第16話

 幸作と茶子は居間で肩と肩が触れ合うくらいに密着して座っていた。やがてよし乃婆が居間に茶と盛り合された漬物を持ってきた。座卓の上にそれらを並べ、幸作と茶子に勧めた。漬物はキュウリをぬか漬けにしたものと、ナスの焼酎漬けと、からしに漬けた大根だった。幸作はそれらをつまむと、「よし乃婆の味は昔も今も変わりませんね」。言って顔が綻んだ。

 よし乃の腕に一匹の蚊が止まった。よし乃はそれをぴしゃりと潰した。そこから血がぷつりと滲み出た。幸作は「大陸や、熱帯地方では、マラリアという感染症に注意しなければいけなかったんです」。言った。続けて「マラリアという病気は原虫感染症なんですが、ハマダラカという蚊が病原菌を持っている媒体なんです。これがなかなか質の悪い病気でして、マラリアに感染し、マラリア熱を発症すると、酷いものは毛が抜け落ちたり、身体が腐ったりすると言いますよ。最悪は命を落とします」。言った。それから幸作は「日本に戻ってきて思うのは、衛生的な国であるということを実感しました。ただ医者の見地から言うならば、人糞は穀物の肥料にするべきではありませんね。日本は寄生虫の宝庫だと揶揄されているのには驚きました」。言った。

「蚊も生きるために血を吸うのです」とよし乃が言った。「決して血を吸うために生きているわけじゃありません」

「そうですね。地球上には様々な生態系が存在してあります」

すると茶子がふと思いついたように、「人間は何のために生きているんでしょう?」と誰にともなく尋ねた。茶子は「戦争によって多くの方々がお亡くなりになられました。ご冥福を心からお祈りいたします」。言った。

 幸作はしばらく考え、「人間の命はせいぜい六十年から八十年くらいでしょう」。思わし気な顔をした。また少し考え、やがて「それよりも前に亡くなる人もいらっしゃいますし、それよりも長く生きる人もいらっしゃいます。一概に言えませんが、その生きた時間の中で、答えを見つけられるのが人間ではないでしょうか。人間らしく生きるということは、死と向き合うことなのかもしれませんね」。

「人がお亡くなりになるのは、その人だけの問題ではありませんわ」茶子が言った。「上手に表現できるとは思えないのですが、ずっと重層的で、多角的で、人の心と深いつながりを持っているみたいに感じます」

「そうですね」と幸作は首肯した。「心と心でつながっていますから」

「その存在が大きければ大きいほど、喪失感は大きく、受け入れるのには、また時間がかかりますわ」茶子が言った。「人間は誰しも亡くなってしまうことは分かっていることなのに、受け入れられないのです。不思議なものですわ」

 茶子は少し上目遣いで「お婆さんは長生きしてくださいね」。続けて言った。よし乃は日下診療所の前身である、日下療養所が大成させた、漢方薬の処方箋を持ち、その秘奥を極めていた。従って、よし乃の死は村にとって大きな損失となるのであった。

「婆は長生きしますとも」よし乃は滔々と言った。

「ええ、よし乃婆には長生きしてもらわなければ、皆が困ります」

「そうですわ。皆さんが困りますわ」茶子が続いた。

「ええ、婆は長生きしますとも。婆には人喰いの血が流れているんですもの」

 え?

「え?」

「飢饉で人を喰うんですよ」とよし乃は説明した。

「よし乃婆は人を食べたんですか?」

「喰っとりませんよ」

 幸作と茶子は顔を見合わせた。幸作は慎重に言葉を選んでいた。

「……人喰いの血って何です?」幸作は尋ねた。

「婆の婆様の、その婆様は人を喰いました。泥鰌(どじょう)も鯰(なまず)も蝗(いなご)も蛇(へび)も蛙(かえる)も喰えるものはすべて喰いました。木の皮でさえもなめしてしゃぶりました」

 天明年間の大飢饉! 幸作の脳裏に電撃的にその言葉が突き抜けた。江戸の三大飢饉に数えられる大飢饉の一つだ。分けても天明年間の大飢饉の惨状は凄まじく、東海から関東、東北にかけて猛威を振るった。特に関東から東北地方の惨状は甚だしく、人々は食物のすべてを喰い尽し、ついに人を喰う者が現れ、人肉を犬肉だと偽って販売する者もいた。

時節外れの冷雨が天明の大飢饉の引き金を引いた。翌年には各地で大洪水が頻発し、豊かな土壌はすべて流された。あるいは浅間山が史上最大規模の大噴火を起こし、塊状溶岩流と爆発に伴う噴煙は広域にわたる穀物を死の灰の中に埋めさせ、推計不能な経済的損失を招いた。その影響は凄まじく噴煙に因り日本の気候は左右され、日照時間は少なく、穀物が成長することは叶わなかった。当然、穀物には収穫期というのがあり、その時期に壊滅的な被害を受けると、その年は即ち飢饉となる。すると米価は急騰し、全国規模で一揆、打ち壊しが起こり、数年間に及ぶ慢性的な飢饉へと発展することになるのだ。

よし乃は恐らく、この大飢饉のことを言っているのにちがいなかった。

 太平洋戦争が勃発してからというもの、日本は深刻な食糧難に見舞われた。元々日本は農本主義の小さな国で、江戸時代の石高換算で逆算すると、日本には二千万人から二千五百万人、多くとも三千万人の人口を養うのが精一杯だった(それ以上の人口を養える経済基盤、あるいは収穫がなかった)。ところが昭和時代は人口が爆発的に増えて、八千万人を超える国家へと成長していた。

そんな小さな国が、経済制裁を受けて、食糧の輸入を絶たれれば、当然、深刻な食糧難となる。国民は米粒を口の中で半分に割って、それを口の中に転がして味わって食べた。田畑は検地され、それに応じた穀物が軍の徴用によって消えた。しかし人を喰ったなどという話はまず聞いたことがない。農家には牛や馬がいた。もっとも酪農で得た収穫も、ほとんどが軍の徴用で消費された。

また国連による経済制裁は日本に加工すべき原材料の輸出を全面禁止した。この経済制裁のもたらした効果は、日本に一千万から、一千二百万人にものぼる失業者を出すと、推計されていた。アジアの諸地域には日本が喉から手が出るほど欲しい、原材料が溢れていた。

 食べ物がなくなるということは、人類にとって最も切実な問題だった。あるいは草食物でさえも命があると定義するならば、「食う」という行為は多かれ少なかれ、命を捕食しているということになる。人間は食わなければ生きてはいけない。犠牲の上にしか人間は生きられないのだ。生きるということは罪深い。そう、あるいは罪深い行為なのだ。人類の祖であるアダムとイヴが初めて犯した罪も「食う」ことであったはずだ。食うことを裁ける人間なんていないのだ。

 幸作の胸の内で得体の知れない何かがぐちゃぐちゃに混ざり合い、絡み合った。よし乃は先ほど、蚊に刺され、赤くなった患部を思わし気に見ていた。それから茶を飲むと、一呼吸置いた。

「それはもうひどい飢饉でしたそうな」よし乃は言った。「乳飲み子が一番、可哀想な思いをしましてね。母親から乳が一滴も出ないんですよ。ただ死んでゆくのを待つだけの生き物でしたそうな」

 幸作は一言も話すべき言葉が見つからなかった、視線を畳に落としていた。ひどく頭がくらくらし、眩暈を覚えていた。茶子もまた言葉を失い、顔色が優れなかった。

 強大な飢饉を前に、人間はあまりに脆弱だった。

「食べなければ生きてはいけないのですもの」よし乃が言った。

 それを誰が責められるというのか?

「命とは尊いものです」

 数多の犠牲の上に成り立っているのだから。

「だから長生きしなければなりません」



 幸作の脳裏に荒涼とした大地が果てしなく広がった。360度見渡しても、見えるのは果てしない大地だけだった。ここは日本ではなく、もっと殺伐とした何処か遠い国のようだった。地図にも載っていない、恐らく人間に見放された土地だった。あるいは大地が人間を見放したのかも分からなかった。幸作は激しい飢えを感じた。周辺を見渡しても草木一つとして見当たらなかった。大地は日照り、まるで占卜でもしているかのように亀裂が走っている。幸作は激しく食物を求めた。何日も荒れ果てた荒野をさまよい、方向の感覚も、時間の感覚でさえも曖昧になっていた。空腹感は周期的に幸作を襲い、その度に彼の体力をねこそぎ奪っていった。幸作は自分の腕を見て唖然とした。まるで木の枝のように細く、関節は太かった。血の管がその枝の表面を走るように張り巡らされていた。自分の手で自分の顔を確認してみる。頬がげっそりこけて、肉もまるで鋭利な刃物で削げ落とされたかのようだった。空は果てしなく自由だった。何羽もの猛禽類の鳥が空を舞っていた。鳥が舞っているということは、この荒涼とした大地にも食物があるのかも分からなかった。あるいは鳥たちは幸作を餌としているのかもしれなかった。彼が力尽きるのを、淡々と狙っているのかもしれなかった。幸作も鳥を食したかった。その首をへし折り、羽をすべてむしり取って、艶めかしいもも肉に喰らいつきたかった。しかし幸作がどんなに手を伸ばしてもそれに届くことはなかった。幸作はついに動けなくなり仰向けに倒れた。

 次に幸作が意識を取り戻したとき、そこは荒涼とした大地ではなかった。荒れ果てた農村と言ったような風景の中にいた。ひどく寒く、太陽は塵によって濁っていた。ここは間違いなく日本の何処かであったが、それが何処かまでは分からなかった。しかし時代は昭和ではなかった。酷く陰気な路地裏で、幸作は四人くらいの人間に覗き込まれていた。彼らは皆、痩せて、針金のような四肢に辛うじて衣服がまとわりついているようだった。幸作は目を開けようと思っても、瞼はどうしても持ち上がらなかった。ただ幸作の意識は荒れ果てた農村を眼にしていたし、四人くらいの人間に覗き込まれている自分の姿を眼にしていた。幸作は恐らく「死」に感覚があるのならば、こんな感覚にちがいないと思われた。そして魂の入れ物である身体は朽ち果て、魂は魂として、あるいは空と、あるいは雲と、あるいは風と同化しているのであった。

 すると幸作を取り囲んでいた人々は、ぎらりと鈍い光を放つ刃物を取り出した。次の瞬間、幸作は我が目を疑った。――まさか! 幸作の身体だったものが、次々と解体されていった。それは実に不器用な光景だった。元来、農耕民族である日本人は、食肉文化がほとんどなく、生き物を解体して食すという経験はほとんどなかった。むしろ生き物を解体する人々のことを、穢れに満ちた存在だとして差別さえしていた。

 解体が終わると、人々によって肉は分けられ、焼かれたり、煮こまれたりされた。

 恐ろしくも人が人にむしゃぶりつく光景。

 人々は幸作の身体だったものを食していた。腕を、脚を、臓物を。



 やがて幸作は「私は医者です」と言った。皮肉にも天明年間の大飢饉は、蘭学の権威である杉田(すぎた)玄(げん)白(ぱく)によって、ありありと描写されているものが現在に残る。

 医術が進歩するときは、例外なく人が死ぬときだった。それは飢饉であったり、流行病であったり、戦争であったりした。皮肉にもナチスによるホロコーストは医術を格段に進歩させた。口にすることも憚られる人体実験が行われたからだ。

「婆の母様は、飢饉が終息した次の年に生まれまして」とよし乃は言った。「人間は次々と死んで、次々と産まれてくるものなんですね。まこと業深き生き物です」

 よし乃は深く溜め息を吐くと、茶を飲んだ。

 もはやよし乃には今、目の前にある生活だけがすべてであり、彼女の全世界なのであった。戦争も日本の将来も、よし乃の目を曇らせるものは何一つとしてなかった。

 するとふと幸作が「この国の病原は貧困です」と口を開いた。そして「もしも飢えている人がいるならば、私は謹んで私の肉を差し出しましょう。もしも戦争によって戻らない家族がいるのならば、烏滸がましくも私は標(しるべ)となり、その心の灯となりましょう。そしてこの国の病原にメスを入れ、人々が人間らしく天寿を全うできる世界を築く礎石に私はなりたい」。言った。

 茶子が「それは戦争がない世界」と言った。茶子はそんな世界がくるのかしら? 我を疑った。維新を経てからの日本はまさに戦争と癒着した歴史を刻んでいるのだ。「本当にそんな世界が訪れる日がくるのでしょうか」。ぽつりと声にした。

「きます」幸作は断言した。「より良い明日を願う力があれば」

 日本人は純粋な民族だった。イギリスのように狡猾ではないし、アメリカのように自由でも豊かでもない、ソ連のような野心もなかった。ただ純粋だった。

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