〈ブローディア〉の五人の戦士
カシェルたちは〈ブローディア〉という組織に属する。神の巨兵の討伐を目的とする、いわゆる自警組織だ。総勢三十人ほどの小さな組織。その中で前線に赴く者は五人とさらに少ない。
付け加えるならば、その五人は全員女性だった。
「あらぁ、偶然」
〈ブローディア〉の拠点となる居住区の入り口で、カシェルたちは二人の人物と鉢合わせた。前にいる方が、にこにこと手を振っている。黒いストレートボブ。黄色い肌に朱唇が映える。しなやかな身体を保護するのは、コルセットのような形の革製の鎧だけを纏っただけの軽装備。娘盛りか女盛りか、いまいち判別の付かない妖艶な女性――ミヤビもまた、神の巨兵と戦う五人の“戦士”の一人だ。どうやら彼女もまた、何処かで戦ってきたらしい。
「お疲れ。そっちはバーバラの実地訓練?」
アレックスの言葉で、全員の視線がミヤビの背後に集まった。注目を浴びた少女は、居心地悪そうに縮こまる。銀色の髪を1本の三つ編みにしたボーイッシュな少女。成長期の盛りである彼女の右腕は、普通よりも一回りほど大きかった。肩口から指先までを覆う真鍮色の籠手。しかもその手には、柄の長さだけでも身の丈ほどある大型のハンマーがある。小柄な女の子にはあまりに不釣り合いな装備だが、持っているからには当然それを使いこなしている。
「どうだった?」
アレックスの振りにカシェルは耳をそばだてる。バーバラはつい最近仲間入りした新人だった。彼女の戦士としての出来は、カシェルたちの今後と、バーバラ自身の今後に大きく影響する。もし素質がないなら、突き放してやるのも彼女のためだ。戦力増強は有り難いが、少女を死に追いやりたくはない。
「だいぶ慣れてきたわよー。危なっかしさがなくなってきた。もう本格的に前線に出ても良さそう」
ね、とミヤビが促せば、こくこくとバーバラは何度も頷いた。
「頼りにしてる」
カシェルが声を掛ければ、バーバラは頬を紅潮させた。
「頑張ります!」
ガッツポーズで意気込む彼女に、年長3人は笑んだ。唯一バーバラと同い年のエスメラルダは、明後日の方向を向いて目を輝かせている。カシェルたちの会話は耳に入らず、手にしたガラクタでどんな実験をしようか一人企んでいるに違いない。いつものことなので、放っておく。
女三人のお喋りを聴きながら、街の中に入り込む。神の巨兵に怯えつつも、都市を捨てられない人々が住む街は、鉄筋コンクリートの建築物でできていた。外壁面に煉瓦を張り付けて、かつての名残を惜しんでいるあたりに、住民の執着度が伺える。人の少ない地方に行けば脅威に遭遇する頻度が減るというのに、命の危険を知りつつもこの街に残り続ける理由は如何なるものか。もっとも、カシェルも未だこの街に残っているのだから、他人のことは言えない。
そんな未練の街の縁に〈ブローディア〉の拠点はあった。円筒形の、やはり鉄筋コンクリート。しかし、未練がましい周囲に反抗して、コンクリートは剥き出しだった。赤茶の街に白く塗装が浮いて、良く目立つ。月明かりの下ではさらにぼんやりと浮かび上がって、存在感が増す。
「お疲れ様でーす」
扉が開いた先で整備士たちに出迎えられた。油と金属臭に満ちた整備ドックがこの施設の玄関口だ。カシェルたちはいつもここで身支度をして出撃する。帰投時には、装備を取り外してもらう。蒸気機関を使った装備は、一人では着脱できないのだ。
エスメラルダは周囲を急かし、大きな音を立てながら慌ただしく装備を取り外して、我先にと走って整備室を出ていった。拾った玩具を早速弄りたくて居ても立ってもいられないらしい。まるで年端もいかない子供だが、彼女は好奇心と執着心で魔術とさえ称されるほどの発明をやってのけるほどの天才だ。卵形の機械に限らず、カシェルやバーバラが使う装備にも、エスメラルダの開発した技術が多用されている。
「若い子は元気ねぇ」
チームで一番装備の少ないミヤビは、ブラウスとパンツだけの身軽になった身体を解しながらエスメラルダを見送った。年齢不詳で通っている彼女だが、時折このような年齢を推測させる発言をする。もちろん突っ込んで訊くのは禁止行為だ。
カシェルは四角形の大剣を身近にいた整備士に渡した。そして、別の整備士の手を借りて、スラスターを取り外す。胸当ても外してしまうと、無防備だ。身体にぴったりと貼り付いた袖無しのウェア。下半身は七分丈のレギンス。どちらも黒。これにパーカーを羽織るだけなのが、彼女のいつもの格好だ。
「さぁてと、私は美味しいものでも食べてこよっかなー」
全員が身軽になったのを見計らって、ミヤビは声をあげる。私は、などと言っているが、誰か連れが欲しいらしく、カシェルたち三人に目を向けている。
「わたしも行きます!」
バーバラが元気良く手を挙げた。ごてごてと大きく武骨だった右腕が、健常な左腕と類似した簡素なものに付け替えられていた。バーバラの右腕は義手だ。あの大きなハンマーを振り回す怪力は、小型の炉を備えた大型の義手によるもの。今着けているのは先ほどの物に比べたら張りぼてに等しい普通の義手で、日常生活に支障ないレベルの力しか出ない。
「私は、ちょっとこれのことで相談があるから」
アレックスは愛銃を示した後、整備室の奥に消えていった。彼女は最近、技術者の一人と新しい銃弾を開発するのに夢中になっているらしく、エスメラルダに次いで、実験室に引きこもりがちとなっている。
という訳で、残るはカシェル一人。二人の目が、カシェルに集中する。
「……私は遠慮しておく」
普段から寡黙な質で、話してもさして面白くないだろうカシェルを誘ってくれるのは嬉しくもあるが、今はどうしても食事とお喋りという気分にはなれなかった。
「そ。じゃあゆっくり休みなさいな。行きましょ、バーバラ」
誘ったにしては実にあっさりとした態度でミヤビは身を翻した。バーバラはまた今度、と言って実に残念そうな表情でミヤビの後を追う。
彼女たちを見送って、カシェルはドックの外にある階段を上った。
〈ブローディア〉の六階建ての施設のうち、1階から3階は業務スペース。四階からが居住スペースだ。非常時対応が常のため、構成員のほとんどがこの施設で暮らしていた。カシェルの部屋は四階にある。キッチンと併合したリビング一つ、広くも狭くもない部屋が二つ。他、生活に必要な風呂・トイレなどが設備されていて、そこそこ快適。二人で暮らすには広く、四人で暮らすには手狭な部屋。扉を開ければ、のっぺりした壁と床をレースやキルトで飾り付けた部屋が目に入るのだが、今は真っ暗で何も見えない。
部屋には誰もいない。安堵して、明かりもつけずに部屋を横切る。夜目にダイニングテーブルを探り当てると、椅子を引いて座った。背に凭れて、天井を仰ぐ。ふぅ、と天井に息を吹きかけてみるが、苛立ちと虚しさはカシェルの中から出ていくことなく燻り続けた。
闇の中、かつての光景が目の前で再生される。忌まわしい記憶だ。ずっと胸の奥に仕舞って目を背け続けていた。だが、ミハイルとの再会で否応なしに引きずり出されてしまった。あの男は鬼門だ。かつての嫌な思い出も、忘れたい感情も、燻り続けている憎悪も、全部一度に押し寄せる。その混沌はカシェルの手には余ってしまい、心の制御が効かなくなる。
本当に今一人で良かった。もしここに誰かいたら、怒りであれ、悲しみであれ、誰かにぶつけてしまう――。
突如部屋の照明が点いた。天井を仰いでいたカシェルは、光を直視してしまい目を潰してしまった。明転。暗転。ちかちかと視界が入れ替わる。ピントの調整がうまくいかず、気分が悪くなった気がしてカシェルは椅子の上で蹲った。眉の上に手を翳して暗がりを作る。光を抑えれば少しは良くなるだろうか。
「もう、電気も付けないで。暗かったでしょうに」
柔らかな声が耳に届く。白に黒にと点滅を繰り返していた視界の向こうで、仕方ないなとばかりに姉のオードリーが微笑んでいた。髪の色と長さ以外はカシェルとそっくりであるはずなのに、雰囲気からしてまるで違う姉。松葉色の長い髪は光に透けると神秘的。微笑めば聖母と見紛う。こんな傭兵あがりの施設ではなく、神殿や教会の方が相応しい居場所に違いないのに、彼女は何処へも行こうとしない。ここは危険だから、といくらカシェルが諭してもだ。
オードリーは、ゆっくりとカシェルに近寄り、榛色の目で顔を覗き込んだ。
「ミヤビが言っていたけど、本当に疲れているみたいね。そんなに大変な相手だったの?」
予想外の名前を聞いて驚く。先程はあっさりとした反応だったので、カシェルのことなど気にしてないかと思っていたのだが、気持ちが沈みきっていたのを察していたらしい。そればかりか心配してくれて、姉のオードリーに声をかけてくれたようだ。
その気遣いに複雑な気分になる。放っておいてくれれば良かったのに。
「別に。大したことない、あんなの」
「そうならいいけど、慣れた相手だからって油断しないで。……ほらここ、腫れてるわ」
オードリーの指が触れたカシェルの左手首は、少し赤くなっていた。熱を持っているらしく、姉の指がひんやりと感じられる。剣で斬りつけたときに少し捻ったのだろうか。オードリーは棚の薬箱から湿布を取りだして、カシェルの腕に貼りつけた。そして、何か温かいものでも淹れましょうか、と立ち上がる。
台所へ向かう姉。踝まで覆う長いスカートの中で、片足をわずかに引きずりながら歩いている。もうとっくに見慣れたはずの姿だが、カシェルの胸は今でも締め付けられる。
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