デウス・エクス・マキナ

森陰五十鈴

月下に聳える

 デウス・エクス・マキナ――神がもたらす唐突な終幕。

 それが独り善がりなものではないと、誰が言った。


 * * *


 冴え冴えとした青白い光が、周囲の廃墟を照らし出す。崩壊した都心部。赤煉瓦の建造物が並んだ大通りの地面の敷石は捲れ上がり、建物は傾き、電柱は折れ曲がっている。かつて賑わった通りは、今は影一つ、物音一つない。風に巻き上がる砂塵が、過ぎた時間を物語る。

 カシェルは、その道の真ん中に一人立っていた。長い砂色の髪を風に靡かせて、物憂げな瞳を空に向けている。手には、矩形の刀身の剣。身体にフィットしたウェアの上には、金属の胸当て。そして腰に備えられたのは、コウモリの翼の骨に類似した形状のスラスター。天使の翼を模したらしいが、コウモリがモデルならむしろ悪魔だし、あまりに重々しく人工的だ。ただ、月の光で真鍮の色が神秘的に見えた。


 ギシギシと、空気が軋んだ。


 カシェルは視線を下ろし、音源に目を向けた。カシェルの立つ道の先に、いつの間にか黒く大きな影が佇んでいる。廃墟に匹敵する大きな躯。高い方から小さな二つの赤い光がこちらを見つめている。

 影は一度ぐっと縮こまり、跳躍した。廃墟の陰から出たそれが、月の光に姿をさらす。青色に鈍く輝いたのは、神話の“ゴーレム”を想起させる鈍重な人の形をした金属の塊。人の身の丈の三倍はあるだろうそれは、圧倒的な質量で少女に襲い掛かる。

 カシェルは地面を強く蹴り、後ろへ跳び退いた。同時に腰上の装置を作動。金属の骨の先端から蒸気が吹き出して、カシェルの跳躍力を後押しする。助走なしの一跳びで三メートルほど移動した。


 地面に罅を入れてカシェルの前に着地した鉄の巨人。頭部に飾られたのっぺりとした白い仮面。円筒の金属を組み合わせた部位パーツ。ギシギシと関節に嵌められた歯車が唸る。背中から天に向かって伸びたパイプが白い蒸気を吹き上げた刹那、黒い拳が勢い良く突き出された。少女の頭部ほどの金属塊だ、当たったらどうなるかは、想像に難くない。

 カシェルは大きな絡繰の拳を躱すと、地面をもう一度強く蹴った。スラスターの補助で一気に顔の高さに到達すると、手に携えていた大振りの剣を振り上げる。鉄と鉄がぶつかり合う不快な音。刀身は仮面と本体の継ぎ目に入り込んだが、仮面を剥がすまでには至らず、部品を浅く削っただけだった。


「ちっ」


 手応えのなさに舌打ちしながら、重力に従って落下する。


 再び繰り出された拳をかわし、距離を取る。その後を追う鉄巨人の肩口が突如爆発した。巨人の大きさからすれば小規模な爆発。

 鉄巨人の死角に回り込みながら、カシェルは視線を脇に移した。一階フロアが崩れ落ちた建造物。その傾いた屋上に、銃を構えた仲間の姿を捉える。硝煙の代わりに蒸気を漂わせるスチーム・ライフルを構えた灰色のショートカット。カシェルとさほど歳の変わらない彼女はスナイパーで、援護をしてくれている。

 敵の意識を逸らしてくれたことに視線だけで感謝を述べると、巨人の胴と足の継ぎ目を切りつけた。ぶちぶちという手応えを感じながら、筋繊維ケーブルを切断。反動を利用して後ろに跳躍し、さらに肘の継ぎ目のケーブルを数本断つ。鉄巨人は当然ながら、痛みに呻くような真似はしない。怒りも怯えも感じさせない無機物の瞳で、ただ冷たくカシェルを見下ろす。


「まったく」


 敵と視線を合わせたカシェルは、剣を両手で構え直した。右足を引き、左肩を前に出した半身体勢。柄を腰元に持っていき、刀身を後方に僅かに下げる。


「面白味のない」


 前へとステップ。同時にスラスターも起動。滑るように距離を詰めるカシェルを、数発の銃弾が援護する。内部に入り込んだ銃弾が引き起こす爆発で胸の装甲が吹き飛んだ。中に埋め込まれた円筒型のカプセルが露出する。あれが心臓。絡繰を動かす動力炉。


 目標を見定めたカシェルは滑るように前に出る。右から迫る拳は、卵形の機械が割り込んだのが見えたので、無視した。バチっと、電気が走る音。空中浮遊する銀色の卵の先端が蕾開いた花のように開き、青白い光が放射状に伸びていた。カシェルを庇うアークの傘。時代の先を行き過ぎた電磁シールドが、巨人の拳を受け止めている。


 その横をすり抜けて、巨人の懐に潜り込む。跳躍の間に逆手に持ち変えた剣を、カプセルの上方に差し込んだ。上蓋から伸びていたケーブルを切断、さらに向こう側へ押し込む。そしてすき間に足を掛けて自分の身体を支えると、体当たりするように自分の身体を巨人の胸の穴の中に押し込んだ。梃子の原理で刀身が回転し、心臓を抉り出した。さらに、カプセルを留めようとする下側の命綱をさらに切り落とす。落下を止められなかった橙の光は、地面に衝突して霧散した。

 動力源を失った鉄の絡繰は、拳を引く動作を完了させぬまま機能を停止した。バランスを取ることもできなくなった躯が傾ぐ。

 カシェルは体内のケーブルにしがみついて、巨人が地面に横たわる衝撃に耐えた。そして訪れた静寂に一つ息を吐くと、地面に下りる。巨人の眼に光が灯っていないことを確認してから、金属塊に背を向けた。


 * * *


 かつてこの地は人の争いに覆われていた。圧政を強いる帝国とそれに抗う抵抗軍の抗争。反政府デモは日常茶飯事。都市の中で突然戦闘が起こることも珍しくはなく、小規模ならテロリズムすら“たまにあること”に位置付けられる。そんな平和とは程遠い世の中だった。

 誰にとっても不幸だったのは、帝国軍と抵抗軍の勢力が拮抗していたことだろう。争いは激しくなることはなかったが、小さなものが断続し、両者ともただ消耗していくだけの戦いが繰り返された。これには、否応なしに付き合わされた民衆も疲弊していった。

 確実に衰退していく情勢。現状を打破する何かを望んだ人は大勢いたことだろう。この滞った状況を穿つ何か。他国の襲撃、大災害、何でも良い。それがどんな結末をもたらしたとしても、今よりはマシだと誰もが思い、祈っていた。


 その願いは、ある日突然叶えられた。誰もが予想しなかった、神の出現によって。


 その日。空に顔が浮かび上がった。

 顔だけだった。水面に浸けた顔を見上げたらあのように見えるだろうか。異国の祭典カルネヴァーレに着けられる仮面ボルトのようなつるりとした白い顔。こちらを瞰下する金の象眼。初めて見た神の姿に、水底にいた人間たちは束の間戦いの手を止めた。

 世界が沈黙したのを見計らって、神は裁きの声を響かせる。不毛な争いを続ける人間に、一つの試練と機会を与える、と。

 そうして神が天から遣わしたのが、巨大な金属の身体を持ち、蒸気を吹き出して動く巨人。神の巨兵と、後に人々は呼んだ。この神の巨兵は、次々と都市の中心部に現れ、人間の前に立ちはだかった。生活を脅かされた人間たちは、新たな脅威に力を合わせて立ち向かった。そこには帝国軍も抵抗軍も互いの立場を忘れ、協力し合う姿があった。

 こうして、人間同士の、血と硝煙と怨嗟に満ちた争いはなくなった。

 

 ――だが、『めでたし』では終われない。

 神の巨兵は未だ人類の脅威となっている。

 人間同士の争いが終わっても、人は戦いを止めることはできなかった。

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