第31話 第七章 堕胎

 その事件の翌日、つまり八月二十八日の早朝から、事件は村人の間を旋風の如く突き抜け、電撃のように震撼(しんかん)させた。「あの坂内正平がついに殺(や)りやがった!」というものだった。噂は様々な形をとり、ひどいものばかりだった。正平が「若衆や男衆を次々と殴り殺した」というものがあった。「いや、正平はどうやら一人しか殺していない、それは飯尾秀太だ」。とも言われた。「巌老人が重態で危篤らしい」とも囁かれた。巌老人は昨日から俄かに不機嫌になり、誰とも会おうとしなくなっていた。当然、「村の伝言板」である彼の家には好奇心を丸出しにした人々が詰めかけたが、やはり老人は「危篤」を理由として誰とも会わなかった。「相当、頭が悪いらしいぜ」。「今に始まったことじゃないだろう」。「違うんだよ、頭をがつんと殴られたんだよ」。そんな会話も聞こえた。「聞いたか? 犯人はあの坂内正平なんだってさ」。噂の出どころは、諏訪町に住む(坂内家の隣組の)殊勝な爺さんが早起きして、軒先でせっせと運動をしていた。すると正平の家から河田重治巡査部長と、槇村泰朝巡査、市川弥助、渡辺宗樹が、蓆(むしろ)をかけられている、紫かかった顔をしている男を運び出していた。「何か、あったんかい?」。爺さんは尋ね、担がれている男を見ると、それが坂内正平だった。爺さんは「事件かね?」。尋ねたが、河田巡査部長は忌々しげに、蠅を追い払うように手を振った。それから全員で日下診療所に行き、正平は頭を十針ばかり縫われ、河田巡査部長も頭を四針縫った。渡辺宗樹は内臓破裂の疑いをかけられたが、診察の結果、大事には至らず、胃腸薬を処方されたが、念のために入院することになった。

噂が真実味を帯び始めたのはその二日後だった。朝美の身内だけで、朝美の葬式が行われたのである。そこには坂内家の者の参列は断固として認められなかった。村人はついに柿崎様の長老がお亡くなりになられた、思ったが、その葬式はどうやら朝美のものであるらしいことがはっきりしてきた。

 そこで何処かから、正平は妻殺し、つまり朝美を殺して、現在、警察に身柄を拘束されている、という噂が落ち着きを見せ始めた。しかし正平が朝美を殺した動機となると、村人の間で様々な憶測と推察が飛び交い、収拾不能な混沌とした状態になっていた。折しもダグラス・M・マッカーサー元帥が厚木に上陸し、日本の占領政策を打ち出そうとしていた。しかし村人の間では、そんなことよりも正平の醜態の方が興味を集めていた。

 時を同じくして、日下家で養子を引き取ったらしいという噂が、正平の噂の影に隠れるようにして囁かれた。何故、後継ぎがまだいない、あるいはこれから後継ぎが、幸作と茶子の間に産まれるかもしれない状態で、養子を、しかも女の子を引き取ったのか? ということが村人の首を傾げさせた。やはり日下家も身内だけで祝言を開き、朝美の子どもと正式に養子縁組した。名は「七海(ななみ)」と名付けられた。誰の子なのか明かされないままの祝言に、やはり村人(身内も例外ではなかった)は首を傾げた。

 宿命の子である、朝美の子どもを巡って、正平の坂内本家と朝美の柿崎本家では誰が子を引き取るかで紛争が勃発していた。坂内家では子どもが正平の子ではないことに強く反発した。正平の兄、盛寛は「不義の子を引き取るなんて馬鹿げている」と声を大にした。朝美の子は坂内家とは血がつながっていないのである。しかし盛寛(と正平)の母は、肝玉が据わり、そんな盛寛に、「縁も所縁もない子じゃないんだよ。正平さんのお嫁さんの子どもなのよ」と諭した。それから「正平さんの子が亡くなられたとき、盛寛さんは、何かをしてあげられましたか?」と尋ねた。盛寛はそれを棚上げし、「この家に誰の馬の骨とも知れないガキがうろつくことになるんだ。気持ち悪くないのですか?」。言い放った。しかし坂内家の現世帯主である盛寛(と正平)の父は、「この件に関しては、盛寛の言うことが正しい。さぁ母さん、ご飯にしようじゃないか」。鶴の一声を上げた。

 朝美の柿崎家ではひどい醜態が持ち上がっていた。柿崎家ではまず子どもを朝美の子どもであると認めなかった。柿崎家の長老(御年九十歳を超えてなお矍鑠(かくしゃく)としている)は、「誰がそのような虚言を流したのか、打ち首にしてやる」。喚いた。「我が柿崎家は謙信公の時代から、この越後に根を張り、代々御当主様の恩情に預かり、重責を全うしてきたのだ。その柿崎家の娘が不倫などしようはずもない!」。眼に涙さえ浮かべていた。良太郎と幸作が柿崎家を訪れて、「朝美くんの子どもである」と内々に証言したときも、長老は鶴のような首を神経質に震わせた。長老は「日下家の当主たるお前まで、そんな虚言に踊らされておるのか、無礼であるぞ。言葉を慎め!」。まるで聞き耳を持たず一喝した。柿崎家は経済事情にいささか問題があった。幕藩体制下での柿崎家は、堀家から榊原家に至る、代々の高田藩当主に仕える上級武士であったが、明治になっても頑なに封建制度を守る立場を貫き、版籍奉還が行われると、たちまち土地は買収され、残ったのは猫の額ばかりの田畑だけだった。しかし小作人農家まで雇って、その土地から上がる僅かな農作物で糊口を凌ぐ有様だった。御家第一を家訓とし、子は男児の世嗣が産まれるまで、ひたすら子を作り続けるのだった。不幸なことに柿崎家は男児に恵まれず、女児ばかりに恵まれた。朝美もそんなうちの一人で、女学校を卒業後、すぐに東京に出稼ぎに出されていた。朝美が女中奉公するようになったと聞かされたときも、長老は武家の娘が商人の家に奉公に出るとは、この世も末じゃ、悶絶し、口から泡まで噴いたという(彼は癲(てん)癇(かん)を発症した)。長老は日々、武家の権威が落魄(らくはく)してゆく昨今を目の当たりにして、恥辱と憤怒に打ちひしがれる日々を過ごしていたのだった。

 それは夜中、長老の部屋から妙な音が聞こえる、という家族の話題が始まりだった。嫁が夜中、厠に行こうとするとなるほど長老の部屋から妙な音が聞こえた。ずず、びび、というとてつもなく耳障りな音だった。嫁は「お爺様、起きていらっしゃいますの?」。尋ねて、長老の部屋の前で正座した。ずず、びび。「失礼いたしますわ」。嫁が言って、綺麗な所作で障子戸を開けると、ほとんど布のような掛布団を食いちぎる長老のおぞましき姿があった。長老の目には涙が溢れていた。長老は「臥薪嘗胆(がしんしょうたん)じゃ!」。つんざくように叫び、「今はこらえるのじゃ!」と鋭く叫ぶと、再び掛布団を食いちぎった。

 このような有様だったので、当然、朝美の子は生まれながらにして、出生定かではなく、家もなく、お乳を分け与えてくれる者もいなかった。

 そこで娘を引き取ることになったのが、幸作だった。遼介は幸作が子を引き取るに当たって、その行為を偽善だと断じた。理子も反対の姿勢を取った。正毅とトヨは今回の件に関して、多くを語らない姿勢を示した。というのもおかしな態度を表明し、政治家としての箔に傷が付くことを恐れたのだった。しかし茶子が「かわいい女の子が、日下家に福を運んでくださいますよ」と、にこりとして、子を引き取ることを快諾し、「家族が増えて、日下家も賑やかになりますね。まぁ、素敵なこと」。言ってくれた。幸作はそのとき、思わず茶子の肩を抱き寄せ、「二人で育てましょう」。囁くと、茶子は静かに頷いた。

 理子は日下診療所に入院していたが、幸作を病室に呼び出し「幸ちゃんは分かっているのよね?」ときつく念を押した。幸作はいつものように思わし気な表情をしていたが、理子は「もういい」と言って、幸作を下がらせた。その後に良太郎が理子の部屋に入り、彼女の血圧を診たが、相変わらず眉間に皺を寄せていた。理子は「お父さんは、何を考えているの!」。詰るように言った。すると良太郎は一つ頷き、病室を出て行った。

 村はもう連日のように様々な噂が飛び交った。そんな中である疑念が沸々と発酵するように持ち上がった。茶子はお乳が出ないため、村の婦人仲間からお乳を分けてもらっていた。その中の一人の婦人が、「日下家のお子様は朝美さんに似ていらっしゃる」。言い始めたのである。そんな噂が口に上ると、村人はなるほど、お子様は朝美さんに似ていらっしゃる、と口を揃えるようになった。その過程で一つの定説が完成された。それは朝美が不倫をしていて、子を産み、それに逆上した正平が妻殺しをしたというのである。そしてその子は現在日下家ですくすくと成長している――噂の出どころはともかく、それは限りなく信憑性があり、村人たちは頷き合った。そこで次に村人の興味をさらったのは、朝美が誰と不倫していたのか? という難題が持ち上がった。ある者は誰某の名を上げ、ある者は何某の名を上げるといった有様で、いよいよ収集がつかなくなっていた。

 その声に卒倒したのは柿崎家の長老だった。長老は村で朝美の噂が聴こえると、いちいち腹を立てていたが、ある軽率な男(漁師の三男坊だったらしい)に、「柿崎様、朝美さんは誰と不倫していたんですか?」。ズバリ尋ねられたときに、ついにぷつりと何かが切れた。長老はその場で悶絶し、癲癇の発作で、すぐに近くの病院(日下診療所ではなかった)に運び込まれ、現在は意識不明だという。

 逆にこの機微を逃さなかったのは、正平の兄の坂内盛寛だった。盛寛は日下診療所の子が朝美の子どもであることを、渋々と認めるフリをしたのであった。盛寛としては、すでに殺人鬼と呼ばれていた正平の弁護を一刻も早く開始したかった。盛寛は大衆を煽り、また煽って、そして最後に「実は、ここだけの話にしてほしいんだが、あの子は朝美さんの子どもなんだ」。つぶやくように認めるのである。もっとも彼らの母は、盛寛のこの賤(あさま)しい作戦を潔しとせず、この件に関してはどんなにしつこく興味を持たれようと、どんなにねちっこく話を振られようとも、固く口をつぐんだ。

 噂というのは実に身勝手で、奔放な生き物である。中には朝美の不倫相手が大久保遼介であるという説を唱える者がいた。遼介は正平が満州に滞在中、朝美の後見人のような立場を任されていた。従って朝美に最も近しかった人物が遼介なのであった。しかし遼介は教職員としても、人格的にも村人の信頼を集めていたし、理子との間に六年も子に恵まれなかったのに、俄かに朝美との間で妊娠する確率は低いとみられていた。それで、その噂は何処へともなく消えてゆくことになった。恐らく村人の間でもこの噂に耳を傾けた人はいなかっただろうし、噂自体を耳にした村人もごく数人に限られていただろう。

 ともかく事件発覚から三日から四日の間、村は噂で持ち切りだった。

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