第35話 第八章 政見演説

 まず初めに登壇したのは、現村長である新山喜助だった。喜助は議員になった当初、実に気概のある人物だった。人との和を大切にし、人の話を良く聞き、決断を求められるときは果敢に決断した。彼がおかしくなり始めたのは村長に就任し、太平洋戦争が勃発してからで、その最たるものが、例の「心のデリケートな病気」を理由に、政界から瞬く間に雲隠れした事件であった。彼は村民の生計が農業と漁業で成り立っているという既成事実の上に、胡坐(あぐら)をかき、村の政治改革等、例えば殖産興業等に着手することもなかった。もっとも大正モダンの色香の残った時代には地方自治権は明治時代に比べると、大きな権限を与えられていたが、昭和になると地方自治権は再び縮小され(つまり喜助が村長に就任した頃だ)、喜助ごときが政策を打ち出せる権限自体もごく限られていたという事情はあった。それにしても彼の政治への情熱は年々冷めてゆき、彼は徹底した「事なかれ主義」の達人と言っても良かった。最高の危険回避能力とは、即ち何もしないことに限る。その喜助が珍しく政治手腕を見せ、断行したのが、今年の祭りなのであった。

 喜助は登壇すると一つ咳払いをし、聴衆の顔を見渡した。

「残念ながら日本は戦争に敗れ去りました」と喜助は切り出した。「あの戦争で多くの同胞たちの尊い命が失われたことは周知のことと存じます。まずはその御冥福を心よりお祈りし、私は村長であり、村の代表者として、この会場に足を運んで下さった皆様方と一緒に黙祷を捧げることから始めましょう。……黙祷。――おのりください。――さて(喜助はマイクの角度を調節した)、我々、国民が受けるべき苦難は固(もと)より、尋常ならざるべきものであり、堪え難きを堪え、忍び難きを忍ばねばなりません。しかし我々、生き残った者たちは復興の大義を明確にし、それを高々と掲げ、将来の道標(みちしるべ)にしなければならないのであります。それが祖国を敬愛し亡くなった英霊たちに対する最高の餞(はなむけ)なのであります。思えば私は今年の祭りを強行しました。この断行した祭りに対して反対論もあったことは哀しいながらも事実であります。私は愚者と蔑まれ、滑稽でさえありました。しかし私が祭りを執り行うことを決意した陰では、それは偏(ひとえ)に村民の笑顔を守らんがためにしたことなのですあります。事実、あの祭りは成功裏に終わりました。そこには何がありましたか? そう平和です! 亡国の中にあっても決して忘れてはならないことがあるのであります。それはこの国の祭祀であり、溌剌と輝く笑顔なのであります。日本人は滅多に歯を見せて笑いはしません。しかし祭りの場では多くの村民が歯を覗かせて笑っていたではありませんか。祭祀こそこの日本が国是として続けられる政治なのであります。いいですか、新聞には民主的改革などという言葉がどの紙面にも載っているのは周知の事実であります。本当にそれでいいのか? 本当に我々の生活は民主的国家として生まれ変わるのか、皆様方におかれましても、よくよく考えてみて頂きたいのであります。これからの日本は賠償と貧困の極みで生きることを余儀なくされるのであります。永代と続いてきた日本の天皇制ですらGHQの指導のもとに廃絶されるかもしれないのです。それが得体の知れない民主化なるものの正体なのであります。しかし天皇陛下は畏れ多くも我々、日本人の心の故郷でありますし、日本の屹立と聳える誇り高き精神であり、我々の氏神様の頂点に君臨しているのであります! 陛下が米国への屈従のもとに平和を請い願うのであれば、我々もそれに従いましょう。それを静かに受け入れ、忍従しましょう。陛下一人に辛苦を強いて、我々臣民が安穏と暮らすことなど、できるのでしょうか? いや、できるわけがないではありませんか! 我々が第一に守るべきは、この国の『祭祀』であり、それは即ち天皇家なのであります。いいですか、皆様、よく考えてみて下さい。私は先程、日本は亡国の中にある、と明言しましたが、それでも日本の祭祀は脈々と続いてゆくのであります。アメリカでは『祭り』とは『フェステバル』であって、決して政治、即ち『ガバメント』と結び付くものではありません。しかし日本は『祭祀』と言えば、即ち『政』に直通するのであります。この祭祀が滅びない限り、日本の精神は決して失われることがありません。そこには勇猛なる『大和魂』と、人を虐げない『和』の精神があるのであります。ここは是非とも我々の子や、孫のことをよくよく考えようではありませんか。皆様方はこの日本が置かれている、貧困を子や孫に説明できるでしょうか? ここは是非とも説明しなければなりません。日本はアジアの解放のために立ち上がり、強大な敵を前に全身全霊を傾け、一矢報いたのであります。この日本のすべてが焦土と化そうとも、陛下がその大東亜共和圏の大義に御意向をお示しになるのであれば、我々は最後の一人となっても、強大な敵を前に怯むことはなかったでしょう。しかし陛下が明言された通り、これからは平和こそ求むるべきものであり、陛下がそれを望む限り、我々、日本人はもう二度と武器を持って立ち上がることはないのであります。我々は武器を持たずに立ち上がり、屈強なる大和魂のみで闘い抜くことを誓い合いましょう。戦争は長くも苦しいものでありました。しかしその苦しみの分だけ救われたアジアの国々があったことを誇りに思いましょう。日本の歴史の大きな潮流の中にあって、我々が受ける苦難は過去に経験したことのない尋常ならざるべきものであります。皆様も新聞などに目を通し、ご存じのことと思いますが、新聞はこぞって政府批判を始めました。しかし我々は惑わされてはいけません。今でこそ民主的改革などという言葉は皆様の耳に聞き心地がいいのかもしれませんが、この日本において本当に低所得者による民主的政府がこの受難を乗り越えるだけの力があると思いますか? そう、我々の民力は今や底をつくように微々たるものであります。この民力をまずは回復、復興し、そのときこそ民主的政府を立ち上げるべきではありませんか。貧弱な民力に基づく政権は、やはり貧弱なのです。そこで、当面は政官財が一体となってこの苦難を乗り越えることが肝要なのであります。まだ日本で民主的政府を立ち上げるのは時期尚早であり、早計のように思われてならないのであります。しかし我々は戦争に負けこそしましたが、民間にはまだまだたくさんの良識の府が残存されており、それが見事なまでに機能しているではありませんか。私たちの持つ良識の府は、一つ一つは微々たる力ではあるかもしれませんが、それが結集し、納税の義務を怠らずに、国民が国家を育てるという意識さえあれば、政官財を陰に陽に支える力となり得るでしょう。具体的に言いますれば、祭りの寄り合いなどはその最も適切で良い例ではありませんか。祭りこそ我々が導くべき子や孫に日本の精神を伝える、――そして教える絶好の良識の府として機能しなければならないのであります。そういう意味でもこの国の祭祀は永代と続いていかなければならないものであり、絶対に絶やしてはならん伝統なのであります。思えば私は『伝統に寄生する輩』との故なき誹りを受けたことが記憶に新しい。私はその誹りに屈しませんでした。端から見れば、それは愚物の行為に見えたかもしれません。しかし私は夏祭りの日、そう、私は夏祭りの日に文字通り倒れて意識がなくなるまで、最後の力を振り絞り、祭りの成功を祈っていたのであります。いいですか、私が祭りを強行したのは、ここまで述べた通りの信念に基づいたものだったのであります。しかしここまで言えば、何故、私がこの時期に、――この受難の時期に、祭りを復活させ、強行したのか、その理由もなお明らかになったことと存じます。我々の世代は苦渋ではありますが、亡国を招いた世代として罪を免れることはできません。しかし、しかし! 日本の精神だけは必ず後世に伝え、例え、時代が民主的改革を掲げ、それが実現を見るような日が来るようなときがあっても、そして大日本帝国の面影が影を薄めても、その精神だけは、いいですか精神だけは、つまり祭祀だけは、この『国の形』として残さねばならんのであります。もう一度、言わせてもらいます。いいや、何度でも言わせてもらいます。我々の子や孫のことを考えようではありませんか。教育勅語はもとより、伝えられる教育の要であるのは無論のことと存じますが、その根幹から枝葉を広げてゆき、この祭りの寄り合いの場で教育は完結されるのであります。即ち子どもは寄り合いによって大人を見て学び、貴き和の精神を学んで、自分も大人として大成する。祭りの寄り合いとはそういう機能を持った教育の場でもあるのです。そして修身教育の義務を怠ってはなりません。日本人は子どもから大人まで、常に自分を磨き、国家に奉仕する義務を忘れてはなりません。教育勅語の説くところの『常ニ国憲ヲ重シ、国法ニ遵ヒ、一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ、以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ』とある通り、我々も法治国家のなんたるかを問う以前に、日本人としての誇りと、培った道徳を捨て去ってはならんのであります。いいですか、勘違いしてはなりません。法律が善悪を決めるのではないのです。人間の良心が善悪を決めるのです。そうです、私たちは今こそ、その心によって皇運を扶翼(ふよく)するべきときに直面しているのであります。この有史以来、未曽有の危機を見逃して、何が日本人でありますか? 私たち日本人には『力』があります。『心』があります。命を慈しみ、命を懸けるべきときには躊躇わずに命を捧げる誇り高い民族なのであります。皆様、今こそ奮い立ちましょう。そして我が祖国、日本のためにもう一度、各々が何をできるのか、よく考えてみましょう。日本の栄達こそ、皆様の栄達であり、そして世界の栄達なのであります。日本人とはどういう民族であるのかを皆様方におかれましても、よく考えていただきたいのであります。そう、日本は世界で初めて白色人種に真っ向から戦いを挑み、あるいは勝利し、あるいはその牙で、肉を断ち切ったのです。いいですか、私のこの小さな声に耳を傾け、記憶に深く留めておいて頂きたい。日本を殺してはならんのです! 日本を見殺しにしてはならんのであります。そうして我々は忍びましょう。忍従の中で力なき者、弱者に救いの手を差し伸べ、慈悲の心を培おうではありませんか! 我々にはそれができる! それができるのであります! いいですか、私のこの小さな声を記憶に留めておいて頂きたい!」

 喜助は熱っぽく結んだ。話しが終わると一斉に拍手が沸き起こり、喜助はそれにいささか得意気になって降壇した。しばらく拍手は収まらなかったが、それもほとんど重い足を引きずり、登壇した榊原満治の聴衆を射抜くような視線に拍手はぴたりと収まった。

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