第14話

 諏訪様の社には、一の社と二の社と末社、摂社というのがある。一の社は、ごく小さな高床式の廟で丘の戴に構えられている。その社は御神体を祀っている最も重要な社だ。二の社は丘の麓に構えられていて、そこは皆の寄り合い所のようになっている。末社と摂社もごく小さな建物で、人が集まれるような場所ではなかった。従って、幸作と茶子が向かったのは二の社の方である。そこは大久保家から歩いて五分とかからないところへ建っていた。敷居が取り外され、周囲には紅白の幔幕が張り巡らされていた。中の様子は外からでも窺うことができる。ざっと見ても五十人ほどの人々を確認することができた。もちろん全員、茶色の袢纏を着用していた。その中には大久保遼介の姿もあった。遼介は席を与えられ、飲んでいたが、遼介よりも若手の二十代の人々が忙しなく動き回り、老人たちの面倒を見ているようだった。幸作は外から声をかけようとしたが、茶子に袖を引かれた。茶子は「お祭りは女人禁制ではありませんの?」。尋ねた。それは古くからの風習だった。神様というのは、とかく血を嫌う。なので、生理のある女性は禁制だというのが、古くから伝わるしきたりだった。すると背後から礒崎巌老人が歩いてきた。巌老人は朝から海で行われる豊漁祭に出席していて、もうかなりの酒が入っていた。

「茶子と幸作じゃねぇか」巌老人は言った。

 すると社の中にいた人々も幸作と茶子の姿に気付いた。ついでに巌の姿も認めた。

「漁協長」と若衆が言った。「豊漁祭の方は、もういいのかい?」

「おう、いつもの通りよ」

 巌老人は大漁旗の掲げてある漁船が港に入るところを見届けてから、こちらの諏訪様に顔を出すのが毎年の慣わしだった。巌老人は「茶子も幸作も入って飲めや」。誘った。しかし茶子が「でも、わたくしは……」と言葉を濁すと、巌老人は「しきたりか?」。言って、高笑いした。老人は「天(あま)照(てらす)様だって女じゃねぇか」。もっともらしいことを言うと、茶子に「早く、あそこの手水(ちょうず)鉢(ばち)で禊(みそぎ)をしてこい」。言って、茶子を社の中に招き入れた。

 社の中の一番上座に腰を下ろしているのは、我が村の現村長、新山喜助であった。喜助は五十代も半ばだというのに、まるで月代(さかやき)でも剃ったかのような申し訳ない禿げ頭で、あご髭は伸ばしていた。彼も大久保家や、朝美の柿崎家同様、江戸時代から脈々と続く名家の出身で、村長に就任してからは六年の長きを数えていた。その期間、村はこれと言った問題も起こらず、喜助は心穏やかな日々を過ごしていた。ところが太平洋戦争が勃発すると、村の徴兵負担が過大になり、陪審員すらまともに選出できなくなった。若者は次々と戦争に取られ、生産力は激減し、さらに食糧事情も逼迫した。しかし喜助は完全に善良な心から、都会からの疎開児童を大量に村に招き入れた。すると村に備蓄してあったわずかな食糧でさえも、すべてイナゴのように食い荒らされてしまい、そのときの非難が喜助に集中することになった。その非難は囂々としたものだったが、喜助はいきなり「心のデリケートな病気」を理由にして、村の政界から瞬く間に失踪した。このような事情から喜助の政権は、すでに臨終を迎えようとしていて、次の村長の候補には、大久保正毅を待望する声が日に日に募っていった。

喜助にとって最も重要な政治とは、即ち祭りを催すことだった。祭りとは、政(まつりごと)の変であると言われる。なので、喜助にとってみれば、祭りを催すことは立派な政治の一環であった。敗戦後間もなくして、祭りを強行した喜助の胸には、そんな矜持みたいなものがあった。

 喜助によって、幸作と茶子、巌老人は上座に席を与えられた。喜助は「若先生も、一杯、やりましょう」と気さくに誘った。若衆によってすぐに湯呑みが用意された。この場では猪口ではなく、皆が湯呑みで酒を飲んでいるのであった。喜助自らが、幸作の湯呑みに酒を満たした。巌老人も酒を受けて、喉にどんどん流し込んでいる。巌老人はやがて「やぁ、諸君」とおどけて言った。「若先生が村に帰って参りました。何かあったら若先生に診てもらいましょう。だけれどバカにつけるお薬はありません」。大声で言った。すると若衆が「漁協長が一番の重傷だ。頭の大切なねじを海に落っことしてきたんだものな!」。叫んだ。一斉に笑いが起こると老人は「ぶっ殺すぞ、てめぇ」。唾を飛ばしながらがなり立てた。

 巌老人は茶子から酌を受けながら飲み続けていた。すると老人は出し抜けに「正平のクソ野郎」と怒鳴った。「朝美を置いて、満州なんかに行きやがって、朝美が憐れでよう。朝美は昔からあんな機械人形みたいじゃなかったんだよ。もっと可憐な野バラのようで、ころころと良く笑っていたんだ。それが今や、キクのようにしおらしくなっちまったじゃねぇか」。巌老人は深く溜め息を吐いた。それから幸作に「おめぇ、満州だろう? 正平の野郎は、どうしてる?」。話を振った。幸作は「元気でやっていましたよ」。答えた。巌老人は不意に思わし気に「そうか」と一言した。老人は「赤軍に抑留されてなきゃ、いいんだが」と再び思わし気な顔をした。

「イワさん」と喜助が横から話に加わった。「またそんな物騒な話をして。今日は祭りなんだから、もっと景気のいい話をしようじゃないか」

巌老人は「おめぇの頭の中はいつもお花畑が広がっていて、ある意味、羨ましいぜ」。吐き捨てた。喜助も「イワさんだって同じようなものじゃないか。ちょうちょまで飛んでいる」とやり返した。

「朝美さんは不憫ですよね」と茶子が話を引き取った。「わたくしの亭主はこうして無事に帰ってきてくれましたが、朝美さんの旦那さんも一刻も早く、帰ってほしいと願う他ありません」

 すると喜助が「戦争のことなんて忘れて、ぱーっといきましょう」。無邪気に言い放った。巌老人は「バカにつける薬はないな」。言って、喜助の禿げ頭にごつんと鈍い音のする拳固をくれた。喜助は「やめれ、痛いじゃないか」。しおらしく言ったが、巌老人は気にする素振りも見せなかった。若衆が「また漁協長の喧嘩癖が始まった」と囃した。巌老人はその若かりしとき、祭りと言えば、即ち喧嘩ごとだった。この村の神輿は通称、「暴れ神輿」と呼ばれ、祭りのクライマックスにはそれこそ喧嘩上等の激しい揉み合いになる。神輿に触れるだけで御利益があるとされ、若衆は神輿に飛び付く。その飛び付いてきた者を、殴り倒して、神輿に触れさせないようにするのが巌老人の祭りの愉しみだった。神輿の近辺には必ずや殴り合いの喧嘩をしているグループが三、四つあった。だいたい、その中心に巌老人が絡んでいた。現在は巌も歳を取り、神輿を担ぐことはなくなり、喧嘩の中枢にいることもなくなったものの、神輿を叱咤激励し、喧嘩を扇動することが彼にとっての新たな神事となった。というのも暴れ神輿は神輿が暴れれば暴れるほど、その御神徳もより霊験あらたかになると信じられているのである。昔は暴れ出したら手の付けようのなかった巌老人であったが、現在は彼が暴れたところで取り押さえるのは簡単なのかもしれないが、皆が巌に気を遣って彼の暴力を黙認していた。まぁ、どちらにしても迷惑な存在であることは疑いない。

 祭りではとにかく酒を飲み続ける。酔って恍惚とした状態になって、自らの精神を神に捧げるのである。もちろんお神酒で身体を清めることも、神輿を担ぐ上で欠かせない要素だった。従って下戸の者は祭りを疎遠に感じてしまうこともあった。酒が飲めないだけで根性なしと罵られる。神輿に参加する上では、体質的に酒を受け付けない者でも、無理に酒を飲み、嘔吐しながらも祭りに参加するのが、男とされ、粋とされた。祭りの前後当日の三日間は、村のいたるところで吐瀉物が吐き溜りのようになっている。夏場なものだからそれが芬々たる匂いを発する。女性も酒を飲むが、主な仕事は急性アルコール中毒になった男衆の介護をすることが昔ながらの慣わしだった。トヨが祭りを毛嫌いするのは、こういうところからも由来している。



 いつの間にか酒の荒飲みが始まった。その中心にいたのは茶子だった。茶子はまず若衆を惹き付けた。若衆は自然と茶子の周りに集まり、誰が一番、男を見せられるかを競うことになったのである。即ち湯呑みに酒を満たし、いわゆる一気飲みをするのだ。若衆が次々と一気飲みを始め、勝ち残った者へ茶子の実家から本醸造の酒が贈られるという、賞品が懸けられていた。この荒飲み(村ではそう呼ばれていた)の中に茶子も参加していた。次々と杯が重なり、脱落者が続出した。茶子も頬が少し赤らんでいる。皆に囃されて、茶子は湯呑みになみなみと満たされた酒を一気に飲み干し、ふーっと言った。この時点で、荒飲みに残っている者は三名だった。

一人は茶子だった。

そして一人は、喧嘩も酒もめっぽう強いと言われる渡辺宗樹(わたなべむねき)という二十七歳の青年だった。彼は村で「爆弾」と言われている、危険人物だった。それもいつ爆発するか分からない、旧式の爆弾タイプの人間だ。彼は漁師を生業とし、坂内正平を兄のように慕っていた。昔(正平が結婚する前)は、正平に連れられて、死ぬまで酒を飲ませられていた。正平が満州に行くと決めたとき、彼は激しく反対し、そしてもしも行くなら、俺も連れて行ってくれ、と頼み込んだ。しかし今度は正平がそれを赦さず、挙句、殴り合いの喧嘩にまで発展したが、宗樹は正平に沈められて、泣く泣く日本に残ることになった。

そしてもう一人というのは酒をちびりとやりながらだったら、死ぬまで飲めると豪語する飯尾(いいお)秀(しゅう)太(た)という、こちらも二十七歳の青年だった。彼の家は極めて貧乏な小作人農家で、神事に参加すればその信仰心はともかく、嫌というほど酒が飲めるというので参加しているのであった。彼は賞品の本醸造の酒を是非とも思い切り、気兼ねなく飲んでみたかった。自分の財布がちくりとも痛むことなく、飲める本醸造の酒はさぞかしうまいにちがいなかった。

杯はすでに六杯を数えていた。すると突如として渡辺宗樹が「俺は降りるぞ」と無骨にどすの利いた声で言った。彼は「男に見せる、男はあるが、女に見せる男はねぇ」。一言すると七杯目の酒を一気飲みしてこの勝負から降りた。秀太も七杯目を飲み干した。茶子も七杯目を飲み干した。すると秀太の目が妙に座った。

「どうかなされたんですか?」茶子が尋ねた。

 秀太は無言だった。すると彼はおもむろに八杯目を手にすると、それも一気に飲み干した。様子がおかしい、と誰もが思った。すると秀太はついにぴくりとも動かなくなった。若衆の一人が「おい、秀太、大丈夫か?」。声をかけた。秀太は沈黙していた。すると秀太はなんとその場で座って、目を開けたまま失神していたのである。若衆が「失神してるぞ、こいつ」。叫んだ。続いて「こいつ、そんなに酒が欲しかったのかよ?」。呆れて言う者がいた。「こいつの家、貧乏だからな」と続く者があった。茶子は八杯目の酒をちびりと飲むと、「わたくしは降参しますわ」。静かに言った。茶子は「お酒は飯尾さんの家に送らせていただきます」。言って、にこりと微笑んだ。大きな歓声が沸いた。茶子のことを「女神」と誰からともなく言い出した。茶子に乱れた様子はなかった。飯尾秀太はすぐに担がれて、社の外へ追い出された。社の中で吐きでもされたら堪ったものではなかった。若衆は茶子に対して乾杯をした。

 すると幸作が茶子の袖を引いた。「茶子さん、そろそろ帰りましょう」。言った。若衆は「せっかく茶子さんと仲良くなれたんだ。もう少し、ここにいても罰(ばち)は当たらんでしょう」。口々に言った。それから、「若先生、茶子さんみたいな女を娶れるなんて、羨ましいぜ」と次々に言い出した。幸作は少し困った顔をした。すると茶子が「皆さん、本日はご馳走様でした。亭主は他に行くところもありますので、今日はご容赦ください。わたくしはいつも日下家におります。よろしかったら遊びにおいでになってください」。丁寧に言うと、綺麗な所作でお辞儀をした。

 幸作は社を辞するときに、遼介へ声をかけた。幸作は「おばさんから、一度、家に戻ってきてください、と言伝を頼まれました」。言った。遼介は小さな声で「私も一度、家に戻りたいと思っていたんだ」。続けて「頃合いを見て帰るよ」と言い添えた。

 社から出ようとすると、新山喜助から「若先生、今夜は神輿が上がるから、神輿を担ぎにきてくださいよ」。気さくに声をかけられた。しかし幸作は「本日は祭りです。怪我人が出るようなことがあると、大変なので、今日は診療所を離れられません。皆さんも何かあったら、すぐに診療所へいらしてください」。言って、社を辞した。

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