昼
商業ビルの上階――大きな窓から
「久しぶりだよね。二年ぶりくらい?」
「
佐々木克彦は、磯山あきが通っていた東京の大学の後輩で、卒業して大手出版社に就職した。現在は「夜に踊る」という名前の純文学雑誌の編集部にいる。
磯山あきと佐々木克彦は、近況を報告し合い、大学時代の思い出話で盛り上がる。
「札幌に出張って、どんな作家に会いに来たの」
「今夜は
「すごーい。そんな巨匠の担当なんだ。あのカツピコがねえ」
磯山あきは佐々木克彦を眺める。
大学時代は、ぼさぼさの髪、曇った銀縁眼鏡、傷んだシャツとチノパンツという、いかにも冴えない大学生という風情の格好だった。現在の佐々木克彦は、髪も眼鏡もきちんと整え、細身のシャツとスラックスを着こなしている。
「担当してるっていうか、僕が先生方に育ててもらってる感じですね」
「で、昼は私と打ち合わせだ」
「そうですね」と、佐々木克彦は笑う。「いつかあきさんも担当したいです。『ハルシオン・ラヴァーズ』はいい小説だったので」
磯山あきのデビュー作の題名だ。第一回「新世界小説コンテスト」という新人賞に入選した、エキセントリックな性愛に溺れる高校生たちをオムニバス形式で描いた青春小説である。
「私も『夜に踊る』で書きたーい」
「ウチであきさんにお願いするなら、やっぱり恋愛小説特集かなあ。何か書きたいものはありますか。あるいは、未発表の短篇とか」
「ねえ、カツピコ」
「はい」
「編集者として、私に書かせたいものはないの?」
磯山あきは、目を細めて佐々木克彦を見つめる。
佐々木克彦は、虚を突かれたように眼鏡の奥の目を丸くして、磯山あきを見つめ返す。
「私はほら、ひとに期待されると全力で応えちゃって、自分でも予想できないものが生まれてくるタイプだから」
「それは――そうですね……」
佐々木克彦は水を飲んでから、硬い表情で言葉を継ぐ。「でもぼくは、あきさんが書きたいもの――磯山先生の中から湧いて出てくるものをこそ、読んでみたいです」
「じゃあ、書いたら読んでくれる?」
「ええ――はい。もちろん、送ってきてください。掲載の約束はできませんけど、僕が読ませてもらったうえで、いい作品でしたら編集長に掛け合ってみます」
「そっか」と、磯山あきはつぶやく。「正式な注文じゃないんだ」
「それは、ぼくの力不足とか、もともとの掲載計画とか、いろいろあるので――すいません」
「ううん」
磯山あきは佐々木克彦に微笑む。「いっしょに成長しようね、カツピコ」
「はい」
佐々木克彦は、ほっとしたように表情をゆるめる。
磯山あき@小説家 isoyamaki
プロに対して誠意のない人に、私は何度も軽んじられてきた。そのたびに悔しい思いをする。でも、誠意のない人はいつか足下をすくわれるだろう。そして私がくじけなければ、自然と誠意のある人だけが周囲に残っていくはず。
14時55分
ばねこ baneko
@isoyamaki いまのあなたのどこがプロなの
15時00分
磯山あき@小説家 isoyamaki
匿名で中傷されても、私は傷つきません。かわいそうな人だな、と思うだけ。ちなみに「磯山あき」は本名です。自分の言葉に責任を持つために、これからどんな仕事もやるときも、ペンネームは使わず、この名義を変えません。
15時03分
「さっきツイッター見たけど、あきさんって本名なんですね」
カメラのシャッターを切りながら、
椅子の肘掛けに肘を乗せて頬づえをつき、けだるそうに――という小塚浩介の注文に応えて――壁や天井を眺めながら、磯山あきは「そうだよ」と答える。西11丁目駅のそばにある、古民家を改造したカフェの中である。
「ありのままの私で勝負しようと思って」
「本名だとちょっと怖くない?」
「でも、それで私が名前を隠さなきゃいけないのはおかしいから。私は悪くないのに」
「つよつよだー」
小塚浩介は笑いながら、磯山あきの周囲を回って、いろいろな角度からシューティングを重ねる。磯山あきは優雅で退屈そうな表情や仕草をつくり続ける。
小塚浩介は長い髪を結いあげて、ウェリントン型の眼鏡をかけ、ボーダー柄のTシャツを着ている。デザイナーをやりながら「コヅカコースケ」の名義で写真家として活動している青年だ。
磯山あきは一年前に飲み屋で知り合った小塚浩介と、いつか被写体になる約束をしていた。今日、その約束を果たすことになった。
「おれの友だちにも、本名で小説家を目指している子がいますよ。何だったっけ、小説すずめ?」
「それはたぶん『小説つばめ』」
「その新人賞の最終選考に残ったことがあるって。
「そうなんだ。すごーい」と、磯山あきは声を高める。「あの賞は応募者も多くて難関だから」
撮影を終え、磯山あきは小塚浩介がタブレットに転送した写真をチェックする。少し褪せた色合いで、磯山あきがさまざまな角度から写っている。
「プロが撮ると、実物の三割増しの美人になれて嬉しい」
「いやいや、あきさんのポテンシャルでしょー」
小塚浩介はいくぶん緊張した面持ちで、磯山あきに尋ねる。「いいですか、これらを展示しても」
次にやる個展の、モデルのひとりになってもらいたい――事前に小塚浩介からそう頼まれ、磯山あきは「実物を見てからじゃないと決められません。私は才能のあるひととしか仕事をしたくないので」と、返事を保留していた。
磯山あきは、小首をかしげて小塚浩介に微笑みかける。
「いいよ」
小塚浩介は「いぇーい」と声を上げて、磯山あきにハイタッチを求める。磯山あきはそれに応える。手と手を打ち鳴らす音が弾ける。
磯山あき@小説家 isoyamaki
詳細はまだ明かせないけど、水面下でおもしろいことが進行中です。ただ小説を書いているだけのひとには経験できないことだなあ。近日中に正式に告知するのでお楽しみに!
17時48分
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