「これ、新刊です。よかったら……」

 千堂せんどうミルナがソフトカバーの単行本を差し出す。ドレスを着た少女と鎧をまとった美青年が睨み合うきらびやかなイラストの表紙――その中央に「転生王女はトゥルーエンドを全力で回避したい。8」という題名がポップな書体で躍っている。

 磯山いそやまあきは「ありがと」と言って、千堂ミルナの献本を受けとる。

 磯山あきと千堂ミルナは、狸小路たぬきこうじ八丁目のワインバーにいる。ボトルは取らず、グラスワインを飲みながら、肉とチーズの燻製やバーニャカウダをつまんでいる。

「もう八巻まで出たんだ。すごーい」

「ありがとうございます」

 千堂ミルナはストレートのロングヘア、黒縁のスクエアな眼鏡、無地のカットソー。化粧も薄く、アクセサリーもつけていない。シンプルな装いである。

読み放題アンリミに入ってたから二巻まで読んだけど、文章もしっかりしてて、ラノベっぽくないよね」

「ラノベっぽくない、というのは……?」

「ちゃんとした小説って感じ。おもしろいよ」

「そう、ですか……ありがとうございます」

 千堂ミルナはぺこりと頭を下げる。

 磯山あきと千堂ミルナは「新世界小説コンテスト」に入選してデビューした同期生である。同じ札幌に住んでいることで交流が生まれ、年に一回程度、こうして会うことがある。

 デビューして数年後、千堂ミルナは小説投稿サイトに「転生王女」を自主的に連載し、それが書籍化されて、人気シリーズとなった。もともと、デビュー作も「札幌さっぽろ伏見ふしみの神さま図書館」という、キャラクタ文芸の色合いが強いものであった。

「ミルナちゃんは偉いよね」

「えっ、どうしてですか」

「だってプロなのに、注文されたわけでもない小説をネットで書き続けて、チャンスをつかんだんでしょう。すごーい。私にはできないなあ」

「磯山さんは、何か準備している作品があるんですか」

「そうだね。いつか書きたい小説はあるよ。生きづらさを抱えているひとたちの、倫理や道徳では救えない心の痛みにそっと寄り添うような作品を」

「そんな小説が、もし書けたら、それは……すばらしいですね」

「でしょう。いまは、そのための修行期間かな。小説家として、ライターもやる。写真のモデルもやる。そこで得た経験を小説に還元する。だから私の活動は、すべてが『小説の執筆』の一部といってもいいんだと思っている」

 アルコールのせいか、磯山あきは頬を赤くして、自身の志を語る。

 千堂ミルナは、それをうなずいて聞いている。

 

 磯山あき@小説家 isoyamaki

 同期の千堂ミルナちゃんと語り合う。作家同士でしか持つことのできない充実した時間でした。写真は燻製の盛り合わせ。おいしかったー。

 21時34分

 

 千堂ミルナ mirusend

 @isoyamaki 今日はありがとうございました。ペンネームを使っている作家ですいません(笑) 磯山さんの新作を心待ちにしています。

 21時58分


 磯山あき@小説家 isoyamaki

 @mirusend すいませんって、何で?w かわいいペンネームでとてもいいと思うよ!

 22時00分


 磯山あきは白石区のマンションに帰る。

 玄関のドアを開けると、部屋の明かりがついている。

「あきちゃん、おかえり」

 髪をほどいた磯山はるこが、居間で発泡酒を飲んでいる。

 すでに空の缶がテーブルに三個、転がっている。床にはジャケットとハンドバッグが放り出されている。磯山あきは少し顔をしかめる。

「はるちゃん、こういうのは帰ってきたときにちゃんとしないと、どんどん面倒になって――」

「はいはい、わかりましたよ、妹ちゃん。でも今は勘弁して。疲れた」

 磯山はるこはテーブルに伏せて腕を伸ばす。磯山あきはため息をついて、ジャケットをハンガーに掛け、ハンドバッグをソファの上に乗せる。

「もう人間無理。人間無理部に入りたい」

 伏せたまま、磯山はるこが呻くように言う。磯山あきは笑う。

「何それ、はるちゃん。仕事でいやなことがあったの」

「ない日はない。あーあ、あたしもあきちゃんになりたいな」

「どういう意味?」と、笑顔のまま磯山あきは訊く。

「会社行かないで、好きなことやって暮らしたい」

「じゃあ、辞めちゃえばいいのに」

「辞めたら、どうなるの」

 磯山はるこは顔を上げて、磯山あきを見つめる。目には暗い光がある。

「あたしが辞めたら、姉妹揃って飢え死にじゃん。それともあきちゃんが就職してくれる? 本当は今だってバイトくらいしてほしいんだけど。お姉ちゃんも残念ながらめちゃくちゃ稼いでるわけじゃないんだよね」

「私は、書く仕事があるから。確かに今は、それだけで食べられるほどじゃないけど」

「ネットの記事のこと? あれ、月四十本くらい書いてよ」

「それじゃ小説が書けなくなっちゃうよ。私は、あくまでも小説家として――」

「あきちゃんさ」

 磯山はるこが声を強める。「『ハルシオン・ラヴァーズ』を出してから、何年経った?」

 磯山あきはゆっくりと、子どもをなだめるように、磯山はるこに言う。

「私は、誰でも書けるようなエンタメをやりたいわけじゃないから、どうしても時間がかかるのは、仕方がないの」

「それは、わかる。あたしだって小説きだし。でもあきちゃんは――」

 磯山はるこは発泡酒を飲み干す。その目が潤んでいる。

 磯山あきは、磯山はるこの隣に腰を下ろし、肩を寄せる。

「はるちゃん、心配させてごめんね。私、がんばってるから。これからも応援して」

「――わかった。こっちもごめん。疲れてるんだ」

「うん。お疲れさま」

 磯山はるこの頭を撫でて、磯山あきは自分の部屋に戻る。パジャマに着替えて、スマホを手に取る。


 磯山あき@小説家 isoyamaki

 今日は忙しかった……でも、刺激的な一日でした。昨日より成長した私がいる。明日もきっと、今日より成長できる。おやすみなさい。

 23時11分


 しばらく、ツイッターのタイムラインに流れる他のひとのツイートを眺める。その間にも「いいね」やリツイートが増え、リプライで「お疲れさま」「おやすみなさい」といった挨拶が飛んでくる。その中に、


 ばねこ baneko

 @isoyamaki 成長をはやく結果でみせて

 23時18分


「何このひと、昼間も……」

 磯山あきは舌打ちして、ばねこをブロックし、スマホをベッドの上に投げ出す。

 居間を横切って洗面所に向かう。その途中で、磯山はるこが、自分のスマホをぼんやりと眺めているのを見る。

 磯山あきは「はるちゃんも寝た方がいいよ」と声をかける。

「うん……」と、磯山はるこは生返事をする。磯山あきには目を向けない。

 寝る支度を済ませて、磯山あきはベッドに入る。すぐに、寝息を立て始める。


 夢も見ず、磯山あきは自然な目覚めで翌朝を迎える。磯山はるこはすでに出勤している。テーブルにハムエッグとトーストが用意されている。磯山はるこがほぼ毎朝、ふたり分の朝食を作り、こうやって磯山あきのために置いていく。

 磯山あきは朝ごはんの写真をスマホで撮って、ツイートに添付する。


 磯山あき@小説家 isoyamaki

 今の自分自身を好きになれない人が、私に嫉妬してアンチになるんだろうな……。他人に嫉妬しない、自分を好きな自分でいたい。そのために、これからも好きなことをして生きていこう、と決意する朝。

 08時55分

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八月某日、磯山あき 秋永真琴 @makoto_akinaga

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