第10話
昭和十一年の冬は凍てついた。即ち二・二六事件が勃発したのだ。
朝美二十一歳の冬のことだった。
彼はその報を聞くや、朝美の部屋にかけ込んだ。
「朝美、すぐに避難した方がいい!」と男は語気を荒げた。「今、榊原さんとは連絡が途絶えているんだ。ひょっとすると榊原さんは霞ヶ関にいるのかもしれない。人質に取られるようなことは絶対に避けるんだ」
男はリュックの中から切符を取り出した。
「さぁ、これで八王子に行くんだ。八王子には私の伯父がいてね、その人を頼るといい。もう朝美のことは話してあるから」
「でも榊原様の奥様やお子様たちも一緒じゃないと」朝美は動揺して言った。
「時間がない。榊原さんの妻子には私が従(つ)いていることを誓うよ。事情も私から説明しておくから。さぁ、朝美は荷物をまとめたらすぐに出るんだ。荷物は通帳とハンコくらいにして、ともかく急ぐんだ。今は帝都を襲ったテロがどう動くか分からない。とりあえず鎮圧まで、八王子にいるんだよ、いいね」
「あなたは……」朝美はつぶやいた。
「私は榊原さんの妻子と共にここに残る」男は言った。「何があっても守って見せるさ」
帝国議会は戒厳令を施行し、皇道派青年陸軍将校たちを賊軍とみなし、不祥事件の鎮圧へと乗り出た。ここまで大規模な反乱、クーデター未遂が起こったこと自体が由々しき大問題だった。『日本改造法案大綱』を著し、思想的首謀者と言われた北一輝(きたいっき)(新潟県佐渡ヶ島出身)は彼ら皇道派陸軍青年将校をよく押し留めはしたが、それでも昭和維新の大夢想に駆られた若者の逸る気持ちを殺ぐことはできなかった。北は結局、この事件に連座して死刑になる。青年将校たちの大誤算は、「君側の奸を討つ」目的があったはずなのに、その玉である昭和天皇自らは、彼らを賊軍として、毛嫌いしたことだった。さらに杜撰(ずさん)なのは、当時の岡田(おかだ)啓(けい)介(すけ)首相を襲撃したまでは計画通りだったが、実際に殺害したのは身辺警護役の松尾伝蔵(まつおでんぞう)を殺害したのに過ぎなかった。岡田首相と松尾氏は容姿が似ていたという。銃で顎を撃ち抜かれた松尾氏の顔と、岡田首相の顔との容貌の識別が困難になったことから、この誤認は起こった。それでも青年将校は岡田啓介首相の殺害を確信し、意気揚々と引き揚げたのだという。ここでもしも青年陸軍将校が首相の暗殺に成功し、新たな首相の擁立に成功した場合、日本史は大きく覆ったのかも分からない。
事件は三日間で終息を見る。霞ヶ関一帯を占領していた一四八三名の青年将校らは、逆霞ヶ関包囲網を敷かれ、次々と投降する羽目になった。思想的中枢を欠いていたからだ。言うまでもなく昭和天皇の御心がこの反乱軍に加担しなかったためである。これより先、昭和の諜報組織、特別高等課警察の自由思想、左翼思想、右翼の国家主義思想への取り締まり、監視は絶大な権限を与えられ、この日本の暗黒面を演ずるに至るのだ。
朝美は事件収束から二日後に麻布へと戻った。
すると榊原の奥様からとんでもない情報を聞かされた。
それは次のようなものだった。
榊原満治は霞ヶ関で行われていた、ある会社の株主総会に出席しているときに、二・二六事件に遭遇し、霞ヶ関一帯は無菌室状態となり、榊原は皇道派青年将校の一団に拉致監禁された。そこで青年将校から軍事資金の「借款」を求められたが、榊原は頑としてそれを撥ね付けた。彼は「賊軍に如何なる天の理もなし」と言った。賊軍と罵られた青年将校は「あなたたちが飽食を貪っていられるのは、農村の貧窮があればこそなのだ」。ふてぶてしく言って、榊原に資金の「献納」を要求し、本性を顕わにした。しかし榊原は「見くびるな、賊軍ども。私は命を金で買うようなそんな男ではない、例え、この場で死のうとも諸君らに払う金はびた一文ない」。罵倒し言い放った。すると青年将校の怒りを買い、彼らは榊原の足の小指をピストルで撃ち抜いた。青年将校は「いつまで耐えられるかな、次は指では済まさない。足にピストルを打ち込んでやる」。言った。それでも榊原は賊軍に軍事資金を工面することはなかった。陸軍将校は小切手を榊原に放り投げた。「いつでもそこに金額を書き入れたまえ」と言った。しかし榊原は小切手に反吐を吐いた。そこで陸軍将校たちは、言葉の通り、榊原の足のもも肉に向かってピストルを撃ち放った。榊原のももの肉が吹っ飛び、肉片が飛び散った。青年将校たちは「腕だけは残してやる、小切手にサインするために必要だからな」。言った。榊原は止血こそされたが、朦朧とする意識の中で、死をも覚悟した。
事件が終息すると榊原はすぐに保護され、近くの病院に搬送された。傷口は熱を孕み、膿んでいたが命には別状なかった。榊原はまだ病院に入院しているという。
もう一つ朝美を苦しめる報せを奥様から聞いた。
男が今、大変なことになっているのだと言う。彼は二・二六事件が発生した折り、朝美に言ったように榊原満治の妻子と共に、麻布の家で息をひそめていた。二・二六事件を起こした青年将校たちは政府要人と名だたる財界人をターゲットにしたが、男は榊原の妻子が人質に取られないように細心の注意をしていた。数時間ごとに榊原の所有するアパートを転々と移動し、その行方を陸軍将校たちから晦ませていた。事件の終息後、麻布の家まで妻子を送り届けたが、そこに待っていたのは特別高等警察の蛭(ひる)谷(たに)という憲兵だった。男は蛭谷の姿を見つけると、すぐに身を隠した。というのも彼は政治的思想者として、今をときめく雑誌に『日本構造主義的革命法案大綱』という論文が掲載されたことがあった。その内容は北の『日本改造法案大綱』を肯定するところから始まっていた。北は八項目に渡り、国家改造の必要性を説いたが、彼は六項目からなる構造改革の必要性を述べていた。その内容は第一に絶対天皇主権、第二に現行憲法の廃止と新憲法の発行、第三に超中央集権国家の樹立、第四に大企業の国営化及び民営企業の制限化、第五に二院制の完全撤廃、第六に入亜論(東亜共栄圏の確立)、という以上六項目からなる論文を上梓していた。それはソシュールの構造主義という難解な言語学が取り込まれていて、一見すると混乱を招くが、何度も読み返すなら、それは哲学書のようなガチガチで水の差しようもない理論で固められたものだった。
それが遡及(そきゅう)され、出版法に触れ、彼もまた危険思想の持ち主として特高から目を付けられる存在になってしまったのだと言う。
朝美はすぐに彼に会いたかったが、彼はそのような事情から、すでに例のアパートには戻らず、姿を晦ませていた。アパートの彼の部屋は鍵が破壊され、何者かが(決して少なくない)土足で踏み込んだ跡のようなものさえ窺われた。朝美は彼の部屋を恐る恐る覗いた。部屋はすべて荒らされていて、足の踏み場もないような状態だった。箪笥の引き出しが壊され、彼の衣類などが散乱していた。本も本棚から全部、引き出され、所々の床に散らばっていた。朝美の眼にふと『延喜式』が飛び込んできた。それからずいぶん古く、ボロボロになった、『旧約聖書』と『新約聖書』が眼に留まった。朝美はそれをはっきり記憶していた。
それ以来、朝美はついに彼と会うことがなかった。朝美は四年間で家政婦を辞して、故郷の新潟に帰るのだが、その後の坂内朝美は我々の知るところとなっている。
ところが正平が満州に旅立ってしばらく経過し、朝美の家に突如、彼が尋ねてきた。昭和十七年一月のことだった。男は洒落たスーツを身にまとい、とても思想犯として追われる立場にいる姿とはかけ離れていた。不遜な態度が体中に顕われ、常に堂々とした立ち居振る舞いをしていた。一見すると、彼には何も恐れるものがないようだった。特高による拷問でさえも、彼は恐れてはいないようだった。
男は身の上の事情を朝美に説明し、あれから六年の長きを数えていたが、未だに思想犯として追われていることを明らかにした。男はそれから、朝美の家に寝泊まりするようなり、それを匿う形で朝美は彼の滞在を許した。
その後も朝美と男の関係は続けられた。男は以前と変わらず知的で大胆で、舳先(へさき)で戯れる鯉のように悠然としていて、そして自信家だった。
「朝美、あなたが私の人生をどれだけ変えてくれたか……」男は言う。「正平くんさえいなければ、私はあなたと本物の所帯を持ちたいと考えているんだ、おや、冗談だと思っているね? 本気なのさ」
朝美は世間から邪険にされていた。言うまでもなく正平のせいだった。非国民呼ばわりされた夫を持ち、朝美もずいぶんと世間から冷たくされたものだ。正平との間に授かった我が子も鵞口瘡によってすでに亡くしている。朝美には暗い影がつきまとった。そんな中で彼の唯一の優しさに接すると、もう身も心も預けてしまいたくなるような気持ちになれた。自分にはこの人しかいないとまで思われてくる。朝美はこの頃から妙に思い詰めるようになった。
あるいは男は村で職を手に入れた。国民学校の高等科で教鞭を振るうようになったのだ。物理学と、数学を受け持っていた。追われている素性を隠し、あろうことか彼は疑似家族まで手に入れた。彼はこの村で見合いをし、妻を得て、その妻との間に子を授かり、出産を間近に控えている。男は終戦まで、この疑似家族と朝美と一緒に特高の眼が届かない、我が村で暮らそうという腹積もりだった。
男はここ数年ですっかりフェミニストの色香まで発するようになった。恐らく彼は女の家を転々としながら、匿ってもらっていたのだろう。朝美もそんな数いる女のうちの一人だったのかもしれない。男は実に巧みな話術で女の心を掴んでいた。しかし……、しかしそれも朝美の妊娠を知るまでだった。妊娠四ヶ月目にして朝美は妊娠を確信した。発見が遅れたのは、朝美には生理不順がしばしば起こっていたからだ。そしてそれを彼にすべて話した。すると男は人目を憚って朝美の家に一切、出入りしなくなった(それまで彼は正平の友人だと偽って朝美の家に出入りしていた)。もっとも男は素性を隠し、朝美の家に出入りし、密会するときは、深夜の時間帯を選んでいた(男は慎重で狡猾だった)。そればかりではない。朝美の姿を見ることを毛嫌いし、一度も逢おうとしなくなった。
しかし朝美の出産が間近になった七月も晦日に迫った頃、男は朝美とようやく逢うことを決し、「話し合い」をするようになった。男は朝美に流産を勧めた。しかし朝美は「そんなことはできません」の一点張りで、「話し合い」は並行路線を辿って解決に向かうような具体案はついに見出すことができないでいた。いよいよ臨月の八月になり、男と朝美は一週間に一度は逢うことに決し、やはり「話し合い」をするのであるが、この時から男は朝美に対して苛立ちを隠さず、本性を顕わにするようになった。朝美のことを常に「お前」と罵倒し、男はいつも苛立っていた。しかも朝美は男の過去を知り抜いていて、思想犯として追われていることも十分に理解していた。つまり朝美は彼の身柄を特高に引き渡すこともできたのである。それが朝美の最大の強みであった。
男は運命を彼女のような無学なゴミに握られていることに屈辱さえも覚えていた。しかも彼女は暗に、自分と彼との関係を公表することも匂わせているのだった。朝美のこの足元を見たような態度に男は腸(はらわた)が煮えくりかえるほどの怒りを禁じ得なかった。しかし事態はもう待ってくれない。
八月に入り、話し合いは一週間に一度、ひと気のない四宮公園で行われていた。そしてついに朝美の出産があと二、三日にまで迫った、八月の四週目の、あの暗闇の公園に舞台は戻るのである。
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