第2話
かくして幸作は故郷の土を踏むことになった。野田大尉の言葉がなければ、幸作は帝都に残るか、もしくは広島、あるいは長崎に行っていたのかも分からなかった。野田大尉は幸作に言葉を遺した数日後、靖国神社を詣でてから、世田谷の自宅で割腹自殺した。遺書はなく、軍服が綺麗に折りたたまれ旭日章がその上に置かれていた。どうやら介錯をしたのは、野田大尉の奥方であるとのことだった。日本の前途を担うべき、大和魂を貫徹した有能な人材は、その大和魂のために、戦後、次々と自決をした。幸作は残務処理と、野田大尉の葬式のために、ほぼ一週間を費やし、彼が村に足を踏み入れたときには、八月もほんの僅(わず)かしか残っておらず、もう秋の匂いが漂い始めていた。
村は平穏そのもので、彼が軍務に志願した八ヶ月前と、何一つとして変わっていなかった。灌漑(かんがい)された田畑が整然と敷き詰められ、その周りを張り巡らすように小川がさやかに流れていた。日本海に近付くごとに民家の数は密になってゆく。民家は日当たりがいいように、西向きに構えられている。何処の民家にも縁側があり、大きさの別を問わず、庭があった。畦道では犬を追いかけ回す子どもたちが走り回り、ズボンとパンツを下ろして立ち小便している小僧は、鼻汁をすすり上げ、余滴をちょんちょん振り落としていた。潮風の香る辺りは幸作が子どもの頃、自分の庭のようにして遊んでいた場所だ。海を眺めながら縁側に腰かける老人がいて、彼は干し昆布をしゃぶっていた。縁側のわきに猫がだらりと寝転がり大きな欠伸(あくび)をしていた。
「若し(・)ぇんしぇい(・・・・・)」と干し昆布の老人は幸作に眼を留めて言った。「ごくろうしゃ(・・)ま、帰ってきたんでしゅ(・・)なぁ」
「ただいま、戻りました」幸作は軍帽を外して頭を下げた。
この村と戦争とを結び付けるのは、一見して困難を極めるにちがいない。しかし辻を行き交う人々は圧倒的に老人か女性、あるいは子どもが多く、若手の顔はほとんど窺えなかった。仕事に勤しんでいるのかもしれないし、戦争に取られてしまっているのかも分からない。しかし幸作が帰郷した頃、銃後の兵卒たちは続々と里帰りし、この村にも静かな活気が沁み出し始めていた。
婦人たちが井戸端で話をしていた。本日から始まる夏祭りについての話題を口々にしていた。何処の民家も食糧難で、祭りに見合うご馳走を出せないわ、こんなご時世に祭りをやるなんて、村長の頭は何処かおかしいのではないのかしらん? 浅倉さんのお宅はウサギを飼っているからいいわよね、等々の不満を声高に語り合っていた。
幸作はそんな話を聞きながら〈今日は祭りなんだな〉。思った。彼の足は、幸作の父、良太郎(りょうたろう)が運営する日下診療所へと向かっていた。良太郎は幸作が軍務に就くことを反対しなかった。彼は寡黙で「そうか」と一言しただけだった。彼としては幸作に診療所を継いでほしかった。その気持ちを幸作は知っていた。
日下診療所は前身を、日下療養所と言った。日下家は高田藩お抱えの典医であったことは以前にも述べたが、俸禄だけでは食っていくこともままならず、療養所を設けて、無料で村民に開放していた。そのとき村民は謝礼として野菜や穀物、あるいはワカメや昆布、魚介類などの海産資源を置いてゆく者もあった。日下療養所は漢方医学を用いていたが、維新によって西洋医学がどっと流れ込んでくると、漢方医学の影は徐々に薄くなってゆくことになる。合理性よりも信頼が選ばれるときがある。というのも明治時代初期は漢方医学を民衆が信仰していたため、完全に排除することができなかった。西洋医学の合理性が国民から信頼を集めるようになったのは明治も二十年を経た頃で、文明が国民に膾炙(かいしゃ)された後のことだった。
現在の診療所は大正初期に建て替えられたものであるが、三十数年も経つと、さすがにうらぶれてくる。ペンキは剥げ落ち、木目が露わになり、潮風による風化も早い。幸作は診療所の前で佇んだ。外壁の板の木目と自分の記憶を重ね合わせた。すると八ヶ月前とぴったり重なった。幸作は観音開きになっている扉をゆっくりと開いた。エタノールのひねた匂いが鼻の中に入り込んでくる。左に受付があり、右には待合室が設けられている。廊下を奥に進めば、そこが診察室だ。さらに奥に階段があり、それを上ると、入院用の病室が四部屋設けられている。待合室には茣蓙(ござ)が敷かれていて、そこに数人の患者が思い思いに腰を下ろしていた。彼らは示し合わせたように団扇(うちわ)を煽いでいた。首に手拭いを巻き付けていた老人が話の中心人物だった。その老人こそ磯崎巌老人だった。
巌老人は診療所のすぐ隣り町内の四宮町というところに住んでいる。頭は禿げ上がり、無精ひげはまるで彼の表皮を突き破って出てきたかのようだった。老人は特に具合が悪いわけではないが(彼は高血圧だと言って憚らなかった)、漁に出ていない時間(彼はとっくに引退しているが)は診療所で過ごすことも多く、この日も本物(・・)の(・)患者さんと話に花を咲かせていた。また彼は村で一番の祭り好きとして知られ、祭りと言えば、即ち酒と喧嘩ごとだった。
孫ほども歳の差がある幸作には妙に懐いていて、彼は取るに足らない愚痴を幸作に向かってぶちまけていた。幸作が出征するとき、彼は上越の駅舎まで漁師仲間を引き連れて見送りに訪れた。全員が日の丸の鉢巻きをしめ、日章旗をぶんぶん振っていた。彼らは人目も憚らず、瀬戸口(せとぐち)藤吉(とうきち)の軍艦マーチを声高に歌い上げると、巌老人が一歩歩み出した。すると彼は自分の陰毛を入れたお守りを幸作の手にぐっと握らせた(そんな迷信があった。ただし男性のそれではなくて、女性のそれをお守りの中に入れた。弾除けの御利益があると言われていた)。彼は涙ながらに幸作が汽車に吸い込まれてゆく後ろ姿を見送り、遠くに行ってしまう汽笛の音まで見送った。彼は「一気に老けてしまったよ、俺は」とぼやいた。
巌老人は幸作の姿を認めると、まるで幽霊にでも遭遇したかのような顔をした。
「ただいま、戻りました」
幸作が言うと、老人のひげはまるで猫の毛のように逆立った。彼は「生きていたのか、幸作!」。稲妻のように叫んだ。「今、お前の葬式をあげようと話していたところだったんだ!」。老人は唾を飛ばしながらがなり立てた。老人は「お前が横須賀で自分の墓を掘ってるって噂が聞こえたんだ。自決したものだと、てっきり思い込んでしまったぜ」。巌老人は幸作が首からぶら下げているお守りに眼をやり、それ(つまり自分の陰毛)に向かって何度か祈り倒した。
「やぶ医者!」と老人は奥の診察室に向かって叫んだ。
やぶ医者とは幸作の父、良太郎のことだ。良太郎は村民から敬われているが、巌老人だけは良太郎のことを「やぶ」と呼んで慕っていた(と思う)。この時代に医師免許はなかったものの、廃れた漢方医学を担ったのは、多くのやぶ薬師たちだった。
すると受付から「若先生、お戻りになられたんですね」と色香のある懐かしい声が幸作を振り返らせた。そこには坂内朝美の姿があった。朝美は食糧難の時代にあって、もっちりと肉付きが良かった。身体の割りに顔は小顔で、良く動く大きな瞳が印象的だ。「若先生、中へどうぞ」。朝美に誘われた。幸作は勝手の知っている診察室の扉を開く。そこでは良太郎が老婆を触診していた。
老婆は透けるような白髪が頭の形に沿ってなでつけられ、鬢(びん)を後ろで結って丸めていた。浴衣からナスみたいな乳をだらりとぶら下げて、こちらを振り向いた。
「おや、まぁ、若先生」と老婆の声からは懐かしさが沁み出していた。「婆は八幡様に何度もお参りいたしましたもの」
老婆は合掌して何やらぶつぶつやりだした。
「よし乃婆、お久し振りです。お変わりがないようで」
幸作が言うと、鶏ガラみたいな首がかっくり頷いた。
よし乃婆は姓を浜埼という。この辺ではあまり聞き慣れない姓だ。よし乃は月末に差しかかると、毎月診療所で健康診断を受けて帰る。それは月齢を数えるように正確な間隔だった。健康診断の結果は概ね良好で、診断用紙には「良」の字がずらりと並んだ。それを受け取ると決まって、「ありがたいことでございます」と一言して診察室を後にする。よし乃は日下家のすぐ隣りに居を構える住人で、日下家と浜崎家は垣根を隔てているだけだった。もっとも日下家の住宅があるのは、診療所のすぐ隣りである。北から数えると、浜埼家、日下家、日下診療所という順番になる。よし乃婆はこの辺では名の売れた産婆で、日下診療所の産科(そんなものはないが)はえらく評判が良かった。産婦は「日下さんのところにはよし乃お婆ちゃんがいるから」と口を揃え、安心して診療所へ足を運んでくれたものだ。あるいはよし乃は漢方医学の知識が豊富で、その道のまさに玄人(くろうと)だった。一度、藪(やぶ)に分け入ると、たちまち様々な薬草を採取してきて、それを煎じて村民に無料で振る舞っていた。特に滋養強壮と名のつく漢方薬の知識に明るく、彼女の煎じる漢方薬を飲み続けて、百八歳まで生きている老人は、今や生ける伝説と化していた。もちろん、お返しに穀物や魚介類がよし乃の家には無数に集まった。しかしよし乃は必要最低限のものしか受け取ろうとはしなかった。老婆はみすぼらしい家に、夫も子もなく、一人で生活を営んでいた。若かりし頃はえらい美人だったと聞くが、現在は見る影もなく、その麗人の姿を目に焼き付けた人々も今や鬼籍に入る者が多い。
幸作の祖母は彼が生まれる前に亡くなっており、日下家ではこの隣りに住まう老婆を家族のように慕っていた。幸作の家の居間には家族で撮影した、記念写真が飾ってあり、その記念写真にも、よし乃の姿はきっちり映し出されていた。よし乃は家族の真ん中に座りほとんど決死の表情をしていた。というのもよし乃は写真で撮影されると、魂を吸い取られてしまうという実しやかな迷信の信者だったのである。従って、この記念写真を撮影したとき、よし乃は泣き出さんばかりに駄々をこねた。この歳になって生命に何の執着があったのか、よくは分からない。
幸作が物心つく前からすでに婆さんだった老婆は、御歳八十八歳の米寿を数える、正真正銘の幕末生まれだった。よし乃はよく近隣の子どもを愛した。老婆は子どもを見かけると、「婆の家においで」。つい反射的に言ってしまうようだった。そこで子どもたちに野菜や果物を与えた。「お母さんには内緒にのう」。言っていたが、子どもたちの母は皆、知っていた。
この日もよし乃は例に漏れず健康診断を受けに来ていた。
良太郎が咳払いすると、よし乃婆は良太郎に向き直り、胸を開け広げた。しかし良太郎は無愛想に「胸はもうけっこう」と言った。良太郎の鋭い眼が、幸作に留まる。彼は「手伝いなさい」。命じた。
幸作の足は衝立(ついたて)の向こうにある、自分の仕事机へ向かった。
「朝美さん、白衣はありますか?」
幸作が尋ねると、朝美は真っ白な白衣を箪笥(たんす)の中から持ち出し、そっと彼の前に差し出した。幸作がそれを羽織ると、後ろから朝美が手助けしてくれた。白衣からはしゃぼんの香りが弾けた。幸作は椅子を引き、そこにずっしりと腰を下ろした。何処か日常が腰を下ろしたようだった。机の上も彼が使い古したものたちばかりだった。
衝立の向こうからは「ありがたいことでございます」と声が漏れてきた。
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