記憶心中
ひとなつ
家族
「外部記憶装置?」
硝子で作られた小さく美しい箱は、光に透かすと内部の機械まではっきりと見えた。中に埋め込まれた機械は今の技術で作れるとは到底作れるとは思えない精巧さだ。
「それを依頼人のところまで届けろ」
「報酬は」
「七割抜いていい」
「太っ腹だねえ」
七割抜いていいということは、三割は渡せということだ。吉平はちらと見て、単純に喜ぶ私に何か言いたげな顔をした。私は手中にある“外部記憶装置”を見つめた。吉平の顔をもう一度見ると複雑そうな表情をしている。なるほど、訳ありってことか……。
「……ねぇ、外部記憶装置、ってなに?」
一応訊ねておかないと、後から汚れ仕事だと分かるのは後味が悪い。吉平は私に情報開示を滅多にせず、忠告だけすることが多い。私のためとでも思っているのだろうか。
情報屋に拾われた時点で私の人生は終わってる。抗っても、沼からは這い上がれない。
吉平は苦虫を噛み潰したような顔をしたけども、意外にもすんなり口を開いた。
「端的に言えば、自殺装置」
「えっ」
予想しなかった答えに私は声を上げた。
「本来は人の記憶を別の人間の頭に入れ換える、その名の通り“外部記憶装置”だったが欠陥品だと分かったんだよ」
「……欠陥?」
「空の外部記憶装置に記憶を入れる人間は、必ず死ぬ、っていう欠陥だ」
私は何も言わなかった。この綺麗なガラスの箱がそんな脅威的なものには見えない。でも、話を聞いても驚きはしなかった。
人は死ぬ時、こういう綺麗なもので死にたいと思うだろうから。仕事柄、そういう奴等はごまんと見てきた。お嬢ちゃん、綺麗なキセルだろう、気持ちよくなれるよ……どうだい、やってみないかい……。
ねちっこい男の声が耳にこびりついている。私はあの時キセルを受け取りそうになったが、吉平が許さなかった。きっと私は顔を強ばらせてまともに息をしてなかった。吉平の目は冷たかった。あの時吉平はどう思っていたのだろう……。
「
名前を呼ばれて顔を上げる。
「それには記憶が入ってる。間違っても使うなよ」
「そんなに死にたそうに見える?」
「いや……だが」
吉平はそこで言い淀んだ。少し考えてみれば吉平は空の外部記憶装置を使う人間は必ず死ぬと言ったはずだ。つまり、今記憶の入ったこれを使っても死にはしないということなのかもしれない。
だとすれば、吉平は何を恐れて使うななどと念を押すようなことを言ったのだろうか。
「とりあえず、頼む」
もう他所を向いた吉平の背中を見つめる。顔中の髭とかさついた肌が年を感じさせるけど、吉平は出会った頃から何も変わらない。私を確実に沼に引き摺りながら、これ以上落ちないように私の足裏を押して自分が底に沈むのも。
ようするに、ガキ扱いか。
言われた住所に行くと、大きな屋敷が建っていた。ここは日本建築のようだ。
大きな屋敷のわりに人の気配はない。玄関から呼び掛けても、反応がなかった。敷地内に入ると、庭に面した部屋に女性がぼうっと座っていた。
「
私が依頼人の名前を言うと、女性は薄く微笑んで手招きした。青白い顔、麗しい髪の黒、鮮やかな模様の振袖。美しい女性だが、妙に死臭のようなものを感じさせる。
近づいていくと、彼女は左手を差し出した。小さな声で「モノは」と聞こえた。どうやら依頼人で間違いないらしい。
「まずは依頼料が先だな、お姉さん」
私も右手を差し出すと、彼女は舌打ちをした。見た目にそぐわない態度だ。いや、薬漬けになっているとすれば短気にもなる。それにしては美しい見た目をしているが。
彼女は立ち上がって箪笥から剥き出しの金を取ると乱暴に渡した。受け取った金を確認すると、私は“外部記憶装置”を渡してやる。
あとはどうしようと私には関係ない。背中を向け、歩き始める。すぐに鈍い音がして、私は思わず振り向いた。
女が、首を掻っ切って死んでいた。自分の体が足の先から冷えていくのが分かる。死体を見たことがないわけでもなかったが、信じられなかった。まさか、こんな短い時間で死ぬなんて。声も出さずに、死ぬなんて。
痺れたような体を無理やり引っ張って女の前まで戻ると、外部記憶装置は硝子の箱が開けられ、剥き出しの機械が散らばっていた。血塗れになっている。
女は、幸せそうな顔をしていた。
「ああ、心中したんだよ、それ」
「し、心中?」
帰ってきた私に吉平は平坦な声でそう言った。私は見たままを話した。女の死体を見たあと足が全然動かなくて、何度も転んだことは言わなかった。私の傷だらけの足を見て、吉平は何も言わなかった。
「心中って、あの女は一人だったけど」
「その前に、死んだろ。男が一人さ」
「男……?」
「空の“外部記憶装置”を使ったやつだよ」
ああ……と声を漏らす。確かに、そうだ。あの女の死体の側にはおそらく死ぬ前に使ったと思われるそれが落ちていた。
空の“外部記憶装置”を使う人間は必ず死ぬ。それが本当なら、女が死ぬ前に誰か死んでいるということだ。
「でも、なんでそれが男だって分かるの」
「流行ってんだよ、記憶心中ってやつが」
「……なに、それ」
「好きなやつの記憶と一緒に死ぬ、っていう心中方法だ。身分違いの恋愛に多い」
嫌な心中方法だ。けれど、女の死に顔が頭にちらつく。甘く蕩けるような笑顔。幸せそうな顔。僅かに知っている生きていた彼女の微笑みは、気味が悪かった。
吉平がくしゃくしゃと私の頭を撫でる。
「怖いか」
「なんで?」
「人の死体を、見たから」
その瞬間、喉が燃えるように熱くなり私は外に飛び出た。せり上がってくるものは、不思議なくらい自然と吐き出された。口いっぱいに酸っぱいものが広がり、詰まらせるように咳をした。
頭に浮かんだのは、見ないようにしていた女の皮の捲れ上がった首筋、血の飛び散った白い壁、血溜まりに浸った“外部記憶装置”……。
「すまない」
後ろから声がする。振り向くと吉平は戸惑ったように棒立ちしていた。
「別に……あんたのせいじゃないよ」
声を出すと喉が熱くて仕方ないけど、無理をして返事した。今なら分かる。吉平が“外部記憶装置”を使うなと念を押して言ったのは、中に入っている記憶を見せたくなかったからだろう。心中をするやつの事情なんて、知りたくもない。
「史乃」
「ん」
「すまない、本当に」
「だから、仕方ないよ」
思ったより優しい声が出て驚いた。吉平は私と同じようにしゃがみ、痛そうに顔を歪めていた。馬鹿だ。痛いのは私の喉だ。私の足だ。
泣きそうになって、喉がさらに痛んだ。
「吉平」
「なんだ」
「怖くなんか、ないよ」
吉平は険しい顔で私を睨んだ。
雨に濡れた犬にそうするように私は吉平の頭を撫でた。乾いたぼそぼその髪の毛。安心させるようにもう一度言った。怖くないよ、吉平。
吉平と私が初めて出会ったのは十年前、暗闇の中だった。私は暗闇の中で育った。私をいつも抱いていた女は同じ子守唄を歌うしか能がなく、今でもか細い声で聞こえてくるようだ。女は言っていた。
「ふみちゃん、私にはね、息子がいるのよ」
「息子?」
「そう。貴女よりずっと大きいのが」
「会いたい?」
「うん。会いたい」
「私も……会ってみたい」
女は息子に笑いかけるように私に微笑んだ。女はその翌日に死んだ。自殺だった。私が初めて見た死体はその女の死体だった。私達のいた場所はゴミ溜めのような場所だったのだ。
私は女の死体から形見として、綺麗な箱を抜き取った。女の死体の側でいつまでも眠っていた私を見つけたのが吉平だ。
私は女の形見の箱を眺めた。
「外部記憶装置……」
硝子で作られた小さな箱の中には、精巧な機械が入っていた。色濃く影を落とし、年季の入った鉄の輝きはそれでも美しい。
私が十年前女の死体から盗んだものは“外部記憶装置”だった。空の“外部記憶装置”を使った人間は必ず死ぬ。きっと、女はこれを使って自殺したのだろう。
そして、これには女の記憶が……。
“私にはね、息子がいるのよ”
「……」
「史乃」
振り向くと吉平が立っていた。どれくらいの時間が経っていたのだろう。橙に染まる空を眺め、長い間夢を見ていた気分だった。
「史乃、飯」
「うん」
夕飯は大抵吉平が作っていた。食卓について二人で手を合わせる。会話のない食事はいつものことで、冷めた関係のわりに温かい味噌汁とご飯が歪だった。
「ねぇ」
私が声を発したことに、吉平はしばらく気が付かなかった。米を咀嚼し、じっと吉平を見る私にゆっくりと顔を上げる。
「……なに」
「吉平は……お母さんに会いたかった?」
吉平は何か言いたげな目をした。
「ねぇ、会いたかった?」
「……」
「私は……会いたかったよ」
吉平は変なものを見るような目をしていた。でも、次第に信じられないように目を大きく開け、勢い立って私の肩を揺さぶった。
私は何も言わなかった。口がぶるぶると震え、私の肩を痛いくらい掴む手は、揺さぶっているのではなく震えているのだと思った。
「お、お前ふみの……」
「なあに」
「ふみの、史乃……母さんの、お前、持ってたのか使ったのか」
吉平の顔が泣きそうに歪む。私は震えている吉平の肩を寄せてそっと抱いた。
「吉平ごめんね、勝手に使って」
「……母さんか……な、そうだろう」
「うん、やっと会えたね……」
私を救おうとしてくれるこの人を、私も救いたかった。私の人生は情報屋に拾われた時点で終わってる。抗っても、沼からは這い上がれない。なら、吉平の母親の記憶と共に心中してこの沼で生きたい。
私は、この人の家族になりたかったんだ。
記憶心中 ひとなつ @hitonatsu
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