第33話

 理子が目を醒ますと、下腹部に引き攣るような痛みが走った。理子は手探りで自分の腹を撫でた。そこにはもう何の膨らみもなかった。ベッド脇には茶子が腰かけ、うとうとしていた。窓から見える薄暮に包まれた村は、それが朝方なのか、夕方なのか分からなかった。しかし往来にぽつぽつと人の声があり、それが夕方であると知る。理子が茶子にケットをかけようとした。すると茶子が薄く目を開け、すぐに目を大きく見開いた。茶子は椅子を立つと、「すぐに幸作さんを呼んで参りますわ」。病室を出て行った。その頃、良太郎は往診に赴き、幸作は診療録の整理をしていた(本来ならば朝美が行っていた仕事だった)。幸作は茶子と共に理子の病室に入った。理子は上半身を起こして、窓の外を眺めていた。いつの間にか雨も止んでいた。夕日が霞みかかっている。幸作は「姉さん、傷は痛みませんか?」。尋ねた。理子は「雨……」とつぶやき、「止んだのね」。言った。幸作も窓の外を見て、「午前中は激しく降りましたが、午後になると次第に雨脚も弱まり、現在は晴れ間が覗いてくれました」。言った。理子は「そう」。言い、「神様の涙も枯れたのね」。口にした。幸作は「姉さん、お子さんの葬式ですが、二日後に行われると聞いています。大久保家の墓に埋葬されるそうです」。言うと、理子は「幸ちゃんにこんな仕事、させたくなかった。してほしくなかった」。つぶやいた。理子は「茶子さんと二人きりにさせてくれないかしら?」。言った。

幸作はその願いを聞き入れた。

病室で茶子と二人きりになると、理子は「茶子さん」。茶子に向かって言った。「朝美さんの子ども、いいえ七海ちゃんを引き取ったこと後悔はしていませんか?」

「後悔?」と茶子は反芻した。「一度も後悔なんてしていませんわ」

「茶子さんも幸ちゃんと同じね。困っている人を見過ごせない」理子は言った。「でもそれは氷山の一角でしかないのよ。この世界には困っている人々が何百万人といます。いつかその巨大な数字にぶつかり、幸ちゃんも、茶子さんも、救うのをやめてしまう。それが偽善だったと知るときがくるのです」

「幸作さんとわたくしが七海を引き取ったことで、それで少しだけ良くなった世界に、世界は変貌するのです。それは七海が生きている世界、七海がいる世界なのです」

「そう」と理子はつぶやいた。「私の子もそんな世界に生きたかったでしょうね」



 良太郎の動きが俄かに慌ただしくなった。医科専門学校時代の教授が、良太郎に帝國大学医学部教授への面会状と推薦状を書いてくれ、封書の中にそれらの書類と共に手紙が入っていた。手紙には現在、新設中の病院の工事が進捗しているが、その病院の院長がまだ決まっていないという。学閥から院長を出したいのだが、適者がいなくて困っているということが認められていた。そこで教授は院長に君を推薦するが、如何なものか? と手紙を締めくくっていた。そしてこの面会状と、推薦状は、その挨拶代わりのものであるとしていた。良太郎はその手紙を机の引き出しの中に仕舞った。

 良太郎は九月五日の早朝に東京へ旅立った。言わずもがな帝國大学医学部教授に会うためであった。良太郎は東京に降り立つと、広大な平野に見渡す限りの焼け野原を眼にすることになった。闇市が所々で開催されており、そこには生の人間の欲望と賤しさが、まるで渦を巻くように立ち上っていた。品物は法外な値段で取引きされ、しかしそれらは右から左へ飛ぶように売れ、金が動いた。恐らく闇市は有史以来、最も活気のあった市場であった。良太郎はすぐに帝國大学へと向かった。

 帝國大学は古めかしい建物だった。煉瓦造りの塀の中に質素な木造建造物が建てられていた。数えられぬほどの俊英たちを世に送り出してきた建物だった。しかしその俊英の何人かは、日本を滅びへと誘った。良太郎はその辺をうろつく、若手の研究員風の男に「教授に会いたい」旨を伝えた。若手研究員は良太郎のことがよほどの権威に見えたのか、頭をぺこぺこさせならが、事務所まで案内してくれた。事務員(男性)はすぐに教授室に内線をし、教授も良太郎に会ってくれるという。良太郎は教授の部屋へと案内された。

 教授室に入ると良太郎はさっと部屋の中を見渡した。見渡す限りの本棚があり、本棚の中には参考書がずらりと並んでいた。大きな机が奥にあり、そこは参考書がうず高く積まれていた。机とセットで大きな革張りの椅子があり、そこに教授が腰かけていた。教授は見たところ良太郎よりも年下だった。度の厚い眼鏡をかけ、その奥にぎょろりとした濁った眼が埋もれるように鈍い光を放っていた。痩身で、勤勉そうで学究肌に見えた。

「日下先生、はるばる新潟からようこそ。お会いできて光栄です」教授は言った。

 良太郎は教授に新潟の名産である笹団子を手渡した。「つまらないものですが」と言って。すると教授は値踏みするように「笹団子ですか。後で皆と美味しくいただきます」。言った。良太郎は本題のストレプトマイシンについて話し始めた。教授は「ほう、ストレプトマイシンですか?」と言い、「我が大学でも単離することに成功しています。しかしですね、日本には結核患者が無数にいます。言わずと知れた国民病なのですから。しかし先生に融通することも吝(やぶさ)かじゃあない。しかしこの抗生物質は引く手数多だ、患者も、その家族も、喉から手が出るほど欲しい。お分かりですか?」。言うと煙草を取り出し、燻らせ始めた。良太郎は何も言わずに鞄の中から神封筒を取り出し、教授の前に差しだした。教授は大きく煙草の煙を吐き出すと、おもむろに煙草を揉み消した。教授は神封筒の中身を確認し「よろしいでしょう」と言った。良太郎は「では頼んだよ」と言って、教授室を辞した。



 遼介に病名が伝えられたのは、九月九日だった。その四日前、良太郎が帝國大学に出かけ、留守にしているとき、まず初めに正毅とトヨが日下診療所に呼び出された。幸作と正毅とトヨは応接室で顔を合わせていた。無論、正毅もトヨもこの国民病の恐ろしさを知っていた。幸作が病名を告げると、正毅は眉間に深い皺を寄せて、顔色を曇らせた。トヨは顔を覆い机に突っ伏して泣き崩れた。

「義兄さんに病気のことを伝えますか?」幸作は尋ねた。

 トヨが「伝えられるワケがありませんわ」と喚くと、正毅が「いや、伝えよう」。ずっしりと重く言った。トヨが「これは死の宣告なんですよ」。叫んだ。すると幸作が「安易な希望を与えるわけではありませんが、結核は必ずしも治らない病気ではありません」。言った。正毅が「どういうことかな?」。尋ねた。幸作は学会での推計等を机の上に並べた。幸作はそれに注釈を加えながら、「結核菌が発見されてから六十数年が経ちました。結核に対する研究は日進月歩で行われております。有効な抗菌薬の開発も進められており、それは治験で著しい効果を上げるに至っております。結核は私たちが考えるよりも恐ろしい病ではなくなりました。必ずしも結核は不治の病ではありません。私も義兄さんには病を告げ、闘病生活に入ってもらった方が望ましいと考えております」と言った。

 正毅は幸作の注釈を聞きながら、医学的難語は分からずとも、その資料の意味することは理解できた。結核は必ずしも不治の病ではないのかもしらん! 正毅は思った。

 東京から帰ってきた良太郎のもとに一通の封書が届いた。帝國大学医学部教授からの封書だった。手紙の趣旨はストレプトマイシンを必要量だけ送る、というものだった。入手がほぼ確定した九月九日に良太郎と幸作は遼介を日下診療所へ呼び出した。遼介はその病を静かに受け入れた。遼介は自分の症状から見るに、結核である可能性に気付いていた。

遼介は結核病院に入るべきか悩んでいた。それは北アルプス(つまり飛騨山脈)の麓に構えられていた。同じ結核患者が集められ、そこで共同生活を送る。遼介の結核病院のイメージは同じ結核に蝕まれた人が数十人といる。彼らは皆、ケットに包まりミノムシのような状態で生活をする。全員が例外なくマスクをし、飛沫核を飛ばさないように、細心の注意を払われる。遼介はその死が訪れる直前まで空を仰いで、流れる雲を眺め、夜空を走る天体を見ながら時間を過ごす。そんな生活に耐えられるだろうか? だけれども思い出がそんな生活の糧になることは分からないでもない。国元(つまり新潟)には、理子がいて父母がいて、自分を慕ってくれる数十人の子どもたちがいる。そんな思い出たちが闘病生活の暗闇を照らす光のようになってくれるかもしれない。そして遼介は思う。そんな子どもたちに――これから国難を極めた時代を送る子どもたちにこそ、何か一つでも残せるものはないだろうか、と。だから遼介は、あるいは本を貪るかもしれない。もしかすると国木田独歩や、樋口一葉や、梶井基次郎のように作家生活を送るかも分からない。大久保家の書斎には古今東西の別を問わず、難しい哲学書から論文、名作と謳われた小説が豊富に揃っている。結核病院に入らずとも、そこを根城にするにはいいのかもしれない。できるのならばかつて日本は太陽に祝福された輝かしい歴史を持っていたことを後世に伝えるような作家になりたいと思う。しかし残された時間の中でそんな作家になれるほどの筆力は身に付くだろうか? 言葉にも先天性の才能がある。どんなに思想の欠片を持っていても、それを結晶化させ、一つの作品に仕上げるのも、それも一種の才能である。遼介は同じ結核という病で亡くなった、小村寿太郎や陸奥宗光、正岡子規のように短い人生で何かをなした人々の物語を書きたいと思った。その儚くも美しい閃光のような生き様を。

 遼介は良太郎と幸作から、これからの治療方針について説明を受けていたが、そんなことばかりを考え、良太郎や幸作の話が何処か上の空を飛んでゆくようだった。遼介は自分が死ぬということを前提にした、将来設計を抱いていた。遼介は子どもの頃から身体が弱く、死というのはどういうものであるのかを、あるいはどういう事象なのかを、深く考察できる子どもだった。祖父母が亡くなったことは遼介も目にしていた。一歳歳を重ねるごとに家族はおめでとうと祝福してくれるが、遼介にはそれが不吉だった。また自分が一歩、死に近づいたことにはっきりとした恐怖を覚えた。

「話を聞いていましたか?」幸作は尋ねた。「義兄さんの病気は平癒する可能性は70%から85%ほどです。私たちも最善を尽くしますので、一緒に病気と闘いましょう」

「後のことはくれぐれもよろしく頼みます」遼介は頭を下げた。

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