たち貿易部総合課の仕事は、それぞれの土地にある楽しいもの、面白いものを発掘して、もっとたくさんの人たちに知ってもらうことだ。でも現地の人は「それ」があるのが当たり前すぎて、楽しいとか面白いとか思っていないから、僕たちよそ者が実際に見たり聞いたり体験したりして探し出さなければならない。

 僕は最初、その意味がよく分からなかった。けど、テングのブロマイドは売れる宣言したときに、地元の人がポカンとしていた様子を見て気づいたんだ。「ああ、これか!」ってね。

 サントリオ・アゲートじゃ、ケモミミも尻尾も羽根も存在して当たり前の、あまりにも身近なものだから──身近すぎて、買ってもらったり、楽しんでもらったりするようなものじゃなかったってわけだ。ちなみにこの時、マームですら不思議そうな顔をしていた。マームは何度もここにきているし、他のたくさんの浮遊島をめぐっているから、生物の造形のちがいは当たり前すぎて「売り物になる」って感覚がなかったんだろう。僕たちの仕事がどれだけ難しいか、よく分かる事例だな。

 浮遊島を何度も訪問するのは、こういう見落としを再度確認する意味もある。それから──

 空を見上げた。よく晴れている。周囲に建物がないので、とても広く見える。

 果てがあるのかどうかすら分からない、悠久の蒼天。そこに点在する島々。

 ……お偉い学者さまたちの研究結果によると、この空には本当に果てがないらしい。島も、ほんとうはいっぱいあるのに、僕たちの島に停泊する幽霊船が巡回する島の数は観測数の十分の一を下回っているらしくて、詳しいことは分からない。生物が棲んでいるかどうかも不明だってマームが言ってた。

 幽霊船は幽霊船で、気まぐれを起こす。ほとんどは決まった航路をとるけれど、まれにいつもは行かない島に立ち寄ったりする。その「まれ」が定着してしまうこともあるし、本当に一度きりで終わってしまうこともある。そういう幸運を求めて、僕たちは船に乗る。

 マームの部下になる前は考えもしなかったけど、この世界は不思議でいっぱいだ。どうして空は青いんだろう。どうして鳥は空を飛べるんだろう(あとテングも)。幽霊船はどうして島々をめぐっているんだろう。僕たちはどうして、幽霊船以外の飛行物体で島の外に出ることができないんだろう。

「ハリーさーん!」

 元気のいい声で我に返った。お嬢ちゃんだ。宿泊しているホテルの前で待ち合わせていたけど、約束の時間より少し早いくらいに現れた。

「おはようございます、ハリーさん!」

 休日の彼女は昨日にもまして幼く見えた。きっと制服じゃないせいだろう。今日は淡い桃色の服を着ている。形こそ制服と似ているけれど、今日のほうが彼女らしくて似合っていた。

「おはよう」

「イスカさんも、おはようございます!」

 毎度のことながら、お嬢ちゃんは活きがいいなあ。僕は朝はしんどい体質だから、返事をする気力も湧かないっていうのに。

「ハリーさん、あの……ちょっとご相談したいことが……」

「なにかしら」

「その……」

 めずらしく歯切れの悪い物言いの理由はすぐに分かった。お嬢ちゃんに遅れて、背の高いテングの男が現れたからだ。検問所でお嬢ちゃんを叱っていた、あの生真面目スクエア。顔が険しいからすぐに分かった。うげー。

「私も同行させて欲しいのだが、よいだろうか?」

 よくない。お嬢ちゃんと一緒に遊びに行けるって、せっかくマームが上機嫌だったのに。見てよ、この急下降。だいたい、未成年とはいえ、もう十代後半にもなる子の休日についてくるなんてどこの保護者だっつーの。それともあれか? サントリオ・アゲートでは十代後半はよちよち歩きの幼児と同じくらいのあつかいなの?

 きっとマームも同じこと考えている。でも速攻で拒否ったりしない。たぶん、お嬢ちゃんがすごく困ってるからだ。

 ここで同行を断ったら、この男はしつこく食い下がってくるだろう。お嬢ちゃんの大事な休暇を浪費したあげく、後ろからこっそりつけまわす、なんてしかねない。そのくらいの気迫がある。だから断れない。

 ったく、なんだってこんなことに……。

 しかめっつらを見られたくなくてそむけた瞬間、ずぶりと刺されるような鋭い視線を感じて顔を上げた。犯人はすぐに分かった。生真面目スクエアだ。

(んにゃろー)

 もしかしなくても、僕がお嬢ちゃんを口説くつもりだってカンちがいしてるんじゃないの? 勘弁してよ。僕の好みはもうちょっと年上だよ。せめて成人してから出直してきてよ。

 ──なんて説明をしたところで、どうせ信じないんだろうな。うう、頭が痛い。

 ごめん、マーム。すごく申し訳ないけど、どうにかして。お願い。

「……分かったわ。どうぞ」

「ありがとうございます、ハリーさん!」

 お嬢ちゃんがあからさまにほっとした。ついでに僕もほっとした。これで目前の悶着もんちゃくは回避できた。けどこれじゃあ爆弾を抱えて観光しろってことになる。夜更かしでぼんやりしていた頭もすっかり冴えてしまった。


 サントリオ・アゲートは鉱山とか森とかの面積は大きいけれど、人が住んでいる領域はそんなに広くない。僕たちの住むギザが「町」なら、こっちは「村」って感じだ。ご近所さんはみんな顔見知りで交流がある。だから誰それの子どもの名前はナントカちゃんで、孫は何人いるとか、どこに勤めているとか、ギザでは秘匿されるような個人情報が筒抜けだ。

「あらー、エンちゃん、こんにちは。今日はお仕事お休みなのね。あらまあロベルトさん! いやだわ、もしかしてデート?」

「ち、ちがいます! こちらのお二人を案内しているんです!」

「あらー、そうなのー?」

 軒先に出てきたおばちゃん(羽根なし)が薄笑いを浮かべている。お嬢ちゃんは必死に否定してるけど、これはあれだな。効果なしってやつだな。明日には二人がデートしてたって光速で噂されているにちがいない。

「そちらは観光の方かしら? こんにちは、なにもないところだけど、ゆっくりしていってね」

「ありがとうございます」

 表情はとても友好的とは言えないし、声もびっくりするくらい抑揚がないけど、マームはちゃんと頭を下げて挨拶をした。彼女のこういうところは嫌いじゃない。

 僕は、自分で言うのもなんだけど、そこそこ名の知れた社長の息子ってことで良い育ちをしてきた。だから見る目は持っているつもりだ。その点、マームはしつけが行き届いているって感じがする。

「エンちゃん、あの人、なんか怒っているのかい?」

 ……顔の筋肉が絶え果てているから、あんまり伝わっていないけどね。

 そんな風に何度か住人とあいさつをしながら、お嬢ちゃんは一軒のお店に僕たちを案内してくれた。マームにぜひとも見て欲しい物があるらしい。

「すみませーん!」

「はーい……あら、エンちゃん! こんにちは」

「こんにちは。お客様を連れてきました」

 お嬢ちゃんが快活に対応してくれているあいだに、僕はさっと店内を見渡した。

 建物そのものは民家と大差はなかったけれど、まちがいなくここはお店だった。小ぢんまりとした空間に、移動式キャスターつきのハンガーラックがたくさん並んでいる。かけられている服は全部、サントリオ・アゲートの住人が着ている形をしていた。上下が分かれていない、こう、ストンとした、着やすそうな服だ。

「ようこそお越しくださいました。うちは昔から着物で商いをしていますが、貸衣装も始めたんですよ。お二方もぜひ、うちの島の着物を着てみてくださいな」

 店の女将がにこやかに説明してくれた。

 近年この島は、僕たちのような商社の回し者が足しげく通うようになった。産地直送のメノウを求めて立ち寄る観光客もちょっとずつ増えているらしい。そういう人相手に、地元アピールの一環で貸衣装を始めたそうだ。もともとアパレルショップを経営しているんだから新たに元手をかける必要もない。合理的だ。

 勧められるまま、僕たちは二手に分かれて店内を物色しはじめた。マームは女性側、僕は男性側。

 さっそくマームは女将を呼びつけて、あれこれ質問攻めにしている。

「キモノ、といったかしら。繊維はなにを使っているの?」

「商品にもよりますけど、主に木綿と麻の混合です。手触りだけなら木綿だけのほうがいいんですけど、お洗濯のあとの乾燥に少し時間がかかるんです。だから麻を少し混ぜて、乾きやすくしているんですよ。木綿だけの着物を好む方もいるので、一応取り扱ってはいるんですけど──」

 洗濯のことまで考えたりしたことがないから、そういう生活の知恵みたいな商品の売り方に素直に感心した。僕が服を買うときに考えることといったら、色とかデザインとか、それくらいかな。あとはせいぜい着心地くらい。

 でもサントリオ・アゲートのキモノってやつは、上下がくっついているからコーディネートを計算に入れる必要はない。デザインも全部似たような仕上がりになっている。せいぜい腰のベルトとの組み合わせくらいだ。でも全部、色味がかたよってて、いまいち面白みがないんだよな……。

「ハリーさん、こっちの着物の色なんてどうです? すっごく似合いそう」

「そう?」

「でもハリーさんにはこっちのがらがいいかなぁ?」

「そうね。同じ花柄でも、こちらの染め色のほうがお似合いだわ。エンちゃんはもっと小ぶりな柄がいいかしら」

「ハリーさんといっしょがいいなぁ」

「二人とも雰囲気がぜんぜんちがうから、それはちょっとむずかしいかもね」

 あっちは賑やかで楽しそうだ。女の子がわちゃわちゃしている様子は華があっていいよね。

 ……それに比べてこっちは……。

 ゴゴゴゴ、と背後から音が聞こえたような気がした。言うまでもない、あのスクエア野郎。合流してからというもの、僕からひとときも目を離そうとしない。

 そんなにお嬢ちゃんが心配なの? だいたいこの人、彼女のなんなのさ。父親……にしては若いし、ぎりぎり兄ってところかな。でも似ていない。じゃあ、あれか。幼馴染! お、我ながらイイ線いってる? それであれでしょ。お嬢ちゃんのほうがそこはかとなく彼に恋心を抱いてて、でも肝心の男はちょっと無自覚で。ほんとは好きだって本人も薄々勘づいているのにさ、年齢が離れているとか、妹みたいなもんだとか言い訳して、煮え切らないってやつ。まったく、情けないねー。

「ねえ、そこのあなた……ロベルト!」

 マームが大きな声で呼びかけると、スクエアの体がびくっと揺れた。僕を射殺さんばかりに険しかった顔は引きつって、心なしか冷や汗をかいているように見える。……あれ、このおっさん、もしかしてマームが苦手?

 うん、まあ気持ちは分かるよ。マームって、表情が動かないから内心が読みづらいもんね。いつも眠そうな顔は目つきが悪いともとれるし、さっき挨拶したおばちゃんだって怒ってるの? って聞くくらいだ。きっと、親父の親友だったっていうマームのお母さんのお腹の中に、愛想ってのを置き忘れてきたにちがいない。

「はっ……、なにか、ご用で?」

 おっちゃん、そのしゃちほこばった態度、どうにかしようよ。マームは僕の上司であって、あんたの上司ってわけじゃないんだからさ。

「エンの着物、あなたはどれが似合うと思う?」

「えっ」

 これには思わず僕も声をあげた。いやいや、それどう考えてもスクエアには向いていない質問でしょ。観察眼にすぐれたマームらしくない……あ、そういうことか。

「え、おれ、いやっ、私は……」

 あーあ、あんなしどろもどろになっちゃって。

「似合うか、似合わないかだけでも意見をいただけないかしら」

 マームに軽く押されて、お嬢ちゃんは二、三歩たたらを踏んだ。右肩にはブティックの女将さんがミモザ色のキモノを、左肩にはマームがライラック色のキモノをあてている。エンちゃんは雰囲気がほんわかしているから、ああいう柔らかい色がよく似合う。濃すぎず薄すぎない栗色の髪と真っ白な翼の組み合わせは割となんにでも合うし、透き通るようなグリーンの瞳はさしずめエメラルドかペリドット……。

「僕はどっちも似合うと思うよー」

 つい、自分の立場を忘れてでしゃばってしまった。「黄色はお嬢ちゃんの元気にぴったりだし、紫は落ち着いた雰囲気を出してくれるし。でも個人的には紫のほうが好きかなー……あ、」

 しまった。マームの目が冷たい。お前には聞いていないって顔に書いてある。

 お嬢ちゃん本人は耳まで赤くして「ありがとうございます……」なんて言ってくれてるけど、その手前でスクエア野郎がお嬢ちゃんと僕との間に立ちはだかって「近づくな!」みたいな気迫のバリアー張ってるし。女将さんは女将さんで、なんか楽しそうだし……。

 ため息をついた。もうほんと、勘弁して。


 結論から言うと、お嬢ちゃんはどちらも選ばなかった。お嬢ちゃんの背中はえた立派な翼がを通すスリットが、店の商品に入っていないからだ。

 そのかわりに、商売上手な女将さんにもてはやされて、マームが次から次へといろんなキモノを試着した。

「ハリーさん、似合うー!」「こっちもすてきー!」「大人っぽい~!」

 ……ひときわ喜んでいるのが、試着している本人じゃなくてお嬢ちゃんっていうのが、らしいといえばらしいよな。

 ワンピースのような見た目とはちがって、キモノは着るのにひと手間が必要だ。ジャケットみたいに羽織って、体の前面で重ね合わせて、腰にぐるっと革のベルトを巻いてめる。首周りにもたっぷり布が余っているから、ふんわりと山折りにして、こっちはボタンで留める。お嬢ちゃんやスクエアみたいなテングは背中にスリットが必要だけど、テングっていうのは住民の三割くらいしかいないから、店頭販売時には入っていないものがほとんどで、購入するときにオプションとして注文するスタイルがとられているそうだ。

 マームのファッションショーのあいだ、僕は小物類を担当した。腰のベルトは革製品が主流だけど、最近は若い娘さんたちの間で布製の手作りベルト──この場合はオビという名前らしい──を使うことも増えたとか。オシャレポイントは他にもあって、オビの上にメダルみたいな飾りをつけたり、首元のボタンをちょっと変わったものにしたりするらしい。一般的にはメノウが使われる。なにせここはメノウの一大産地だ。下手な石ころより、メノウのほうが安かったりする。

「どうしたの」

 ボタンをじーっと見つめていたら、マームがひょいと横に現れた。いま試着している黒いキモノは染色が難しい値打ちものだそうだ。でも彼女が纏うと途端に普段着となんら変わらなく見える。この人の魅力は、こういう、実はすごいっていうのをフツーと同列にしてしまうことかもしれない。

「えーと、このボタンなんですけど」

 僕は穴が空きそうなほど見つめていた、キモノの首部分を指した。貝殻を使ったボタンで、これもけっこうお高い品だ。貝殻ボタンは割れやすいから加工がむずかしいし、手荒にあつかえないから普段使いもできなくて、需要がそう高くない。需要がないと数がさばけないから高くなる。需要と供給の法則ってやつだ。

「ボタンじゃなくて、カフスならどうかなって。ボタンは縫いつけられているから簡単に取り換えたりできないけど、カフスなら好きなときに好きな飾りが使えるでしょ」

「なるほど」

「こっちの帯飾りも、こういう大振りなやつじゃなくて、キーホルダーみたいにぶら下げるタイプとかどうだろう。小さくしたぶん安価にすれば、若い人も気軽に楽しめるんじゃないかな。逆に、スパンコールとか縫いつけてゴージャスさを出すとかもアリかな」

 ぼんやり考えていたことを言葉にすると、次から次にアイディアが湧いてきた。といっても、どれもこれも故郷の島ギザではよく見られる装飾だ。あっちじゃ当たり前すぎて、斬新なアイディアとはとうてい言えない。でもこの島ならどうだろう。

「布地も、化学繊維を使えばもっと乾燥が早く済む生地が作れるし、染料を増やせば同じ紫やピンクでもいろんな濃淡が出るでしょ。特に男性物にバリエーションがあったらいいんじゃないかなって。女性用とちがって柄の種類にも限界があるだろうし」

 男性服にバラとかユリとか入ってたら売れないでしょ。まあ、そういうのが好きな人もいるかもしれないし、似合う人もいるかもしれないけど、ここで求めるべきはニッチさじゃなくて大衆受けする商品だよね。

「そうね」

 とても簡潔に、だけど、マームが首肯した。あのマームがうなずいた!

「でもそれは、この島で販売する話でしょう」

「そうなんだよねー」

 僕も悩ましく同意した。

 僕たちは「ギザに持ち帰る物や技術や概念」を探索しているのであって、「そこの土地で売れる商品」を提供する立場ではない。ギザに戻って、輸出の担当者に報告することはできるけど、そこから先の判断はあちら任せになる。

「いいアイディアだと思うんだけどな~」

 せっかくの着想を捨てきれずにぼやいた。このとき僕はひそかに期待していたんだと思う。マームが僕の愚痴ぐちをすくい上げてくれて、担当者に口添えしてくれることを。

 でもそんな浅はかな甘えは、すぐに打ち砕かれてしまった。

「仮に、この島に化学繊維を使ったキモノやキーホルダーが輸入されたとしても、あなたが考えているほど売れないと思うわ」

「え、なんで!?」

 マーム、さっきは同意してくれたじゃないか。なんでそんなことを言い出すんだ。

「この島の住民は、満ち足りるということを知っているもの。知足ちそくという言葉を知っているかしら。みずからのぶんをわきまえて、相応のところで満足するという意味よ。ここでの生活は、すみずみにその知足が溶け込んでいるから、目新しい物があってもそうかんたんに飛びついたりしない──というのが私の見解よ」

 とうとうと語るマームの顔はいつもと変化がないはずなのに、どこか誇らしげに見えた。

 なるほど。ギザに持ち込むのと、持ち出すのでは、大きくちがうってわけか。

「島民性」

「そういうこと」

 一人ごちたはずの言葉は、マームに深く肯定された。

 でもなんか、分かる気がするな。あのお嬢ちゃんも、スクエアも。二人を茶化していたおばちゃんとか、この店の女将さんとか。この島にある、のんびりとした空気は、彼らが作っているのだ。


 さんざん試着するだけで帰るわけにもいかなかったのだろう。マームは帰り際に、野花の形を模したメノウつきのヘアピンを買って帰った。売り上げの足しにはならないような安物だったけど、女将さんは気を悪くしたようすもなく、僕たちをこころよく送り出してくれた。これがギザだったら店員の視線が痛すぎていたたまれなかったかもしれない。

 そろそろ昼が近いから昼食に行こうかと僕が提案すると、例のごとくスクエアににらまれてとても困った。一事が万事この状態だから、話がうまく進まない。毛を逆立てたオオカミがそばにいるみたいなものだから、マームもお嬢ちゃんとの時間を楽しめていないみたいだ。

 こうなったらもう、僕だけ先に宿泊宿へ戻ろうかな……なんて考えた、そのときだった。

 道を横切った小さな女の子が石につまづいて転んだ。すぐにお嬢ちゃんが駆けよって、女の子の無事を確認する。

「良かったね」

 キモノのおかげで傷はなかったみたいだ。でも打ち身が痛いのか、びっくりしたのか、女の子の顔はこわばっていた。気が強い性格をしているらしくて、泣くのを必死にガマンしている。

(どっかの誰かさんみたいだな)……なんて苦笑していたら、その「どっかの誰かさん」がすいっと前に出た。

「あげるわ。泣かなかったごほうびよ」

 乱れた女の子の前髪を手櫛てぐしで整えて、さっき買ったばかりのメノウのピンで留める。

「ほら、かわいくできたわ」

「わあ!」

 女の子がとたんに笑顔になる。うんうん、やっぱり笑顔っていいよね。

「……ちょっと。そこの色男サン」

 僕はつつつ、とスクエアにすり寄った。スクエアは嫌悪感もあからさまだけど、けして無視したりしない。根は悪くないヤツなんだろう。迷惑なだけで。

「なんだ」

「女の子にはあーゆーのが大事なんだよ」

「あぁ!?」

「かわいいときはかわいいって、ちゃんと口に出さなきゃダメなの。似合うとか似合わないとかが分からなければ、自分はどっちが好きか、素直に言えばいーんだよ。どっちも好きならどっちも好きだって言えばいい。逆に言わないっていうのが絶対ダメ。言わなきゃ伝わんない。お互いニンゲンなんだからさ」

 ほら、とかなり強く体を押した。でも、体重と筋力が足りなくって、スクエアは数歩だけふらついただけだった。

 くっそー、なんかムカつく。

 スクエアはあらたまってお嬢ちゃんに近づいた。気づいたお嬢ちゃんがスクエアと向き合う。

「エン、その……かっ、かわっ、か……かわ、かわい、」

 カワイって誰だよ。

「かっ……きょろッ……!!」

 お、もうちょっとかな?

「ロベルトさん?」

「かっ……………………………あ、明日はちゃんと制服着てくるんだぞ……」

 ヘタレだー!! マーム、こいつまれにみるヘタレだよー!!

「……はいっ!」

 ああ、でもお嬢ちゃんはなにか勘づいたのかな。極上の笑顔になっている。これだから恋する乙女ってやつは、あなどれないというか、単純というか……。

 ま、いっか。僕が口を出すことじゃない。スクエアににらまれるより、馬に蹴られることのほうが死活問題だしね。

 マームが僕を見ていた。よくやった、と言わんばかりの顔だった。

 そうでしょ、そうでしょ。あなたの部下は、やるときゃやるのよ。

 みんながみんな、それぞれに満足している。

 そんな中、コケた女の子の母親らしき女性が現れた。

 ──まあ、転んだ? けがはないのね、良かった。あら、その髪飾りは? あらあらまあまあ、すみません。ありがとうございます。ほら、あなたもちゃんとお礼を言いなさい。

「テングのお姉ちゃん、おばちゃん、ありがとう!!」

 ふぁ────!! マァームゥー!

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

#浮遊島企画 ハリー&イスカ編【試読版】 ひつじ綿子 @watako

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ