煤煙のない空の下

 人間が神の巨兵と呼ぶその巨人は、未知なる技術の結晶であり、すなわち人類の生き残りの可能性が詰まった宝箱だ。科学者エスメラルダは度々そう説く。合金、回路、そして何より動力炉。いずれも人間が技術革新を百年重ねても為し得ないものばかりで、巨兵の中にはそれらが多く詰まっているらしい。

 戦闘が終わるなり物陰から飛び出したそのエスメラルダ――通称メルは、自らの言葉を証明するように、路上に横たわる金属の塊に嬉々として飛び付いた。革のポシェットから工具を取り出して、腕の中のパーツを一つ一つ解体していく。真っ直ぐな赤毛をバレッタで纏め、クリノリンで広がった濃紺のワンピースを身に纏い、それはまあ、どこのお嬢さんなのかと言いたくなる可憐な少女なのだが、実は語尾に“狂”がついてもおかしくないほど、実験開発が大好きな科学技術の申し子だ。先ほどの電磁シールドも彼女の発明品。彼女以外は原理も操作方法も理解していないので、カシェルは彼女に助けてもらった形となる。


 一人ではしゃぐ年下の少女を、カシェルは遠巻きに眺めていた。カシェルはジャンク品を漁るのには興味がない。エスメラルダのほうも手伝えと言いはしないので、戦いの後はこうして待つのが習慣となっている。


「元気だね、メルは」


 瓦礫に腰掛け小銃の手入れをしていた狙撃手アレックスは、一瞬だけ作業の手を止めて苦笑した。火薬の発火ではなく蒸気圧を利用して弾を撃ち出すライフルの銃身は、神の巨兵の配管を引き延ばして作った合金製。相手も蒸気機関で動いていることもあり耐水性を持ち合わせているが、手入れを怠れば小さな傷からたちまち浸食され、いずれ罅が入って破断する。手入れには気を使う、重い蒸気タンクが必要で、銃身には蒸気を通すためのホースの所為で動きが制限される等、不便な点が多い銃だが、これはこれで利点がある。発射のための火薬の入っていた薬莢に別の薬品を入れることができるのだ。上手く使えば、着弾と同時に爆発させたり、凍結材を撒いたりなどということができる。


式なんて、珍しくもないのに」


 カシェルは溢す。先ほど戦った“弐式”と称される巨兵。人間の間での正式呼称は“近接型弐式巨兵”。対面した当初はその重量から繰り出される拳に恐怖したものだが、戦闘を重ねればどうということのない相手だった。遠距離攻撃の手段を持たない。動きも単調で大振り。蒸気が噴き出す予備動作で見切りは容易。余裕でかわせるのだから、その巨塊も脅威にならない。


「珍しくない相手でも、材料は貴重だからね。その癖、一度にたくさんは持ち帰れない」


 アレックスの言う通り、エスメラルダはパーツを選別した後で、何を持ち帰るべきか悩んでいるようだった。あれも欲しい、これも欲しいと騒ぎながら、また巨兵の身体を解体し始めたりと、とにかくせわしない。まだ時間が掛かりそうだ。


 暇潰しに空を見上げる。数年前まで石炭から発生した煤で月も霞むほど汚れていた空も、今は星の瞬きがよく見えるほど澄み渡っている。神の巨兵の心臓である動力炉が、人間の蒸気機関に再利用されるようになったことで、石炭の使用が減り、月日の経過で大気の状態は改善された。今空に残る排煙は、雲の子どものように控え目な蒸気くらいなものだ。

 環境の改善は、帝国軍と抵抗軍の抗争の収束に続いた神の恩恵だ。新たな敵が人類を脅かす一方で、確実に人の世は善い方向に向かっている。もしそれが神の意図の通りなら、あまりに皮肉だ。人間は共通の敵がいなければ手を取り合えないだなんて。


 カシェルの脳裏に、かつての"敵”の姿が浮かぶ。


「誰か来るね」


 アレックスの声に振り向いた。確かに、こちらに接近する影がある。カシェルたちと同じように武装した、しかし服装は統一されている三つの人影。今は巨兵との戦場でしかない廃墟だらけの都心部に来る人間は限られている。その中でも装備が統一されているとなると、決定的だ。女帝に仕える帝国軍人。それが彼らの素性だろう。なら、敵ではない。

 一度警戒を解いたカシェルだが、その中心にいるのが誰なのかはっきりするにつれ、顔が強張っていった。武器は抜かないまでも、身構える。

 ――噂もしていないのに、思い出しただけで現れるなんて。


「あれは……帝国軍少佐のミハイル? 珍しい人物がこんなところに」


 銃の手入れ作業を止めたアレックスが、親切にも相手の素性を明かしてくれた。元帝国軍人の彼女は、その人の顔を見知っていたらしい。が、知り合いではなかったようだ。カシェルたちの前に立ったその少佐ミハイルは、アレックスには構わずカシェルのほうに目を向けた。

 チャコールの地に金糸が刺された丈の長いフロックコートと、何故かジョンブルハットが採用された軍帽。紳士服と呼ぶ方がふさわしいほど洒落た軍服は、女帝の趣味で作られたという。真偽はともかく、目の前の男はそれがすごく様になっていた。少しくすんだ色合いの金の癖毛。線は細く、端正な顔立ち。目を少し細め、薄い笑みを顔面に張り付けた全体としてスカした雰囲気の美丈夫。こんな男に着られたとあれば、さぞや女帝もお喜びだろう。


「――やあ」


 その男は、カシェル相手に旧友に再会したかように片手を挙げて気安い挨拶をした。旧友ではないが、残念ながら旧知ではある。


「見事に出遅れたようだね。大したものだ」


 カシェルは返事をしなかった。それでもミハイルは気に障った様子も見せず、笑みを崩さない。その柔和な表情から目をそらし、カシェルは未だ金属の山で遊ぶエスメラルダを呼んだ。


「帰るよ」

「え」


 がちゃん、と大きな音がした。


「ちょっと待って! まだ決まってないのにっ!」


 慌てる声を無視して、さっさとこの場を後にしようと歩き始める。僅かな時間でてきぱきと道具を片付けたアレックスは、明らかに不自然な態度と行動を取るカシェルを訝しんでいたが、何も言わずあとに続く。

 そんなカシェルたちを、ミハイルが呼び止めた。


「そんなに急いで帰らなくても良いだろう。お友達が困ってるよ」


 しぶしぶ振り返る。完全に出遅れてふらふらと走るエスメラルダの腕の中には、選びきれなかっただろう巨兵の部品がたくさんあった。欲張りが過ぎたのだろう、今にもいくつか溢してしまいそうだ。普段なら手伝ってやるのだが、今は仲間を無視してでもカシェルはこの場から立ち去りたい理由があった。この男と同じ場所に居たくない。顔を合わせているなんて、もっての他だ。とはいえ、ここで駆け出すわけにもいくまい。カシェルはこれ見よがしに溜め息を吐き、目の前の男を睨みあげた。


「なら、そっちが帰って」

「つれないな。たまには少し話でも……」

「寝言は聞こえない」


 ピシャリ、とはね除ける。会話の途中だったミハイルや傍観していた周囲はもちろん、たった今まで騒がしかったエスメラルダさえ口を閉ざした。カシェルの仲間とミハイルの仲間の視線が、全てカシェルに突き刺さる。


「い……いい加減、失礼でしょう! 貴方」


 ミハイルの背後に控えていた女が、キリリと目の端を釣り上げて前に進み出た。堅物そうだが童顔で、軍服が仮装に見えてしまっている。そんな彼女を冷ややかに見つめると、彼女はますます顔を歪めた。上官を侮辱されたのが、そんなに悔しいか。


「いいよ、サニア」


 手を挙げて喚き立てる女を止めたミハイルは、笑みは崩さないままに表情を僅かに変えた。諦念と哀愁が入り混じった表情。


「カシェル」


 そっぽを向いた。子供染みた反応だと理解していても、カシェルはこのやり方でしか相手に反抗できない。


「オードリーは、元気かい?」


 この男は、どうしてもカシェルの逆鱗に触れたいらしい。拳をぐっと握りしめる。この男の綺麗な顔を殴りつけてやったら、どれだけ気分が良い事だろうか。


 衝動を堪えて、踵を返す。このまま残っていたのでは、感情に任せて何かやらかしてしまいそうだ。かつてとは違い友好的になったとはいえ、帝国軍の不興を買うのはよろしくない。

 ただ、やはり何もせず立ち去るのは逃げた気がするので、少しだけ振り向いた。


「答える義理はない」

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