第37話

 榊原満治が降壇すると大久保正毅が重い腰を上げた。彼は細身のステッキを片手に、足を引きずるようにして歩き、壇上の人となった。正毅の態度からは不遜とも言えるぞんざいさが見てとれた。ある種の凄みみたいなものが発されていた。村人は「やはり戦争に行って、人を殺したことのある人間の凄みは一味ちがうんじゃなぁ」と感心し合った。正毅は演壇の脇にステッキを立てかけると、演壇に両手をかけて身体を支えながら話すような恰好になった。

「先の戦争で我々、日本人はすべてを失った」正毅は落ち着き払った声で始めた。穏やかで柔らかな声であった。「戦争は、もうそれだけで大きな災禍なのだ。結果、明治、大正の先人達が営々と築き上げてきた国家は消滅し、今や日本帝国の面影ですら、時代に流されようとしている。新聞の声に耳を傾けなさい。それがこれからの世論になるのだ。国民は感じているのだ。もう戦争は必要とされない。国民は忍従の中にあっても、平和こそ求めている。例え米国に媚び入り、その誇りを投げ出しても原子爆弾を使用されるよりはマシだと考えている。米国の顔色を窺いながら、屈従の中で平和こそを求めている。武力は解体され、民主的改革が推し進められようとしている。民主的改革とは今でこそ流行語となっているが、その中身は極めて抽象的に他ならない。しかし具体的に言うなれば、即ちファシズムを助長する権力の解体こそがその主旨であり、欧米の狙いなのだ。もっと端的に言えば、自由と平等が、その言葉の中身なのである。これからはより多くの人々が平等な権利を得て、政治に参与できる資格を有するのだ。軍国主義は悉く解体され、これからは自由な政党、自由な主義、自由な思想、自由な宗教を選ぶことのできる、そんな国家が形作られるであろう。国民は多くの政党を有し、権力の分散を推し進めることが当面の急務なのだ。これからは婦人も政治に参与し、より多角的な政治形態ができ上がることが予期されるであろう。しかしGHQの政策がすべて正しい、とは私は思わぬ者である。GHQは日本を分割統治する意思はないようであるが、これはまやかしに過ぎない。領土問題に疎い日本人は、そこを見事に勘違いしているのだ。朝鮮は北と南に分割され、満州は中国に取られ、北方四島はソ連の手に落ち、沖縄はアメリカに割譲された。これは動かぬ事実ではないか。日本は敗戦したが、日本に残された、北海道、本州、四国、九州だけは死守しなければならない我々日本人の日本人による日本人の領土なのだ。これからは残された土地を有効活用し、その資本主義を育まなければならないのだ。ご存じの通り私は農本主義に基づいた豪農組である。しかしいつでも私は土地を政府に奉還する用意のある者であり、私の抱える小作人に土地を売り与える準備がある者である」

 ここで咄嗟に拍手が沸いた。正毅はしばらく拍手の中に浸った。そして拍手が疎らになるのを見届けて続けた。

「GHQは新憲法の制定を急いでいる。恐らく来年か、再来年辺りには新憲法が公布されることになるのだろう。昨今の戦争の最終目的は侵略し、資源の搾取を働くのではなく、その国の憲法、あるいは法律を自分たちの都合の良いものに作り変えることにこそ戦争目的はある。そして新憲法。それは俗に言われている通り、少なくとも平和憲法なのだ。この憲法が定まることにより、日本の将来の形が造形され、それが民主化の他ならぬ第一歩と言えよう。この新憲法に盛り込まれる内容とは、抽象的ではあるが、すでに幾つかの報道機関が、幾つかの情報を流している。中にはガセネタ的なものも含まれているが、それでも平和憲法であるという大前提だけは突き崩せないだろう。その報道によって断片的ではあるが、将来の日本を垣間見る試みができるのではないか。新憲法が公布されたら、まずそれに目を通しなさい。それが今後の日本の形なのだ。つまり報道されることを基にすれば、日本の天皇制は天皇主権から、象徴天皇制へ変わり、国民に主権があることが認められる。つまりこれからの国権は国民が担ってゆくことになるのだ。それ以上の権力が認められないのであれば、この日本を混迷の極みに陥れた統帥大権などの絶対権力は断固として認められない。この象徴天皇制と並んで、憲法に成文化されるのは、戦争放棄の大原則ということになっている。日本は国権の発動と共に、それを戦争手段に訴えることができなくなるのだ。日本はその平和憲法のもと、武力が解体され、永久中立国として国際社会に位置づけられる。しかし平和憲法といえば聞こえはいいかもしれないのだが、要するにGHQは日本が永久に戦争をできない国家へと作り変えることを目的としているのだ。武力なき中立など絶対に不可能なのだ。GHQはそれでも日本の武力を解体しようとしている。武力を解体して、一体、これからの国防はどうするつもりなのか。これも錯覚してはならない。武力を放棄すれば平和は訪れるのか、そんな馬鹿なことを考えてはいけない。武力が解体されてしまえば、この国の安全保障は一体どうなるのか。GHQは日本を骨抜きにしようとしている。二度と足腰が立たないように、骨を融解し、その牙を完全に抜こうとしている。しかしやはり国防。これこそが大問題なのだ。残された領土を死守するためには、武力は必要不可欠なのだ。某国と某国が戦争状態に突入して、一方の国が日本の軍事施設を、あるいは港を、あるいは軍事資金の借款を求めた場合、無論、このときにやってくる某国の戦艦は大砲で鎧われているわけであり、その戦艦を追い払うだけの武力を保持していなければ中立など、保てるわけがないではないか。武力がないことをいいことに、日本の軍港は割譲され、やがては植民地が待っている。そして植民地になった暁には、支配国の先兵として、再び武器を持ち、戦わなければならなくなることは火を見るより明らかなことなのだ。日本に黒船が来航し、それから明治維新に至る歴史を我々はすでに一度、経験しているではないか。あのとき日本が黒船に対抗できる武力を有していれば、明治維新など起こるはずがなかったのである。平安貴族は武力を『穢れ』だとして放棄した歴史がある。結果、自身の安全保障のために農民が武装し、それが武士の起こりとなったのだ。国家が武力放棄してしまえば、我々力なき国民は誰に守ってもらえばいいと言うのか、そうなれば我々はまさに不安と混沌に怯えながら生活しなければならないのだ。国家は国民の生活を守るだけの武力を身につけていなければならない。国民が安全に、安心して暮らせるだけの武力が必要不可欠なのだ。しかし私は断じて言うが戦争を肯定する者ではない。戦争を美談とする好事家とはわけが違う。勘違いしないでほしい。私は平和主義者なのだ。私は平和憲法に大賛成であるが、武力の解体にだけは、先ほどから述べている通り、危懼を抱くのを禁じ得ない。私は日露戦争の兵役に身を投じたことがあるが、戦争には反対の態度を一貫して示そう。しかしGHQの政策がすべて、正しいとは思わぬ者であり、武力の解体だけは、納得することはできない。武力放棄を金科玉条のように考えている者は、文民統制という言葉を知っているだろうか。即ち文民統制とは軍人に権力が集中すると、それは軍国主義に走る傾向があるので、軍人は文民の下に格付けられるという政治形態のことだ。これをもとに我々文民が軍部の握る権力に歯止めをかけて、統制して行けば、浅はかに起きる戦争を避けることができるはずなのだ。特に日本は軍部の得体の知れない権限のもとにあの愚劣かつ幼稚極まりない戦争を引き起こすに至った。我々はあの戦争が遂行されているとき、無知の目隠しで目を塞がれていた。あの戦争は誰もが勝つと信じていた。ところが結果は御存じの通り、多くの国民は虐殺され、惨めな敗戦に終わった。我々を無知にしたのは政府なのだ。政府は厳しい検閲によって、この国に不利になる情報は国民に告知しなかった。私が身を投じた日露戦争では、露国内において反政府組織、革命家の暗躍があり、戦争の継続を難しくしたのだ。だからこそ日本は、第二次大戦において過激なまでの情報統制と、一貫した愛国心を説いた。しかし残念ながら我々にも罪がないわけではない。我々の無知は確かに政府によって捏造されたものであるが、それでも良識の府があるのならば、例え『非国民』呼ばわりされても、戦争の反対を、戦争の真実を恐れることなく語ることができたはずなのだ。本当に祖国を愛し、家族を愛する者であれば、非国民の誹りがなんであろうか。日本の瀕する危機に真っ向から訴えかけ、一命を懸けてでも、その愚挙を止めることができなかったのか。二度と立ち上がれぬほどに叩かれなくても、原子爆弾を使用される前に日本は降伏するという英断もできたはずなのだ。しかし残念ながら戦時中はそんな言動に出ることは極めて難しかった。それも軍国主義を前提とした、強大な国家権力の前では個人の声はあまりに小さく、ささやかなものだったからに他ならない。しかし、これからはそれすらも革められるだろう。いや、革めざるを得ないだろう。国民主権を得るにあたって、我々は、我々国民の一人一人に主権があることを自覚しなければならないのだ。即ちこれからは我々文民がもっと賢くならなければならないのだ。我々国民が国家を正しい道へと導くという自負こそが育まれなければ、再び日本の権力は暴発し、迷走を看過しなければならなくなるであろう。そう、我々はもう無関心ではいられなくなるのだ。一人一人が自らに課せられた使命を自覚し、それが国家の歯車となり、各々が知恵を振り絞って日本を導かなければならない、我々国民はタダで主権、即ち権利を得るのではない。多くの同胞の流血で購われた対価として権利を手にすることを忘れてはならない。近代化、あるいは民主化とは即ち権力の分散というところにあるのだ。国民主権を得るにあたって、日本の権力は八千万に分散されることになる。これからはその権利を担う責任を自覚しなければならないのだ。その知恵で軍部を統制し、二度とあの忌まわしい戦争を起こしてはならないのだ。日本の武力が解体されるのであれば、それは一時的なものでなければならない。一時的に国防に割かれる予算を削減し、それを復興のための内政資金に充てることが肝要なのだ。そして日本が独立国として復帰し、立ち上がったとき、再び憚ることなく武力を築けばいいのだ。まずは復興。この大義を忘れてはならない。日本がいつ独立国に復帰するのかは、今のところ見通しはきかないが、十年先、二十年先、であれば、その間に国際社会に通用する資本主義を育まなければならない。この急務であり大義を前にして、日本の精神を守ろうなどということは瑣末なことでしかない。国民は日本の精神などはどうでもいい、とすら考えている。無関心と荒廃は貧困から生まれるものなのだ。その前にまず飯を食わせろ、という切実な願望を満たしてあげなければ、精神論などは二の次ではないか。腹が減ったら、腹が減ったと言える国、それが民主化政策なのだ。先の戦争で我々はすべてを失い、人心は荒廃している。この荒廃が何に因るかは言うまでもなく、戦争云々を問う前に、貧困なのだ。この貧困の前に国民は飢えに喘いでいる。道徳は落ちるところまで落ちたと言ってよい。道徳を育む前提に、日本は富を手に入れなければならない。富から余裕が生まれ、そこでようやく他人を思いやる気持ちが生じ、その余裕は心を豊かにするのだ。その順番を間違ってはならない。まずは富、復興し、国が栄えたなら、その時こそ、再び日本の精神を見直す機会なのだ。そして日本が富める国になったとき、そのときこそ、我々の子や孫に説明してやればいいのだ。『我々は確かに亡国を招いた、しかしその貧困のどん底から我々は復興を成し遂げたではないか!』と胸を張って主張すればいいではないか。忍従しなければならないのは、その復興への道程までなのである。若者は我々を恨んでも余りあるように思えるかもしれない。それもまた貧困に因るものなのだ。従って、この国には第一に富が必要なのであり、我々はそれを平等に分かち合う準備をしなければならない。そしてこの私が言う平等とは一見すると不平等であるように思われるかもしれない。これを勘違いしてはならない。何故ならば人間は生まれながらに平等の権利を有しているが、質的生活環境は生まれながらにして違う。富める者はすべてを最初から手中に収め、貧しい者は初めから何も持たない。しかしこの矛盾もまた『平等』という言葉によって論破されるのだ。平等な権利のもと、あるいは法の平等のもと、貧しい者は自らの権利により、富を築く権利が与えられている。そして初めから何もかもを有している者は、その己の才覚によっては、破滅することも大いに有り得るのだ。富める者も貧しき者も、平等の権利を有し、成功するも没落するも、これもまた平等の権利なのだ。必ずしも家業を継がなくてはならないという、古き因習は捨て去られ、誰もが金に群がる権利を与えられるのだ。生の欲望と賤しさ、これこそが人間の本質であり、生命力の源ではないか。この原動力が日本を復興へと導く強さになるであろう! 私はこの村の優れた資質から、この村が日本海側有数の工業生産地帯に伸し上げることも不可能ではないと考えている。まずは大手電機メーカーの工場をこの村に誘致すべきで、殖産を逞しくしなければならない。そして私はこの村の人々の所得を一気に中流階級にまで押し上げる策がある者である。この村はそれらの政策によって、貧困を脱するであろう。私の余生を懸けて、それは実現されるであろう! さぁ、諸君も刮目しなさい。この村の輝かしい未来をその眼で見るのだ」

 正毅は大手を広げて、演説を終えた。拍手喝采の中を、足を引きずりながら悠々と降壇した。正毅が大手産業メーカーをこの村に誘致すると言ったのは、法螺(ほら)でもなく、見栄でもなかった。彼はその方面にも知己が山ほどいたのである。さらに正毅は大実業家である榊原満治と密につながっており、榊原の口利き次第ではこの村にそれらの産業メーカーの工場を誘致することもそう難しいことではなかったのである。これから何をするべきか混迷していた村民に正毅の演説は道標となり、明るい希望を抱かせたのであった。

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