第36話
この会場に足を運んだ村民たちは、この榊原満治がどんな演説を聞かせてくれるのか、特に注目が集まっていた。それはとてつもない大きな期待だった。というのも榊原は経済的成功者であることは言うに及ばず、学識があるのは無論だが、時勢を見抜く洞察力と、先見の明、あるいは中央における現政権にも提言できるだけの権力を彼が持っていることを村人は知り過ぎるほど知っていた。こんな鄙びた村でも、やはり同じ新潟県出身であり、さらに上越の出身者として、また我が村に瀟洒(しょうしゃ)な別荘を構えている榊原の名は広く知れ渡っていた。
その榊原は何が楽しくてこんな演説会で演説し、村人の見世物の中心になっていることに、多少なりとも哀しくなっていた。この村の生計は農業と漁業で賄われているが、榊原の分野とは不動産と有価証券なのであった。
「この国の財界は腐っている」と壇上に上がった榊原はいよいよ第一声を放った。「未熟なまま腐っている。私がアメリカに渡った二十世紀初頭、資本主義は新たな段階へと進みつつあった。それは即ち資本の独占と集中化である。私が留学したアメリカではその傾向が顕著に見られるようになっていた。それを何故、独占と言えるのか、少しばかり記憶を手繰ろう。私の記憶によれば、それは生産額に基づくものである。アメリカにおいて年間生産額が百万ドル以上の大企業は、全体数である企業、約二十二万社のうち千九百社にしかならない。これは実に全体の0・9パーセントという、ほんのささやかなパーセンテージに過ぎない。ところがそれら0・9パーセントの企業が抱える労働者の数は、百四十万人にものぼる。それは総労働者数、五百五十万人のうちの二十五パーセントという、実に巨大な割合を占めている。生産額を見ても、これら0・9パーセントの企業が占める生産額は五十六億ドルにも達している。ここで注目すべきはアメリカには年間生産高、百万ドル以上の大企業が千九百社もあるところである。これを見逃してはならない。翻って我が祖国、日本の財界を見てみると、その独占の形態は財閥に求められる。日本の主な財閥はいわゆる四大財閥である、三井、三菱、住友、安田の四社がすぐに思い出せるだろう。これらは旧財閥組であり、昨今勃興してきた新興財閥を加えても、ほんのわずかな資本が多くとも数十社によって独占されている状態に過ぎない。わずか数十社の、より正確性を求めるのであれば、わずか八十数社の、拙い財閥的経済力で、あの生産大国アメリカと、戦争を始めたのは悲痛に他ならない。アメリカには武器がある、食糧がある、資源がある、日本にはそれら一切のものが不足した状態にある。日本は貧乏の極みにあることをまずその頭に叩き込んでほしい。その貧乏国家が単純計算して二十倍近くの、いやその差は実質的には、もっと大きいものであるが、その経済力を持つ、アメリカと戦争を始めたのだ。私からしてみればこれは無謀としか言いようがない。私は経済力こそが力であると確信している者であり、それを基(もとい)にすれば、これから日本が辿るであろう道筋もより明確なものになってゆくだろう。この日本において財閥は大きな力と発言力を持つに至っているが、この財閥こそが日本のファシズムの根源であり、それを助長している。GHQはこの財閥が握っている独占的経済力が、日本の対外侵略を可能にしたと考えている。貧乏国家は本来であれば対外侵略などできようはずもないのである。対外侵略とは、古今の常識として、経済力がなければそれは不可能なのだ。戦国時代を見ても他国に侵攻できた大名は皆、金山、銀山を持っていたのである。例外は織田信長公と長曾我部元親公だけだが、信長公は楽市楽座という経済システムを確立することにより、中央集権国家を樹立し、対外侵攻を可能にし、元親公は一両具足という農兵制度の卓越した運用によって対外侵略を可能としたのである。そして明治維新を経て、我々日本人は中央集権的な経済力を手に入れ、それはまず帝都である東京を世界有数の経済都市に発展させるに至った。あるいは貿易の中で多額の利益を上げることに成功した。断りを入れておくが、世界の常識において金(ゴールド)は民間に出回らない。しかし江戸時代の日本には金が大量に民間に出回っており、あるいは日本は世界一の富裕国家であるかもしれなかったのだ。政府は涙ぐましくも日本に勃興した財閥を赤子のように育て上げた。しかしGHQはこの財閥を放ってはおかないだろう。まずはこの国の財閥の解体、具体的に言えば、財閥一族が握っている、権力の解体を成し遂げ、自由競争を活性化させる市場を作ることが急務なのである。この財閥一族が握る、株式の総数は、日本で発行されている株式の実に40パーセントを超えているのだ。この閉塞的占有、あるいは独占を打開し、次の次元に日本の資本主義を進めることこそ、我々の考える民主化であり、GHQの掲げる民主化政策の具体的な趣旨である。しかしそこにも弊害と呼べるようなものも確かに存在している。今から一世紀ほど前にカール・マルクス氏は『資本論』を著したが、その過程で『自由競争は生産の集中化を生み、一定の段階に達すると独占へとつながってゆく』と考えた。それはまさにその通りなのであった。私はここで独占の実態や、歴史に関することをくどくど述べるようなことはしない。しかし私はアメリカに留学し、生産の集中化、経済の独占化を目の当たりにしてきた。従って日本における財閥の解体こそ、今、世間で流行となっている民主化政策の最も根幹であり、日本が辿らねばならない経済大国への道を開かんとする通過点に他ならないのである。政官財の癒着は著しい。が、しかしそれですら今後は見直されてゆくだろうと私は考えている。民主化を標榜するのであれば、まずはこの腐り切った癒着からメスを入れねばならない。つまり『政』『官』『財』の三つは独立しなければ本当の意味での民主化とは程遠いのである。さもなければ、再び日本は財閥に取って変われる、新たな資本形態が法の網の目を潜って生き残ることになるのかもしれず、それらが再び戦争を食い物にして自社の利権確保に走る恐れが多分に考えられる。『戦争景気』というものがあることは一部識者の間で知られているが、諸兄は御存じだろうか? 貧困の極みにあった先の戦争からは考えられはしないが、戦争は各種方面で需要が高まり景気がやや上向きになることがあるのだ。だから一部の資産家は戦争が始まったとき、万々歳だった。なんて愚かな、拝金主義! しかもこれに便乗する政治家まで現れ、日本はまさに混迷の極みに陥った。残念ながら日本の政界にはこの財閥権力と資産家を排斥できるだけの力を持たない。それは即ち、政界と財界はそこまで密接に癒着しているのであり、私が今の政界、あるいは財界が腐っているとしたのは、そのことに由来しているものである。今や政治家は政治資金を提供してくれる財界とは切っても切れない関係にあることは、公然の秘密である。政治家は政治資金を企業に援助してもらい、財界は公共事業の斡旋を受けている。しかし安易な希望を与えるわけではないのだが、欧米には勃興する資本主義に関して実に詳細に考察された著作が山ほどある。それらは欧米の資本主義が辿った、失敗と成功の集積体である。これからの財界はそれらの著作を基にして、弊害を廃し、良き点を伸ばすという努力と工夫こそ肝要なのである。主義や思想などというものは、犬にでも食わせておけ。そんなことをありがたがるのは、何の役にも立たない、学生や詩人のすることであり、私のようなプラグマティストにはどうでもいいことなのだ。旧来の日本では『働けど暮らしは楽にならず』、だった。しかしこれからは違う。いや、それを革めることが抜本的な改革であり、民衆の声なき声が政治に反映されることも、そう遠い日ではあるまい。たらふく食いたいのならば、身を粉にして働けばいい。幸いにも日本には世界に稀な、優秀な労働力を有している。これからは働いたら、それに見合う報酬が所得になる、そんな国家が国民に渇望されているのだ。日本は『貧乏は清貧に甘んじている』などと美辞麗句のように言われてきたが、これからの日本は、いや日本人はそれとはまったく違う価値観が育まれてゆくのだ。つまり富める者は自らの努力によって金を手中に収めたのであり、貧乏は単なる怠け者ということになる。そこに同情の余地はない。経済力とは極めて冷徹なものなのだ。先程も述べたように欧米には資本主義に関する、詳細で繊密な考察が為されている著述が多数、存在している。日本の経済学者や、資本家はそれらを綿密に分析し、この国の経済の立て直しの義務を忘れてはならない。日本は敗戦し、結果、諸外国の内政干渉を受けようとしている。これはまさにいい機会なのだ。これを逃したらあるいは永久に日本が経済大国の地位に上り詰めることは不可能になってしまうだろう。金こそ力であるという私のこのテーゼに同意してもらえないならば、諸兄は何を以って復興の大義を語るのか? 先程から口を酸っぱくして言っているように、財閥の解体こそ、日本の市場を正常に戻す政策であり、農地改革や労働改革などはそれに付随するおまけに過ぎないのだ。これからは自由競争と貿易、この二つしか日本が生き残る道はないのだ。日本はいつまでGHQの占領下におかれるのか定かではないが、二十年、いや十五年あれば、日本の古い因習を完全に廃し、自由競争ができる、活発な経済力が身につくと私は考えている。日本にはもはや、搾り取る金は一滴もない。そして日本には資源がない。こんな貧乏国家を植民地にするほど、GHQは愚かではない。つまりまだ日本は自立できる可能性が多分に残っているのだ。国を富ませる方法を義務とし、力強い経済力を身に付けることが我々の急務なのである。そして国民は、金こそ何にも勝る力であることを各々自覚し、一人一人が生産に従事し、その力を以て欧米に対抗し得る国家の礎石を作らねばならないのである。日本政府は八千万人を超える人口を有するこの日本を食わせなければならない。それが当面の課題なのである」
静かに言葉を結んで榊原は降壇した。村人は多少、呆気にとられたようだった。拍手も歓声も何もなかった。話を聞いている間、村人は欠伸をしたり、耳をかっぽじったり、鼻をほじったりする者までいた。日本は貧困の真っ只中にあり、その日本が経済大国になることなど、ほとんど夢物語のように村人には思われたのだった。村民からしてみれば、財閥の解体など縁遠い話であったし、まるで関係のない、何処か外国のお話であるように思われた。どちらかと言えば、この村の村民には財閥解体などよりも、農地改革の方が興味の的として挙がっていた。というのもこの村においても旧来の地主制と、小作人制度が息衝いていたからである。幣原(しではら)内閣は十二月に第一次農地改革を提案することになるのだが、その政策についての噂は既に新聞などで報道されて国民の知るところとなっていた。GHQは日本の旧権力を悉く解体し、それによって民主的改革を推し進めることを第一義としたのだった。
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