第6話
幸作と茶子、遼介と理子の四人は本町通りを訪れていた。本町通りにはおよそ二十団体、約百五十人の列から成る民謡流しが行われていた。その列を淡い光を放つ提灯が照らし出し、幻想的な光景を浮き上がらせていた。提灯は本町通りの左右に並び、それが一直線に、南へ向かって連なっていた。本町通りには空襲警報用のスピーカーが設置されていたが、そのスピーカーから民謡が絶え間なく流れているのだった。
「私たちも加わりましょうか?」幸作が言った。
ところが茶子は「わたくしは踊りの方はちょっと」と遠慮した。しかし幸作は「誰も見ていませんよ、さぁ」。一言し、茶子の腕を取って、民謡流しの最後尾にひょいと加わった。民謡流しの歩調と合わせるのに、何秒かまごついた。幸作は手を振り上げ、それを下ろす。茶子は幸作を倣い、手を振り上げ、下ろした。手を振り下ろしたときに、幸作と茶子は目が合い微笑した。
しばらく民謡流しに加わった後、幸作たちは諏訪町へ行った。諏訪町は決して大きな町内とは言えないが、村の御鎮守様である諏訪神社を戴いていた。諏訪町には町内を大きく貫く沿道があり、その左右に露店がひしめき合っていた。人出でごった返しているが、久し振りに開催された夏祭りに村民は浮かれている様子だった。皆、浴衣を着て、思い思いにそれぞれの露店に群がっていた。幸作は注目を集めた。「若先生が戻ってこられた」と噂された。幸作は医大を卒業すると、日下診療所で父を補して働き始めた。彼は評判も良く、親切で丁寧な診察には村の誰もが感服し、彼を「若先生」と呼んで親しんだ。しかし俗説によると、軍医上がりの医者は診療が荒っぽいと噂されていた。軍医は平気で手足の一、二本は切断するという診断を下し、悲鳴を上げても傷口にヨード液をびたびた塗り込むらしい。「おい、若先生は、大丈夫なんだろうか?」と小さな声で噂された。「あの人に限って、大丈夫だ」とも言われた。
「若先生!」と呼び止められたので、幸作は足を止めた。
振り返ると、そこには市川(いちかわ)弥助(やすけ)という肉付きの良い大男が立っている。「弥助さん、ご無沙汰しております」。幸作は言った。弥助は「生きていらっしゃったんですね!」と叫んだ。「自決したという噂がありましたぜ。葬式もあげなけりゃならないと」。幸作は苦笑し、「この通り、ぴんぴんしております」と言った。
市川弥助は坂内正平や、大久保遼介と同い年であるから、幸作よりも五つ上の年長者である。彼は四宮町に住み、磯崎巌老人とは遠い親戚筋に当たっていた。弥助の市川家は農業を本業としていたが、村で武講館を開設し、柔術の指南を行っていた。正平とは犬猿の仲だったが、喧嘩するほど――みたいに悪友だった。酒に関しても、弥助は正平に負けず劣らず、飲めるくちで、よく二人で飲み比べをしていた。彼は徴兵に取られていたが、銃後で石川に駐屯していた。そこで終戦の詔を聴き、戦後四日ほどで村に帰っていた。
「やっちゃん、こんばんは」と理子が言った。
「理子ちゃんに、大久保先生も」弥助は言った。「皆で祭りを見物ですか?」
「そんなところです」遼介は答えた。
弥助と遼介は国民学校で机を並べた学友であり、往時はお互いを呼び捨てか、あるいはお前とかと呼んで親しんでいた。やがて遼介は中学校に進学し、飛び級で卒業するほどの学力を見せた。それから東京の大学を卒業し、村に戻ってくると、弥助は「もう『遼介』なんて、呼び捨てにできねぇよなぁ。これからは先生と呼ばしてもらうぜ」という話になった。遼介はそんな弥助に対して距離感のある丁寧な言葉遣いをしていた。
弥助は出し抜けに「大久保先生、朝美さんは達者にしておられますか?」。尋ねた。
遼介は「ええ」と言った。正平に満蒙開拓団の情報を提供したのは、他ならぬ遼介だった。遼介と正平は小学校時代から馬が合い、お互いに相談事を預かれる仲だった。正平はガキ大将として学校に君臨していた。荒くれた性格は今も昔も変わりがなかった。十歳になるかならないかのときに、やくざ者の腕を食いちぎった事件は伝説のように語られていた。正平は長じて漁師として働くようになっても、その性格は変わることもなく、世間からは煙たがられる存在だった。無論、正平は世間から爪はじきにされていた。しかしその類が朝美にまで及んで、朝美も世間に遠慮するような生活を送るようになっていた。正平は世間から何を言われても、屁とも思わない性格だったが、自分のために朝美まで世間から悪く言われているのには納得ができなかった。
ある日、正平は主婦連中が噂話をしている現場に出くわしたことがあった。主婦たちは朝美が赤城精肉という商店で牛肉を買っていたことについて、悪口を言っていた。「世の中が質素、倹約を求めているのに、牛肉を買うなんて、経済感覚が少しおかしいのではないかしらん?」といった内容だった。正平は激昂した。主婦仲間の前に躍り出ると、「お前たちは経済がないから家族にまともな飯も食わせられないんだ。朝美は経済があるから牛肉を買えるんだ」。怒鳴りつけた。「経済」とは「経世済(けいせいさい)民(みん)」の略として使われ、当時は「効率的」とか「人のため」のような意味合いで使用されていた。当然、この話に尾ひれがついて、正平が暴力を振るったとまで噂された。もっとも殺人的に喧嘩が強い正平にそれを売るようなバカな殿方もいなかった。朝美は余計、居心地が悪くなった。
その様子を受けて、遼介は正平に満蒙開拓団の一員に加わるように提案した。正平はその提案に心が揺れた。行くなら単身赴任しかないと即座に考えた(正平は頭の回転が速かった)。当時の満州国は日本人が人工的に作り上げた、理想郷と呼ばれていた。しかし国連からは国だと認められておらず、中国からの租借地として定義されているに留まっていた。正平はそんな幻みたいな、妖しい国に朝美を連れて行くことはできなかった。朝美は正平に従(つ)いていくことを望んだが、正平は断固としてそれを認めなかった。正平の単身赴任期間中、彼は遼介に朝美の後見人になってくれるように頼んでいた。兄の盛寛なんてアテにはならなかった。遼介は満州行きを正平にすすめた手前もあり、朝美の後見人になることに同意した。正平の留守中、朝美は出産し、その子が病気によって亡くなった。そのときに、葬式の亭主役を務めたのも遼介だった。
市川弥助も正平が満州に行くことを少し寂しげな顔で了承した。「腐った世の中だぜ、ちくしょう」。弥助は当時、言っていた。「皆が示し合わせたように同じ方向を向いていなければ、気が休まらない。違う方向を向いている奴は排斥されるか、非国民扱いだ」。そう。時代は皆が同じ方向を見つめていなければならない時代だった。
正平が旅立つ数日前に、弥助と正平、幸作は安居酒屋で酒を引っかけていた。送別会のような趣があった。弥助と正平はこの日もぐいぐい酒を飲み干した。しかし陰気臭い話ばかりしていたので、悪い酒になった。帰る頃には、弥助も正平も正体もなく酔っ払い、正平は身体のあらゆる関節がまるで軟体動物になったように、崩れ落ちたし、弥助は酒の飲み過ぎで目が回り、白目を剥いたかと思えば、その場に卒倒した。幸作の酒は嗜む程度だったが、正平と弥助のあられもない姿を見て、「人間はここまで酔っ払えるのか?」と我が目を疑った。無論、その日は幸作が弥助と正平を彼らの家まで送り届けた。
諏訪町の往来の真ん中で弥助と幸作たちは立ち話していた。
「正平は悪い奴じゃあないんですがね」弥助は誰にともなく言った。「頭のねじが少し足りないだけで、あいつは馬鹿じゃあ、ありません。あいつから酒を取ったら、暴力しか残りませんよ、俺が保証します」
茶子が幸作の後ろから、「弥助さん、お子さんたちはどうされたんです」。尋ねた。
「あの馬鹿どものことは気にしねぇでおくんなせい」弥助は大声で言った。「あいつら、農作業はできねぇ、飯は食う、おまけにあばずれときたもんだ」
「ご自分のお子さんたちを馬鹿なんて呼ぶものじゃありませんわ」茶子は眉を八の字にした。「以前に、弥助さんの家で雨宿りをさせていただいたことがありますの。そのときお子さんがお茶を運んでくれて、わたくしのお話し相手になってくれましたの。とてもお利口さんでしたわ」
「あの馬鹿どもには、もったいねぇお言葉ですわ!」
弥助は白い歯を覗かせて笑った。「若先生」と彼は言った。「茶子さんは、若先生が不在の間、ずっと寂しい思いをしていたんですよ。そこの気持ちを汲み取ってあげなければ、茶子さんが可哀想ですぜ」。幸作は少し赤面し、茶子の顔を窺った。すると茶子は静かに微笑していた。
すると、幸作たちの後方で、何やら突発的な怒声が上がった。「もう一度言ってみろ、このクソガキ!」。それから凄まじい悪態の数々の言葉が聴こえてきた。後ろを振り向くと、すでに人だかりができていた。幸作たちも人混みを掻き分けて、現場に駆け付けた。
どうやら親子間で争っているらしく、父親の方はその「クソガキ」の襟(えり)を掴まえて、何度かその顔面を張り飛ばしていた。「クソガキ」は鼻血を垂れ流していた。弥助は「どうしたんだい、松(まっ)さん!」と叫んだ。松さんは村の海道沿いで鮮魚商を営む「魚松」の店主、松沢(まつざわ)金(きん)治(じ)だった。弥助は親子の間に割って入り、松さんの殴りかかろうという手をがばっと掴んだ。「子どもに手をあげるなんて、松さんらしくねぇ」。喚いた。負けじと金治も「離せ、弥助! 俺はこいつをぶん殴らなきゃならねぇ」と吼えた。弥助は「落ち着けよ、松さん! 何があったてんだい」。叫んだ。すると金治は凄まじく目を吊り上がらせて、「こいつはなぁ!」とせがれをずばり指さした。「戦犯を処罰しろって言いやがったんだ」。金治はぶるぶる震えていた。「こんなクソガキを世間様に送り出すなんて、俺は、父ちゃんは恥ずかしい」。
すると金治はおもむろに弥助の掴んだ手を振りほどくと、もう一度、せがれを渾身の力で張り飛ばした。せがれは黙って、その場にうずくまった。その様子を眼にした理子と茶子がせがれの傍に寄った。他にも二、三人の婦人がせがれに駆け寄っていた。婦人の一人がハンカチをせがれに差し出した。婦人は「ほら、雄一さん、父ちゃんに謝り」と促していたが、せがれは親父を軽蔑した目で睨んでいた。婦人は「そんな目で父ちゃんを見るものじゃないよ、ほら、雄一さん、父ちゃんに謝り」。言った。
魚松のせがれは名を雄一(ゆういち)という。中学校を卒業し、今年から父の下で魚屋の仕事を手伝っていた。彼は成績優秀でさらに進学することもできたが、どうやら魚屋を継ぐことを決心したらしい。この村には中学校以上の教育機関はなかった。従って、それ以上の学歴を積もうと考えた場合、親元を離れなければならなかった。松沢家はもとから裕福な家庭とは言えず、松さんはそれ以上の進学を認めなかったのである。
「父ちゃんたちが」と松さんは咆哮した。「どんなに苦労してここまで国家を育ててきたのかも知らねぇで、よくも日本を悪者に仕立てることができたなぁ! バカには分からんか、バカには分からんのか!」
せがれはぬらりと立ち上がると、ハンカチで鼻血をごしごし拭いた。
「僕はそんな暴力が大嫌いなんだ」雄一は叫んだ。「暴力では変えられないこともあるんだよ! それは自由意志だ。人が自由である権利だ。何であんたたちは戦争に訴えるんだ。答えられるか? 少なくとも世間様に胸を張って言えることじゃないだろう。僕はあんたたちの世代を全否定する!」
婦人の一人が「雄一さん」とぴしゃりと言った。「親に向かって何て口の利き方、してるんだい。さぁ、謝り」。雄一は鼻血を垂らしたまま、親父から背を向けた。せがれは婦人に「おばさん、ハンカチは洗って返します」。言うと、その場を駆け去った。松さんは神経質に震えていた。弥助がその肩を包み込むように抱いた。松沢の怒った肩から力がすっと抜けて落ちた。弥助は「松さん、分かっていると思うが、雄一のこと、許しておやりよ。あいつらはこれから大変な時代を生きなければならないんだ。くそっ、腐った世の中だなぁ! 松さん、今日は飲もう」。弥助はそう言うと松沢と一緒に安居酒屋へ入って行った。松沢の後ろ姿は妙に侘しかった。
幸作は複雑な思いを抱いていた。日本はナショナリズムが過熱の度を超えていた。ウルトラナショナリズムという。それを雄一のような若い世代は、「自由意志」や、あるいは「平等」、「平和」という言葉を振りかざし、戦前の日本を全否定するに至る。それはもはや哲学にも等しき言葉だった。無理もないのかもしれない。せがれの世代は戦争教育を骨の髄まで叩き込まれた世代だった。全てが戦争のために機能した人材育成だった。学校では朝、漢字の書き取りが少し行われ(ハネ、トメ、ハライは実に正確な書き取りを要求された)、他の授業といえば、農業や土木作業を子どもたちが担った。言うまでもなく、男は戦場へ、女は工場に出稼ぎに出ていたからだ。大人がいなければ子どもが働くしかない。人間ベルトコンベアというものがあった。川原にある石を少年少女たちが一つずつ手伝いに運んでゆく作業だった。右から左へ。列の向きを変え、また右から左へ。本物のベルトコンベアなんて生産する余裕がなかった。機械は、それ自体を動かすという作業と、手間がいるが、人間は自ら動く。だから人間ベルトコンベア。右から左へ。あちらから、そちらへ。何よりも深刻だったのは、食糧がなかったことだ。食べられるものは全て食べた。わらびを粉にして、パンを作る。けれどもそれは、喉にいがいがしい。しかし食べなければならなかった。全ては戦争のために。お腹が空いた、と言ってはならなかった。神の産み落とせし国に、産まれた子ども神の名に恥じる行いをしてはならなかった。
幸作は戦争の真の被害者は、子どもであるかもしれない、と考えた。
戦後、学生が習う教科書はGHQの指導によって、墨塗りされた。現人神思想や、軍国主義に傾くような教育、思想、言葉はすべて抹殺された。GHQは日本人のアイデンティティたる精神をとことん骨抜きにしようと目論んでいた。日本人は白人社会に真っ向から戦いを挑み、その植民地体制を根本から揺るがせた有色人種なのだ。太平洋戦争、いや、大東亜戦争の真の敵はアメリカやイギリス、あるいはオランダ、オーストラリアばかりではない。白人社会というとてつもなく巨大な化け物だった。
「幸作くん」と遼介が幸作の肩に手を添えた。「君がどんなことを考えているのか、それは察しよう。だけれども私たちは戦う以外に道はなかったのだよ。戦うことも、ときには必要なことがあるんだ。例え相手が化け物だろうと、一度、握り締めた拳は、簡単に解くことはできないのだよ。君も軍人だったのだから分かるだろう?」
それでも幸作は気分が重かった。日本はどうなってしまうのかという暗澹たる気持ちを禁じ得なかった。近代の戦争の目的は武力によって敵国の法を作り変えることにこそあった。つまり日本の国体は根本的に分解されるのかもしれなかった。
幸作は思わし気な顔をして、一店一店立ち並ぶ露店を見て回った。茶子と理子がサザエのつぼ焼きを購入して食している。思い思いに祭りを見物する村民の姿は、幸作の眼に平和な光景を記憶させた。こんな日々がいつまでも続けばいいのに。考えた。
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