第18話 ヘリオのマッドパピー 4 

 コントロールルームは遺構いこうの規模の割に非常に小規模なものに思われた。


 部屋の壁は無数のモニターに埋め尽くされていた。一つ一つのモニターには球状遺構きゅうじょういこうの内部の映像、様々なグラフ、あるいは何かの解剖図などが無秩序に映し出されて、壁一面に不気味なモザイクを形成している。


 不安げな表情で部屋を見回していたフューレンプレアは、奥の机に撒き散らされた紙の束に気が付くと目を見張った。エルバは彼女に一瞬遅れて、この世界では紙が貴重品であることを思い出した。


 ヘリオのマッドパピー、とその部屋の主は名乗った。無邪気な笑顔が良く似合う、中性的な外見の人物である。顔面に痛々しい青あざをこさえ、槍と剣を突き付けられた上でなおも上機嫌な様子であった。


「何故私たちを閉じ込めたのですか?」


 フューレンプレアは詰問きつもん口調で尋ねた。


「研究の一環さあ。」


 マッドパピーは答えた。かんさわる高い声だった。


「研究?」


 フューレンプレアは眉根を寄せて復唱する。


「そう。僕はなんでも知りたくなってしまうのさ。今は源素げんそについて知りたくて仕方がない。」


 マッドパピーは言った。エルバは仲間たちの表情を盗み見た。源素、と言う単語について心当たりがなかったためである。


「源素? 何ですか、それは?」


 エルバが疑問を口にするのを躊躇ためらううちに、フューレンプレアがそう問うた。ティエラもゴートも、共に心当たりがない様子だった。


「さっきも言ったように、僕も全てを知っているわけじゃないんだ。だから知りたいんだよ。源素は全てなんだ。」


 知りたくて知りたくて、何もかもを知りたくて、マッドパピーは故郷のヘリオを飛び出した。そして球状遺構を発見した。ありったけの好奇心を注ぎ込んで球状遺構と向き合い、この要塞に残された機能を完全に掌握しょうあくした。


 その過程で発見したのが、源素の存在である。


 それは肉眼で見ることができない。球状遺構の撮影機能の一つに源素を映すものがあり、それで初めて存在を認知したのだという。


「僕の見てきた限り、この世界のありとあらゆるものに源素は含まれているんだ。」


 マッドパピーはコントロールルームの壁をいろどるモニターを示した。フューレンプレアとゴートは不気味なものを見るような目をモニターに向ける。そこには球状遺構内を移動するエルバたちの姿が映し出されていた。


「おい、どうしてオレたちが板の中にいるんだ?」


 ゴートが小声でフューレンプレアに尋ねた。


「た、嘆願術たんがんじゅつ、だと思います。」


 フューレンプレアは上ずった声で答えた。


「これはね、君たちを自動追尾する目が見た情報を映す機械なんだ。これは人の目で見た状態に近い映像。」


「は、はあ。」


 フューレンプレアは猜疑心さいぎしんのちらつく相槌を打った。


「その隣が温度を可視化した映像。運動量が多いから皆体温が上昇しているよね。その逆隣が源素を可視化した映像だよ。」


 彩色の世界だった。画面の隅々に至るまで何らかの色で塗り潰されていて、何が何やら解らない。ぐちゃぐちゃに混じった色は、一本の流れを形作っているようにも見えた。


「見ての通り、源素は全てのものに宿っている。空気にさえもだ。けれど、物によって濃淡はある。ヒトハミは周辺の環境よりはずっと高濃度に源素を濃縮しているね。人間はそれよりもさらに濃い。個人差はとても大きいけれど、僕がこれまで調べた限りでは十五歳以上の人間は皆、ヒトハミよりも源素濃度が高い。」


 三つ並んだ映像を示して、マッドパピーは実に楽しそうに語る。


「……ああ。源素とはつまり、根源こんげんちからのことか?」


 ティエラが冷やかに口を挟んだ。皆の視線がティエラに集まる。ティエラは目をすがめてモニターとモニターの間をにらんでいた。


「ティエラ、何か知っているのですか?」


 フューレンプレアが食いついた。この怪しげな人物よりもティエラから説明をしてほしいと、誰もがそう思った。


「いや、源素なんて単語は皆目かいもく知らない。」


「そうでしょうそうでしょう? 僕が考えたんだ!」


「造語かよ……」


 ゴートが苛立った声で呟いた。 


「まずは君の調べたところを聞かせて欲しいな。」


 ティエラが言うと、マッドパピーは好物を前にした犬のように嬉しそうな顔をした。


「どこまで話したっけ? ヒトハミよりも人の方が源素を多く持っているって話だっけ?」


「まずはっきりさせたいが、君が比較したのは量なのか、濃度なのか?」


「濃度だね。その映像が示しているのは濃度みたいだし。同一体積の空間に存在する源素の量。」


 ふぅん、とティエラは視線をモニターにやった。


「この映像の存在に気が付いた僕は、この色が何を意味するのかを延々えんえんと調べたのさ。そして源素と言う存在を仮定し、研究を続けた。その結果、一つの結論に辿り着いたのさ。」


 マッドパピーはもったいぶって一呼吸置くと、声を低くして続けた。


「源素がヒトハミを寄せている。」


 半ば眠りの世界に身を寄せていたゴートが再起動してマッドパピーに視線を向ける。


「おい、待て。そりゃどういうことだ? その源素ってのは、何にでも入ってんだろ? ヒトハミが襲うのは人間だけだぜ。」


「それが違うのさ。ヒトハミの標的として圧倒的に多いのが人間なのは確かだけれど、条件さえ満たせばヒトハミだろうと獣だろうとヒトハミの標的になり得るのさ。」


 マッドパピーはとびっきりの秘密を暴露するように声を潜めた。大きな目が生き生きと輝いている。


「自分以上に源素を濃縮している存在を、ヒトハミは襲うのさ。」


 エルバはモニターに目をやった。群がるヒトハミを示した色よりも、自分たちの色は濃い。より濃いのはフューレンプレア。さらに目を焼くほどの色を放っているのはティエラだ。


「君たちの中でも、槍の人はとびっきり襲われやすいんじゃあないかな? 源素濃度が他の人の比じゃないもの。」


 マッドパピーは答えを聞きたくてたまらないという様子でティエラに目をやる。


「そうだね。ヒルドヴィズルは君の言うところの源素を濃縮した存在だから。必然、ヒトハミからはよく見えるはずだ。」


「ヒルドヴィズル!」


 マッドパピーは歓声を上げた。


「それは珍しい! ねえ、君の体を調べさせて欲しいなあ。一体どういう存在なのか、僕は興味が尽きないや。」


「君はさっき、十五歳以上の人間ならヒトハミよりも源素濃度が高い、と言ったね。それはどういうことかな?」


 マッドパピーの言葉をさえぎるようにして、ティエラは問いかけた。よくぞ聞いてくれました、と言わんばかりにマッドパピーは笑みを広げた。


「人間の源素濃度には個人差があるって言ったよね? その個人差が何に起因するのか……。色々な人の源素濃度を測定して調べたところ、一つの傾向がつかめた。」


 マッドパピーはまた一つのモニターを示した。そこにはグラフが示されていた。縦軸が源素濃度を示し、横軸は年齢を示している。


「よく解らないな。説明してくれ。なにが言いたい?」


 ティエラはモニターに向ける視線をくるくる回して、諦めたように溜め息を吐いた。


「ズバリ、源素濃度の個人差の一因は年齢さ。祓魔師ふつましだとか嘆願術師たんがんじゅつしだとか、そういう例外的な人に関してはデータから省かせてもらっている。典型的てんけいてきな人間の年齢と源素濃度の変化をそこに示したのさ。」


 二十歳までは源素濃度が対数的に増加している。そこから四十歳前半まで増加は比例的で、以降はほとんど横倍と言っていい程度の緩やかな増加に転じる。生涯を通じて増加する一方ではあるが、年齢によって増加率は著しく異なっていた。


「このパターンは祓魔師や嘆願術師でも基本的に変わらないよ。スケールが違うけどね。」


「ああ、うん……」


 ティエラは疲れたように目を閉じた。


「ちなみに、ヒトハミには年齢による増加はないみたい。彼らの源素濃度は捕食によって増加するんだ。増加量は捕食対象の源素濃度に正比例するみたいだね。そして源素濃度が一定ラインを越えたところで仲間のヒトハミに殺されてしまうのさ。食べられる前に光になって消えちゃうから、捕食までされることは滅多にないけれど。」


 この時殺されなかったらどうなるのかを知りたくなって隔離かくりして育てたところ、第六層にいた化け物に成長したのだと、マッドパピーは語った。


「キメラ二号よりもキメラ初号の方が凄かったんだよ。ずっと長い時間をかけて育てたからねえ。もっと大きくて、形にもまとまりができてきて、キメラ二号よりもずっと動物的な反応を取るようになっていたんだ。あのまま育っていればなあ。なんか、少し前に何の前触れもなくヒトハミが全滅したことがあってさ。その時一緒に死んじゃったんだあ。」


 マッドパピーは悲しそうに言った。


「ああ、あったな。ありゃ何だったんだろうな?」


 ゴートが首を傾げる。ティエラは肩をすくめた。


 エルバは顔の筋肉を総動員して表情の変化を抑えた。ヒトハミ全滅の原因と目されているのはエルバなのである。


 フューレンプレアは後ろ暗さを全身で表明して、おろおろと視線を彷徨さまよわせていた。嘘の吐けない人なのである。


「つ、つまり、おもに人間がヒトハミに襲われるのはその源素、とかいうものを濃縮しているからだというのですね? 子供が襲われないのはそれの濃度が一定値を超えていないから…ということですか。」


 エルバは話をまとめるふりをして、強引に話を戻した。声がひっくり返っていないかどうか不安だった。


「その通りさ! ……あれ、子供は襲われないってどうして知っているの? 僕、話した? これから話そうと思ってたのに。あの棒グラフを見て。」


 マッドパピーは小首を傾げてから、気を取り直したようにモニターの一つを指さした。エルバはちらりとゴートに目をやった。


 ゴートは黙って腕を組み、唇を引き結んで、マッドパピーが示したモニターに視線を注いでいた。


「縦軸が年齢、横軸が回数。青いグラフが試行人数で、赤いグラフが被捕食人数。ね?大人はほぼ百パーセント捕食されているけれど、子供は十パーセントにも満たない。」


 その言葉を聞いたゴートの目に、鋭利な光が宿る。


「どこかに閾値いきちがあるんだ。ヒトハミの捕食スイッチを押す閾値がね。……ただ、それだけじゃない。やっぱり、源素が濃い方を優先的に狙っているように見える。こればかりはデータを取るのが難しいけれど。」


「ああ、確かにジジイババアの方が狙われやすいな。」


 ゴートがぶっきらぼうに言った。マッドパピーはぐるりと首を巡らせて振り返った。


「それ本当? ねえねえ、お話聞かせてよ!」


「うるせえ、寄るな。」


 ゴートが剣を振り上げると、マッドパピーはしょんぼりと身を縮めた。


「……もういいだろ。こんな奴は放っておいて、食い物取って行こうぜ。」


 ゴートがうんざりしたように言うと、マッドパピーは「そう、食べ物といえば!」と顔を上げた。


「マイって穀物を知っている? 僕、あれにも興味があってねえ。あれの源素濃度、人間の比じゃないんだよ。もしよければ持ってきてほしいな!」


 何と厚顔こうがんな。


 呆れた空気がコントロールルームを静かに満たす。


「植物は膨大な量の源素を溜め込むからね。」


 ティエラが呟くと、マッドパピーが勢いよく立ち上がった。


「ねえねえ、君、色々と知っていそうだよね! 教えて教えて! 何でも教えて! 僕はずっと一人きりで答えのない解を出し続けて来たんだよ。答え合わせがしたいんだ!」


「勝手に動くんじゃねえ!」


 ティエラに掴みかかろうとするマッドパピーの肩をゴートが乱暴に床に押し付ける。


「君が源素と呼ぶものは、時代、文化、場所によって様々な呼び方をされてきた。魔力まりょく、マナ、万能元始ばんのうげんし……。私たちは根源ノ力と呼んでいた。」


 ティエラは淡々とした口調で言った。


「君はそれをヒトハミを引き付けるものと定義したが、それは性質の一つに過ぎない。源素などと名付けたのだから、薄々感づいていたのではないか?」


 マッドパピーは固唾かたずを呑んでティエラの言葉に聞き入っている。最前までのふざけた様子は鳴りを潜め、呼吸すらも忘れているように見えた。


「この世の形あるものは全て源素から生じ、大いなる流れの一部を為す。全ては源素から生じ、源素へとかえる。」


 何かを読み上げるようにティエラは言った。そして、小さな声で補足する。


「アムブを得るために必要なエネルギーというのも、彼の言う源素のことだ。」


 フューレンプレアは目をしばたかせる。


「嘆願術も源素を扱う技術の一つ。言ってしまえば源素の営みが発生させる自然現象の再現だ。かつて世界が源素に満ちていた時代には、その技術を持つ者も多くいた。だが今では世界の源素が薄まってしまい、奇跡の一つも起こせなくなった。触媒しょくばいを用いて周囲の源素を無理やり集めるという工程が加わったために、使用に一層の才能が必要となった。」


「え?」


 フューレンプレアは眉根に、深い谷が刻まれた。


「待って下さい。今のはどういうことですか? 嘆願術は神に祈りを捧げてす奇跡で――」


「それは法王が言ったことだろう? 君、奇跡を与える神とやらを見たことがあるか?」


「それは……で、でも、祈りを捧げると大きなものと繋がって――」


 フューレンプレアが手ぶりで何かを示そうとすると、聖杖せいじょうが涼やかな音を立てた。


「それは君、周囲の源素への経路を繋げるのに成功した感覚だろう。祈りというのも集中力を高める儀式に過ぎない。法王もうまく仕込んだものだ。原理を知らなくとも、やり方さえ知っていれば使えるのだものね。」


 ティエラは皮肉げな笑みで口元を飾った。


「神様なんていない、ということですか?」


 白い炎の上で微笑む美の総体の如き姿を頭に浮かべて、エルバは問いかける。


 ティエラはまるで聞こえなかったかのように、エルバの質問を流した。エルバが再度口を開こうとしたところで、マッドパピーがキャンキャンと叫ぶ。


「ねえ! ねえったら! つまり、この時の源素の動きはそういうことなの?」


 関節の浮き出た細い指が示した先で、モニターがフューレンプレアの嘆願術発動の瞬間を再生していた。彼女が構えた杖の先を中心に色彩が渦を巻き、形を為す。


 術の発動後はモニター全体の色彩が薄くなっていた。


「周囲の源素を一か所に集めて消費してしまうから、発動後には全体の色彩が薄くなるわけだね!」


 マッドパピーが熱のこもった声でティエラに尋ねた。


「ああ。彼女が嘆願術の発動に失敗したのはそれが原因だろう。しばらくすれば元に戻るが、その際その地域の源素の流れは荒れる。丁度、いだ水面から水をすくい上げた時のようにな。その激流に反応して周囲のヒトハミが集まって来る。リバウンド、と私は呼んでいるが。」


 エルバはティエラに対して複雑な感情を抱いた。


 彼女のことは理解しつつあるつもりでいる。少なくとも悪人ではないと思う。


 だが一方で、これだけのことを把握していながら彼女はエルバたちに何も言わなかった。きっかけがあれば教えてくれるのだから、隠していたわけではないのだろうが。


「そう言えば、僕のキメラを一体どうやって倒したの?」


 ふと気が付くと、マッドパピーがじりじりとフューレンプレアににじり寄っていた。ゴートが乱暴にマッドパピーの襟を引っ張った。


「それは……嘆願術、ですよ?」


 フューレンプレアは視線を泳がせてそう答えた。


「嘘だあ! ほら、見て!」


 マッドパピーは正面のモニターを指さす。


 キメラが火炎の渦に呑まれる瞬間。源素を可視化した画面では色彩の流れが何の変化もなくせせらいでいた。その流れはフューレンプレアの嘆願術とは大きく異なっていた。


 エルバの額に脂汗が浮かび上がった。


「た、嘆願術発動の際の動きのパターンを、そういくつも見たわけではないんでしょう?」


 エルバは必死に言葉を絞り出した。


「いやあ、これまで何件か見たけどねえ。皆同じようなパターンだったよ。」


 マッドパピーがティエラに声をかけてモニターを操作させる。コントロールルームにモザイクを形作る画面が一斉に変化した。


 映し出されたのは複数の映像で、いずれも三種類ずつ用意されていた。ヒトハミに囲まれた嘆願術師が杖を構えると、源素を映したモニターでは触媒を中心とした色彩の渦が確認できる。


 ティエラは表情一つ変えずにモニターを見つめていたが、ふとマッドパピーのかたわらにしゃがみ込んだ。


「全くの無知からここまでのことを知ったのは大したものだ。君の探求心、戦慄せんりつに値する。」


 ティエラはいっそ優しげにそう言った。


「……ところで、先ほど惜しげもなく見せてくれたあのデータ、どうやって集めたものだ?」


 緑の目が怪しい光をたたえる。


「あのね、この装置には画像の光度を評価する機能が付いていたのさ。それを使ったの。背景を示す色の光度と測定したい箇所の光度とを比較して、源素濃度を評価する数字を出したのね。でも、ヒトハミが大量死した時期を境に背景の光度がものすごく増加しちゃってさ。だからあの前後で評価する数字が変化して、データの比較もできなくなって――」


「そんなことを聞いているのではない。」


 いかにも嬉しそうにぺらぺらと語るマッドパピーを、ティエラはやんわりと制した。


「君がデータ処理した映像をどうやって撮影したのか、と問えば解るだろうか?」


 一転して冷やかに流れたその言葉に、エルバは凍り付いた。


 マッドパピーの友好的な態度や無邪気さに充てられて忘却していた。エルバのこの人物に対する評価はせいぜい気持ち悪いという程度の忌避感きひかんであって、恐怖や憎悪は感じていなかった。


 そのことこそが恐ろしい。


 この人物はエルバたちを球状遺構に閉じ込め、ヒトハミに襲わせたのである。それが研究のためだったというのなら、この人物の研究の手法とは……。


 エルバたちがそれに思い至ったのに時を合わせたように、モニターは悲鳴を再生する。懸命にヒトハミと闘った嘆願術師たちの末路が、そこに記録されていた。


「そんな……」


 フューレンプレアは目を剥いた。


「やることはいつも同じだよ。」


 マッドパピーは悪びれずに答えた。


 今はもうモニターに映っていない棒グラフを、エルバは思い出した。青いグラフは試行人数。赤いグラフは被捕食人数。その総計は――。


「あなたは……これまでに一体、何人を犠牲にしてきたのですか?」


 フューレンプレアの声は怒りに震えていた。


「さあ。覚えてはいないけれど、記録はしているよ。その装置の中にあるデータを見れば解るはずさ。」


 なおも無邪気な様子を崩さないマッドパピーは、ヒトハミ同様の化け物のように見えた。


 ティエラが槍の先端をマッドパピーの左胸に当てる。


「殺すが、構わないね?」


 ティエラの確認に、ゴートは冷然と頷き、エルバは目を閉じた。


「ええ?」


 マッドパピーはどうしてそうなるのか解らないとでも言うように叫んだ。


「待って待って、ちょっと待って! どうしてそうなるのか、僕には理解できないよ。僕にはまだ知りたいことが山ほどあるんだ! 死にたくないよ!」


「黙れ。」


 ティエラの声は底抜けに冷たかった。


「いけません。」


 高らかな声がティエラを止めた。フューレンプレアはマッドパピーを守るようにティエラの前に立った。


「この人が溜め込んだ知識は、とても有用です。もしかしたら世界に革新をもたらすことだってあるかもしれないくらいに。……だから、殺してはいけません。」


 ティエラは冷ややかな視線をフューレンプレアに注いだ。その視線をフューレンプレアは正面から受け止める。


「この人はヘリオまで連行して、聖教会に引き渡します。そこで罰を受けることになるでしょう。」


「つまり、そいつがこれまでに出した犠牲は世界に捧げる生贄いけにえだ――というのかね?」


 ティエラの言葉に、フューレンプレアは怯んだ様子を見せた。青い視線をモニターの群れに走らせ、しばし俯いた後、決然とティエラに視線を向けた。


「彼らの命は帰りません。ならばせめてその死に意味を持たせられたらと思います。」


 一息の間をおいて、ティエラは槍を納める。フューレンプレアは複雑な表情を作った。


「わあい、助けてくれてありがとう、お姉さん!」


 はしゃぐマッドパピーを、フューレンプレアは涙の浮かんだ目でにらみつけた。


 鬱々うつうつと沈み込む空気の中で、マッドパピーだけが珍妙ちんみょうに明るかった。

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