第5話
この村の夕日は例え難い美しさを誇っていた。日本海が大きく日を飲み込もうとするとき、一筋の閃光が水平線上を走る。たそがれの村は、稲田に小麦色の穂を結び、街にもぽつぽつと明かりが灯り始める。戦時中は夜間空襲の的にならないために、窓を新聞紙や段ボールで塞いでおかなければならなかった。いよいよ夏祭りが始まり、開け放たれた窓からは、俄囃子(にわかはやし)の笛の音が踊るように雪崩れ込んできている。
良太郎も往診を終え、本日の帰宅は早かった。大久保家からも理子の夫、遼介が日下宅を訪れ、幸作の労をねぎらっていた。遼介は「理子、久し振り」と冗談を言っていたが、彼らが顔を合わせたのは六日ぶりだった。遼介は顔が青白く、長身で、痩身だった。徴兵に漏れるほど体が弱く、いつも何かの病気を患っていた。彼はいつも綺麗なスーツにネクタイを締め、クールだった。
座卓の上に酒とささやかなつまみが出ていた。刺身や天ぷらなどは戦時中には絶対に食べられなかった代物だ。軍の徴用を終えると、海産資源に恵まれていた村の食糧事情は比較的、安定した。または療養所時代からの習慣で、農作物や海産資源を診療手当てにしている村民もまだ少なからず残っていた。
遼介はあまり酒が得意とは言えず、つまみを食べながら酒をちびちび引っかけていた。
「父さんと母さんも、君の帰りを喜んでいたよ」遼介は言った。顔がほんのり赤らんでいる。「明日の暇な時間でいいから、大久保家にも少し顔を見せてやってくれないかな」
「そのつもりでおります」幸作は答えた。「おじさんや、おばさんも元気ですか?」
遼介は「いつもの通りさ」。言った。続けて「私は生憎、朝から祭りの頭屋に駆り出されて不在にするが、父さんが一日中、留守を預かっていると思う。母さんが祭りのときに旅行に出かけるのは例年(いつも)のことさ」。トヨは村が気狂(きちが)いじみて騒がしくなる祭りを苦手としていた。特に神輿が諏訪様の社に上る明日の二十七日は、村中の人々が諏訪様の沿道を埋め尽くし、その喧騒を苦手としていた。大久保家は諏訪町に構えられており、その喧騒の中枢にいる。トヨは祭りを野蛮なものと見なしていた。もっともなのかもしれない。そこら中から罵声ともつかぬ声が聞こえ、分単位で喧嘩が勃発し酔漢どもが殴り合いを始める。皆、酒に酔っているのでなおさら質が悪かった。トヨにとって祭りとは暴動以外の何物でもなかった。なので、トヨは明日から二泊三日の予定で、還暦の記念に弥彦への旅行を企画していたのだった。
「明日は神輿が上がる」と遼介は言った。「幸作くんも担いだらどうだい?」
「私にそんな元気はありませんよ」
テレビや活動写真のなかった村では、祭りだけが唯一の娯楽だったと言っても過言にはなるまい。しかし戦争が始まって以来、祭りの担い手は少なくなってゆき、見物という形で祭りに「参加」する人々が後を絶たないのだった。
さらに予算の問題という点があった。
「今年の頭屋組の人々は自腹を切ってまで予算を都合しているんだ」遼介は言った。
「そんなに予算が足りないんですか?」
「ああ。終戦直後の祭りだし。漁協長も資金繰りに奔走していたらしい。漁業関係者の方たちが次々と不満を口にしていたよ」
予算は毎年、各町内からの寄付金で賄っている。しかし祭りに「参加」しているだけで、下戸の者はともかく、酒が飲み放題になる。祭り好きの連中はだいたい酒を好物としているような連中だから、酒はいくらあっても足りないくらいだ。従って予算のほとんどは酒によって消えてゆくことになるのだった。
「因習というのは何処にもあるものなのさ」遼介が言った。「寄付金の中から、旅行に出かけ、そこで芸者遊びまでしてるくらいなんだから」
理子がじろりと遼介を見た。
「まさか、遼介さんまで、その芸者遊びとやらに現(うつつ)を抜かしてはいないでしょうね」
「私はそんなことはしないさ」遼介は苦笑した。「職場の旅行以外で家を空けたことはないだろう」
「わたくしの実家は――」と茶子が思わし気に口を開いた。「――佐渡で老舗の樽本をやっておりますが、そこにも因習は存在しておりました。アルコール度数の違った清酒でも本醸造の謳い文句で販売しておりましたし、閉塞的な職業なものですから、自分たちのやっていることの善悪の見極めが困難になっているのです。あるいは彼らは自分たちのやっていることに悪意というものをそもそも感じてはいないのです。わたくしは日下家に嫁ぎ、閉塞的業界から身を脱しました。だからこそ分かるのです。花村酒造がその因習のために自らで自らを滅ぼさないように、わたくしは外から助言を申し上げるつもりでおります」
さらに祭りには利害の対立があるのだった。例えば酒を調達するにしても、何処の店を選ぶかで利害が生まれる。仲良く半分ずつという発想にはどうしても至らない。それぞれの有力者が推している酒店があり、選ばれた方が賂(まいない)みたいに、有力者に報酬を与え、選ばれなかった方は祭りに対して質の悪い悪意を抱く。昔の祭りは違っていた。村のすべてが潤うように、調和された祭りだった。何処の家庭も貧しいながらも、平等に食物を持ち寄り(それを「寄り合い」と呼んだ)、あるいは登楼を組んで皆で火を囲み、唄い、笑い、盆踊りに興じたりもした。しかし資本経済が台頭した結果として、祭りに利害が生まれるようになった。
祭りの中にも右派、左派というのがあり、忠実に昔ながらの祭祀を司ろうとする派閥と、現代に適応した形に変革しようという派閥が存在しているのであった。今のところそれらの派閥は拮抗していた。拮抗しているがゆえに質が悪かった。
遼介が「祭りに――」と言いかけたとき、彼は突然、発作的な咳をした。口元をハンカチで覆い、発作が収まるのを待った。発作はしばらく止まなかった。「悪い、失礼」と遼介は言った。「最近、よく咳が出て困る」。幸作が「大丈夫ですか?」。尋ねた。良太郎も遼介をじろりと見た。あまりいい咳ではない。すると遼介は「昔から喘息を持っていてね」。答えた。「特に季節の変わり目にはひどい発作が起こるんだ」。幸作は「一度、診療所の方で詳しい検査をなされた方がよろしいんじゃないでしょうか?」。言った。喘息持ち特有の胸が鳴る音を聞いていた。「大丈夫だ」と遼介は言った。「しばらくすると落ち着くから。見苦しい姿をみせてしまったかな」。
やがて遼介は落ち着きを取り戻し、胸の音も聴こえなくなった。茶子が遼介の空になった猪口に酒を注ごうとすると、遼介は「私はもうよしておこう。茶子さん、水を一杯、頼めないかな?」。言うので、茶子は水を用意した。
「遼介さん」と理子はぴしゃりと言った。「検査はちゃんと受けること」
理子は幸作に視線を移した。「ところで、幸ちゃん」と言った。「何か土産話とかはないの?」。尋ねられた。幸作は少し考えた。それから「特にないですね」とあっさり言った。理子は怪訝な顔をして、「漁協長が幸ちゃんの噂話を何処かから聞き付けてお話するのよ」。肩を竦めた。磯崎巌老人はその辺の事情通で、噂話にはいささか度を過ぎるほど敏感だった。そのような事情から彼は「生き字引」とも呼ばれたし、「村の伝言板」とも言われていた。とにかく異名の多い老人だった。巌老人の話によれば、幸作はもぐりの医者として、評判がすこぶる悪く、挙句の果てに自決して、横須賀で自ら掘った墓に入っているとしていた。
幸作は「何処からそんな根も葉もない話が出てきたんでしょうか?」。首をふと傾げた。
事実は以下のようなものだった。幸作が横須賀に赴いたとき、兵卒たちは塹壕掘りをしていた。横須賀はほとんど裸にも等しき要塞だった。本来ならば中尉である幸作は塹壕掘りなどしなくても良かった。しかし幸作も塹壕掘りを上官の野田喜三郎大尉に申し出た。かくして幸作は穴を掘ったが、下級士官たちからは「もぐら軍医」と揶揄された。それが転じて「もぐりの軍医」だと誤解を受けたのだった。自決とはどうやら野田大尉の自決のことを言っているらしかった。
「私たち日本人は、竹やりを握って、重火器と渡り合おうとしていたのです」
幸作は顔色を曇らせた。
日本の人口は八千万ほどだった。総員火の玉と化し、竹やりを握ってゲリラ作戦に出れば、戦争は長期化し、膠着状態に陥ったのかも分からなかった。ヤルタ会談において米英ソの首脳は「日本人は日本の国土がすべて焦土と化しても降伏しない」との見解を持っていた。しかし米英ソは戦争の膠着状態こそ恐れていた。イギリスはドイツの侵攻によって荒れに荒れた内政を推し進めなければならなかったし、ソ連は、共産体制の盤石化を急ぎたかった。アメリカは国内において厭戦ムードが高まることを嫌ったし、共産主義国の台頭を恐れた。日本人は日本の人口が恐らく1/100になったとしても、現人神(あらひとがみ)の言葉が干戈を握り、戦いを求めるのならば、あるいは恐れずに戦ったし、現人神が戦いを嫌うのならば、あるいは戦争をぴたりと止めるに相違ないのだ。
「ふ号兵器というものが開発されていました」と幸作は言った。「和紙をこんにゃく糊で固めて、水素ガスを充填し、それに焼夷弾を搭載して放ったのです。千葉や茨城、福島の海岸線沿いから偏西風に乗せて。米国本土を奇襲攻撃する作戦でした」
「頭のいい人は目の付け所が違うわね!」理子が手を打ち鳴らした。
哀しいかな、日本が風船爆弾を飛ばしていたときに、米国は着実に原子爆弾の開発に取り組んでいたのだ。しかし日本の物理学者たちも極秘裏に原子爆弾の開発を着々と進めていた。それは「二号兵器開発」と言われていた。仁科芳雄博士はイギリスの論文誌『ネイチャー』に『高速中性子によって生成された核分裂生成物』と題した論文を発表し、日本は原子力開発の先進国だった。原子爆弾を開発したのはユダヤ人の物理学者チームだったが、日本の物理学者の研究チームによれば、原爆の開発は現段階では不可能だとして開発の先送りをしていた。従って、広島に原子爆弾が落とされた時点で、日本の物理学者チームたちは息を呑んだにちがいない。もしも日本が原爆の開発に成功していた場合、第二次世界大戦は核戦争へと変貌し、歴史に永久に刻まれる汚点となったのに相違ないのだ。
「やりきれませんよね」遼介が言った。「米国は悪魔の兵器を開発し、それを撃ち落としてなお正義だと言って憚らない」
「日本は悪魔に屈してしまったのでしょうか?」茶子が思わし気に言った。
「お話が暗いですよ」と理子が注意した。「日本が悪魔に負けたとしても、日本が悪魔になる訳じゃないでしょう?」
「日本は……」遼介がつぶやいた。「その悪魔の手先になるのかもしれない」
日本が最も恐れていること、それは植民地になるということ。日本は同じアジア人種の国家が白色人種から被植民地とされ、想像を絶する搾取を働かれていたのを、嫌というほど目にしてきた。究極の植民地支配とは、人身売買、資源の強奪、ハーフカーストと呼ばれる混血中間管理職による植民地支配体制という、三重の搾取を働き、挙句の果ての同民族による代理戦争と化すことにあった。なので、日本は国際連盟で世界人権宣言の嚆矢となるべき、人種差別の撤廃(これは日本が夢見た切実な訴えだった)を叫び、先進各国から否決される結果を招いた。さらに日本が満州を席巻し、執政に溥儀を擁立すると、リットン調査団から満州の査察を受けた。満州国について、国連は否認決議を行い、賛成四十二、反対一(日本のみ)で、満州建国は成らなかった。その結果、日本は国連を脱退、孤立を深める結果となった。
「日本はまだ敗れていません」と幸作は言った。「まだ戦っているのです」
日本はアジアの植民地からの解放という目的のために戦った。後のフランスの大統領、ドゴールはこう述べている。「(日本軍による)シンガポールの陥落は白人の長い植民地支配の終焉を意味する」。白色人種は実に四世紀に及ぶ植民地支配を確立させていた。その終焉の幕を作ったのは日本であり、終焉の幕を下ろしたのが、植民地各国の民族的結束と奮励だった。このドゴールの言葉は現実のものとなり、第二次世界大戦後、アジアの植民地各国は次々と独立の旗を振りかざすことになった。中には独立戦争もあった。そのための将官を育てたのも、やはりアジアの広域に派兵されていた、日本の将官だった。日本はアジア各国にインフラを敷き、学校の建設に力を注いだ。柳川宗(やながわもと)成(しげ)中尉は若きインドネシア兵に「独立は自らの力で勝ち取るものである。与えられるものではない。(中略)私たちも教育に全力を尽くす。私たちに負けるようなら独立はできないぞ」と訓示した。日本が戦争に敗れると、アジア各国に派兵されていた日本軍の将官は「独立、未だに成らず、我らは現地の人々に独立を固く約束した。国籍を棄ててでも我らは現地の人々と共に戦う」として残留兵になることを決心する者が続出した。その数は数千を数えた。大東亜共和圏。日本が夢見た、アジアの大構想は滑稽だっただろうか? 先に触れた通り、戦後、植民地各国は独立を勝ち得た。日本が夢見た大構想は幻でも、滑稽でもなかったのである。日本は負けを取ってなお、アジアの独立という戦争目的は達成されたのだった。「戦争の最終目的が、戦争の目的の達成にあるのならば、第二次世界大戦は日本が一人勝ちした」と述べた韓国人がいる。日本は白人社会と闘ったのである。
白色人種が植民地の獲得と運営に躍起になっている頃、日本は何をしていたのか? 日本は百年に渡る戦乱と、三百年の泰平の眠りの中にいた。泰平の眠りは日本独特の文化を育んだ。世界史では王宮が文化を育み、庶民に膾炙する傾向にあるが、その点、日本は庶民(町民)から文化が発展したのには目を瞠るべきである。
「幸作さん、祭りを見物に行きましょうよ」茶子が言った。
「それもいいわね」理子が続いた。
今なら、民謡流しが本町通りを流れているところだろう。
茶子も本日は酒を飲んでいた。茶子は酒の樽本の令嬢らしく、酒を得意としていた。
日下家で飲まれている酒は茶子の実家、花村酒造から中元に送られてきた、口当たりがまろやかな酒だった。酒は濃厚甘口と相場が決まっていたが、花村酒造から送られてくる酒は端麗辛口の酒だった。花村酒造は昔ながらの古式に則り、端麗辛口の酒を守り続けていた。新潟の地酒、「越乃寒梅(石本酒造)」も端麗辛口の酒を良く守った。
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